上 下
72 / 207
チャプタ―75

チャプタ―75

しおりを挟む
 ――稽古場で、市右衛門は無形の位に鞱を取り、兵庫頭は大上段を越えた天を突くような蜻蛉の構えを取っていた。
 後者が収めているのは、野太刀流だ。その歴史は古く、平安時代に遡るとも言われる。始祖は伴兼行(とものかねゆき)で、『野太刀の業(わざ)』とも呼んでいた。伴家はもともと大伴家で、朝廷の武官として隆盛を極めるも、新興の藤原氏などの勢力に押され、平安時代に伴家に改姓したのだ。兼行は安和(あんな)元年(九八六)、冷泉(れいぜい)帝の御代に総追捕使(そうついぶし)として薩摩国鹿児島郡神食(かみしき)村に着任した。そして、兼行の曾孫兼貞が、弁財使(べんざいし)として大隅国肝付(きもつき)郡に移住し、高山(こうやま)に築いた城を居城として肝付姓を名乗るようになった。その後、数代を経た肝付家の子孫の弟が薬丸姓を名乗り、肝付家家老となって曽於(そお)郡大崎に城を構え本家である肝付家を支えながら大隅地方を制圧していった。
 肝付家は=肝属家であり、薬丸姓の者が後世に野太刀流の名称を変えたものがかの有名な野太刀自顕流――薬丸自顕流だ。示現流とは別の流儀だが、のちに薬丸の人間が示現流に入門したことから混同が起こるようになる。
 ――数ヶ月前に他界した父や兄の家老だった肝属兼盛から、兵庫頭は野太刀流を習い覚えていた。
 刹那、“地軸の底まで斬り通す”一撃が放たれる。
早(はや)――市右衛門が斬撃の軌道から身を逃しながら小手を斬っていた。三学円(さんがくえん)の太刀、『長短一味(ちょうたんいちみ)』。三学円の太刀は待の技法を表わす太刀と言われる。相手の攻撃に応じて変化し、勝ちを得る。新陰流の根幹とも呼べる技だ。
しおりを挟む

処理中です...