12 / 141
12
しおりを挟む
三
二日後、小平次たちは旅の空のもとにいる。
歩くのは東海道だ。陽もだいぶ傾き、平塚の宿場を過ぎたあたりだった。急ぐ旅のために今日は小田原まで進むつもりでいる。海路をとらなかったのは、信頼できかつ都合がいい船を見つけられなかったためだ。
「いやぁ、久しぶりに長いこと歩いたら汗をかいちまったね」
関を通るの面倒だから男の装をしてくれといっても聞き届けてくれなかった吟が、手拭いで汗をふきながら独語した。近くの樹の枝の上で五十雀(ごじゅうがら)が軽やかな鳴き声をあげた。
「こんなときは温泉でも浸かりたくなるねえ。そうだ、この旅が終わったら、湯治にでも行こうじゃないか、ねえお頭」
吟が隣を歩く小平次に流し目をくれる。
「男(おのこ)の裸なんて見たくありません」
「それをお言いじゃないっていってるだろうが」
思わずもれた本音に、吟が男にもどって怒鳴り声をもらした。そんな彼女に、小平次は視線で同行人の存在を知らせる。
「っと、驚かせちまってすまないねえ」
吟は肩越しにふりむいて、自分たちに同行している孫作の娘に愛想笑いを向けた。直接の雇主ではないとはいえ、向後を占う仕事の仲介人の娘だ、逃げ出されては元も子もないと思ったのだろう。
孫作の娘、豊は「ええ」とも「まあ」ともつかぬ言葉で曖昧に応じた。
楚々とした雰囲気のある娘だ。小平次が今まで接したことのない類の女性(にょしょう)だった。
「その」と言いにくそうに豊は遠慮がちにたずねる。
「お吟さんは女子(おなご)なのですか」
「男です」「むろん、女子さ」
小平次と旅に同行する男性陣――――と吟当人できれいに答えが分かれた。
が、「なんだって」と低い声で吟に凄まれて男たちは思わず目をそらし「いや」と曖昧な言葉を継いだ。
そんな彼らのやり取りに、はぁ、と豊は戸惑いを露わにしている。真面目な性質(たち)らしく、万事がこの調子で小平次たちのやり取りに翻弄されていた。なにしろ、変わり者のあつまりだから常人の感覚だとついていけないところがあるだろう。
「あ、犬だ」と野良犬につられて走り出す馬二、「茶代は手前が出そう」と休憩のために寄った茶店に居合わせた他人の妻女を口説き始めた重左エ門、それに性別が体と心で食い違う吟など枚挙にいとまがない。
真面目といえば、と豊の存在からふいに亀太郎のことを連想する。慌ただしく弔いを済ませた。正直なところ、申し訳ない思いが胸中にあった。
だが、胸を重くする要素はそれだけではない。小平次は豊を盗み見た。
依頼主との折衝のこともあるため誰か人が遣わされるやもとは思ったが、まさか町人の小娘に指図されることになるとは思っていなかった。乱世に始まる我ら忍び衆が――町人の娘の差配にしがうのか、と後悔とまではいかないが呑み込みがたい感情が胸にやどっている。
二日後、小平次たちは旅の空のもとにいる。
歩くのは東海道だ。陽もだいぶ傾き、平塚の宿場を過ぎたあたりだった。急ぐ旅のために今日は小田原まで進むつもりでいる。海路をとらなかったのは、信頼できかつ都合がいい船を見つけられなかったためだ。
「いやぁ、久しぶりに長いこと歩いたら汗をかいちまったね」
関を通るの面倒だから男の装をしてくれといっても聞き届けてくれなかった吟が、手拭いで汗をふきながら独語した。近くの樹の枝の上で五十雀(ごじゅうがら)が軽やかな鳴き声をあげた。
「こんなときは温泉でも浸かりたくなるねえ。そうだ、この旅が終わったら、湯治にでも行こうじゃないか、ねえお頭」
吟が隣を歩く小平次に流し目をくれる。
「男(おのこ)の裸なんて見たくありません」
「それをお言いじゃないっていってるだろうが」
思わずもれた本音に、吟が男にもどって怒鳴り声をもらした。そんな彼女に、小平次は視線で同行人の存在を知らせる。
「っと、驚かせちまってすまないねえ」
吟は肩越しにふりむいて、自分たちに同行している孫作の娘に愛想笑いを向けた。直接の雇主ではないとはいえ、向後を占う仕事の仲介人の娘だ、逃げ出されては元も子もないと思ったのだろう。
孫作の娘、豊は「ええ」とも「まあ」ともつかぬ言葉で曖昧に応じた。
楚々とした雰囲気のある娘だ。小平次が今まで接したことのない類の女性(にょしょう)だった。
「その」と言いにくそうに豊は遠慮がちにたずねる。
「お吟さんは女子(おなご)なのですか」
「男です」「むろん、女子さ」
小平次と旅に同行する男性陣――――と吟当人できれいに答えが分かれた。
が、「なんだって」と低い声で吟に凄まれて男たちは思わず目をそらし「いや」と曖昧な言葉を継いだ。
そんな彼らのやり取りに、はぁ、と豊は戸惑いを露わにしている。真面目な性質(たち)らしく、万事がこの調子で小平次たちのやり取りに翻弄されていた。なにしろ、変わり者のあつまりだから常人の感覚だとついていけないところがあるだろう。
「あ、犬だ」と野良犬につられて走り出す馬二、「茶代は手前が出そう」と休憩のために寄った茶店に居合わせた他人の妻女を口説き始めた重左エ門、それに性別が体と心で食い違う吟など枚挙にいとまがない。
真面目といえば、と豊の存在からふいに亀太郎のことを連想する。慌ただしく弔いを済ませた。正直なところ、申し訳ない思いが胸中にあった。
だが、胸を重くする要素はそれだけではない。小平次は豊を盗み見た。
依頼主との折衝のこともあるため誰か人が遣わされるやもとは思ったが、まさか町人の小娘に指図されることになるとは思っていなかった。乱世に始まる我ら忍び衆が――町人の娘の差配にしがうのか、と後悔とまではいかないが呑み込みがたい感情が胸にやどっている。
0
あなたにおすすめの小説
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる