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「なんだい、お頭、お豊さんを凝っと見て」
そこに吟のいたずらっぽい声が意識に割り込んできた。我に返ると、彼女はこちらを嫌みっぽい顔つきで見ている。
「お豊さんは愛い顔をしているからねえ、惚れちまっても無理はないね」
「おまえ、なにを」
「まあ、そうなのですか」
おどろいて抗弁しかけた小平次の言葉を豊の驚愕のせりふが遮った。
「ち、ちちち、違」
小平次は反射的に豊に視線を向けて弁解をこころみるが、例のごとく余人に対してはうまくしゃべれない。
「血? どこか怪我でもなさってのですか?」
「そうさ、切ない胸がそれはもう痛んで痛んで」
聞き間違いをする豊を、吟の言葉がさらに増長させる。
「ない胸を抑えないでください」
「好きで“無い”わけじゃないんだよ、こちとら」
とっさの小平次の声にふたたび吟が男の声音で応じた。それを、ほかの仲間たちは笑って見ていた。
いい加減、鬱陶しいやり取りではある。
が、ありがたくもあった。独りでいたら亀太郎の死に引っ張られて心がどこまで沈んでいきそうだ。
ただ、それでも生来の他者を忌避する性質(たち)は抑えがたいものがある。
相模最大の宿場である小田原についた小平次は「すこしぶらついてくる」と言い残しては旅籠を出た。
ひと気のない場所を求めるうちに海辺に出ていた。
海原が茜に染まっている。光の帯や破片が水面に躍っていた。昼間の世界がどれだけ光明に満ちたものなのかなんとなく思い知らされたような心地を小平次はおぼえる。
さえぎる物のない景色に同化するように頭が空っぽになっていた。
亀太郎が死んでからまだ二日だが、そのあいだ小平次はずっと鬱屈とした思いを抱えていた。
供養もそこそこに仕事の旅に出たのも、このままでは“堪らなかった”からだ。
ある意味、逃げ出したといってもいい。
自分は頭としての責と果たせていたとは到底いえないだろう。
そもそも、存在意義を失っていた。
武士としての働きは表立った形で記録に残る。だが、忍び働きの功はそうはいかない。だから、主家が潰れてしまえば“なかった”ことになってしまう。ある意味、単なる武士以上に主家あってこその存在だった。
なれば、仕事のたびに主を変えるこの稼業は――。
もっと、自分たちの存在を揺るがせるものではないのだろうか、そんな疑問が脳裏をかすめる。
ふいに気配を感じて小平次は身体を反転させた。
そこに吟のいたずらっぽい声が意識に割り込んできた。我に返ると、彼女はこちらを嫌みっぽい顔つきで見ている。
「お豊さんは愛い顔をしているからねえ、惚れちまっても無理はないね」
「おまえ、なにを」
「まあ、そうなのですか」
おどろいて抗弁しかけた小平次の言葉を豊の驚愕のせりふが遮った。
「ち、ちちち、違」
小平次は反射的に豊に視線を向けて弁解をこころみるが、例のごとく余人に対してはうまくしゃべれない。
「血? どこか怪我でもなさってのですか?」
「そうさ、切ない胸がそれはもう痛んで痛んで」
聞き間違いをする豊を、吟の言葉がさらに増長させる。
「ない胸を抑えないでください」
「好きで“無い”わけじゃないんだよ、こちとら」
とっさの小平次の声にふたたび吟が男の声音で応じた。それを、ほかの仲間たちは笑って見ていた。
いい加減、鬱陶しいやり取りではある。
が、ありがたくもあった。独りでいたら亀太郎の死に引っ張られて心がどこまで沈んでいきそうだ。
ただ、それでも生来の他者を忌避する性質(たち)は抑えがたいものがある。
相模最大の宿場である小田原についた小平次は「すこしぶらついてくる」と言い残しては旅籠を出た。
ひと気のない場所を求めるうちに海辺に出ていた。
海原が茜に染まっている。光の帯や破片が水面に躍っていた。昼間の世界がどれだけ光明に満ちたものなのかなんとなく思い知らされたような心地を小平次はおぼえる。
さえぎる物のない景色に同化するように頭が空っぽになっていた。
亀太郎が死んでからまだ二日だが、そのあいだ小平次はずっと鬱屈とした思いを抱えていた。
供養もそこそこに仕事の旅に出たのも、このままでは“堪らなかった”からだ。
ある意味、逃げ出したといってもいい。
自分は頭としての責と果たせていたとは到底いえないだろう。
そもそも、存在意義を失っていた。
武士としての働きは表立った形で記録に残る。だが、忍び働きの功はそうはいかない。だから、主家が潰れてしまえば“なかった”ことになってしまう。ある意味、単なる武士以上に主家あってこその存在だった。
なれば、仕事のたびに主を変えるこの稼業は――。
もっと、自分たちの存在を揺るがせるものではないのだろうか、そんな疑問が脳裏をかすめる。
ふいに気配を感じて小平次は身体を反転させた。
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