忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

文字の大きさ
13 / 141

13

しおりを挟む
「なんだい、お頭、お豊さんを凝っと見て」
 そこに吟のいたずらっぽい声が意識に割り込んできた。我に返ると、彼女はこちらを嫌みっぽい顔つきで見ている。
「お豊さんは愛い顔をしているからねえ、惚れちまっても無理はないね」
「おまえ、なにを」
「まあ、そうなのですか」
 おどろいて抗弁しかけた小平次の言葉を豊の驚愕のせりふが遮った。
「ち、ちちち、違」
 小平次は反射的に豊に視線を向けて弁解をこころみるが、例のごとく余人に対してはうまくしゃべれない。
「血? どこか怪我でもなさってのですか?」
「そうさ、切ない胸がそれはもう痛んで痛んで」
 聞き間違いをする豊を、吟の言葉がさらに増長させる。
「ない胸を抑えないでください」
「好きで“無い”わけじゃないんだよ、こちとら」
 とっさの小平次の声にふたたび吟が男の声音で応じた。それを、ほかの仲間たちは笑って見ていた。
 いい加減、鬱陶しいやり取りではある。
 が、ありがたくもあった。独りでいたら亀太郎の死に引っ張られて心がどこまで沈んでいきそうだ。

 ただ、それでも生来の他者を忌避する性質(たち)は抑えがたいものがある。
 相模最大の宿場である小田原についた小平次は「すこしぶらついてくる」と言い残しては旅籠を出た。
 ひと気のない場所を求めるうちに海辺に出ていた。
 海原が茜に染まっている。光の帯や破片が水面に躍っていた。昼間の世界がどれだけ光明に満ちたものなのかなんとなく思い知らされたような心地を小平次はおぼえる。
 さえぎる物のない景色に同化するように頭が空っぽになっていた。
 亀太郎が死んでからまだ二日だが、そのあいだ小平次はずっと鬱屈とした思いを抱えていた。
 供養もそこそこに仕事の旅に出たのも、このままでは“堪らなかった”からだ。
 ある意味、逃げ出したといってもいい。
 自分は頭としての責と果たせていたとは到底いえないだろう。
 そもそも、存在意義を失っていた。
 武士としての働きは表立った形で記録に残る。だが、忍び働きの功はそうはいかない。だから、主家が潰れてしまえば“なかった”ことになってしまう。ある意味、単なる武士以上に主家あってこその存在だった。
 なれば、仕事のたびに主を変えるこの稼業は――。
 もっと、自分たちの存在を揺るがせるものではないのだろうか、そんな疑問が脳裏をかすめる。
 ふいに気配を感じて小平次は身体を反転させた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...