忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 とたん、視界に豊の姿をとらえる。
 吟たちは小平次の胸の鬱屈を察しているだろうし、その性質も承知している、だから独りになる時間も必要と放っておいてくれるが、豊にそれをそれらを把握しろというのは無理な相談だ。
ために、姿の見えなくなった小平次を探し求めてきたらしい。
「な、な、な、何用でしょうか」
緊張で急激に喉の渇きをおぼえながらたずねる。
豊は質問に答えず、しばし黒目がちな瞳でこちらを見据えた。おかげで、平素の他人のそれとは違う脈の速まりを小平次はおぼえる。考えてみれば、この場所に自分は男女ふたりきりの状況いるのだ。
「なにかお悩みがあるのなら、ご相談ください」
 まっすぐにこちらを見つめて告げられ小平次はさらに心の臓を高鳴らせた。
 一瞬、豊が“女性として”自分に接しているのではないかと錯覚をおぼえる。が、
「父にお手前方をお世話いたすよう申付けられておりますゆえ」
 と生真面目な表情で言葉かさねた。
 そのせりふに安堵する反面、小平次はどこか残念なような気分を味わう。

 駿河、遠江、三河、尾張、近江、山城と東海道を進んだ小平次たちは山陽道へと入り、十日後には摂津、播磨、備前、備中と進んで海を渡り、目的の地である塩飽(しわく)島へと達した。白砂青松(はくしゃせいこう)、石英と長石が多いせいで白っぽく見える白砂と疎らに松の生える景色が広がっていた。同じ日の本でも江戸とは違うものだ――その景色に小平次はつかの間見惚れた。塩飽島があるのは瀬戸内海のなかで山陽と四国がもっとも近づく場所で、二里と二〇町(約一〇キロ)ほどの距離しかない。
 島の古くからの住民は人名(にんみょう)と呼ばれ、その中から選ばれた四人の年寄たちにより交代で統治がおこなわれた。つまり、島はどこの藩にも属さず天領でもないのだ。これはそもそも、住民が塩飽水軍と称される海賊であり島津征伐や朝鮮出兵の際に総動員で海上輸送に当たって目覚しい働きを見せたことで天正十八年に秀吉より一二五〇石を与えられたことに起因する。これが関ヶ原の役ののちも徳川家康によって安堵された。公儀は塩飽海賊衆を御用船方として海の輸送を一手に任せ利用したのだ。
 今も海賊が支配する島――海を渡る舟の上で、小平次は感慨深い思いを抱く。大小二十八からなる塩飽諸島の本島の周囲は四里ほどだが、渡り忍びとなって初めての任務を前を緊張しているせいか実際よりも大きく映った。
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