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始まりは高丸領京極家との境目争いだったという。
塩飽という土地は太閤秀吉に朱印状を賜ったことにはじまり、東照大権現家康にもひきつづき自治が認められた。住民は百姓という括りになるものの、元々は村上水軍傘下にあり要は海賊衆だ。
しかし、時代は流れた。当人たちはともかくとして、周辺の大名家にしてみれば塩飽の住民はあくまで百姓、漁民に過ぎない。
彼らが自治する島、というのは要は後ろ盾を欠いた脆い存在に映る。
ためにその漁場を奪おうと境目争いを仕掛けられる仕儀となったのだ。元来が、海という境界線の線引きのむずかしい場所が余計にそれをうながした。
しかし、士農工商と身分が分けられているとはいえ、百姓というのは決してか弱いだけの存在ではない。何か不満があれば訴訟に持ち込むことも辞さなかったし、海賊衆の子孫が軟弱なはずがなかった。
が、彼らにとって誤算だったのは相手方があまりにも強硬だったことだ。思ってもみなかった手段に讃岐高丸領京極家は出た。
「俺の倅が拐(かどわか)された」
と語るのは、若き島年寄の男だ。
赤銅色の肌はいかにも海に生きる者の風貌をし、精悍な顔立ちが海賊衆の裔という話をなんとなく裏付けているような気にさせる。
場所は塩飽島の東端に位置する人が住まう地域そこに建つ、長屋門を持ち本瓦葺で意匠の凝らされている島年寄の男の屋敷だ。この場所に到着した小平次たちを待っていたのが、先の話だった。
宮本瀬兵衛と名乗った相手の顔つきには焦燥の色がうかがえる。鱶を目の当たりにしてもおびえを見せなさそうな相手だけに、余計に痛々しく小平次の目には映った。
「俺はいい、孫作さんの世話してくれた仁を信じて待つこともできる」
それでも気丈に彼は言葉をかさねる。瀬兵衛の人柄だけでなく、孫作の人間性も間接的に伝わってきた。塩の商いを通じての関係だと聞いているが、それだけでこれだけの信頼を得られるのはよほど孫作が真摯に商売に励んでいる証だ。
「だけどよ、島の連中はとうに暴発寸前だ。高丸領京極家の嫌がらせじみたおこないに頭に来てたとこに今度のことだ、『船で攻め寄せてやる』なんぞと逸る者もいる」
事態は思っていた以上に切迫しているようだ、と小平次は瀬兵衛の相手をしている吟からすこしさがった位置で冷静にようすを観察しながら思った。
だが、他方で小平次は血が熱をあげ身悶えするように騒ぐのを感じている。
いざ、忍び働きを間近にすると、やはり総身に活力が行き渡るような感覚をおぼえた。
それから、小平次たちは瀬兵衛に「なにか倅の匂いが染みついた品はないか」とたずねた。「匂い?」と聞き返しながら少し遠い目をした瀬兵衛は「倅が落としていった草履でもいいのか」と確認の言葉を口にした。
小平次たちは重左エ門のへと視線を向ける。「むろん」の一言が彼の返答だった。重左エ門は他人とのやり取りを単語の単位でしか交わさない変わり者だ。瀬兵衛から草履を受け取ると、表に待たせていた犬の吉足(よしたり)のもとに重左エ門はそれを持っていき匂いを嗅がせる。
吉足は後世の犬に比べるといくつかの相違があった。頭蓋骨、四肢骨ともに頑丈で、前頭部から鼻にかけての段差が小さい。また、顔の幅がせまく口もとが太い。耳は小さく立っており、尾は巻き尾だった。ちなみに毛の色は『今昔物語集』においては霊獣として扱われることが多かった白だ。
始まりは高丸領京極家との境目争いだったという。
塩飽という土地は太閤秀吉に朱印状を賜ったことにはじまり、東照大権現家康にもひきつづき自治が認められた。住民は百姓という括りになるものの、元々は村上水軍傘下にあり要は海賊衆だ。
しかし、時代は流れた。当人たちはともかくとして、周辺の大名家にしてみれば塩飽の住民はあくまで百姓、漁民に過ぎない。
彼らが自治する島、というのは要は後ろ盾を欠いた脆い存在に映る。
ためにその漁場を奪おうと境目争いを仕掛けられる仕儀となったのだ。元来が、海という境界線の線引きのむずかしい場所が余計にそれをうながした。
しかし、士農工商と身分が分けられているとはいえ、百姓というのは決してか弱いだけの存在ではない。何か不満があれば訴訟に持ち込むことも辞さなかったし、海賊衆の子孫が軟弱なはずがなかった。
が、彼らにとって誤算だったのは相手方があまりにも強硬だったことだ。思ってもみなかった手段に讃岐高丸領京極家は出た。
「俺の倅が拐(かどわか)された」
と語るのは、若き島年寄の男だ。
赤銅色の肌はいかにも海に生きる者の風貌をし、精悍な顔立ちが海賊衆の裔という話をなんとなく裏付けているような気にさせる。
場所は塩飽島の東端に位置する人が住まう地域そこに建つ、長屋門を持ち本瓦葺で意匠の凝らされている島年寄の男の屋敷だ。この場所に到着した小平次たちを待っていたのが、先の話だった。
宮本瀬兵衛と名乗った相手の顔つきには焦燥の色がうかがえる。鱶を目の当たりにしてもおびえを見せなさそうな相手だけに、余計に痛々しく小平次の目には映った。
「俺はいい、孫作さんの世話してくれた仁を信じて待つこともできる」
それでも気丈に彼は言葉をかさねる。瀬兵衛の人柄だけでなく、孫作の人間性も間接的に伝わってきた。塩の商いを通じての関係だと聞いているが、それだけでこれだけの信頼を得られるのはよほど孫作が真摯に商売に励んでいる証だ。
「だけどよ、島の連中はとうに暴発寸前だ。高丸領京極家の嫌がらせじみたおこないに頭に来てたとこに今度のことだ、『船で攻め寄せてやる』なんぞと逸る者もいる」
事態は思っていた以上に切迫しているようだ、と小平次は瀬兵衛の相手をしている吟からすこしさがった位置で冷静にようすを観察しながら思った。
だが、他方で小平次は血が熱をあげ身悶えするように騒ぐのを感じている。
いざ、忍び働きを間近にすると、やはり総身に活力が行き渡るような感覚をおぼえた。
それから、小平次たちは瀬兵衛に「なにか倅の匂いが染みついた品はないか」とたずねた。「匂い?」と聞き返しながら少し遠い目をした瀬兵衛は「倅が落としていった草履でもいいのか」と確認の言葉を口にした。
小平次たちは重左エ門のへと視線を向ける。「むろん」の一言が彼の返答だった。重左エ門は他人とのやり取りを単語の単位でしか交わさない変わり者だ。瀬兵衛から草履を受け取ると、表に待たせていた犬の吉足(よしたり)のもとに重左エ門はそれを持っていき匂いを嗅がせる。
吉足は後世の犬に比べるといくつかの相違があった。頭蓋骨、四肢骨ともに頑丈で、前頭部から鼻にかけての段差が小さい。また、顔の幅がせまく口もとが太い。耳は小さく立っており、尾は巻き尾だった。ちなみに毛の色は『今昔物語集』においては霊獣として扱われることが多かった白だ。
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