忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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   三

「したが、むずかしいな、こたびの仕事は」
 孫作の大店の座敷に集まった面子のひとり、太蔵が渋面を見せた。
 彼だけでなく忍び衆が全員集まっているのだ。もっとも祖父に関しては、「お茶、美味しい」などと出された玉露を子どもじみた感嘆の声をもらしながら飲んでいるだけなので人数にかぞえてはいけないのかもしれないが。
「殺せば、当然のこと探りを入れていた家中にかかわりがあると、かえって公儀は猜疑心を強める」
「御庭番、殺す、難しい」
 吟もむずかしい顔になって不利な材料を口にする。さらに重左エ門も彼らと同様の意見をのべた。
 他方、小平次の脳裏にあったのは家中の改易のことだ。御庭番の求められるのはどんなときか。家中に怪しい動きがあった折だ。御家騒動などがその代表となる。すでに小平次にはひとつの案がその胸中にあった。
「その顔はなにか思案がお有りのようですね、お頭」
 真っ先に気づいたのは吟だ。それによって、手下の視線が小平次にあつまる。
 仲間のまなざしとはいえ、複数の目線にさらされ小平次はすこし緊張をおぼえた。それを深く息を吸ってごまかし、
「ありきたりですが、木はどこに隠しますか?」
 とたずねた。
「そりゃあ、森だろうなぁ」
 こたえたのは祖父だ。褒めて褒めて、そんな顔をするので「よく気づきましたね、祖父上」と称賛すると、うれしそうに「やったあ」とよろこぶ。
 ために、小平次は脱力しながら言葉をかさねることになった。
「御庭番が家中においてつかむべき事柄は、御家騒動が代表です。他には密貿易なども挙げられます」
 なにを当然のことを、茂平治以外の面子はそんな顔つきをする。
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