忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 母が怒っているのは、小平次が兄の才次郎がかつて終えた訓練を同じ期間、いやできるならもっと短い時間で終えられない件についてだった。
 そうやって怒る母に忍びの心得はない。辛うじて士分の家の出はあるものの、徒士以下の者を父に持つ身だ。忍び働きのお陰でそれなりに内証の豊かな家に後家とはいえ入れたことは幸運だと母方の親類は羨んでいた。
 ただ、それが母にとっては重圧ともなっている。
 先妻と父の間にはふたりの子がもうけられた。長子は幼くして病で身罷っているが、もうひとりの男子は建康に育ったのだ。そして、同時に忍びとしての天稟に恵まれていた。
 けっして小平次が忍びとして有望ではないわけではない。
 だが、太陽の光と比べれば月の明かりなど霞んでしまうように、その才は兄の才能の前には翳ってしまう。
 それが母には我慢ならない。兄と小平次の差は、単純に言ってしまえば“腹違い”の一語に尽きる。忍びの家の女だった先妻の子に自分の息子が劣るのはみずからの“血”のせいではないかと母は考えてしまうのだ。
 もっとも、祖父や父は別段、長男と次男の才能の差など気に留めていない。
 いやむしろ、「兄弟揃って優秀とはうれしい限り」とさえ祖父はいい、父もまたそれに同意していた。
 けれども、母はそれに納得しない。自分の“思う形”に人を鋳直そうとするように、余人の目のないところで小平次を打擲する。お前が悪い、なぜできないのだ、息子を否定する言葉をくり返しながら。
 幼い子どものことだ。母の行為が理不尽だとは理解できない。自分は悪い子どもなのだ、そう思い込み小平次は母親の暴力のことを父祖に告げられなかった。
 視界で火花が散る。再び母にほおを思い切り張られたのだ。

 目を開けた小平次の視界に広がったのは一面の“青”だった。
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