忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 事実、戸惑ったようすを見せながらも、吉足は村の外へと足を向けることはなかった。
 どうするか、短い談合の結果、名主に協力を求めることになる。
 名主を同行させた上で、百姓屋や納屋をひとつひとつ虱(しらみ)潰しに調べることにしたのだ。名主に協力を求めるのは押し入り強盗と間違われないようにと、すんなりと戸を開けさせるためだ。
 村の中央付近で馬二が弩をひざ立ちになって構え、吟と、敵を裏切って仲間となった定二が側で警戒に当たる。
 無宿忍び衆への調略は、内通者を通しておこなわれた。
 所詮は平凡な暮らしを送る百姓だ。『彼奴等(きゃつら)が内通者の名を得意げに叫んでいた』と村の者たちを集めて怒鳴ったところ、逃げ出そうとする者や、怪しい素振りを見せる人間が出たのだ。後者に関してはさらに尋問をおこなうことで口を割らせた。
 これを、無宿忍び衆の被害が出た一帯で吟たちは手分けしておこない、内通者を洗い出し彼らを利用したのだ。
 あらかじめ無宿忍び衆と内通者が取り決めていた場所に、内応を誘い、かつ場合によっては全員の投降を呼びかける文を埋めさせたのだ。この策が図に当たり、書状のひとつが定二の手に渡り彼がこちらの側につくに至ったのだ。
 今の暮らしを抜け出し、理不尽に人の命を奪うのではなく、困った人間を助ける忍び働きで生計を立てられるという文句が大きかった、と定二は合流したのちに言っていた。
 お頭の立てた策だ、したがわないわけにはいかないけれど――。
 吟は内心、噛み砕けない感情を抱いていた。だって、あたしは重左エ門に――懸想していたのだ。重左エ門のことがなくとも小平次には付き従っただろうが、その存在が迷いなく吟に故郷を捨てさせた面は否定できない。
 その重左エ門を――定二ではないが、その仲間に殺されたのだ。
 自分でもなぜ彼に惹かれるのかわからなかったが、重左エ門に“その気”はないことは理解していた。むすばれることはない、とあきらめてもいたのだ。自分の思いを打ち明ければ今の関係が崩れる、その考えからただただ胸に秘めて側にいられることをよしとしていた。だが、その幸福さえも奪われたのだ。できるなら、殺してやりたいというのが本音だった。
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