犬を舐めるな従えよ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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    二

 その後、あまり酒に強くない権左衛門は「馳走になった」と言って先に店を去っていく、その背中を光脩は微苦笑で見送った。まったく根性のない“お武家様”だ。広小路で感じた鬱屈とした思いは権左衛門や春らのお陰で雲散霧消していた。
 それからしばらくひとりで飲んだ光脩は春の「毎度」という声に送られ帰路につく。夜の堀川沿いの道を歩いていると、ふいに無数の影を鳴き声が聞こえてきた。なんだ、と見やると一頭の犬を先頭に数匹の犬が走っていた。どうやら、先の犬を後のものが追いかけているようだ。
 弱い者いじめか、ふん――光脩は眉間に皺を寄せながら懐から巾着を取り出す。先頭の犬が脇を通り過ぎたところで、
「敵手退散、急急如律令」
 と唱えながら巾着の中身、米を残りの犬に向かってばら撒いた。とたん、無数の甲高い悲鳴があがる。米をぶつけられた犬たちが漏らしたものだ。散供(さんぐ)という陰陽道の術を使った。霊力を込められた米は熱された鉄に近い熱さを感じさせたはずだ。
 不意討ちを受けた犬たちは一瞬にして意気を挫かれて文字通り尻尾を巻いて逃げていく。
 やれやれ、と光脩はため息をついた。霊や妖を退治するために鍛えた陰陽道の術の技をまさか野良犬退治に使うことになるとは。陰陽師として働き甲斐のない世の中だ――。
 そこにかすかな音が近づいてきた。見やると、先頭を逃げていた犬が光脩のもとに距離を詰めてくる。日本犬の白い犬で、背中に二枚のシダの葉を思わせる変わった模様があった。耳は小さく立耳、尾は巻いていた。それにどこか愛嬌のあるなつっこい顔立ちをしていた。
「礼なら、いらんぞ。犬から謝礼をもらうほど俺も落ちぶれちゃいないからな」
 光脩は自嘲的なせりふを口にする。
『いや、この徳川家康、助けてもらったからには礼を申さないわけにはいかぬ』
 耳、ではなく、頭に直接ひびいてくる声に光脩は眉をひそめた。思念の声だ。特定の者を選んで届ける声だが、霊能力がある者の耳には等しく届く。また発する者が、油断したり、うろたえたりすると意図せぬ相手にも聞こえる類の物だ。
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