犬を舐めるな従えよ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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『天下の大事を野暮用とは何事か』
 とたん、犬家康が前脚でこちらのふくらはぎのあたりを叩く。鬱陶しいなあ、と光脩は顔をしかめ犬家康を見やる。
「あら、可愛いわね」
 こちらの視線の動きで犬家康に気づき、春が側に近寄り屈んで耳のつけ根に拳を当ててぐりぐりと動かす。その手つきが絶妙だった。しなやかに、それでいて優しく指が動いて犬家康の耳を刺激する。まさに徹底的な攻勢だ。結果、自然と犬家康の尻が地面についた。
 すると、次に春は犬家康の軽くにぎった拳を耳のつけ根に置き、中指の関節で耳穴の入口にある小さな骨を淡く刺激する。これまた動きが細やかで柔らかい。わふ、といった変な鳴き声が犬家康の口から漏れた。
 だらしがない奴だ――その光景を側らの光脩は冷めた目で見ている。
 だが、光脩の心情など関係なく事態は進行した。お座りをした犬家康だったが、ついには腹を見せるに至ったのだ。無防備にさらした腹部を春に揉まれているというか、なでられているというかしている。
「お春、犬の扱いが上手いな」
「以前に近所に住んでた野良を可愛がってたらすっかり取りまわしが上手くなったの」
 言いながらも春は犬家康の腹をなでていた。正確には手の指を軽く曲げ、指の腹で腹に近い肋骨の先あたりを手早く擦っている。これに対し、犬家康は尻尾を風を巻き起こさんばかりにふっている。
 かつての天下人もああなったら終わりだな――光脩は犬家康に対し呆れながら縁台のひとつに腰をおろした。
「それじゃ、これでお終い」
 春が犬家康に向かって告げる。犬家康はすっかり魅了されたらしくどこか切なげな鳴き声を漏らす。が、我に返ったのか、
『む、かつての天下人たるわしが何という真似を』
 と独語する。光脩に話しかけるように春にも思念の声を届けてしまったらしく、
「え、光脩さん何か言った?」
 と彼女は驚いた表情で顔をあげた。
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