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第一章
一
「天にまします我らの父よ」
京の一角に耶蘇教の祈りが朗々と、厳粛にひびく。
「願わくは御名の尊ばれんことを」
この宗門の特徴は人の“美しい”と感覚に動作や言葉で訴えることだ。
残念ながら、その動きを修道士ロレンソ了斎は目の当たりにできていない。もとは琵琶法師の彼だ、まぶたは閉ざされ視界は闇につつまれている。
それでもいい。暗闇を“常”としていてもかまわないほどに彼は今、満たされているのだから。
師ヴィレラとともに布教をおこなう日々は決して平穏なものではない。仏門の者に罵声を浴びせられる、石を投げられることなどしょっちゅうだ。だがそれでも、ロレンソは耶蘇教の教えに出会ったことで救われたのだ。永禄十二年、織田信長は前年に上洛を果たし旭日の勢いを天下に示すも将軍、足利義昭の間に不和を生じさせ不穏な気配を漂わせてはいるが俗世とのかかわりを布教の面以外において絶っている彼にとってはどこか他人事だった。
と、ロレンソは戸口がそっと開かれる音を敏感に察知した。彼の聴力は常人離れしている。距離を置いた上で針が板に落とした音を聞き取れるほどに。
足音が近づいてくる。ふたつ。そのうちのひとつに聞き覚えがある、彼は足音のひとつひとつを記憶していた。体重、重心などによって個々人のそれは微妙に異なるものだ。なつかしい、という思いをロレンソは抱く。
「アーメン」
やがて祈りが終わり、礼拝の終わりがおとずれた。
満足げなざわめきが建物のうちに満ちる。それらがひとつ、ふたつと屋内から去っていった。
だが、かたわらの気配をロレンソは感じ取っている。じっとそこにたたずんでいた。
ロレンソの鼻先には対手が愛用しているパイプの煙草のにおいがかすかにただよってきている。吸いながら歩いているわけではなく服に染みついた香りのせいだ。
「ひさしいですね、伊留満(イルマン)」
ロレンソはその人物に向かっておだやかに“彼らの言葉”で話しかける。
一
「天にまします我らの父よ」
京の一角に耶蘇教の祈りが朗々と、厳粛にひびく。
「願わくは御名の尊ばれんことを」
この宗門の特徴は人の“美しい”と感覚に動作や言葉で訴えることだ。
残念ながら、その動きを修道士ロレンソ了斎は目の当たりにできていない。もとは琵琶法師の彼だ、まぶたは閉ざされ視界は闇につつまれている。
それでもいい。暗闇を“常”としていてもかまわないほどに彼は今、満たされているのだから。
師ヴィレラとともに布教をおこなう日々は決して平穏なものではない。仏門の者に罵声を浴びせられる、石を投げられることなどしょっちゅうだ。だがそれでも、ロレンソは耶蘇教の教えに出会ったことで救われたのだ。永禄十二年、織田信長は前年に上洛を果たし旭日の勢いを天下に示すも将軍、足利義昭の間に不和を生じさせ不穏な気配を漂わせてはいるが俗世とのかかわりを布教の面以外において絶っている彼にとってはどこか他人事だった。
と、ロレンソは戸口がそっと開かれる音を敏感に察知した。彼の聴力は常人離れしている。距離を置いた上で針が板に落とした音を聞き取れるほどに。
足音が近づいてくる。ふたつ。そのうちのひとつに聞き覚えがある、彼は足音のひとつひとつを記憶していた。体重、重心などによって個々人のそれは微妙に異なるものだ。なつかしい、という思いをロレンソは抱く。
「アーメン」
やがて祈りが終わり、礼拝の終わりがおとずれた。
満足げなざわめきが建物のうちに満ちる。それらがひとつ、ふたつと屋内から去っていった。
だが、かたわらの気配をロレンソは感じ取っている。じっとそこにたたずんでいた。
ロレンソの鼻先には対手が愛用しているパイプの煙草のにおいがかすかにただよってきている。吸いながら歩いているわけではなく服に染みついた香りのせいだ。
「ひさしいですね、伊留満(イルマン)」
ロレンソはその人物に向かっておだやかに“彼らの言葉”で話しかける。
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