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チャプタ―9

お犬様9

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 ただ、口実に過ぎなくとも夜に空いている店は少なく、昔の青臭い未成年じゃあるまいし盗んだバイクどころか自転車を漕ぐ気にもなれないので本当に宣言通りにコンビニを訪れる。
 煌々と明かりがついて店内は夜の闇に満たされた窓の外とは別世界のようだ、と祐樹は遅くにコンビニにやって来るたびに思う。なんとなく、SF映画の雰囲気を彷彿とするのだ。
 そんな一角、雑誌のコーナーで祐樹は漫画雑誌の立ち読みをはじめる。
 単行本を集めている漫画の、連載の今週分が熱い展開で終わった。祐樹が胸を熱くしているのは人とは絶望的にコミュニケーションが取れない上に不幸な境遇で育った少年が、ハッキングの能力で人を助けて成長していく物語だ。
 プロゲーマーを目指している祐樹は、主人公に対して“同じ電子の代物”を扱うという共通項で親近感をおぼえている。
 連載のひとつを読み終えたせいで、意識が外界に向いた。窓の外、道路の向こうで影が蠢いているのに気づく。妖か、と祐樹は顔をしかめる。が、すぐに思い違いだと気づいた。なんとなく経緯は想像がつくが、老人が若い素行の悪いそうな連中三人に囲まれているのだ。
 いくらなんでも、老人ひとりに三人はないだろ――。
 役に立てるかどうか分からない。それでも、“か弱い老人”を助けるために、コンビニを飛び出した。
 刹那、若者が次々と宙に舞って地面に叩きつけられた。
 妖異の仕業、ではなく老人が緩慢な動きだというのに、そうなることが決まっていたような華麗な体捌きで相手を投げたのだ。まるで演武だが、絡んでいた連中にそんなものに付き合う物好きであるはずもない。そもそも、こんな時間に、野外で演武は行わないだろう。
 祐樹は茫然自失の態で、コンビニの外で立ち尽くす。視線は老人に釘付けになっていた。
 と、老人が悶え苦しむ若者たちなど目に入っていないように、横断歩道を渡ってこちらに向かってきた。暴力が日常、そんな気配も感じさせる。
 祐樹は思わず後ずさった。見てはならない場面を見たことを咎められると思ったのだ。だが、相手が口にしたのは予想外の言葉だった。
「ありがとうの」
 え、と祐樹はただ聞き返すことしかできない。口以外、体は相変わらず動かないのだ。
「おまえさん、助けてくれようとしてくれただろ」
「は、はい」
 三人も相手にしながらこちらにまで気を配っていたのかと、驚愕させられる。
「だが、老人をすべて“弱者”だと思う姿勢は感心しないの」
「え、いや」その通りだから返す言葉がない。
「年の功というものかな、なんとなくわかった。おまえさんの目の色はそういう色じゃ」
「すいません」
 非難されていると思い、祐樹は謝罪する。
「いやいや、別に責めてはおらん。ただ、あまり型に嵌まりすぎると人生、辛いという先達からのアドバイスと思ってくれ」
 そう言い置くや、老人はなにごともなかったかのようにあさっての方向に歩き出した。
『あまり型に嵌まりすぎると人生、辛い』――祐樹は老人が口にした言葉を何気なくくり返す。視線は小さくなっていく老人からはなすことができない。

   2

 朝のショートホームルームの時間、祐樹はぼんやりとしていた。昨日のコンビニ前での出来事が頭からはなれないのだ。
 老人は弱いもの、だから労わるもの、という認識が音を立てて崩れた。
 人一倍、常識というものを信じる祐樹にとってそれは自分の足場が崩れたにも等しいものがある。散々、妖、妖異に脅かされたからこそ、余計に人の共通認識というものを大事にしてきたのだ。
 それだというのに、それが人間によって破壊された。いや、あれは例外だ――そう自分に言い聞かせる。実際、そうであるに違いない。でなけれは、老人虐待など起きない。
 だが、祐樹にとっては“例外が存在した”という事実自体が懊悩を生んでいた。自分が拠って立つものが倒されようとしている、そんな感覚に襲われている。
「おーい、ゆう。瞑想するのは神主じゃなくて、坊さんだろー」
 遊の声に我に返った。気づくと、席の横に彼が悪戯っぽい笑みでたたずんでいた。
「なんでもかんでも神社(うち)にむすびつけるな」
 霊的なものが嫌いな祐樹は実は、皮肉なことに神社もまた嫌いだ。
「おまえの頭を剃って坊さんにしてやろうか」
「ふ、煩悩だらけのおれが、たかだか髪を失ったぐらいで僧侶になれると思うな」
「自信満々にいうことか」
 会話がいつの間にか冗談の応酬に変化していた。が、
「で、なにを悩んでたんだ、ゆう」
 遊が表情を気づかわしげなものに変えた。
「っていっても、おまえが悩むことっていったら、あれだろ。自分が“こう”だと思っていたものが間違ってたことに気づいたんだろ」
 な、と祐樹は声を返せない。能天気な奴だと思っていた友人に、心の奥底を見透かされていた。
「おまえなあ、相手の心のうちに気づかないで友達もなにもあったもんじゃないだろ、見損なうなよ」
 遊があきれた顔つきになって軽く祐樹を睨む。
「すまん」祐樹はかすれた声で謝罪した。
「よし、許す」遊は満面の笑みになって大きくうなずいた。
「で、なにがあったんだよ」
「実は」遊の問いかけに祐樹は昨日、目撃した出来事の一部始終を説明する。
「すっげえ、俺も見たかったなあ」
 話を聞き終えた遊の第一声は笑いながらのそれだった。
「よかったじゃんか、わかりやすい形で物事は一面で成り立ってるわけじゃないって理解するヒントもらえたんだから」
 それにさ、とさらに遊は言葉を継いだ。
「おまえがふだんはおとなしいやつなのに、爺さんが危機に陥っているように見えたら助けに向かおうとした、ほらこの時点でお前にだって二面性がある。それに、人間は二面どころか、多面体の生き物だ。接する相手によって誰だってある程度は態度を変えるしな」
 的確に自分のなかに存在した二面性を指摘され、祐樹は反論の言葉を失う。
 みずからがいかに矛盾した価値観の上に今まで生きてきたかを祐樹は思い知らされた。
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