上 下
29 / 37
チャプタ―31

遺言恋愛計画書31

しおりを挟む
   5

 平凡だが、平穏な日々が過ぎた。
 日曜日、コーヒーチェーンで彼女と向かい合っていると、
「果歩が今度は実家に遊びに来いって言ってるよ」
 と悪戯っぽい笑みを浮かべて告げた。
「絶対に嫌だ」
 あの娘の本拠地で孤立するなど考えるだけで背筋が震えた。
「そう言うと思った」
 志織を歯を見せて笑い言葉をかさねる。
「俺ってあの子にそんなに気に入られてるの?」
「こちらの思う色に染められるって思ったみたい」
 怪訝に思ってたずねたせりふに、志織が肩を震わせて笑った。
 失礼極まりない話だ。まさか、年下に自分の思い通りにできると思われたとは。
「まあ、理由はともかく、気難しい子だからこんなに誰かになつくなんて本当に珍しいの」
「なつくって、犬猫じゃあないんだから」
 志織が励ますように告げる言葉に健人は渋い表情を向けた。
「でもわたし、弟君のことはあんまり分からなかったから、また会いたいな」
「まさか、二人して実家に送り込もうとしてないよな?」
「あ、バレた?」
 健人の確認に、志織は舌を出してみせる。
「なんで、姉妹そろって実家に俺たちを引き込もうとするんだよ」
「えー、だって大事な人同士が仲良しのほうが嬉しいでしょ?」
 志織の素朴な物言いに健人は眩暈すらおぼえた。
「結婚するってなったら、お父さんに会うよ」
「いやあ、妹と同じで彼氏が気になってそのうち上京してくると思うな」
 志織の再度の悪戯っぽい顔に健人は背筋を寒くする。なんとなく、妹の行動からしてありえそうに思えたのだ。
 嫌だ――彼氏のお父さんと妹を相手したように長時間一緒にいるのは耐えられない。というか耐えたくない。
「お父さんにはそれとなく上京してこないように言っておいてくれ」
 健人の静かな懇願に、
「どうしっよかなー」
 志織は獲物をいたぶるような口調で応じる。
 健人が情けない顔をすると、彼女は口角をあげた。
「どっちにしろ、来るならこっちがなんて言っても来ちゃうから無駄だよ」
 健人は志織の残酷なせりふに肩を落とした。
 刹那、彼女が咳き込んだ。
「大丈夫」と聞きかけたところで志織が固まる。口もとを押さえた手のひらには、皮膚を赤く染める血が付着していた。
 健人が言葉を失っていると、彼女は体を左右にふらつかせそのまま倒れた。
 遅れてやっと、「志織」と声を上げ健人は彼女にすがりつく。
しおりを挟む
1 / 2

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...