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チャプタ―40

君へ向かうシナリオ40

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 弟とともに病室をおとずれた。
 扉の外から叔父の奥さんと子供たちが遠ざかっていく気配がする。それが消えると、病室は廃墟や夜の学校のような静寂につつまれた。
 ほら、僕は弟を目顔でうながす。
 個室のベッドに横たわる祖父に目を釘付けにされていた彼は、それに気づいてぎこちなく足を踏み出した。
 それに合わせて僕もベッドに歩み寄る。
 ベッドのパイプで少し隠れていた祖父の顔がすべて視界に入った。
 一瞬、その顔立ちは別人のように見える。入れ歯をとり除いて仰向けになっているせいで、くちびるが窪むような形になってしまっているせいだ。ほら、僕はもう一度弟をうながす。
「お祖父ちゃん、来たよ」
 祖父は震える声で呼びかけた。
 それを聞きながら僕は祖父の手をにぎる。一瞬、僕は声を失った。痩せた手で祖父が力強く握り返してきたせいだ。
 顔を凝視する。だが、相変わらず祖父のまぶたは閉ざされたままだ。ただ、目もとがかすかに震えていた。
「ごめん、お祖父ちゃん」
 期待を裏切るような真似をして。
 両親のことは恨んでいるといってさしつかえのない感情を胸に宿している。
 けれど、祖父のことは好きだった。そして、彼は僕に大学教授になってほしいと望んでいたのだ。だけど、両親との衝突から大学に進まないことを決め、自分が一番やりたいことをやると決めた。
 そのことに対して祖父が失望しなかったはずがない。
 夫として、父としてはお世辞には“よかった”とはいえない人だったらしい。それでも、僕にとっては優しい人だった。
「健康に悪いからタバコは止めて」「お酒は止めて」
 幼い頃に発した言葉を受けて、祖父はつい最近までタバコも酒も絶っていたのだ。
「ごめん」
 僕はもう一度謝罪をくり返した。
 むろん、返事などあるはずもない。脳溢血で倒れた彼の意識がもどる可能性はほとんどゼロに近いという話だ。
 そのはずだった。
 だが、突如として祖父の目が開かれる。
「いいんじゃ」
 彼はこちらに顔を向けると岡山弁で告げた。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
 僕の胸に熱いものが込み上げてきた。感情があふれて喉を詰まらせる。
 ごめん。心のなかでもう一度くり返した。
 祖父は今度は無言で大きく一度、二度とうなずく。

 そこで目が覚めた。
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