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山火事の真実
しおりを挟む国立劇場では歌劇『椿姫』のクライマックスを迎えようとしていた。
高級娼婦ヴィオレッタと名家の青年アルフレードの悲恋を描いたこのオペラはオペラ王と呼ばれるイタリアの作曲家ヴェルディ畢生の傑作オペラだ。
原作はデュマの同名小説だが全編に渡って悲壮感溢れる名曲が散りばめられ『椿姫』は数あるオペラの中でも最も人気の高い演目の一つである。
観客は固唾を呑んでプリマ・ドンナの名演に酔いしれている。
宇田川聖美(きよみ)も、その中の一人だった。
宇田川聖美は三十六歳。小柄で華奢だが凛々しい顔立ちをした美人だった。髪の毛はショートに切り揃え、それがますます凛々しさを際だたせている。
(ウィーン国立歌劇場を思いだす)
そこで観たのは『フィガロの結婚』だったが今日の『椿姫』も、それに劣らず心を満たしてくれる。
後方のドアが開いた。その刹那ロビーの光が漏れた。だがオペラに夢中になっている観客たちは、ほとんどの者が気づいていない。
ドアを開けたのは老人だった。
老人はあたふたと観客席を進んだ。幾度か足を縺れさせながら宇田川聖美の席まで辿り着く。その気配を察した聖美が振りむいた。
老人と目が合う。
老人は聖美の耳に口を寄せ一言二言、言葉を吹きこんだ。聖美の顔色が変わった。
舞台の上ではプリマ・ドンナがメゾ・ソプラノの美声を響かせている。
聖美は席を立つとクライマックスを観ずに観客席を出ていった。
*
生田目が出ていった後の部屋で黒沢ゆいなは呆然と立ち尽くしていた。
(〈喜びの子供たち〉の調査は西山智之の調査と平行してやるしかない)
馘になって収入が途絶えたら森原みらいを救いだす事もままならなくなる。
それにしても……。
「西山智之が死んだなんて……」
そちらも大変なニュースだ。
「君がそんなにサッカーに詳しかったとはな」
小平が言った。
「別に詳しくありませんけど矢沢亜紀とゴシップ記事が出てたから」
「それも不思議なニュースだったな。二人で青森を歩いているところを見られたって」
「ええ。なんでそんな所に行ったんでしょうね」
「さあな。本人たちも青森のどこに行ったのか言わなかったから結局、判らずじまいで。でも、つきあっていることは確かだよな。青森に二人で出かけたら」
「だったら」
ゆいなは考えた。
「明日の記者会見」
西山は明日、記者会見を開く予定だった。
「矢沢亜紀との婚約発表だったのかもしれませんね」
ゆいなは自分のデスクで資料の整理を始めた。
*
千葉県天津小湊にある牛頭神霊会の本部広間で罍(もた)天源は大型スクリーンに映しだされたテレビニュースを凝視していた。
(これは……)
罍天源は今年、九十九歳になる。痩せて顔も細く頬はこけている。だが、その目には強い光が宿っている。頭はすでに白髪となっている。
スクリーンに映しだされているのは山火事のニュースだった。
長野県八ヶ岳で山火事が起きた。その様子を上空を飛ぶヘリコプターから映しだしている。
(この形は……)
天源は燃えている範囲が、ある形を表していることに即座に気がついた。だがアナウンサーはそのことを指摘しようとしない。
(どうしてアナウンサーは気づかないのだ)
天源は苛立たしげに立ちあがった。
「日本が危機にさらされようとしている」
天源は立ったまま燃えさかる山火事の映像を見つめ続けた。
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