96 / 102
終章 有史以前から人々が紡いできたこと
17話 マリア・アハティサーリの涙
しおりを挟む
私は何の迷いもなく正面に向かって走っていきました。
丸腰の彼女と、ミセリコルデを握った私。冷静でいられたら、彼女が私をここに招いたこと自体を罠と考えるべきでした。
「はーい! ルクレシア様すとーっぷ!」
レティシアは自らの足元を指さします。床は格子状になっており、さきほど私がいた位置からは見えない位置に、二人の人間が押し込まれていました。
「!?」
視界に入るのは、横たわったメルヒオール様とマリア。
彼女の足元にはお二方がいらっしゃいます。そして何かの液体の入ったコップを見せつけてくるレティシア。
「なにかしらそれ」
「これですか? 人体にかけるとよくない液体です」
「それは証明できるのかしら?」
もしそれが本物であるのであれば、無視できません。彼女はにっこりと笑いこういいました。
「この下に垂らしてみたらわかると思いませんか?」
「最低。要求は何かしら?」
「大人しく死んでください。できれば傷が少ないと嬉しいです」
「それはダメよ。私が死んだ後じゃ、お二人が解放されたかわからないわ」
「うーん。それでしたら、捕まって頂ければ結構です」
素直に捕まっても、お二人が解放されるなんて考えられない。ですが、お二人を見捨てるという選択肢は、私にはありませんでした。
他の方法はあるかしら。例えばあのコップを奪う。いいえ、奪う過程でこぼされてしまいます。
実はブラフ。本当はただの色のついた液体。と思い込んでもし、お二人に何かあったらと考えますと、どうしても一歩踏み出すことができませんでした。
変ですよね。騎士としてお呼びしたお二人が傷つくくらいなら私が前に出ようだなんて。本当におかしい。
だったらなんで最初から彼ら彼女らをご同行させたのかしら。
どうせ無事。そんなことありません。ですが、皆様となら前に進めると思ったからこそ、ついてきてもらいました。
メルヒオール様もマリアも覚悟してここにいます。もし、私がここで前に進むことを躊躇したら、それこそ彼らへの侮辱ではないでしょうか。
私は、黙って一歩前に進みました。
「えー? いいんですかー?」
「構いません。ここであなたを止められないことこそが、問題です」
「つまらない」
レティシアはコップの中身の液体を垂らしますと、下にいたマリアが突然動き出し、メルヒオール様にかからないように盾となりました。
「あら?」
「マリア!?」
「大丈夫ですお嬢様。なんともありません」
「そうですか。抜け出せますか?」
私がそう聞きますと、格子状の床に対しマリアが持ち上げようとします。
そこから動こうとしないレティシアに向かい、私がミセリコルデを握って突進しますと、案外あっさりとさけてくださりました。
「マリア!」
「了解ですお嬢様!」
彼女が這い出ると、私とマリア。丸腰のレティシア様の二対一の構図。これで問題ありませんね。
しかし、レティシアは不気味に笑う。
「マリアさん。マリア・アハティサーリさん!」
「なんですか?」
レティシアが嬉々としてマリアの名前を呼ぶ。そして彼女は一歩二歩、三歩。そこで足を止めますと、一体の彫像を指さしました。
「こちらの方。どなたかお分かりですか?」
それは一人の男性。とても顔立ちの整った顔。どこかで見たことがあるような、見たことがないようなと言った雰囲気。
しかし、マリアにはそれが誰の顔かわかったようで、目を見開き、口を大きく開け、肩をがたがたと振るわせています。
顔色がどんどん悪くなり、何かに襲われたように震え始めました。
「ああああ、あああっあああっぁぅあうぅあぅあぅうううっあうっあうあぅううううぅあぁうぁうぅあぁう」
「何? どうしたの、マリア!」
レティシアは、マリアのもとに何かを投げつけ、それは金属音をたてながらマリアの足元に転がってきました。
マリアの槍。このタイミングで槍を返す?
「マリア。その彫像は誰なの?」
「あれは私の元婚約者です」
マリアの婚約者?
そう。マリアの事情は浅くですがお聞きしたことがあります。彼は亡くなったマリアの婚約者。その彫像がここにあると言うことは、そういうことなのですねレティシア。
「何故ここにギオルグ様の彫像が?」
マリアが槍を拾い上げ、混乱しています。行けません。あんな内容ショックが大きすぎます。私も今は冷静でいられているように装いつつも、内心は穏やかではありません。
「マリアさん! 結婚! できませんでしたね! ギオルグさんが自殺しちゃってー。だーれもあなたを選んでくれなくなってー。今後も結婚できないままなんじゃないですか? ルクレシア様と違って」
何を言ってくれるのですかレティシア。
「結婚? できない? 私が? 誰とも? え? 嫌、嫌嫌嫌嫌嫌ぁああああああああああああああ」
「マリア! 落ち着いて!」
「ハァ……ルクレシア様。どう落ち着けとおっしゃるのですか。ギオルグ様が自殺したあの日。もう二年もたちました。いえ、もうすぐ三年。私はその間、毎晩。毎晩、毎晩、毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩! ずーっと幸せな夢を見るのです。私とギオルグ様が結婚して、幸せな家庭を築く夢。目が覚めると我が子を抱いていた腕は空を抱いて、私を抱締めていた方はどこにもいなくて。笑っていた私の顔はどこにもなくなりました。そうですよね。お嬢様はもうすぐ結婚されるのですよね。今からでは婚約者を用意できるとは思えませんが、あなたはもう半月もしたらグレイ様の生誕祭を迎えて妃になられます。結婚。おめでとうございます。おめでとうございます。おめでとうございます。なんで、なんでなんで。どうして私はこんな運命を辿らなければいけないのですか? 答えてくださいルクレシア様」
「マリア。ごめんなさい。あなたの苦しみを理解することはできません」
もしかして、先ほどマリアにかけられた液体。嘘よね。かけられただけで体に影響が出るなんてありえないですよね。ですがマリアの様子はあからさまにおかしい。かけられた液体は偽物でも気絶させられている間に飲まされていたのかもしれない。
マリアの頬を何度も雫が通過する。落ちるたびにマリアの震えが大きくなり、次第に彼女からうっすらと聞こえてきました。
羨ましい。恨めしい。妬ましい。ああ、マリア。私、こんなことであなたと相対したくなかったわ。
マリアが槍を握り、私もミセリコルデを構えます。マリアはこれまでご一緒してきたからこそわかる実力者。
私じゃ相手にならないでしょう。ですが、今ここで彼女を止められるのは、彼女を救えるのは私だけ。
「泣かないでマリア。今、楽にしてあげるから」
ミセリコルデ。このミセリコルデには慈悲の剣という意味があります。
由来は、なるべく痛みを与えずに相手にとどめを刺すことが目的だからです。
他の選択肢があると信じていても、ここであなたを救うことができたとしても。あなたを癒すことはできません。
それはつまり、乾いた心のままマリアを生かし続けることになるのです。ですから、せめて私もその苦しみをせおいます。
私はミセリコルデをかかげますと、何かに気付いたマリアが槍を投げ捨てて私に駆け寄ってきました。
「何をしているのですか!」
マリアは私の腕を掴む。
「止めちゃダメじゃない」
そう、私はミセリコルデで自らの顔に傷をつけようとしたのです。王妃として嫁ぐことができなくなるように。
「だってほら。私の顔に傷があったら、さすがに結婚のお話はお流れになるでしょう? そうしたら二人で結婚したーいって言って海に向かって叫べたのに」
間一髪のところでマリアが正気に戻り、私の腕を握ります。とても痛い。その痛みが彼女の真剣さを表しているようでとても心地よい。
「泣かないでマリア」
私が彼女をそっと抱きしめますと、彼女はそれを受け入れます。何度も何度も泣いた彼女は私に槍を一度でも向けてしまったことを誤り続けました。
そんな私達を、レティシアはつまらなそうに見つめていました。彼女だけは絶対に許せません。ヤーコフを弄び、マリアを傷つけたこと、絶対に許せない。
思い通りにさせないと思いつつも、余裕そうなレティシアに対し、次は何が私を襲うのかという恐怖で震えてしまいそうになりました。
怖い。でも立ち向かわないと。私の心は今にも朽ちそうになりつつも、彼女を止めて今度こそ誰にも邪魔されない幸せを歩んでみせると強く誓いました。
エミリアさんと馬鹿なことをして笑う。
それもいい。
エレナの入れてくれたお茶を頂きながら、ルイーセ様をまぜてお茶会。
それもいい。
マリアの結婚相手探しに、またみんなで旅をする。
それもいい。
エリオットお兄様やオルガお義姉様、ミシェーラと食事。
それもいい。
ジェスカと一緒にパウルスの村で一休み。
それもいい。
アンジェリカやエディータに会いにジバジデオ王国に訪問する。
それもいい。
メルヒオール様やヨハンネスと一緒に、お忍びで街をぶらつく。
それもいい。
そしてあの人とともに、この国の未来を…………
それがいい。
「レティシア。私の物語に変人はいりません! さあ、踊りましょう。お互いの我儘の為に!」
丸腰の彼女と、ミセリコルデを握った私。冷静でいられたら、彼女が私をここに招いたこと自体を罠と考えるべきでした。
「はーい! ルクレシア様すとーっぷ!」
レティシアは自らの足元を指さします。床は格子状になっており、さきほど私がいた位置からは見えない位置に、二人の人間が押し込まれていました。
「!?」
視界に入るのは、横たわったメルヒオール様とマリア。
彼女の足元にはお二方がいらっしゃいます。そして何かの液体の入ったコップを見せつけてくるレティシア。
「なにかしらそれ」
「これですか? 人体にかけるとよくない液体です」
「それは証明できるのかしら?」
もしそれが本物であるのであれば、無視できません。彼女はにっこりと笑いこういいました。
「この下に垂らしてみたらわかると思いませんか?」
「最低。要求は何かしら?」
「大人しく死んでください。できれば傷が少ないと嬉しいです」
「それはダメよ。私が死んだ後じゃ、お二人が解放されたかわからないわ」
「うーん。それでしたら、捕まって頂ければ結構です」
素直に捕まっても、お二人が解放されるなんて考えられない。ですが、お二人を見捨てるという選択肢は、私にはありませんでした。
他の方法はあるかしら。例えばあのコップを奪う。いいえ、奪う過程でこぼされてしまいます。
実はブラフ。本当はただの色のついた液体。と思い込んでもし、お二人に何かあったらと考えますと、どうしても一歩踏み出すことができませんでした。
変ですよね。騎士としてお呼びしたお二人が傷つくくらいなら私が前に出ようだなんて。本当におかしい。
だったらなんで最初から彼ら彼女らをご同行させたのかしら。
どうせ無事。そんなことありません。ですが、皆様となら前に進めると思ったからこそ、ついてきてもらいました。
メルヒオール様もマリアも覚悟してここにいます。もし、私がここで前に進むことを躊躇したら、それこそ彼らへの侮辱ではないでしょうか。
私は、黙って一歩前に進みました。
「えー? いいんですかー?」
「構いません。ここであなたを止められないことこそが、問題です」
「つまらない」
レティシアはコップの中身の液体を垂らしますと、下にいたマリアが突然動き出し、メルヒオール様にかからないように盾となりました。
「あら?」
「マリア!?」
「大丈夫ですお嬢様。なんともありません」
「そうですか。抜け出せますか?」
私がそう聞きますと、格子状の床に対しマリアが持ち上げようとします。
そこから動こうとしないレティシアに向かい、私がミセリコルデを握って突進しますと、案外あっさりとさけてくださりました。
「マリア!」
「了解ですお嬢様!」
彼女が這い出ると、私とマリア。丸腰のレティシア様の二対一の構図。これで問題ありませんね。
しかし、レティシアは不気味に笑う。
「マリアさん。マリア・アハティサーリさん!」
「なんですか?」
レティシアが嬉々としてマリアの名前を呼ぶ。そして彼女は一歩二歩、三歩。そこで足を止めますと、一体の彫像を指さしました。
「こちらの方。どなたかお分かりですか?」
それは一人の男性。とても顔立ちの整った顔。どこかで見たことがあるような、見たことがないようなと言った雰囲気。
しかし、マリアにはそれが誰の顔かわかったようで、目を見開き、口を大きく開け、肩をがたがたと振るわせています。
顔色がどんどん悪くなり、何かに襲われたように震え始めました。
「ああああ、あああっあああっぁぅあうぅあぅあぅうううっあうっあうあぅううううぅあぁうぁうぅあぁう」
「何? どうしたの、マリア!」
レティシアは、マリアのもとに何かを投げつけ、それは金属音をたてながらマリアの足元に転がってきました。
マリアの槍。このタイミングで槍を返す?
「マリア。その彫像は誰なの?」
「あれは私の元婚約者です」
マリアの婚約者?
そう。マリアの事情は浅くですがお聞きしたことがあります。彼は亡くなったマリアの婚約者。その彫像がここにあると言うことは、そういうことなのですねレティシア。
「何故ここにギオルグ様の彫像が?」
マリアが槍を拾い上げ、混乱しています。行けません。あんな内容ショックが大きすぎます。私も今は冷静でいられているように装いつつも、内心は穏やかではありません。
「マリアさん! 結婚! できませんでしたね! ギオルグさんが自殺しちゃってー。だーれもあなたを選んでくれなくなってー。今後も結婚できないままなんじゃないですか? ルクレシア様と違って」
何を言ってくれるのですかレティシア。
「結婚? できない? 私が? 誰とも? え? 嫌、嫌嫌嫌嫌嫌ぁああああああああああああああ」
「マリア! 落ち着いて!」
「ハァ……ルクレシア様。どう落ち着けとおっしゃるのですか。ギオルグ様が自殺したあの日。もう二年もたちました。いえ、もうすぐ三年。私はその間、毎晩。毎晩、毎晩、毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩! ずーっと幸せな夢を見るのです。私とギオルグ様が結婚して、幸せな家庭を築く夢。目が覚めると我が子を抱いていた腕は空を抱いて、私を抱締めていた方はどこにもいなくて。笑っていた私の顔はどこにもなくなりました。そうですよね。お嬢様はもうすぐ結婚されるのですよね。今からでは婚約者を用意できるとは思えませんが、あなたはもう半月もしたらグレイ様の生誕祭を迎えて妃になられます。結婚。おめでとうございます。おめでとうございます。おめでとうございます。なんで、なんでなんで。どうして私はこんな運命を辿らなければいけないのですか? 答えてくださいルクレシア様」
「マリア。ごめんなさい。あなたの苦しみを理解することはできません」
もしかして、先ほどマリアにかけられた液体。嘘よね。かけられただけで体に影響が出るなんてありえないですよね。ですがマリアの様子はあからさまにおかしい。かけられた液体は偽物でも気絶させられている間に飲まされていたのかもしれない。
マリアの頬を何度も雫が通過する。落ちるたびにマリアの震えが大きくなり、次第に彼女からうっすらと聞こえてきました。
羨ましい。恨めしい。妬ましい。ああ、マリア。私、こんなことであなたと相対したくなかったわ。
マリアが槍を握り、私もミセリコルデを構えます。マリアはこれまでご一緒してきたからこそわかる実力者。
私じゃ相手にならないでしょう。ですが、今ここで彼女を止められるのは、彼女を救えるのは私だけ。
「泣かないでマリア。今、楽にしてあげるから」
ミセリコルデ。このミセリコルデには慈悲の剣という意味があります。
由来は、なるべく痛みを与えずに相手にとどめを刺すことが目的だからです。
他の選択肢があると信じていても、ここであなたを救うことができたとしても。あなたを癒すことはできません。
それはつまり、乾いた心のままマリアを生かし続けることになるのです。ですから、せめて私もその苦しみをせおいます。
私はミセリコルデをかかげますと、何かに気付いたマリアが槍を投げ捨てて私に駆け寄ってきました。
「何をしているのですか!」
マリアは私の腕を掴む。
「止めちゃダメじゃない」
そう、私はミセリコルデで自らの顔に傷をつけようとしたのです。王妃として嫁ぐことができなくなるように。
「だってほら。私の顔に傷があったら、さすがに結婚のお話はお流れになるでしょう? そうしたら二人で結婚したーいって言って海に向かって叫べたのに」
間一髪のところでマリアが正気に戻り、私の腕を握ります。とても痛い。その痛みが彼女の真剣さを表しているようでとても心地よい。
「泣かないでマリア」
私が彼女をそっと抱きしめますと、彼女はそれを受け入れます。何度も何度も泣いた彼女は私に槍を一度でも向けてしまったことを誤り続けました。
そんな私達を、レティシアはつまらなそうに見つめていました。彼女だけは絶対に許せません。ヤーコフを弄び、マリアを傷つけたこと、絶対に許せない。
思い通りにさせないと思いつつも、余裕そうなレティシアに対し、次は何が私を襲うのかという恐怖で震えてしまいそうになりました。
怖い。でも立ち向かわないと。私の心は今にも朽ちそうになりつつも、彼女を止めて今度こそ誰にも邪魔されない幸せを歩んでみせると強く誓いました。
エミリアさんと馬鹿なことをして笑う。
それもいい。
エレナの入れてくれたお茶を頂きながら、ルイーセ様をまぜてお茶会。
それもいい。
マリアの結婚相手探しに、またみんなで旅をする。
それもいい。
エリオットお兄様やオルガお義姉様、ミシェーラと食事。
それもいい。
ジェスカと一緒にパウルスの村で一休み。
それもいい。
アンジェリカやエディータに会いにジバジデオ王国に訪問する。
それもいい。
メルヒオール様やヨハンネスと一緒に、お忍びで街をぶらつく。
それもいい。
そしてあの人とともに、この国の未来を…………
それがいい。
「レティシア。私の物語に変人はいりません! さあ、踊りましょう。お互いの我儘の為に!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
77
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる