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前編
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その夜九条の居室の扉がノックされたのは、最後の報告書を書き終える直前のことであった。
「……入れ」
扉が開くと、そこに立っていたのは成瀬であった。本来、階級が下の者から上の者の部屋を訪ねるなど是とはされないのがこの組織における常識である。ましてや、こんな夜遅くに。
「何の用だ」
「大尉、遅い時間に申し訳ありません」
いつになくかしこまった口調の成瀬に、九条は手を止めて視線を上げる。
「今日の作戦について、どうしても礼を言いたく。無茶を通してくださり、本当にありがとうございました。また、命令に反した交戦を行い、申し訳ありませんでした」
「……わざわざそれを言いに来たのか」
この男にしては随分と殊勝な心掛けだと思った。内心驚く九条に、成瀬は続けて口を開く。
「はい、それと……。もしよろしければ、今日の振り返りを、共にできればと」
「戦術の話なら、すでに会議で話した通りだが」
「ええ、でも……個人的に、大尉の考えを聞きたくて」
その言葉に、九条は思わず目を見開いた。まさか、この男が意見を聞きたいという日が来るとは。動揺を悟られないよう、九条は書きかけの報告書に目を落として口を開いた。
「今回の作戦、お前の案が活きた部分は確かにあった。だが、まだ改善の余地はある」
そう言うと、成瀬が興味深そうに身を乗り出してきた。九条は立ち上がり、棚にしまってあった海図を広げる。
「迎撃地点の設定は適切だったが、敵の動きは我々の予想よりもずっと変則的だった。次回はそういった動きにも対応できるよう、事前の偵察を強化する必要がある。また、それに合わせた編隊も」
「それはその通りですね」
成瀬は顎に手を当てて考える仕草を見せた。
「たぶん、あの回り込みは前回の戦闘パターンを逆手に取られたんでしょう。こちらが『ああ動くだろう』と敵に読まれていた」
「となると、次はフェイントを入れる必要があるか」
「ええ。例えば囮の小隊を一つ先に展開して、偵察機で反応を見ながら主力を別方向から回す。そんな柔軟な動きができれば、読まれにくくなる」
その言葉に、九条は思わず言葉を詰まらせる。
「囮……」
九条は思わずその言葉を反芻した。確かに、戦術としては有効だ。相手の意図を撹乱し、こちらの優位を作るには効果的だ。
「ダメですか?俺が囮でも構わないですよ」
成瀬は、まるで天気の話でもするように軽々とそう言った。
それが合理的であっても、成瀬ならきっとやり遂げるとしても。今日の戦闘もそうだが、どうしてこの男は、自分を差し出すことを当然のようにできるのか。そのことに、言いようのない苛立ちを覚えた。
「……簡単に言うな。囮に立つというのは、そういうことではない」
「そうですね。でも、大尉なら……俺が確実に生きて戻る形にできるかと」
そう言って口角を上げた成瀬に、九条は一瞬言葉を詰まらせた。
――信頼、なのだろうか。
胸の奥が微かに熱を持った気がした。
「……ああ」
九条はそう言って視線を落とす。胸が詰まって、それ以上反論できなかった。改めて、とんでもない男を部下に持ってしまったものだと痛感した。
今日の戦闘も、本当に無茶なものだった。だが自分の命を賭して仲間を守り、無茶をしてでも帰ってきたことが、今こうして目の前にいて、信頼の言葉を述べてくれたことが――どれだけ、嬉しいと思ってしまったか。
たとえ戦場において非合理的であったとしても、何も言わないのは違うと思った。九条は少しだけ視線を落とし、静かに口を開いた。
「……今日は、よく戻ったな」
その言葉に、成瀬がわずかに目を見開いた。いつもの飄々とした表情が消え、静かに九条を見つめ返す。
「……ありがとうございます」
成瀬はそれだけを言って、小さく頭を下げた。そこにはただ、あの清澄な笑顔だけがあった。この笑顔がまた見たかったのだと、見てしまってから気がついた。
らしくもない。内心そう自嘲しても、今日のあの戦闘で帯びた熱はなかなか冷えてくれなかった。敬礼をして去っていく男の背中を見つめながら、九条は静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。命を賭してなお笑えるその背中がまるで太陽のように強く眩しいのに、ふとした拍子にどこか遠くへ消えてしまいそうで怖かった。
「……入れ」
扉が開くと、そこに立っていたのは成瀬であった。本来、階級が下の者から上の者の部屋を訪ねるなど是とはされないのがこの組織における常識である。ましてや、こんな夜遅くに。
「何の用だ」
「大尉、遅い時間に申し訳ありません」
いつになくかしこまった口調の成瀬に、九条は手を止めて視線を上げる。
「今日の作戦について、どうしても礼を言いたく。無茶を通してくださり、本当にありがとうございました。また、命令に反した交戦を行い、申し訳ありませんでした」
「……わざわざそれを言いに来たのか」
この男にしては随分と殊勝な心掛けだと思った。内心驚く九条に、成瀬は続けて口を開く。
「はい、それと……。もしよろしければ、今日の振り返りを、共にできればと」
「戦術の話なら、すでに会議で話した通りだが」
「ええ、でも……個人的に、大尉の考えを聞きたくて」
その言葉に、九条は思わず目を見開いた。まさか、この男が意見を聞きたいという日が来るとは。動揺を悟られないよう、九条は書きかけの報告書に目を落として口を開いた。
「今回の作戦、お前の案が活きた部分は確かにあった。だが、まだ改善の余地はある」
そう言うと、成瀬が興味深そうに身を乗り出してきた。九条は立ち上がり、棚にしまってあった海図を広げる。
「迎撃地点の設定は適切だったが、敵の動きは我々の予想よりもずっと変則的だった。次回はそういった動きにも対応できるよう、事前の偵察を強化する必要がある。また、それに合わせた編隊も」
「それはその通りですね」
成瀬は顎に手を当てて考える仕草を見せた。
「たぶん、あの回り込みは前回の戦闘パターンを逆手に取られたんでしょう。こちらが『ああ動くだろう』と敵に読まれていた」
「となると、次はフェイントを入れる必要があるか」
「ええ。例えば囮の小隊を一つ先に展開して、偵察機で反応を見ながら主力を別方向から回す。そんな柔軟な動きができれば、読まれにくくなる」
その言葉に、九条は思わず言葉を詰まらせる。
「囮……」
九条は思わずその言葉を反芻した。確かに、戦術としては有効だ。相手の意図を撹乱し、こちらの優位を作るには効果的だ。
「ダメですか?俺が囮でも構わないですよ」
成瀬は、まるで天気の話でもするように軽々とそう言った。
それが合理的であっても、成瀬ならきっとやり遂げるとしても。今日の戦闘もそうだが、どうしてこの男は、自分を差し出すことを当然のようにできるのか。そのことに、言いようのない苛立ちを覚えた。
「……簡単に言うな。囮に立つというのは、そういうことではない」
「そうですね。でも、大尉なら……俺が確実に生きて戻る形にできるかと」
そう言って口角を上げた成瀬に、九条は一瞬言葉を詰まらせた。
――信頼、なのだろうか。
胸の奥が微かに熱を持った気がした。
「……ああ」
九条はそう言って視線を落とす。胸が詰まって、それ以上反論できなかった。改めて、とんでもない男を部下に持ってしまったものだと痛感した。
今日の戦闘も、本当に無茶なものだった。だが自分の命を賭して仲間を守り、無茶をしてでも帰ってきたことが、今こうして目の前にいて、信頼の言葉を述べてくれたことが――どれだけ、嬉しいと思ってしまったか。
たとえ戦場において非合理的であったとしても、何も言わないのは違うと思った。九条は少しだけ視線を落とし、静かに口を開いた。
「……今日は、よく戻ったな」
その言葉に、成瀬がわずかに目を見開いた。いつもの飄々とした表情が消え、静かに九条を見つめ返す。
「……ありがとうございます」
成瀬はそれだけを言って、小さく頭を下げた。そこにはただ、あの清澄な笑顔だけがあった。この笑顔がまた見たかったのだと、見てしまってから気がついた。
らしくもない。内心そう自嘲しても、今日のあの戦闘で帯びた熱はなかなか冷えてくれなかった。敬礼をして去っていく男の背中を見つめながら、九条は静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。命を賭してなお笑えるその背中がまるで太陽のように強く眩しいのに、ふとした拍子にどこか遠くへ消えてしまいそうで怖かった。
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