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第一章 第四部 シャンタリオへの帰還

14 すれ違い

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「偽名の手形では預かっても意味がありませんね、お返しいたします。そして私の名で手形を切りましょう。本名を教えて下さい」

 そう言って手形をディレンに返した。

「あの、奥様は」
「そうでしたね。では私もこの宮に滞在するだけの間の保証として、同じ形で切りますが、その方だけはエリスでよろしいですか?」
「はい」
「残りの3名の名は?」
「はい」

 ディレンが茶色い髪の男、包帯の男、侍女の順に名を告げる。

「アラヌス、ルーク、アナベルです。この2名も傭兵としては少しばかり名のある者で、もしかすると気づく者がおるやも知れぬということと、侍女も奥様の身の上が知られる可能性があったもので偽名にしておりました」
「そうですか」

 表情を変えずにそう返すと、

「それではその名で出しましょう」

 そう言ってから同行した薄い赤色の衣装の侍女に何事かを申し付けた。

「それから、アロ殿と、船長のディレン殿、お二人にもこの宮への出入りを保証する手形をお出しします。私の名で、一行がここに滞在する間だけのものではありますが」
「いえ、私などもったいない」

 アロが恐縮して言うが、

「これからも何事かあると来てもらう必要があるでしょうから持っていてください」
「は、はい」
「あの、私は船がいる間だけですし、何かあればアロさんに連絡をいたしますから」
「いいえ」

 きっぱりと言う。

「あなたにも直接来ていただく可能性はあります。ですから居場所もきちんと報告しておいてください」
「分かりました」

 ディレンも大人しく従うしかない。それほどの気迫、威厳が侍女頭にはあった。

「それではこの者が部屋へ案内いたします。アロ殿とディレン殿も同行して場所を覚えておいてください。客室までは通すように衛士たちにも伝えておきますから」
「分かりました」
「は、はい」

 ディレンとアロが頭を下げる。

「では私はここで。また何かありましたら部屋付きの侍女にでもお伝え下さい」

 言い終えるとすっと立ち上がり、表情を変えぬまま部屋から出ていった。

「ご案内いたします」

 薄い赤色の衣装の侍女が、来た方向ではなく、さらに道を進んだ方向にある階段へと一行を案内する。

「足元にお気をつけて」

 侍女が肩を借りている包帯を巻いた男に声をかける。男も軽く頭を下げ、左腕を茶髪の男の肩に預けながら一足一足階段を上がった。

 階段を上りきると、そこは懐かしい場所であった。
 トーヤがあの客殿の一番豪華な客室から引っ越し、途中からはダルが隣の部屋に入ったあの部屋のある場所。何度ここを行き来したか。色々な思いを抱えて扉を開いたか。もう少し進むとその部屋の前を通る。

 大きな前の宮を歩いて客殿の方向へ進む。もう少しでトーヤの部屋のあたり、謁見を求めて遠くからやって来た者が滞在する客室が並ぶあたり、という場所まで来たところ、遠くに数人の人間が見えてきた。
 
 色とりどりの衣装を着た侍女たちが段々と大きくなってくる。10人ほどのその中央の侍女はオレンジ色の衣装を着ていた。

 トーヤは胸の奥が動くのを感じた。

 あの色、忘れもしないのぼ朝陽あさひのようなオレンジ色。
 この八年、会いたいと思っていた人に間違いない。
 見間違えるはずがない。

 中央の人物は二十歳前後に見えた。周囲に少し年下の侍女を連れているのは、指導役ででもあるのだろうか。
 豊かな黒髪をシニヨンにまとめ、額にはオレンジ色の石が付いた鎖飾りをつけている。ふっくらとした赤みのさす頬はあの時のまま、少しだけ顔つきが大人びたように思えた。

 侍女の一団は奥様一行に気づくと、静かに廊下の端に寄って静かに軽く頭を下げた。

 宮に入った時と同じ順番、前からアロ、ディレン、奥様と侍女、そして最後に包帯を巻いた男に肩を貸す茶色い髪の男が侍女たちの前を通り過ぎる。こちらも通り過ぎる時に軽く頭を下げてから。

 そうして短い邂逅は終わった。
 ストールをかぶって目だけが見える侍女が、軽く後ろを振り向いた気がしたが、誰もそのことに何も言わなかった。

 案内されたのは客殿の2階、トーヤが最初に滞在した最上級の部屋や、交代の日に王の側室とその子たちがいた3階の部屋と変わらぬぐらい豪華な一室であった。

「なんと立派な部屋」

 アロが驚いたように言う、

「すぐに部屋付きの侍女も参ります。続き部屋がございますので、護衛の方はそちらのお部屋へ。それと医者も参りますからどうぞ診察をお受けください」

 医者に診てもらうわけにはいかない、何しろ仮病、いや偽ケガだ。

「いえ、こちらには医療の心得のある者もおります。お医者様は結構です。それと、侍女も奥様付きがおりますので、お気遣いなく」

 アランがそう言って断るが、

「仮にも客人に粗雑な扱いをしたなど、宮の名にも関わることです」

 いつの間に来ていたのか、キリエが感情を感じさせない声でそう言う。

「侍女の方1人では連絡なども心許こころもとないでしょう。部屋付きの侍女は置かせていただきます」
「分かりました、ですが医者は結構です」
「なぜです?」
「いえ、場所が場所だけに、本人が人に見られるのを嫌っております」
 
 キリエがちらりと包帯の男の方を見るが、

「なるほど、お気持ちの問題とあれば今回は医者は遠慮させましょう。ですが、何か不調などあれば、その時にはよこしますので」

 きっぱりとそう言った。
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