黒のシャンタル 第二話 「新しい嵐の中へ」<完結>

小椋夏己

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第三章 第二部 侍女たちの行方

 4 言えぬこと

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「どうしました? 事情とやらがあるのなら聞きましょう、言ってみなさい」

 セルマが黙り込むのにキリエが続ける。

「行儀見習いのために宮に入ってきている者は、生涯をこの宮に捧げるために入ってきた応募の侍女とは違う。その事情は重々承知しています。ですが、それならばこそなお、この宮にいる間は同じ侍女として躾けられ、侍女として働き、侍女としてシャンタルとマユリアにお仕えする。それこそがやるべきこと、やらせるべきことではありませんか?」

 セルマの本心もキリエと同じである。
 キリエの言っていることこそ、セルマも思っていることだ。

 だが、それではだめなのだ。
 今は、その心を消してでも、やらねばならぬことがあるのだ。

「わたくしは」

 あえてその一人称を使い、キリエを見下すように話し始めた。

「知っているのです、重大な秘密を。そのためにやっていることです」

 キリエが無言で表情を変えず次の言葉を待つ。

「キリエ『殿』が知っていて、そして、知らぬ顔をしているその秘密」

 キリエは相変わらず表情を変えない。

「何もおっしゃらないのですか? ご存知なのですよね? その上で、どうして何もしようとしないのです?」

 キリエは何も言わない。

「わたくしも以前はあなたを尊敬していました、いつかはあなたのようになりたい、そう思ったこともございます。ですが、今はもうそんな気持ちは全くありません」

 セルマは一人で話し続ける。
 キリエは黙って聞くだけで反応はしない。

「何もおっしゃらないのですね」
「何を言えと言うのです?」
「裏切りとは思われないのですか?」
「私が何を裏切ったと?」
「言えぬことだと知った上でそうおっしゃるのでしょう?」
「言えぬことがあるとして、それをおまえに言ったのは誰なのでしょう? 言えぬことをなぜ話したのでしょうね」

 セルマが言葉を失う。

「おまえは」

 キリエが両手で上半身を起こし、背筋をシャンと伸ばしてセルマに向かい合う。

「言えぬことをその者から聞き、そして言えぬことと知った上で、今、そうして私に話しているのですか? 言えぬこととはそのように軽いものなのですか?」
 
 セルマは何も答えない。

「言えぬことを聞いたのなら、最後まで言わぬことです。それをなぜ話したのです?」



 セルマは答えられない。

 セルマも心の中で自分に問うていた。

 なぜ私はこの老女に話してしまったのだろう。

 そのことを聞いてから今まで、心を決めてから今まで、誰かに話したいと思ったことはなかった。

 もしかしたら……

 

「なぜ話したのです?」

 もう一度キリエがセルマに聞く。

 なぜ……



「誰かに話したかったのではないのですか?」



 言われてセルマがドキリとする。

 自分も心の中でそう思ったからだ。
 
 

「おまえの言えないことが私の言えないことと一緒かどうかは分かりません。ですが、おまえは、私がその言えないことを知っている、そう思って知っていると言ったのでしょう」

 セルマはその通りだと思った。
 思ったが、だが、認めるわけにはいかない。

「いらぬことです」

 ツイッと横を向く。

「あなたには、わたくしにどうこう言う資格はないのですから」

 そう言って部屋から出ていこうとする。

「もう聞きたいことは聞いたのですか?」

 扉のところにいたフウが淡々と聞く。

 その言葉にまたセルマの頭に血が上った。

「立ち聞きですか、品のない!」

 思わず声を荒げる。

「立ち聞き? 同じ部屋にいてあれほど大きな声を出していて、聞くなという方が無理でしょう」

 ほんの少しだけ片眉を傾けてフウが言う。
 
 フウはセルマの正面に立ちはだかり、胸の前でがっしりと腕を組むと、

「まあ、あなたが言ったことでキリエ様のご健康に影響があったようなことはなかったようですし、それなら構いません」

 いたずらをした子どもを許す大人のように言った。

 またセルマの顔に朱が上る。

 本当に大事なことは「言えないこと」が、「重大な秘密」があるということだ。
 それをフウは、この奇妙な侍女はまるでなかったかのように、それよりはあのやせこけた老女の健康状態の方が大事であるかのように言う。

「あなたには、この世の危機や世界の先行きを思う頭はないのですか!!」
「ええ」

 火をぶつけるようなセルマの言葉に、フウがひとかけらさえ興味がないように言う。

「私は目の前に見えること、自分が大事だと思うこと、そう思うことのために生きていますからね。そんなあるかないか分からないようなことのために、自分の信念を曲げ、何度も何度も頭に血を上らせ、そうして自分自身を追い詰め、周囲を傷つけて回るようなことをしている時間などないのですよ」

 そう言う間も、まつげ1本揺らさぬような、堂々としたたたずまいを崩すことがない。

 なぜだかセルマは、そんなフウのことがとても羨ましく思えた。

 ほんの一瞬、心臓の鼓動の1回分ぐらいの間のことではあったが、自分もそうありたかった、そう思っていた。

「愚かな……」

 セルマはその気持を押し殺し、捨て台詞のように言う。

「眼前のことをうまく片付けられぬ者が、世界の行く末をどうこうできるように私には思えないのですけどねえ。まあいいです、どうぞ」

 フウは扉を開いてセルマに退室を促し、セルマは黙ったまま出ていった。
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