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第三章 第七部 逃走
11 清貧
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「いえ、それは今伺って思い出しました」
「思い出していただけましたか」
「はい、そのようなことを忘れていたかと自分でも情けない限りです」
セルマは譲歩して、自分の迂闊さを自分で責めた。
「そうでした、アルディナから渡来の品だと、そう書いてあったように思います」
「思い出していただけて幸いです」
「それで」
もう一度セルマは反撃に転じる。
「アルディナからの品だから、それでどうだとおっしゃるのです?」
「そうですね」
ルギがじっと香炉を見つめながら、何事もないかのように続ける。
「黒から青」
セルマは衝撃を顔に出さぬように必死に押さえてそれを聞いた。
「はっきり申し上げます。この青い香炉は黒い香炉そのもの、同じものです」
「まさか」
知らぬ顔で続けるしかない。
「では、上から青く塗ったとでも言うのですね。誰がそのような子どものいたずらのようなことを」
「いえ、塗ったのではありません」
「ではどうやって」
「焼いたのです」
ああ、全部知られているのだ。
「アルディナでも高額な塗料を塗られているそうで、裕福な貴族などにしか手に入れられない物だそうですよ」
「そうなのですか」
わたくしは知らなかった、そんな物があることは。
そうだ、そうだった。
セルマは嵐にかき混ぜられるような心の中で、その時のことを思い出していた。
『あなたなら、この世界を救えるかも知れない』
神官長のその言葉がセルマの心をざわめかせた。
『興味があるのならこの日のこの時刻にここにおいでなさい。見せてあげましょう』
セルマはその言葉の誘惑に負け、その日その時刻に言われた通りに神官長の部屋を訪ねた。
「来られると思っていました」
神官長は親しげに、温かい微笑みでセルマを迎えてくれた。
「お時間はありますか?」
「ええ、今日はこの後、お休みをいただいてきました」
「そうですか、結構です」
そう言うと神官長はあの黒い香炉をテーブルの上の箱から取り出した。
そしてそれを、暖炉の火の中に入れた。
「何をするのです!」
仮にもシャンタルの宝物庫からお下げ渡しになった御物になんてことを!
「まあ黙って見ていなさい」
神官長はにこやかに笑いながら、火に伸ばそうとしたセルマの手を押し留めた。
「手をお引きなさい、やけどをしますよ。大丈夫です、香炉を傷つけたりそのようなことにはなりませんから」
「ですが!」
「大丈夫です」
そう言って灰かき棒で丁寧に香炉を埋め、隠した。
「しばらくこのまま待ちます。その間、少し話でもしませんか」
そう言ってセルマをテーブルの前の椅子にかけさせると、
「少しお待ちなさい、今お茶を持ってきます。暖炉には触らないように」
と、注意をしてから神官長は一度部屋の外へ出ていった。
一人残された神官長の部屋、セルマは暖炉の中の香炉が気になって気になって仕方がなかった。だが、触るなと言われている。
今、あの香炉の持ち主は神殿だ。
もしも、神官長があの香炉を損ねてしまったとしても、セルマにはどうすることもできない。
いや、もしかすると力づくでも止めねばならなかったのかも知れないが、神官長の様子からそれはできなかった。
仮にも神官長という高い立場にある方のなさることだ、何か意味があるに違いない。そんな思いがセルマの行動を押し留めた。
少し待っていると、神官長自らが茶と菓子が乗った盆を持って戻ってきた。
セルマが急いで自分がと立ち上がると、
「座っていなさい、今はあなたがお客様です」
そう言って神官長が止め、茶と菓子をセルマの前に置いてくれた。
お茶は、見るからにあまり色のよくない安物に思えた。少なくとも宮で侍女たちが飲むものより質の落ちるものであろう。
菓子もそうだ。宮で侍女たちがお茶の時間によく食べる、ホロホロとした中に木の実や果実が入った焼き菓子、それとは比べ物にならないぐらい、固くて味気ないものであった。
「お口に合いませんか?」
「え、いえ」
セルマは慌ててそう答えたが、神官長は愉快そうに笑いながら、
「いえいえ、よく分かっています。宮で出されるお茶やお菓子に比べると、なんとも粗末なものです」
「いえ……」
「ですが、神殿ではこれが普段使いの物なのですよ。あまり良い物を口にし続けると、民の暮らしとかけ離れてしまう、民の苦労や苦しみを理解できなくなってしまいますからね」
神官長の言葉に、セルマは自分が恥ずかしくなった。
宮での生活は安楽かと言われるとそう言い切れるものではない。
自分のすべてを宮に、シャンタルに、マユリアに捧げ、この国のために生きているのだ。
普通の女性としての幸せを望まず、時が来れば誓いを立て、命果てるまで宮で生きる。そういう生き方を選んだ者たちが生きる場なのだから、楽をしたいとか、贅沢を望むなど、不遜な考えである。そう思って清貧な生き方をしていると思っていた。
だが神殿と比べてみて宮の生活はどうだ。
自分はまだまだ足りない、セルマはそう考えて恥ずかしくなった。
「自分を恥じることはありません。あなたを見ていて、きっとそのような方だろうと思ってあなたを選びました。やはり私の目に狂いはなかったようだ」
神官長は満足そうにそう言って、神殿のお茶をゆっくりと口に運んだ。
「思い出していただけましたか」
「はい、そのようなことを忘れていたかと自分でも情けない限りです」
セルマは譲歩して、自分の迂闊さを自分で責めた。
「そうでした、アルディナから渡来の品だと、そう書いてあったように思います」
「思い出していただけて幸いです」
「それで」
もう一度セルマは反撃に転じる。
「アルディナからの品だから、それでどうだとおっしゃるのです?」
「そうですね」
ルギがじっと香炉を見つめながら、何事もないかのように続ける。
「黒から青」
セルマは衝撃を顔に出さぬように必死に押さえてそれを聞いた。
「はっきり申し上げます。この青い香炉は黒い香炉そのもの、同じものです」
「まさか」
知らぬ顔で続けるしかない。
「では、上から青く塗ったとでも言うのですね。誰がそのような子どものいたずらのようなことを」
「いえ、塗ったのではありません」
「ではどうやって」
「焼いたのです」
ああ、全部知られているのだ。
「アルディナでも高額な塗料を塗られているそうで、裕福な貴族などにしか手に入れられない物だそうですよ」
「そうなのですか」
わたくしは知らなかった、そんな物があることは。
そうだ、そうだった。
セルマは嵐にかき混ぜられるような心の中で、その時のことを思い出していた。
『あなたなら、この世界を救えるかも知れない』
神官長のその言葉がセルマの心をざわめかせた。
『興味があるのならこの日のこの時刻にここにおいでなさい。見せてあげましょう』
セルマはその言葉の誘惑に負け、その日その時刻に言われた通りに神官長の部屋を訪ねた。
「来られると思っていました」
神官長は親しげに、温かい微笑みでセルマを迎えてくれた。
「お時間はありますか?」
「ええ、今日はこの後、お休みをいただいてきました」
「そうですか、結構です」
そう言うと神官長はあの黒い香炉をテーブルの上の箱から取り出した。
そしてそれを、暖炉の火の中に入れた。
「何をするのです!」
仮にもシャンタルの宝物庫からお下げ渡しになった御物になんてことを!
「まあ黙って見ていなさい」
神官長はにこやかに笑いながら、火に伸ばそうとしたセルマの手を押し留めた。
「手をお引きなさい、やけどをしますよ。大丈夫です、香炉を傷つけたりそのようなことにはなりませんから」
「ですが!」
「大丈夫です」
そう言って灰かき棒で丁寧に香炉を埋め、隠した。
「しばらくこのまま待ちます。その間、少し話でもしませんか」
そう言ってセルマをテーブルの前の椅子にかけさせると、
「少しお待ちなさい、今お茶を持ってきます。暖炉には触らないように」
と、注意をしてから神官長は一度部屋の外へ出ていった。
一人残された神官長の部屋、セルマは暖炉の中の香炉が気になって気になって仕方がなかった。だが、触るなと言われている。
今、あの香炉の持ち主は神殿だ。
もしも、神官長があの香炉を損ねてしまったとしても、セルマにはどうすることもできない。
いや、もしかすると力づくでも止めねばならなかったのかも知れないが、神官長の様子からそれはできなかった。
仮にも神官長という高い立場にある方のなさることだ、何か意味があるに違いない。そんな思いがセルマの行動を押し留めた。
少し待っていると、神官長自らが茶と菓子が乗った盆を持って戻ってきた。
セルマが急いで自分がと立ち上がると、
「座っていなさい、今はあなたがお客様です」
そう言って神官長が止め、茶と菓子をセルマの前に置いてくれた。
お茶は、見るからにあまり色のよくない安物に思えた。少なくとも宮で侍女たちが飲むものより質の落ちるものであろう。
菓子もそうだ。宮で侍女たちがお茶の時間によく食べる、ホロホロとした中に木の実や果実が入った焼き菓子、それとは比べ物にならないぐらい、固くて味気ないものであった。
「お口に合いませんか?」
「え、いえ」
セルマは慌ててそう答えたが、神官長は愉快そうに笑いながら、
「いえいえ、よく分かっています。宮で出されるお茶やお菓子に比べると、なんとも粗末なものです」
「いえ……」
「ですが、神殿ではこれが普段使いの物なのですよ。あまり良い物を口にし続けると、民の暮らしとかけ離れてしまう、民の苦労や苦しみを理解できなくなってしまいますからね」
神官長の言葉に、セルマは自分が恥ずかしくなった。
宮での生活は安楽かと言われるとそう言い切れるものではない。
自分のすべてを宮に、シャンタルに、マユリアに捧げ、この国のために生きているのだ。
普通の女性としての幸せを望まず、時が来れば誓いを立て、命果てるまで宮で生きる。そういう生き方を選んだ者たちが生きる場なのだから、楽をしたいとか、贅沢を望むなど、不遜な考えである。そう思って清貧な生き方をしていると思っていた。
だが神殿と比べてみて宮の生活はどうだ。
自分はまだまだ足りない、セルマはそう考えて恥ずかしくなった。
「自分を恥じることはありません。あなたを見ていて、きっとそのような方だろうと思ってあなたを選びました。やはり私の目に狂いはなかったようだ」
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