紅葉色の君へ

朝影美雨

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第二話 踏み切れない

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第二話 踏み切れない

「……え?」
 ……幻覚の次は、幻聴が聞こえだしたようだ。
 何を言ってるんだこの子は。……何を言ってるんだこの子は? 
「だから」
 ファーストキスカミングアウトの時の比にならないくらい、耳の端まで真っ赤に――
 ――なることもなく、少女は淡々と、自分の発言を復唱する。
「君が、私を、幸せにしてよ」
 ……ふむ、幻聴ではなかったらしい。
 どうやら僕は、いわゆる、つまり、要するに。
 ……俗に言う、告白……?というものを、された、らしい。
 ……………………うん。

 ……まったく、今日は散々な日だ。自殺は止められるし。 ファーストキスも奪われるし。
 こ……告白も、されるし。
 …………足以外もはやいのかもしれない。
 最近の女の子はそういうところも進んでいるのだろうか。
 いやまぁ、たぶん僕と同年代くらいなんだとは思うけれど。
 なんてことを考えていると。心ここに有らず、でいると。
 申し訳なさそうに、少女は言葉を加えた。
「えっと……。ごめん、言葉が足りなかった。別にその、付き合いましょうって意味じゃなくって……。なんて言うの、その……、……そう、  友達、友達として、私を楽しませてよって意味で、……ごめんね」
 行方不明だった心が戻ってきた。安堵した、と心の中で呟いてみたけれど、少し悲しかったことを否めないのが恥ずかしかった。
 ま……まぁ?常識的に考えて?そうですともそうですともあり得ませんよ、何をバカな妄想をしているのですか?全く僕というやつは、あぁ、あぁ、恥ずかしい恥ずかしい……。

 ……自分に言い訳をしてしまった。
 ここまで情緒が多忙なのも久しぶりだった。
 自殺衝動の自己弁護よりも言葉数が多くなってしまった。
 ………………。

「……え、もちろんわかってたよ?……さ、流石に、会ってすぐでそれはないって、わかってますとも、大丈夫!」
 今の僕を俯瞰して見たら、すごく見苦しいんだろうなぁと思う。
 語尾強くなってるし。
「それで、えぇっと……なんだっけ」
 ……だめだ、本題を忘れている。
 認めざるを得ない。僕は今、テンパっている。
「……なんか、ごめんね」
 謝られた。
 ……というかあんたが原因だろ。
「つまり、私が言いたいのは、君が私の友達になって、私を楽しませることを生きがいに生きて、ってことだよ」
「え……、なんで?」
「あら、私とは友達になりたくないってことかしら?」
 ……こいつさっき自分で『めんどくさくないキャラじゃない』って言ってたよな。
 わざわざ前振りでキャラ演じてまで。
「いや、その、お忘れなら構いませんけれど。僕、一応、これから死のうとしてる人間なんで……」
「私はそれが嫌だから、提案しているんでしょう。いいのよ?提案を降りても。提案から強要に変わるだけなんだから」
「……それ、どのみち僕に拒否権無くない?」
「死なれたくないのだから、拒否権も与えないのは当然だよ。与えたら死んじゃうじゃん」
「僕に死ぬ自由は無いのか?」
「無いよ。生きる義務はあるけれど」
 でたよ。生きる義務。本当に何なんだろう。
 つい一世紀弱前までは、むしろ死ぬことが賞賛されていたっていうのに。
 国の為に、帝の為に、志の為に、仁のために死ぬことは美しい、とまで言われていたのに。
 最近の流行なのか?
 生存第一主義は。
 本当、つくづく。
 くだらない。
「……わかった」
 まずは、返事を返す。
 ――そして、畳みかける。
「なら、その義務は守らなかったらどうなる?義務を守らなかったら罰があるよね。僕が知る限り、この世で一番重い罰は殺されることなんだけど、あいにく全ての罰は対象者が生きていることを前提に作られている。死ぬことが目的の僕には、罰に何の拘束力もない。僕が、君の言う『生きる義務』を果たさなかったからといって、僕は何の痛みもないんだけれど」
 ここまで言って、僕は勝利を確信した。
 ぐうの音も出せないように、言葉を並べたのだから。
 自分の命を捨てることが、
 合法だろうと。
 違法だろうと。
 許されることだろうと。
 タブーだろうと。
 死んでしまえば、この世の理なんて、関係ないのだから。
 返せるもんなら。
 返してみやがれ。

 とか思っていると。
「そうだね。だから私は、君が義務を果たせるように、君が死のうとする度に止めてあげる」
 と、呆気なく返された。
「大丈夫、私、君より速いし。車いすさえ掴めば、捕まえれば、君は死ねない」
 ニヤリ。と不敵な笑みを浮かべて。
 少女は、言い放った。
 僕が返す言葉を探している間に、少女はスタスタと軽快な足取りでこちらに近づいて。
 僕の背後に回って、車いすの手押しハンドルを握った。
「……おい。勝手に触るな」
「離したら……また、飛び込むんでしょ?」
「…………はぁ」
 本当に、めんどくさいなぁ。
 わざと大きめのため息をついて、僕は仕方なく。
 ずり落ちるようにして、車いすから落ちた。

「車いすから降りれるんじゃん!」
 少女が新しい何かを見たような驚き方をしたので、
「四六時中車いすなわけねぇだろ……」
 と呆れるしかなかった。
 普段外に出ない僕にとっては、むしろ車いすに乗っていない時間のほうが圧倒的に長い。
 僕でなくとも、就寝や入浴くらいは車いすから降りている。
 そんなことも。その程度のことも。
 車いすが身近に無い環境で生活している奴らには。
 想像すら出来ないんだなぁと、再確認した。
 そしてまた一つ、世界からおいていかれたような感覚が増えて。
 苦しくなった。
 
 車いすを掴んだ手を放して、少女が僕の方へ走ってくる。
 ……懲りないなぁ。
「……僕の足を掴んで引き摺ってもいいけどさ――」
 ズボンの裾がめくれてむき出しになった足を見て、少女の表情が、変わった。
「――御覧の通り、僕の足、細くてもろいから、こんな炎天下の焼けたアスファルトで引き摺ったら、すぐ血まみれになるだろうね」
 本当になんというか、わかりやすい。
「この足、一歳から使ってないから、骨の強度も無いし筋肉もついていない。もちろん脂肪もついていない。骨身むき出しの、生まれたての小鹿のような足を、血まみれにしてまで引き摺りたいのなら、どうぞ引き摺ってください。僕には感覚がないんで、痛いのも熱いのもわからないんで、どうぞ好きなように」
 十六歳男性の自分の足を、生まれたての小鹿のような足と形容してしまえる現実から、一刻も早く逃げ出したい。
 逃がしてくれ。
 最後にもう一押し。これで逃げられるはずだ。
「ついでに言うと、傷の治りも遅い。君たちと違って足を使わない分、血の巡りが足りないから。踏切前の、砂埃に塗れたアスファルトの上を引き摺ったなら、どんな雑菌が入るかわからないし、さっきも言ったけど痛みを含む異変もわからない。まぁ、そんな方法で僕を殺してくれるなら願ったり叶ったりだけどね」
 ここまで聞いて、少女は僕の足を掴むのをやめた。
 よし、いい感じだ。あとはせいぜい、僕の前に立ちはだかって通せんぼするくらいだろうけど、そこは僕が頑張って這いずればいい。這いずって、踏切までたどり着ければ、僕の勝ちだ――
 


 ――ふいに、体が軽くなった気がした。
 地面と触れていた僕の両手は、地面から離れて、空を掴んでいた。
 一瞬何が起こったかわからずに、本当に体が宙に浮かんだのかと錯覚しかけたが、その仮説はすぐに覆された。
 空中で体が半回転して仰向けになった。というか仰向けにさせられた。
 そして気づいた。

 少女の両手が。

 僕の肩と膝を、抱えていることに。

 僕を見下ろすようにして、僕を抱き上げた少女は、微笑んだ。
「君って、男の子のわりに、軽いんだね」
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