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紫堂 涼

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はじまりの地

第九話

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 平穏だ。平穏すぎる。
 柔らかな木漏れ日を浴びながら、佐久弥は明るい森の中を闊歩かっぽする。
 時折何かの鳴き声はするが目の前に現れる事は無く、その事に不審を抱きながらも隅々まで見てやろうとしているのだが…
(逆に不気味だ……)
 この世界でのあれこれを思い返すと、平和な時間を素直に楽しむことも出来ない。

「グオォオオオオオオ!!」
(あ、やっぱりだ)
 佐久弥の進行方向から、凄まじい咆哮ほうこうが聞こえる。
 一瞬だけ足が止まったものの、佐久弥はそのまま突き進む。きっと何かがいるのだろう。獰猛どうもうな生物の咆哮にしか聞こえないが、違う可能性の方が高い。これで声からは想像できない、可愛らしい生き物が居ても、もう驚かないだろう。

 ……騙された。
 森の奥の開けた場所。草が押し潰され、巨大な老木さえもが真っ二つにへし折られている。その中央にどっかりと居座っていたのは――巨大なドラゴンだ。
(序盤で遭遇するもんじゃないだろう!)
 今の佐久弥がその鋭い鉤爪かぎづめにひっかけられたらHPなど一瞬で消し飛ぶだろう。
「グルゥウウウウウウウウウ!!」
 一歩後退あとずさるより先に、瞳孔が縦に伸びたドラゴンの瞳が佐久弥へと向けられる。
「……っ!」
 ぎょろり、と音が付きそうな目で睨まれ、本能的に身がすくむ。
 やり直しが出来ると知っていても、巨大な存在に対しての恐怖というものはすぐに一掃いっそうできるものではない。
 じわりと緊張で手の平に汗が滲む。その一瞬を逃さず、ドラゴンが一気に距離を詰め、佐久弥の退路をふさぐように、ぐるりと巨大な身体で囲い込む。
「……何の用だ」
 からからに干上ひあがる喉から、押し潰されたような声を押し出す。
 言葉は通じないかもしれない。
 酒場のマスターも、あの町周辺には襲いかかってくるような生物は居ないと言っていた。この森からは――その法則は当てはまらないのだ。
「……」
 相手の反応を待つ間にも高まる緊張感に、佐久弥の喉がごくりと音を立てる。ただ過ぎる時間に、緊張の糸が切れそうになった瞬間、轟音ごうおんと共に、激しい振動が佐久弥を襲い、その場には土煙が上がる。
「……ちぃっ!」
(甘かった!)
 今までに接してきた生物のようなものばかりでは無いと言うことか。
 舌打ちしながら佐久弥が逃走経路を探るように視線を巡らせると……

 びったん、びったん、とその視線の先で、ドラゴンの尻尾が踊っている。
「グォオオオン!グォオオオン!」
 そのたびに、転びそうになるほど地面が揺れるのだが、佐久弥の目が生ぬるいものに変わる。
「グォオオオオオオオオオオオオン!!」
 びったあああああん!と大きく尻尾を叩きつけるそのドラゴンの目からは、ぼたぼたと涙が落ちて、佐久弥を頭から濡らす。
 一粒が巨大なので、落ちてくるたびに佐久弥の首がかくりと曲がるのだが、先ほどまでの緊張から解放された佐久弥は、気が抜けてそれどころじゃない。
「あ~だいたいわかった」
 主張するように、びたびた跳ねる尻尾には、小さな木片が刺さっていた。
「痛いんだな」
「グオン」
 わかってくれたか!と光り輝く目をするドラゴンに刺さる棘に手を伸ばし、一気に引き抜く。
 予想していたので、両手で耳を覆うと……案の定、凄まじい咆哮があたり一帯を揺らす。
 あ~痛かった、とばかりに目の前でうねうねする尻尾を、治療終わり。と軽く撫でてやると痛みが無くなって涙の止まったドラゴンが佐久弥を鼻先でつつく。
「やめろ」
 ちょいちょいつついてるだけのつもりだろうが、佐久弥は全身ぐらぐら揺れている。
「グォオオオン」
「……今度は何だ」
 両手を佐久弥に差し出し、またもや何かを訴えている。
 ぐーぱーぐーぱーしては難しそうにしているのに、溜め息をついてナイフを取り出す。
「爪切りだな」
 人に飼われる小鳥も、爪が伸びすぎたら止まり木に止まることが難しくなる事があるらしい。伸びすぎて扱い辛いのだろうが……
(武器じゃないのか、それはお前の)
 そうぼやきつつ佐久弥は先の部分を切り取ろうとするが、ナイフでは歯が立たない。
『出番?出番?』
 うきうきしながら、花を邪魔なほど飛ばしてる剣に目をやる。
「はぁ……」
 重々しい溜め息をつくと、佐久弥は初めて剣の柄を掴み、その刀身をあらわにする。
(なんて禍々まがまがしい……)
 あれほど神聖な場所に置かれていたというのに、その刀身は真っ黒だ。艶やかな鞘とは違い、光を吸い込むような黒だ。
『ひどい!ひどい!』
 柄を掴んだことで、剣の感情が駄々漏れで辛い。
 さっさと作業を終えようと、佐久弥はすぱっと爪の先を斬ろうとすると、ドラゴンが必死に指先から目をそむけている。
 爪を切るのが怖いんだろうが、これで自分が斬りかかったらどうするんだとか、これでよく生きていけるなとか、色々思う事があるものの、佐久弥は躊躇ちゅうちょ無くスパッとやる。
(よし、上手くいった)
 ちゃんと爪の血管が通ってない部分を切断した佐久弥は、合計十本の爪を全て斬り終えた後、己の作業に満足そうに頷く。
 ――指の数が五本あるのは、位の高いものという事も知らずに。

「グルゥ」
 ちょいちょいと、こちらも満足そうなドラゴンが佐久弥に鱗を指し示す。
「ん……?」
 今度はさすがに意味がわからない。切り揃えられた爪で指されている鱗はこれといって傷も無く、佐久弥が困惑していると、ドラゴンは鱗と佐久弥を交互に示す。
「もってけってことか?」
 こくこくと頷くドラゴンに、佐久弥はいいのかなぁ……?と思いながら素直に剣をひっかけ、少しでも痛くないように、一気に剥ぎ取る。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」
(やっぱりぃいいいいいい!!)
 自分からやらせておきながら泣きじゃくるドラゴンに、よーし、よーし、と鱗を一枚剥ぎ取った部分を撫でておく。
「グ、グォ……グルゥウ」
「まだ持ってけってか?……い、いや。いらない」
 泣きながらそんな事言われても、はいそうですかとは出来ない。
「…………グォオオオオン!」
 手を出そうとしないと知ったドラゴンは、泣きながら自分で剥ぎはじめた。
「やめろ!やめろって!お前の気持ちは伝わった、よ~く伝わったから!!」
 こちらが泣きたい。
 佐久弥はぺりぺりと鱗を剥ぐドラゴンを必死で抑えようと尻尾にしがみ付くが、到底かなうものではなかった。
「グォ……グォ……」
 もう、好きにさせるしかなくて佐久弥はとりあえず頑張って撫でるくらいしかできない。
「あ~もう、痛かったなあ……よしよし」
 ぐりぐりと胸に顔を摺り寄せるドラゴンを佐久弥が慰めていると、スライムが鱗を拾い集めては勝手にアイテム欄に放り込んでくる。
「……」
 あえて何も言うまい。

「もう痛いほどの怪我すんなよー」
 しばらく経って、ようやく落ち着いたドラゴンが帰る気配を見せるのに、そう言って手を振る。
(あんなんで大泣きするようだと、無理だろうが)
 とりあえず思う事は、付いてこられなくて良かったという事だろう。――ドラゴンの巨体は旅をするのに面倒でならないだろうから。
 そういう問題では無いという事には佐久弥は気付かない。

 
 ドラゴンが飛び去った後、歩き始めた佐久弥の耳にガサガサと草を掻き分けるような音がする。
 振り返ると、そこには巨大な蜘蛛がすぐ傍まで来ていた。
 ドラゴンの巨体を見た後だと、いっそ可愛く感じる。それが、佐久弥二人分くらいの大きさがあろうとも。
「……」
「…………」
 あちらも驚いたのか、大量にある目をぱちぱちとさせている。
(……ここの蜘蛛には瞼があるのか)
 黒々とした瞳はどれに合わせればいいのかわからないので、とりあえず中央の四つに視線を向ける。
「……ん?」
 先ほどまで硬直していた蜘蛛に、ひょい、と鋭い牙で襟首を掴まれ佐久弥はそのままどこかに連れて行かれる。
(お持ち帰り?)
 これは抵抗した方が良いのだろうか。そう思いはするものの、頭の上にのってるスライムも、フードの中のコウモリも、いつもうるさい剣も、どいつもこいつも平然としている。
 それどころか、スライムなんてくつろぎモードだ。見事に垂れている。
 いつぞやのコリルのように、ぶらーんぶらーんと揺らされながら運ばれた先は洞窟で、暗がりに反応したのか、フードの中から出てきたコウモリは嬉しそうに羽ばたいていたりする。
「――これはちょっと」
 昆虫がそこまで苦手では無いとはいえ、無数の巨大蜘蛛に囲まれたくは無い。
 ぞろぞろと奥から沸いて出ては佐久弥を取り巻いてゆく。

(今度は何をすれば解放してもらえるんだろう……)
 ここは情報が無いので、何をして良いのかわからず……というか、蜘蛛に囲まれている状況から逃れるように意識をらす。

 トントン、と腹を指し示す蜘蛛に首を傾げながら近寄ると、しゅるりと糸を吐き出す。
 別の蜘蛛がそれを引っ張ろうとして、大量の足に糸を絡みつかせて動けなくなる。
「……ひっぱれ、と」
 まずはぐるぐる巻きになっている蜘蛛を助けてやり、佐久弥は全てを諦めたような目で、糸を引っ張っては、邪魔になるのでぐるぐる巻き取って糸玉を作り上げてゆく。
 きゅぽん、と途中で妙な音がしたので目をやると、糸を巻き取っているやつの頭部……もしくは胸部だろうか。すっぽ抜けている。
 でかい腹だけを残し、長い足と小さな頭胸部だけになった蜘蛛が佐久弥の肩によじ登り……スライムに落とされている。
 妙なやり取りは放置して、佐久弥は延々糸を巻き続けていると、ぱんぱんになっていた腹が幾分小さくなる。
「終わりか?」
 本体らしき部分が元の位置に戻ると、ぷつりと糸が切れる。
 これでようやく解放されたか……と佐久弥が糸玉を手の上でもてあそびながら問いかけると、ずらりと一列に蜘蛛が並ぶ。
「…………俺はいつから動物の医者になったんだ」
 並んでいるのは、他の個体よりも腹が張っているものばかりだ。
 張って苦しいから、糸を抜いてもらいたいんだろうが……さっきのドラゴンといい、コウモリといい、コリルといい、……もうめにしてもらいたいものだ。
(今日はもうこれ済んだら落ちよう……)
 気分的に疲れた佐久弥は、それから黙々と並んでいる蜘蛛から糸を巻き取った。
 別にいらないらしく、佐久弥に押し付けてきたので糸玉はアイテム欄に放り込んでおいた。
「……じゃあな」
 疲れたようにひらひらと手を振りながら洞窟を後にする佐久弥は、腹と、一番後ろの足二本で立ち上がり、大量の足をわしゃわしゃさせながら見送られるという気持ち悪い光景を最後に、ログアウトした。だがしっかりと洞窟内の探索を終えているのは言うまでもない。


(今日こそは……!!)
 連休も半ばを終えた佐久弥は、しっかりと気力体力ともに回復した状態でその日のログインを行う。
 本日こそは森を抜け、次の町に辿りつくのだ。
 相変わらずの皆の熱烈歓迎を流しながら、佐久弥はそれでも森を隈なく巡る。
(よっしゃあ!)
 大蜘蛛と遭遇するも糸巻きを頼まれる事も無く、泣き虫竜と出会う事も無く、完全に森に居住地を鞍替えしたのか出会うコリルからは身を隠した佐久弥は無事森を通り抜けた。
「長かった……」
 小さな森を抜けるだけの行為がこれほど疲れるものだとは思わなかった。
 佐久弥は達成感を味わいながら、森からすぐ視認できる場所にある町へと向かった。


 ――そこで望まぬ出会いがあることを知らずに。
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