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本編
44.オカシイのは
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『何をしているんです、早く行きなさい』
もう十年会っていない母は最後の日、俺にそう言いました。
···幼かった私はもう次はいつここへ帰ってこられるか分からないと言うのに、そんな自分と顔を向き合う事も無く背を向けたまま櫛で自らの長い髪を梳く母を見て子供ながらに私は嫌われているんだと改めて感じたのを今でも覚えている。
私は蓮家に生まれて四年。勤仕する働き先を探すにもまだ早いだろうし、人より物覚えが良く蓮家の技を既に一通り覚えているとはいえまだまだ修行が必要な身のはず。
·······それだけ俺が目障りなのか。
仕える先は美園家。遥か昔、魔王を葬った英雄の一族である五家の中『焔天』の血を継ぐ家だ。噂で現当主は五家の中で唯一、古来から伝わる規律を無視する等問題のある方だと聞く。その昔から五家に仕えていた蓮家ですが、美園家へ勤仕したいと志願した者はここ数十年居なかったはず。行ったことは無いが話に聞く限りそんな無法地帯のような家へと半強制的に送られる俺はこの家には要らないのだろう。
『お前が楼透か?』
早朝の冷たい風が吹く渡り廊下を通り、蓮の屋敷で唯一の洋室である応接間に一人の小柄な方が居た。淡い菫色の髪と例えるなら大粒の栗の実のような瑠璃の瞳、初対面でこの物言い······美園の当主?いや、それにしても帯びる魔力が儚げだ。
『俺は美園家当主、美園焔の代わりに来た美園遥河って言うんだが······焔との関係は一応、奥さん?て立場だな。···本当はその焔が迎えに来るはずだったんだが、久しぶりの休暇で息子から離れたがらなくて』
本当ごめんな。そう眉尻を下げてこれから家に仕える事になる格下の私に申し訳無さそうに手を合わせる姿に拍子抜けしました。この方が美園の奥様か···。
『お前髪長いなぁ。話は終わってっから家に行く前にちょっと寄り道してこう』
は?
奥様はくしゃりと私の頭を撫でた。
それから蓮の屋敷を離れた俺は美園本邸へ向かう馬車の中ずっと奥様の話を聞いていた。旦那様である当主の美園焔様の想定外な行動、一緒にいて嫌だった事、御子息を可愛がりすぎて仕事をズル休みした事。
その楽しそうに話をする姿が俺には······私には眩しすぎた。
奥様の言った寄り道は私の髪を切る事と服を買う事。私なんかに無駄遣いをしないで下さいと言うと、奥様はむっと怒ったような表情になり私の両頬を掴んでこう言った。
『無駄じゃない』
······無駄で無ければなんと言うのか。
有無を言わせないその迫力に私は何も言えず、奥様にされるがまま黙って後に着いて行きました。私には奥様の考えている事が分からなくて、人が多いからと手を繋いで、何故ここまでしてくれるのか分からなくて、········胸が苦しくなる。
『···楼透?』
『大丈夫か···?疲れたのか?お、ここ新しいじゃん。丁度いいか、ちょっと休んでいこーぜ。わ、何これめっちゃ美味そ』
『何食いたい?』
『水って、 ははっ。俺は何食いたい?って聞いたんだけど·······本気で言ってんのか?···子供はもっとワガママ言っていいもんだっつの。んーと、んじゃクリームソーダとか飲める?は?飲んだことない?······くくく、じゃ飲んでみるか』
何で。
何で初対面の私に──。
初めて口にした白く冷たい球体の乗った緑の液体はパチパチと口の中で暴れて、ふわりと甘く溶けた。······奥様はおかしい·······美園家がオカシイ。
普通じゃない、俺と同じで全く違う。
腰まで長かった私の髪は肩より短くなって、両親に初めて貰った礼服の着物は私の体に合うパンツとタイ付きのベストに変わって、それを見た奥様は満開の秋桜のような笑顔で『いーじゃん。似合ってんじゃん』と言って······。
また馬車に乗り込む頃にはもう時間は夕方になっていた。
御子息は二人で次男の律花様はまだ五歳だったはず、他人のしかも従者と言う格下の子供を構っていていいのか。···従者から主へ勝手に物を言ってはいけない、それを思い出して口を噤む。
俺は勤仕に来てる。それを忘れてはいけない。
『楼透、そろそろ着くけど焔の事は気にすんな?』
?
当主を気にするなとはどういう事なのか。
それを理解するのは容易だった。
馬車が美園邸の敷地に入ると、奥様が内側からドアを開けようと手を出した瞬間に外側からバンッッと開け放たれた。夕陽に燃えるような赤髪が眩しく光る。
『はるかぁあぁあああ~~~♡寂しかったぁあぁああ♡』
ムギュゥゥゥゥ!!
奥様の小柄な体が鋼のような筋肉に覆われた腕によって消えた。
『黙れ。お前は自分の妻を殺す気か』
『······今夜、どうだ?』
『子供の前で何を言うか馬鹿が。いい歳した大人として恥を知れ、てかその頭ん中膿んでんじゃねぇか?脳ミソ散らして一回死んでこい』
初対面から口調は余り良くないと思っていた奥様は恐らく美園現当主だろう自分の夫に更に鋭い言葉を浴びせる。それでも旦那様は嬉しそうに奥様に頬を擦り寄せるのを見て、私はどうすれば良いのか困った。 旦那様は私が視界に入っていないのか奥様の猛攻を躱しながらより離すまいと拘束を強めている。
···挨拶はどうすればいいのですか?
仲介となってくれそうな奥様は手も足も出ない状況で、自分が発言するのも許されない状況で······こんなに規格外なのは初めてだ。
『こっち』
綺麗な声と共にカシャンと後ろのドアが僅かに開き体が傾くとその隙間から覗く大きな紅玉のような瞳と目が合った。小さな手が私の腕を掴むと弱く引かれる。しー、と言う声に導かれるように薄く開いたドアから体を抜け出すと私の腕を掴んだまま子供は走り出した。
はぁはぁと体力が無いのだろうか息の切れる音。
馬車から少し離れた所でくすくすと笑いが聞こえた。
『あぁなるとうちの両親長いからさ』
夕陽にキラキラと光る奥様譲りの光を持つ瑠璃色と振り返ったその瞳にドキリと心臓が跳ねた。どんな修行を繰り返してもここまで心臓が痛くなった事は無い。それなのに·······何なのだろうか、胸が揺れるようなこの感覚は···。
『俺は美園律花。お前と一歳違いなんだ!これからは俺の事をお兄ちゃんって呼んでもいいよ!よろしくな。楼透』
その笑顔はまるで露に濡れた大輪の薔薇の様で···。
『······申し遅れました。蓮楼透です。いたらぬ点があると思いますがこれからお世話になります。よろしくお願いします』
『そんな固くなるなよー』
『いえ、これからお仕えしますので』
何故自分の頬が熱くなったのかは分からない。
隠すために反射的に下げた頭も熱かった。
くしゃ。
『よろしくな!』
再び感じた頭の違和感。小さな手が私の頭に触れている。
·······この家は凄くオカシイ。
何で、普通に俺に触れられるんだ······。
「·······ろ、、と」
気づけば目の前に主である律花様がいた。
あぁ、解けてしまったんですね······。黒い無数の手によって拘束されている律花様を見て思う。本当にこれは嫌味な力だ···。
もう苦しさはない。
でもこの陶酔してしまいそうになる力に意識を保つのがやっとで、一瞬でも自我を渡せばこの闇に囚われる事など簡単。囚われてしまえば楽になるとは分かっている。それでも苦しそうに黒い手から逃れようと体をくねらせる律花様の姿を見れなくなるのは惜しい。二つの感情が螺旋を描く様に私の中を渦を巻く······。
「んっ、どこ触って──っ!」
黒い手は私の気持ちを理解したかのように律花様へ触れる。
私の濃紺色の着物を素肌に羽織っていた律花様は両腕を拘束されたことで着物の合わせから手を離し、その間からは雪のように白く美しい肢体が顕になっていた。着物の隙間から入り込んだ黒い手がその上をなぞる様に這う姿はとても艶やかで······。
いけない。あと一歩で囚われる所だった···。
何が“キー”になっているのかは凡そ予想出来る。いつからかこの力の存在を認識出来るようになっていた······そして私の想いに比例するように日に日にこの力は増していったのだから。私でさえ、制御が出来なくなる程に。
「·······良い眺めですね。だから言ったでしょう?」
「ろっ、んん!!·······お前、どうしちゃったんだよ!」
「どうしたも、こうしたも有りませんけどね」
幾ら頭の回らない人であっても、この状況と私の体に現れた痣を見れば自ずと分かるはず。もし分からないなんて言ったら家庭教師でも付けましょうか?
「『呪い』だろ?っ、ん······何で隠してっ」
「別に隠していた訳ではありません。当主と奥様には話をしてありましたしご存知でした。まさかこんなにも早く成就するとは私も思っていませんでしたけど」
「っ、じゃあ何で·······」
何でこんな事をするのか。
ビクビクと肢体を跳ねらせながら受け答える姿は何とも健気で嗜虐心を擽る。何故と言われても私には分からない。この黒い手達が何を持って、何をしようとしているのかはこの邪悪な力を顕著させる媒介となっている私でさえ分からないのだから。
だから、どうすれば貴方を逃がしてあげられるかさえ分からないんです。どうしようも無い、対処の仕様がない、私の意思で動かせるものでないから何も出来ない。
「貴方が此処へ来なければ良かったのに·······」
そうとしか言えない。
その気も無いのに自分を穢した最低な奴を追ってきた貴方が悪い。無理矢理入ってきて俺の心を乱したのは貴方で、私の事をまだ幼馴染で弟の様なものだと思ってるんでしょうがそんな浅はかな考えで私を連れ戻そうとした律花様が悪いんです。
「何も出来ない·······手段が無いんですよ。私は貴方に来て欲しくなくて私を連れ戻そうとした貴方を幾度となく拒絶したのに······!だと言うのに此処へ来てしまった貴方が悪い、もうどうしようもないんです·······諦めて、私と一緒に堕ちるしかない」
あぁ、本当に醜い自分が嫌になる。
好きな人が穢れていく姿が堪らなくなる。もう、どうにもならないんです。貴方が此処へ来てしまったのだから。私にはコレを抑えることなんて出来ない、貴方を助けてあげる事も出来ない。
「泣き言言ってんじゃねーよ。っ、お前と一緒に無理心中なんて俺は嫌だかんな!こんなとこで死にたくねーし、んん、勝手に無理とか決めつけて道連れにしようと思ってんなっ」
······まだ、そんな事言えるんですね。
手段が無いと言っているのが分からないのか。
「話せよ······全部。お前の話聞く限り、少なからず悪いと思ってるってのは分かった。っ、俺だって事情も知らずにここへ来たのは後悔してるよ!けど、言わなかったのはお前だ」
言わなかったんじゃない、言えなかった。
······言える訳がないでしょう。
蠢く黒い手は今にも律花様を呑み込んでしまいそうな程、増殖しざわざわと辺りを這い不規則な動きをしている。時折、敏感な皮膚を掠めるのかピクリと表情を震わせる姿を見せる律花様。
··········仕方がないですね。
私の気持ちを理解したかのように突然動きを止める邪悪な無数の手。······最後の情け、と言った所でしょうか。最後、自分で言ったにしてもその一言は解せませんが。
でも、もういい。
どちらにせよ終末を迎えてしまうのだから。
「···分かりました、少しだけ話しましょうか」
私は少し表情を崩した。
もう十年会っていない母は最後の日、俺にそう言いました。
···幼かった私はもう次はいつここへ帰ってこられるか分からないと言うのに、そんな自分と顔を向き合う事も無く背を向けたまま櫛で自らの長い髪を梳く母を見て子供ながらに私は嫌われているんだと改めて感じたのを今でも覚えている。
私は蓮家に生まれて四年。勤仕する働き先を探すにもまだ早いだろうし、人より物覚えが良く蓮家の技を既に一通り覚えているとはいえまだまだ修行が必要な身のはず。
·······それだけ俺が目障りなのか。
仕える先は美園家。遥か昔、魔王を葬った英雄の一族である五家の中『焔天』の血を継ぐ家だ。噂で現当主は五家の中で唯一、古来から伝わる規律を無視する等問題のある方だと聞く。その昔から五家に仕えていた蓮家ですが、美園家へ勤仕したいと志願した者はここ数十年居なかったはず。行ったことは無いが話に聞く限りそんな無法地帯のような家へと半強制的に送られる俺はこの家には要らないのだろう。
『お前が楼透か?』
早朝の冷たい風が吹く渡り廊下を通り、蓮の屋敷で唯一の洋室である応接間に一人の小柄な方が居た。淡い菫色の髪と例えるなら大粒の栗の実のような瑠璃の瞳、初対面でこの物言い······美園の当主?いや、それにしても帯びる魔力が儚げだ。
『俺は美園家当主、美園焔の代わりに来た美園遥河って言うんだが······焔との関係は一応、奥さん?て立場だな。···本当はその焔が迎えに来るはずだったんだが、久しぶりの休暇で息子から離れたがらなくて』
本当ごめんな。そう眉尻を下げてこれから家に仕える事になる格下の私に申し訳無さそうに手を合わせる姿に拍子抜けしました。この方が美園の奥様か···。
『お前髪長いなぁ。話は終わってっから家に行く前にちょっと寄り道してこう』
は?
奥様はくしゃりと私の頭を撫でた。
それから蓮の屋敷を離れた俺は美園本邸へ向かう馬車の中ずっと奥様の話を聞いていた。旦那様である当主の美園焔様の想定外な行動、一緒にいて嫌だった事、御子息を可愛がりすぎて仕事をズル休みした事。
その楽しそうに話をする姿が俺には······私には眩しすぎた。
奥様の言った寄り道は私の髪を切る事と服を買う事。私なんかに無駄遣いをしないで下さいと言うと、奥様はむっと怒ったような表情になり私の両頬を掴んでこう言った。
『無駄じゃない』
······無駄で無ければなんと言うのか。
有無を言わせないその迫力に私は何も言えず、奥様にされるがまま黙って後に着いて行きました。私には奥様の考えている事が分からなくて、人が多いからと手を繋いで、何故ここまでしてくれるのか分からなくて、········胸が苦しくなる。
『···楼透?』
『大丈夫か···?疲れたのか?お、ここ新しいじゃん。丁度いいか、ちょっと休んでいこーぜ。わ、何これめっちゃ美味そ』
『何食いたい?』
『水って、 ははっ。俺は何食いたい?って聞いたんだけど·······本気で言ってんのか?···子供はもっとワガママ言っていいもんだっつの。んーと、んじゃクリームソーダとか飲める?は?飲んだことない?······くくく、じゃ飲んでみるか』
何で。
何で初対面の私に──。
初めて口にした白く冷たい球体の乗った緑の液体はパチパチと口の中で暴れて、ふわりと甘く溶けた。······奥様はおかしい·······美園家がオカシイ。
普通じゃない、俺と同じで全く違う。
腰まで長かった私の髪は肩より短くなって、両親に初めて貰った礼服の着物は私の体に合うパンツとタイ付きのベストに変わって、それを見た奥様は満開の秋桜のような笑顔で『いーじゃん。似合ってんじゃん』と言って······。
また馬車に乗り込む頃にはもう時間は夕方になっていた。
御子息は二人で次男の律花様はまだ五歳だったはず、他人のしかも従者と言う格下の子供を構っていていいのか。···従者から主へ勝手に物を言ってはいけない、それを思い出して口を噤む。
俺は勤仕に来てる。それを忘れてはいけない。
『楼透、そろそろ着くけど焔の事は気にすんな?』
?
当主を気にするなとはどういう事なのか。
それを理解するのは容易だった。
馬車が美園邸の敷地に入ると、奥様が内側からドアを開けようと手を出した瞬間に外側からバンッッと開け放たれた。夕陽に燃えるような赤髪が眩しく光る。
『はるかぁあぁあああ~~~♡寂しかったぁあぁああ♡』
ムギュゥゥゥゥ!!
奥様の小柄な体が鋼のような筋肉に覆われた腕によって消えた。
『黙れ。お前は自分の妻を殺す気か』
『······今夜、どうだ?』
『子供の前で何を言うか馬鹿が。いい歳した大人として恥を知れ、てかその頭ん中膿んでんじゃねぇか?脳ミソ散らして一回死んでこい』
初対面から口調は余り良くないと思っていた奥様は恐らく美園現当主だろう自分の夫に更に鋭い言葉を浴びせる。それでも旦那様は嬉しそうに奥様に頬を擦り寄せるのを見て、私はどうすれば良いのか困った。 旦那様は私が視界に入っていないのか奥様の猛攻を躱しながらより離すまいと拘束を強めている。
···挨拶はどうすればいいのですか?
仲介となってくれそうな奥様は手も足も出ない状況で、自分が発言するのも許されない状況で······こんなに規格外なのは初めてだ。
『こっち』
綺麗な声と共にカシャンと後ろのドアが僅かに開き体が傾くとその隙間から覗く大きな紅玉のような瞳と目が合った。小さな手が私の腕を掴むと弱く引かれる。しー、と言う声に導かれるように薄く開いたドアから体を抜け出すと私の腕を掴んだまま子供は走り出した。
はぁはぁと体力が無いのだろうか息の切れる音。
馬車から少し離れた所でくすくすと笑いが聞こえた。
『あぁなるとうちの両親長いからさ』
夕陽にキラキラと光る奥様譲りの光を持つ瑠璃色と振り返ったその瞳にドキリと心臓が跳ねた。どんな修行を繰り返してもここまで心臓が痛くなった事は無い。それなのに·······何なのだろうか、胸が揺れるようなこの感覚は···。
『俺は美園律花。お前と一歳違いなんだ!これからは俺の事をお兄ちゃんって呼んでもいいよ!よろしくな。楼透』
その笑顔はまるで露に濡れた大輪の薔薇の様で···。
『······申し遅れました。蓮楼透です。いたらぬ点があると思いますがこれからお世話になります。よろしくお願いします』
『そんな固くなるなよー』
『いえ、これからお仕えしますので』
何故自分の頬が熱くなったのかは分からない。
隠すために反射的に下げた頭も熱かった。
くしゃ。
『よろしくな!』
再び感じた頭の違和感。小さな手が私の頭に触れている。
·······この家は凄くオカシイ。
何で、普通に俺に触れられるんだ······。
「·······ろ、、と」
気づけば目の前に主である律花様がいた。
あぁ、解けてしまったんですね······。黒い無数の手によって拘束されている律花様を見て思う。本当にこれは嫌味な力だ···。
もう苦しさはない。
でもこの陶酔してしまいそうになる力に意識を保つのがやっとで、一瞬でも自我を渡せばこの闇に囚われる事など簡単。囚われてしまえば楽になるとは分かっている。それでも苦しそうに黒い手から逃れようと体をくねらせる律花様の姿を見れなくなるのは惜しい。二つの感情が螺旋を描く様に私の中を渦を巻く······。
「んっ、どこ触って──っ!」
黒い手は私の気持ちを理解したかのように律花様へ触れる。
私の濃紺色の着物を素肌に羽織っていた律花様は両腕を拘束されたことで着物の合わせから手を離し、その間からは雪のように白く美しい肢体が顕になっていた。着物の隙間から入り込んだ黒い手がその上をなぞる様に這う姿はとても艶やかで······。
いけない。あと一歩で囚われる所だった···。
何が“キー”になっているのかは凡そ予想出来る。いつからかこの力の存在を認識出来るようになっていた······そして私の想いに比例するように日に日にこの力は増していったのだから。私でさえ、制御が出来なくなる程に。
「·······良い眺めですね。だから言ったでしょう?」
「ろっ、んん!!·······お前、どうしちゃったんだよ!」
「どうしたも、こうしたも有りませんけどね」
幾ら頭の回らない人であっても、この状況と私の体に現れた痣を見れば自ずと分かるはず。もし分からないなんて言ったら家庭教師でも付けましょうか?
「『呪い』だろ?っ、ん······何で隠してっ」
「別に隠していた訳ではありません。当主と奥様には話をしてありましたしご存知でした。まさかこんなにも早く成就するとは私も思っていませんでしたけど」
「っ、じゃあ何で·······」
何でこんな事をするのか。
ビクビクと肢体を跳ねらせながら受け答える姿は何とも健気で嗜虐心を擽る。何故と言われても私には分からない。この黒い手達が何を持って、何をしようとしているのかはこの邪悪な力を顕著させる媒介となっている私でさえ分からないのだから。
だから、どうすれば貴方を逃がしてあげられるかさえ分からないんです。どうしようも無い、対処の仕様がない、私の意思で動かせるものでないから何も出来ない。
「貴方が此処へ来なければ良かったのに·······」
そうとしか言えない。
その気も無いのに自分を穢した最低な奴を追ってきた貴方が悪い。無理矢理入ってきて俺の心を乱したのは貴方で、私の事をまだ幼馴染で弟の様なものだと思ってるんでしょうがそんな浅はかな考えで私を連れ戻そうとした律花様が悪いんです。
「何も出来ない·······手段が無いんですよ。私は貴方に来て欲しくなくて私を連れ戻そうとした貴方を幾度となく拒絶したのに······!だと言うのに此処へ来てしまった貴方が悪い、もうどうしようもないんです·······諦めて、私と一緒に堕ちるしかない」
あぁ、本当に醜い自分が嫌になる。
好きな人が穢れていく姿が堪らなくなる。もう、どうにもならないんです。貴方が此処へ来てしまったのだから。私にはコレを抑えることなんて出来ない、貴方を助けてあげる事も出来ない。
「泣き言言ってんじゃねーよ。っ、お前と一緒に無理心中なんて俺は嫌だかんな!こんなとこで死にたくねーし、んん、勝手に無理とか決めつけて道連れにしようと思ってんなっ」
······まだ、そんな事言えるんですね。
手段が無いと言っているのが分からないのか。
「話せよ······全部。お前の話聞く限り、少なからず悪いと思ってるってのは分かった。っ、俺だって事情も知らずにここへ来たのは後悔してるよ!けど、言わなかったのはお前だ」
言わなかったんじゃない、言えなかった。
······言える訳がないでしょう。
蠢く黒い手は今にも律花様を呑み込んでしまいそうな程、増殖しざわざわと辺りを這い不規則な動きをしている。時折、敏感な皮膚を掠めるのかピクリと表情を震わせる姿を見せる律花様。
··········仕方がないですね。
私の気持ちを理解したかのように突然動きを止める邪悪な無数の手。······最後の情け、と言った所でしょうか。最後、自分で言ったにしてもその一言は解せませんが。
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「···分かりました、少しだけ話しましょうか」
私は少し表情を崩した。
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