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プロローグ
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俺は隣を歩く少女── 三浦瑠花を好いている。
瑠花とは幼稚園からの幼馴染。そして高校まで同じ道を歩んできた、半ば腐れ縁ともいえる関係。
そんな瑠花に恋心を抱き始めたのはいつだったのだろうか。思い返してみれば、それは多分、俺が中学の時だった気がする。
彼女はただの幼馴染で、ただの仲が良い友達。ただ性別が違うだけ。そんな風にすら思っていたのは小学生の時。しかし、健全な男子中学生に訪れる、思春期という名の恋煩いは、俺の考えを改めた。
彼女を見て心が熱くなる気持ち、彼女を考えると靄がかかるように頭が白くなる気持ち、それがすぐに恋だと気づけば、俺の運命も変わっていたのかもしれない。
何故なら、俺が付き合ったのは三浦瑠花ではなく、中学から知り合った同級生──黒谷愛羽だったからだ。
俺は今考えてみても、あいつからの告白に首を縦に振ってしまった自分が憎い。いや、首を縦に振らざるを得なかったと言う方が正しいだろうか。
あいつは真面では無かったのだ。過度な束縛、周りへの嫌がらせ。そして別れた後にも続いたストーカー行為。
それが好きな相手からの行動であれば、まだ惚気話にでも昇華できようが、別れてからは苦痛そのものでしかなかった。特に、瑠花に向けられた嫌がらせは目に余るものだった。
だからこそ、俺は瑠花への敵意を逸らすため、1ヶ月前までは瑠花と連絡さえ、目を合わす事さえ控えてきた。
俺は瑠花への恋心があったからこそ、好きだったからこそ、彼女を避けた。それがどれ程までに辛かったか。
しかし、そんな状況も変わった。
それは、愛羽が死んだ事に起因する。
交通事故、不慮の事故だった。
俺にだって道徳心はあるし、手放しで喜ぶ事は出来なかった。しかし、ホッと胸を撫で下ろしたのは事実。昨日まで続いていた胃の不調がスッキリ治ったのも、これもまた紛れもない事実であった。
そうして3年近く続いたストーカー行為と嫌がらせは唐突に終了した。
そんな理由もあり、俺は瑠花とこうして一緒に下校できているのだ。
俺と瑠花が一緒に下校できるようになったのは1ヶ月程前。最近、俺が彼女を下校に誘った時、ドキドキが止まらなかった。
初めは互いに戸惑い、口数も少なかったのだが、今では以前のように気兼ねなく、楽しく会話ができるようになった。
「今日の体育大変だったね。私、持久走の練習が1番嫌いなんだよね~」
「午後の授業初っぱなで5キロ走らされるのはキツいよな。俺は脇腹痛くなるのが嫌だから、昼食抜いたしな」
「え、お腹空かないの? お昼抜くのは体に悪いよ」
「いや、そうなんだけどな。腹痛くなるの辛すぎて」
何の変哲もない普通の会話。
俺としては、瑠花と話せるだけで嬉しいし、今の関係で満足しかけている自分もいる。
だけれども、この恋心をそのままにしておくのは、精神的なダメージが大きい。
なんたって、今はもうあいつだっていないのだから。ここでその恋心を心中に抑えておく必要もないのだ。
こんな優柔不断な俺に、瑠花が愛想を尽かす前に、早く告白しなければならない。そんな事は分かっているのだが、生来の女々しさがそれを拒む。
明日、明日こそ、明日こそ絶対に告白しようと考えて、こうして1ヶ月も経過しているのだから、救いようもない。
そんな事を頭の片隅で考えながら、瑠花と話していれば、見慣れた一軒家が住宅街から顔を覗かせる。
それは小学生までよく通っていた彼女の実家。
その家の姿が目に入れば、俺と彼女との下校時間も終了する。
「また明日ね~」
「あぁ、またな」
こうして何でもない別れの挨拶を交わす訳だが、俺の頭には、明日こそ告白してみせようという意気込みが湧いている。しかし、そんな大層な意気込みも今回で記念すべき20回目。
「ふぁ、今日もダメだったか」
そうして記念すべき20回目の後悔の言葉を漏らす。
幼い頃、瑠花に誘われておママごとをする事が多かったり、植物博士を目指す程に草花が好きだったりと、男の友人からは、女の子みたいだと揶揄われる事が多かった。
俺はその茶化しが半分コンプレックスであったし、少しは男っぽい趣味も作ったのだが、ここまで自分の往生際が悪いと、やはり女々しさを感じざるを得ない。
だが、そんな後悔も、何でもない1日の一幕に過ぎなかった。
普段なら苦笑いで、明日頑張れば良いやと漏らして終わる、何でもない1日の筈だった。
だが、そんな何でもなかった筈の1日は、日付が変わる前にも、唐突に終わろうとしていた。
反対車線を猛スピードで激走する一台の自動車。最初それを見たとき、何て危険な運転をするのだろうと訝しげな表情を向けるだけだった。
もしその時、すぐに別の道に逃げていれば、運命も変わった事だろう。しかし、俺はただ歩道の端に寄るだけだったのだ。
そうすればその自動車は、まるで俺を轢き殺さんと欲するように、進行方向を変えてきた。
俺はさらに眉間のシワを深くする。運転手の意図が理解できなかった。
まるで意図的に歩道に突っ込むように運転する人間の心情など、理解できる筈がない。
俺は一歩後ずさる。
目の前に迫る大きな鉄の塊に、俺の腰は引けていた。
嘘だろう。何で、何がしたいんだ。
そう考えたところで、猛進する車が止まる訳がない。
そうして、フロントガラスの向こうに見える、運転手の顔が鮮明に見えてしまう程に、俺と車の距離は一気に縮められていた。
運転手の顔は、おおよそ人間のものには見えなかった。
こちらを睨むように、だけれども口元はニヤリと笑っている。薄気味悪い、単純にそう感じた。
あぁ、死ぬ。あぁ、殺される。
嫌に遅く進む時間の中、せめてもの抵抗と、俺は頭を守るように腕を顔の前に出し、目を瞑り斜め下を向いた。
刹那、全身に一気に衝撃が加わる。まるで急加速で降下するジェットコースターに乗った時のような負荷が、全身を駆け巡った。
だが、不思議な事に痛みは感じない。
それに、思考もやけに爽快だった。
どうなった? 死んだのか? 何が起きたんだ? 俺はどうなっている? 殺されたのか?
頭の中はそんな疑問符で満たされている。
俺は閉じていた目蓋をゆっくり開く。
そうして腕越しに見えたのは、真っ白な壁。いや、壁というか、腕の肌色以外、全てが白だった。
ゆっくりと腕を下げ、顔を上げる。
体に痛みはない。それどころか、俺は普通に真っ白な地面に立っているのだ。
もしあの車と正面衝突していれば、はるか後方に吹っ飛ばされた筈なのだが、俺は今もぶつかる前の体勢のまま、平然と立っているのだ。
だが、辺りは全て真っ白だった。床と壁の境界線も曖昧で、まるで宙に浮いているようで。俺はそんな不思議空間で立ち尽くしている。
「し、死んだのか...」
俺はそう直感した。あんな出来事の後に見た空間が、救急車の中でも、病室の中でもなく、真っ白な中であれば、そこが死後の世界なのではと感じざるを得なかったのだ。
こうして、普段よりやけに落ち着いている自分自身を感じて、死後の世界という陳腐な推理の信憑性も増してくる。
「花尾樹さん」
突如、後ろから声が聞こえていた。
その声は俺の名前を呼んでいる事もあり、俺はビクリと肩を震わせながら、恐怖とともに、身構えるようにして体を翻した。
だが、そんな俺の恐怖心も、身構えた体勢も、暖簾に腕押し。なんと、振り返った先にいたのは、淑やかな女性の姿だったのだ。
女性は柔らかな笑みを浮かべ、両手を胸の前で合わせている。そんな姿からは敵意や害意は全く感じない。
それに目の前の女性は、まるで天女のように美しい。それこそ人間離れした美しさだった。白金の髪に、サファイアのような目、肌は白く、真っ白な壁と同化してしまうのではと思う程。
俺はそんな女性に言葉を失う。
惚れたという訳ではない、その神々しいまでの美しさに、言葉をかけるのも躊躇われたのだ。
「驚かせてしまいましたね。申し訳ございません。私の名前はフューエンエリア。パラマンという世界の創造者であり、花尾様をこちらへ呼んだ張本人でございます」
彼女がそう話せば、甘い花の香りがフワリと漂ってくる。話口調にも品があるせいか、ひどく穏やかな気分になる。
「あの、私は、死んだのでしょか?」
「はい、そうですね。花尾様は亡くなられました。そうなれば本来、死後の世界に向かい、輪廻転生を繰り返しますが、花尾様には大切なお願いがあり、私の元へ来ていただきました」
フューエンエリアと名乗る目の前の女性は、有り体に言えば、神様のようなものなのだろう。
それに、俺が死んだというのも、本当の事なのだろう。
こうして不思議空間で、不思議な女性から、不思議な事を言われているのに、俺の心は全く波が立たず、素直にフューエンエリアの言葉を受け入れてしまっている。
「重ね重ね申し訳ありません。亡くなられた直後、精神はひどく不安定になります。それ故に、花尾様には混乱を回避するため、精神安定の魔法を勝手ながら施してしまいました。どうかご了承下さいませ」
俺の心情が顔に出ていたのか、察したような表情で彼女はそう申し出た。
その話を聞けば、こうしてやけに落ち着いている自分は、その魔法とやらの影響を直に受けているのだと理解できた。
実際、今飛び出した、魔法というとんでもワードも、すんなり理解できたのは、彼女の魔法のお陰なのだろう。
「その、私が貴方の元へ呼ばれた理由とは何でしょうか?」
「率直に申し上げますと、私の創造した世界、パラマンを救っていただきたいのです」
「救うですか?」
「はい、パラマンには複数の国があり、以前から戦の絶えない日々が続いておりました。そのため、花尾様には我が信徒の国、ネルバイン王国へ転生して頂き、パラマンをネルバイン王国の元に統一して頂きたいのでございます」
そう物憂げに話す女性。その姿は子を思う母のように優しく、俺の庇護欲を掻き立てる。
だが、俺に何の力があるのだろうか。俺は運動神経も学力も平凡。人より優れていると思える部分は皆無。
それにだ、女性の言葉を考えると、俺はその異世界で戦争に巻き込まれるに違いない。いや、巻き込まれるどころか、目的から考えれば、俺が率先して戦争に加わる羽目になるのだろう。
喧嘩はおろか、口喧嘩すら苦手としている俺が役に立てる訳もない。それに、殺生など真っ平ごめんだ。
「理由は分かりましたが、私である必要はないと思います。私は特に優れているところはありませんし、それに戦争なんて恐ろしくて」
「花尾様でなくてはならない理由はございます。それは魔力量です。魔力のない地球で暮らしていれば感じる事はないかと存じますが、花尾様の魔力量はパラマンの賢者を超えているのです」
女性は俺の目を真正面からジッと見つめ、真剣な口調でそう話す。
「ですが、戦争を恐ろしく感じる気持ちも、忌避する気持ちも深く理解しております。しかし、花尾様がいなければ、より多くの人が命を落とすでしょう。いや、最悪、パラマン自体が崩壊し、全ての者が命を落とす事にもなりましょう」
顔を落とし、暗い表情でそう語るフューエンエリア。
「花尾様には、私の力の一部を差し上げます。そして、私の悲願を叶えて下さった暁には、花尾様の願いを1つ叶える事を約束いたします。永遠の命でも、使い切れぬ程の金銀財宝でも、花尾様自身が神の座に就く事でも、どのような事でも構いません」
フューエンエリアからは縋り付くような必死さが窺える。
そんな彼女を見て、俺は頭を軽く掻き、小さなため息を吐いた。
死んでしまった以上、残された道は彼女の言うように、パラマンという異世界で戦うか、彼女の言葉を拒否して死後の世界に向かい輪廻転生するか。まぁ、後者を選べるような状況には思えない。
だけれども、俺としては彼女の言った、願いを叶えてくれるという言葉に心惹かれてしまったのだ。
もし、何でも1つ願いを叶えてもらえるのならば、既に願いは決まっている。そしてその願いが叶えられるかどうか、彼女に聞いてみる他ない。
「願いを1つ叶えて下さると仰いましたが、それならば、時間を巻き戻し、地球で生きていく事も可能ですか? 例えば、私は今17歳ですが、12歳の頃からやり直すとかです」
俺は恐る恐るそう尋ねてみれば、女性は少し寂しそうな表情を見せたかと思えば、ゆっくりと頭を縦に振った。
「可能です。花尾様が亡くなられた日の朝からでも、はたまた生まれた直後からでも、花尾様はやり直す事が可能でございます」
「そう、ですか...」
俺の願いは1つだった。
人生をやり直して、今度こそ瑠花に告白して幸せになりたい。俺が優柔不断なせいで、こうして死ぬまで彼女に告白できなかった。
それならば、その異世界パラマンで少しでも成長して、今度こそは好きだと伝えてみせる。そんな風なやる気に満ちた決意とともに、半ば諦め半分でそう決心した。
多分、ここで女性のお願いを無碍にする事は許されないだろう。それならば、少しでもポジティブに考えなければという発想だ。
「分かりました。私が異世界で戦います」
俺は一呼吸起き、力強い視線を送りながら、彼女にそう伝えた。そうすれば、彼女も嬉しそうに微笑んでみせた。
そうして転生についての説明と、準備が行われる運びとなった。
俺は年齢も容姿も、記憶までもそのままに転生されるようだ。
そして俺の体にはフューエンエリアからの魔法が施され、筋力や魔力が向上したらしい。
その魔法が施された証に、俺の右肩に、青白く光る小さな魔法陣があった。この魔法のおかげで、言語の壁も取り払われるようだ。
そうして順調に準備が進められ、ようやく転生の時がきた。
フューエンエリアは、俺に柔らかな笑みを送りながら、感謝の言葉を述べた。
「花尾様のご好意、大変痛みいります。誠にありがとうございました」
「いえ、私がパラマンを救う事ができるか分かりませんが、頑張りたいと思います」
「花尾様ならばと、私は信じておりますよ」
「ありがとうございます」
俺は照れ隠しで首の後ろを触ってみせれば、フューエンエリアはクスリと笑った。
「それでは、ネルバイン王国に転生いたします。そうなれば、私が花尾様に施した、精神安定の魔法も切れてしまいます。ですが大丈夫です。ネルバインの信徒たちは花尾様に誠心誠意尽くしてくれるでしょう。ですから、どうかお気をつけて」
「はい...」
その言葉を最後に、俺の目の前は一気に青白い光に包まれた。光は煌々と輝いているのだが、不思議な事に眩しくはない。
そんな光に数秒間視線を遮られた後、目の前に現れたのは、こちらに向かって跪く大勢の人々だった。
俺が立っているのは、どこか大きな建物の中にある、台座のような場所。建物の内部は、まるでテレビで見た大聖堂のような荘厳な雰囲気で満たされている。
大きなステンドグラスからは、色とりどりの光が内部に差し込み。目の前で俯く白い法衣を着た集団を照らしていた。
「勇者様、顔を上げる事をお許し下さい」
突然男性の声が辺りに響き渡った。多分、俯いている人達の誰かだろう。その低く威厳のある声に、俺の心臓は鼓動を早くする。
フューエンエリアが言っていたように、今になって俺の動揺は激しくなってくる。
だけれども、俺は震える足でしっかりと地を踏みしめ、この言葉に反応した。
「顔を上げて下さい」
そんな俺の辿々しい言葉に反応し、一斉に顔が上がった。何百もの顔がこちらを見つめてくる光景は、非常に物々しい。
「お初にお目にかかります、勇者様。私はネルバイン王国16代目国王、ネーデルリント・オン・フルスバロンでございます」
「は、初めまして、花尾樹と申します。よろしくお願いします」
こんな会話は初めてだ。なんせ、国王などと名乗る人物に挨拶され、どう返すのが正しいのかなど分かる筈もない。
俺はなるべく差し障りのないように答えてみせれば、続々と他の人達も挨拶の言葉を述べていく。
やれ王太子だとか、やれ騎士団長だと、はたまたフューエン教教皇だとか。どれも名前は長ったらしく、到底覚える事はできない。
そうした長い挨拶の後、拝剣の儀というものが執り行われる事となった。拝剣の儀とは名前のままで、勇者の剣という大層な名前の剣を、勇者に授ける儀の事だ。
その儀では、装飾が施された豪華な直剣を、国王であるネーデルリオンから手渡される事となる。
重そうに両手で持たれた剣を渡された訳なのだが、フューエンエリアからの魔法の効果もあってか、さほど重く感じなかった。
その後は、「勇者様はお疲れでございましょう。本日はゆっくりとお休み下さいませ」というネーデルリオンからの言葉もあり、翌日まで、用意された自室でゆっくりと寛ぐ事となった。
自室は豪華絢爛。三つ星ホテルのスイートルームなど鼻で笑える程に金や銀の派手な装飾が施され、価値は分からないが、高級そうな絵画や骨董品が並べられていた。
だが、リラックスよりもストレスが勝つ。それというのも、この甚だデカすぎる自室の事もそうだが、風呂や着替えは全て執事やメイドと呼ばれる人々に手伝ってもらわなければならないからだ。
立っているだけで体が洗われ、少し動くだけで着替えも済ませられるのだから楽に思えるが、恥ずかしさもそうだが、プライベートが感じられず精神的に辛い。
その後は夕食となるのだが、これまた食べ切れない量のご馳走が提供されたのだ。
そりゃぁ、霜降りまくりのステーキとともに、鶏のローストがまるまる1匹出されたら、胃もたれどころか、食べ切れる訳もない。
それに初日の緊張も相まって、あまり喉を通らなかったのが悔やまれる。
そうして初日が終わり次の日になった。
2日目には勉強会が開かれ、魔法についての知識や、この世界の歴史、魔物について聞かされた。
また魔物という生態は興味深く、心臓が魔石と言われる鉱物でできており、性交して子を育む訳でなく、『魔力溜まり』という特定の地域で自然に誕生するとの事だった。
そんな驚きの知識の数々を聞かされた日の夜は、国王であるネーデルリオンとの食事会が行われる事となり、その時間までの1時間程、部屋で1人になる機会があった。
そんな1人の時間は、俺に孤独感と焦燥感を与えるに十分だった。
2日目で、ある程度周りが落ち着いてきたというのも、現実を受け入れるのに満足な余裕を俺に与えている。
ご飯前だというのに、俺はベットに寝転がり、服にシワをつけながら、毛布に包まっていた。
俺は高い天井に向かい、当て付けのように大きなため息を1つ。
だが、このやけに広い部屋では、そんな大きなため息さえも外に漏れる事はない。
この世界には誰も知り合いがいない。
家族でさえも友人でさえも、そして幼馴染でさえも。そして待っているのは戦争だ。血や泥に埋もれる事になるのだろう。
帰りたい。率直にそう感じた。
辛い、苦しいと素直にそう感じた。
昨日の脂っこい料理が原因という訳ではないだろう胃痛が俺を襲っている。
せめて、見知った誰かと会う事ができれば、こんな孤独感も焦燥感も紛れるのかもしれないが、それは絶対に叶わない。
こんなちっぽけな俺が何の役に立つのだろうかと、半ば八つ当たり気味にフューエンエリアの顔を思い浮かべる。
俺の身には相応しくない大きなベットに大きな部屋。それに対して俺の心も体も小さ過ぎるのだ。
そんは暗い気持ちになれば、俺の目蓋も重くなる。そうしてゆっくりと、逃げるように目蓋を閉じてみたのだが、気がついた時には、焦るような執事の声が、俺の耳に突き刺さる事になった。
「ゆ、勇者様! 勇者様! 起きて下さいませ! 夕食のお時間でございますよ!」
俺はいつの間にか寝てしまっていたようだ。
俺の寝ぼけた頭は、その言葉の意味を直ぐに理解できなかったのだが、焦る執事の様子に急かされ、布団をバッと体から引き剥がし、上半身を起こした。
「え、えっと、誰って、あぁ、夕食でしたね!」
異世界に来てまだ2日目。何故夕食でこんなにも焦らされているのかを理解できず、そして俺を起こす執事の顔もすぐには思い出せず、頓珍漢な声を出してしまう。
しかし少しして、そういえば国王と夕食を食べる事になっていたのだと思い出した俺の額には、じわりと汗が浮かんでいた。
着崩れた服を着替えさせられ、急ぎで夕食会を行う部屋に向かう事になる。
予定の時間を少し過ぎている事もあり、全ての使用人に焦りの色が見えた。
俺は何度も謝ったのだが、俺が勇者だからだろうか、謝る度に逆に謝罪し返され、歯痒い気持ちになる。
そうして夕食会の部屋に到着し、扉が開けられたと同時に、俺はすぐに国王に対して謝罪の言葉を述べた。
「ネーデルリオン様、お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」
俺が焦った様子で部屋に入ってきたのを見たネーデルリオンは、椅子から立ち上がると、朗らかな笑みを浮かべながら俺を出迎えた。
「いえいえ、勇者様の心労は計り知れません。私も急かしてしまったようで申し訳ありませんでした。それに、ネーデルリオン様と堅苦しくお呼びになる必要もございませんよ。私めなど、ネーデルとお呼び下さいませ」
そう言ってゆったりとした足取りで俺の目の前に足を進めるネーデル。
そんな彼の後ろには、輝かしい程に美しい金色の髪を携えた、俺と同年代の少女が控えていた。瞳は青く、背は低いものの、どこか大人びた雰囲気を感じる。
それというのも、彼女の立ち居振る舞いや、その金の髪をフワリと揺らしている様が、非常に艶めかしく感じたからだ。
「あぁ、それに、この度の夕食会に際しまして、私の方もお詫びしなければならない事があるのです。こちらは私の娘、マリアレンと申しますが、ぜひ勇者様と誼を結びたいと聞かないものでして、誠に勝手ながら、マリアレンも夕食会に参加させてやりたく存じます」
俺が彼女に向けた視線に気がついたようで、ネーデルは申し訳なさそうな表情をしているものの、どこか嬉しそうな口調でそう語った。
「私は大丈夫ですよ。夕食は大勢で食べた方が美味しいですから」
俺としても断る理由もない。
だからこそ、マリアレンが夕食に参加する事をすぐに了承すれば、彼女は嬉々とした表情で俺の前へ一歩歩み出た。
「私の名前はマリアレン・オン・フルスバロンと申します。マリアと呼んで下さると恐縮です。この度は、予告もせずに夕食会に参加してしまった事、大変申し訳なく思います。けれども、こうして一目勇者様にお会いできたこと、誠に嬉しく感じております。どうかよろしくお願いいたします」
「はい、マリア。こちらこそよろしくお願いいたします」
俺は今日の昼の勉強会で習った、このネルバイン王国流のお辞儀をしてみせれば、ネーデルもマリアも嬉しそう笑ってくれた。
そうして始まった夕食会だが、終始和やかな雰囲気で進んだ。
そして話題になったのは、俺の前世の話。
地球、ないしは日本について話してみれば、2人はとても興味深そうに俺の話を聞いていた。
「ほぉ、魔法もないというのに、鉄の塊が空を飛ぶとは、また奇妙なものですな」
「それに、民主主義というのは面白いものですわね。勇者様の話を聞く限り、このネルバインよりも豊かな国のように感じます」
「ははは、マリア、そうなれば我ら王族は必要なくなってしまうではないか。だが、勇者様の国は以前は我らのように王政だったと聞くし、これも世の習いというものなのやもしれませんな」
「そうかもしれませんが、ネルバイン王国もとても豊かな国のように感じています。それに私の世界には魔法がありませんでしたし、魔法が使える貴族や王族が、絶対に必要になってくるでしょう。ですから、私の世界のように王政が廃れるかどうかは分かりませんよ」
「勇者様にそう言っていただけるのは心強い」
この世界では、地球でいう科学技術の代わりに魔法技術のようなものがあるようで、そんな魔法は王族や貴族だけが使える特権のような物らしいのだ。
だからこそ、国の発展や維持には王族や貴族は必要不可欠だし、俺としても、どんなに時代が進もうとも、彼らの力は必要になってくるように感じられたのだ。
「ふふ、勇者様のお話を聞いていたら、私もニホンに行ってみたく思いました。その、生魚は食べた事がありませんが、ぜひオスシというものが食べてみたいです」
こんな風に、地球や日本の話で盛り上がったのだが、それから1時間程して、食事会も終盤、デザートが出された頃、話題は俺の配偶者の話に移ったのだ。
「なるほど、勇者様は配偶者がおられなかったのですね。それは安心いたしました」
俺に配偶者がいたと思っていたネーデルは、驚いたような表情でそう語った。
それというのも、彼は現在34歳。娘のマリアは17歳。マリアは長女と聞いたし、第一子を17歳で産んだ事になる。
彼の嫁である、現在の王妃は彼の2歳下で、15歳でマリアを産んだという事らしい。
異世界パラマンではこれが常識らしく、現代日本で生まれ育った俺からすれば、信じられないことだ。
だからこそ、今年で17の俺も、配偶者がおり、子供までいたのではと心配されたのだ。
「私の国では、男が結婚できるのは18歳からでした」
「なるほど、そういう決まりがあったのですね。なれば、意中の女性はおられなかったのですか?」
意中の女性というのは好きだった女性の事だろうか。俺は頭の中で直ぐに瑠花の事を思い描き、そのままその事実を言葉に表した。
「1人だけおりました」
「なるほど、そうだったのですか。それは心残りがございましょう」
そう言ったネーデルは、ちらりとマリアの方に目線を向けた。そんな目線の先にいたマリアは、寂しそうな重い表情をしていた。
何か不味い事を言ってしまったのだろうかと、俺は目線を彷徨わせていれば、デザートを食べ終えたネーデルが1つの提案を持ち出してきた。
「今日は両思いの日と言いまして、夜空に輝く2つの大きな星が重なる日なのでございます。夫婦に例えられるその2つの星が交わるもので、意中の恋仲にある異性は、こぞってその瞬間を目にするものなのです」
「なるほど、両思いの日ですか」
確かに昨日の夜、夜空に2つの月のような大きな星を見た。
1つは緑色でもう1つが赤色で。緑色の星は、赤色の星を追いかけるようにして夜空を進んでいた。
それが夫婦に例えられるのなら、その2つの星が重なる瞬間を、カップルが見たいと考えるのも理解できる。
「この両思いの日は1年に1度。既に外には複数の者達がその瞬間を待っている事でしょう。それで提案なのですが、勇者様にはマリアと一緒にその星を見てほしいのです」
「わ、私がですが!?」
俺は考えもしなかった提案に、思わずマリアの方に目をやった。少し頬を赤くして、恥ずかしそうに俯いている彼女。
もし、マリアが俺とその星を見る事を望んでいるという事は、彼女にもその気があるという事だろうか。
「マリアは星が重なる瞬間を見るのが好きだったのですが、恋人同士が見ている中で、婚期のマリアが1人で見ているというのは、外聞が悪いものなのですよ」
「あぁ、なるほど、そういう事だったのですか」
微笑みながらそう語るネーデルに、マリアは耳まで赤くしながら、顔を隠すようにさらに俯いた。
「それに、勇者様もこれから、他の貴族の娘方に誘いを受ける事になるでしょうから、マリアと一緒にいた方がよろしいと思います。存外、勇者様が思っているより、勇者様に恋心を抱いている女性は多いのですから」
ニヤリと悪巧みをするように笑ってみせたネーデルに、俺は苦笑いを浮かべながら頷いた。
「そういう事でしたら、ぜひ私がお供しましょう。その、両思い日を見てみたいですしね」
「そう言って下さるのは有り難い。ほら、マリア」
「は、はい、ありがとうございます。勇者様」
マリアはネーデルに促され顔を上げれば、頬を赤くして目線を外しながらも、辿々しく感謝の言葉を述べた。
そうして夕食会も終われば、俺はマリアに案内され、王城にある一際高い塔に案内された。
そうすれば、先程よりも2つの星が近くに感じる。緑色の星と赤色の星は煌々と輝き、その輪郭を微かに触れ合うように位置している。
2つの色が異なる大きな星というのは、日本人の俺としては非常に興味深く、その美しい光景に思わず見入ってしまった。
俺は手摺りにもたれ掛かるようにして、上を見上げていれば、隣のマリアも一歩前に出て、手摺りに手を置いた。
そんな彼女は、先程とは打って変わって、落ち着いたゆっくりとした口調で話し始めたのだ。
「勇者様は、ニホンにおれらた時の恋人の事を、今も好いているのですか?」
その言葉を聞き、俺の頭には瑠花の笑った顔が浮かぶ。
「はい、そうですね」
「その、お名前というのは?」
「三浦瑠花って言いまして、幼馴染みだったのです」
「そう、ですか」
震えるように、吐き出すようにそう話したマリアに、俺は星の事など忘れて、彼女の方に顔を向けた。
彼女は星を眺めるように上を向きながら、物憂げな表情をしていた。どこか泣きそうな、辛い顔をしている。
「実は、私は、勇者様に一目惚れをしてしまったのです。見た瞬間に、まるで心臓が炎に焼かれるように苦しくて、それがすぐに恋だと分かったのです」
俺はマリアの言葉を聞き、逃げるように目線を逸らし、そして再び星々に注目した。
彼女の苦しそうな言葉と表情に、居たたまれない気持ちとなり、星を眺めるフリをして、逃げる事しかできなかったのだ。
「ですが、やはり勇者様には、大切な方がおられたのですね」
俺は思わず下を向いた。そこには、仲睦まじく星空を眺めている異性の姿がある。
「私は勇者様に恋をしてしまったからこそ、辛いのでございます」
「申し訳ありません」
何をどう答えて良いのか分からない。ただ、できたのは、自分でも良く分かっていない、謝罪の言葉をかけるだけ。
「謝るのは私の方なのです。勇者様は、嫌でも私と婚約を結ぶ事になるのですから」
その言葉を聞き、俺は咄嗟に彼女の方に顔を向けた。そこにいるのは目頭を赤くしている彼女。唇をギュッと噛み締めている。
「そ、それはどういう事ですか?」
俺は眉を寄せ、その言葉の意味を問うてみれば、彼女はゆっくりと首を横に振りながら、言葉を漏らした。
「勇者様の力は偉大です。この国の者のみならず、他国からもその力を欲されているのです。だからこそ父上は、勇者様との結びつきを深めるために、嫁を当てがおう考えているのです」
「それが、マリアさんという事ですか?」
「はい」
彼女はまるで鉛玉を吐き出すように、重々しくそう肯定する。
「それに、勇者様の血は偉大です。その子も、必ずや勇士になるでしょう」
「そういう事だったのですか」
目を伏せ、手摺りを見つめるマリア。そんな手摺りを握る彼女の手は、赤くなってしまう程に力が入れられていた。
俺はどうするべきなのだろうか。こんな常識さえ異なる異世界に転生され、右も左も分からない状況で。
そんな中、暖かい食事に豪華な部屋が用意され、不満のない暮らしができている。
それらを準備してくれたのは、王であるネーデルリオン。その彼が俺とマリアの結婚を願っているのなら、縦に頷くしかないのかもしれない。
もし縁談が破綻すれば、俺がどのような扱いを受けるか分からない。
それに、隣で辛そうにする彼女が、どうなってしまうのかも。
そんな風に考えていれば、唐突に彼女は俺の方に顔を向け、その必死な眼差しをこれでもかと俺へと突きつけてくる。
「ですが、そんな私も勇者様に一目惚れをしてしまったのです。好きになってしまったのです。だからこそ、だからこそ、大好な勇者様を裏切るような真似はできないのです。勇者様に意中の相手を裏切らせるような真似はできないのですよ」
俺は彼女言葉に、小さく唸ることしかできなかった。
「貴方を好きになってしまったから...」
そうして続け様に弱々しく呟いた彼女。
その時だった、塔の下からは、小さな歓声が木霊した。そんな声を発した人達の誰も彼もが空を見上げている。
俺は彼らに釣られるように空を見上げてみれば、そこには見事に重なった大きな星の姿があった。
緑の星が赤い星を覆い隠している。緑の星の輪郭から、美しい赤い波紋のような光が出ている様は見事だった。
「勇者様には、無理に私の事を好きになって頂く必要はございません。ですが、せめて、私が傍にいる事だけは許して頂きたいのです」
「そ、それはどういう」
「勇者様はこれから戦争に赴くのでしょう。そうなれば、我が父も絶対に私との婚姻を進めていくに違いありません。ですが、勇者様は私を愛す必要はないのです。形式だけでも夫婦になっていただくだけで構いません。ですか、どうか私が貴方様を支える事だけは許して頂きたいのです」
「マリアさん...」
「戦争が激しさを増せば、精神的な負担も多い事でしょう。そんな時、貴方様を癒して差し上げる事だけでも許して頂きたい。今の勇者様も、こんな不安定な世界で、知らぬ者達に囲まれ、ひどく心を痛まれておりますよね」
俺は彼女の言葉にゴクリと喉を鳴らした。そんな俺の手は、手摺りを握る力を強めていた。
夕食会の前、孤独感と焦燥感に苛まれ、ベットに突っ伏していた記憶は新鮮だ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、マリアをそう声をかけてくれた。
そして彼女は、ふいの俺の力む手に、柔らかな手を重ねてきたのだ。
すぐに俺は手の方に視線を向け、続け様にマリアの顔を窺った。彼女は目頭を赤くしながらも、優しげな笑顔をこちらに向けていた。
そして暖かな手が重ねられたおかげで、スッと俺の手から力が抜いていく。
そしてマリアはそっとこちらに体を近づけてくる。肩同士が触れ合い、俺の心臓もドクリと鼓動を大きくする。
また、彼女からフワリと漂ってきたのは、優しく甘い花の香り。そんな香りが、俺の心の緊張までも和らげるようで、体から力が抜けていくようだった。
こうして肩を重ね合う俺とマリアの姿は、今も夜空で輝きを放っている、夫婦にも例えられるあの星のようで、そんな俺の心には、瑠花に対する申し訳なさと、この安らぎをもう少し感じていたいという欲求が湧いていた。
その後、その2つの星が再び離れ合うまで、10分近くの間を、無言でマリアと一緒に眺めていた。
その頃には、俺の孤独感や焦燥感は、先程よりも小さなものになっていた。
「今日はお付き合いしてくださってありがとうございました」
「いえ、私も美しい星が見れて満足でした」
「それならば良かったです。それでは夜も更けてまいりましたし、勇者様は明日からも公務でお忙しいと存じております故、今回はこちらでお暇させていただきます」
「はい、ありがとうございました」
塔から降りてみれば、そこには俺とマリアの使用人が待機しており、こうして俺は彼女と別れ自室に向かった。
その後は寝ぼけ眼のまま湯あみと着替えが済ませられ、すぐに就寝の時間となった。
昨日の夜は、緊張や不安が相まって、気持ち良く眠る事ができなかった。
しかし今回は、まるで温かな陽気に包まれるように、安らかな眠りを手に入れる事ができたのだった。
──────────
あぁ、あぁ、あぁ、最高。
夜空に浮かぶあの2つの星のように、早く花尾君と重なりたい。ただ触れ合うだけじゃなくて、深く深く交わりたい。ドロドロに溶けて混ざり合って、ぐちゃぐちゃになりたい。
あの2つの星が羨ましい。あんなに綺麗に重なるんだもの。
それも、あの緑の星、男に例えられる緑の方が、赤い星、女に例えられる赤い方を追うように動いて、そして重なるのだもの、嫉妬してしまいそう。
あの頃は、私が必死に花尾君を追いかけて、それでも彼と重なる事はできなかったというのに。
もし、彼が私の事を追いかけてきて、大好き、大好きだなんて口走りながら、重なってきた日には、嬉しすぎて死んでしまいそう。
だけど、それはもう夢じゃない。
それはもう、妄想では終わらない。
なんたって、こうして花尾君がこちらの世界にやって来たのだもの。嬉しくない筈がない。今も彼と同じ空気を吸っているのかもと思っただけで、私の体は熱く燃え上がるよう。彼が吐いた息を吸っているのかもと考えたら、下半身は溶岩のように暑くなる。
前世では彼は私を遠ざけた。
それもこれも、あの時は私は未熟だった。
目の前の快楽にふけり、目先の欲求だけを追い求めていたのだもの、花尾君に「ストーカー」だと蔑まれるのも理解できる。だけど、あの軽蔑の目は最高だった。あの時の表情を写真に収めて、ずっと眺めていた程に。
ああやって花尾君に軽蔑されて疎まれるのも良いけど、今回は失敗しないようにしなければ。
今度は、彼から私を欲するように調教してあげなければ。
まるで、親鴨に必死に縋り付く子鴨のように、親鳥から与えられる餌を必死な形相で、巣の中で待つ子鳥のように。私を欲して、私を愛して、私だけで頭を埋め尽くして欲しい。
本当なら、今すぐ彼以外の全ての生物を皆殺しにして、彼と2人だけの生活を送りたいけど、流石に無理。それに、私はそれを望んでいない。
無理やり力づくで従わせるんじゃなくて、彼から自然に私に従って欲しいの。
魔法でも薬でもなくて、彼自身の意思で。
だからこそ、彼はこれから辛い目に合う事になるでしょう。顔を歪ませて、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして。でも大丈夫、そんな姿も全て愛してあげる。
どうせなら、彼には色んな人と仲良くなってもらって、最終的にそんな皆んなに裏切られて、孤独の海に溺れて欲しい。
彼と仲良くする奴なんて、全てを消し去って葬り去りたいものだけど、少しは許してあげましょう。
心底信用していた相手に裏切られ、あたかも恋心を抱いていた女に裏切られ、無念と憎しみに溺れて欲しい。
誰も信用できなくなって、誰とも目を合わせられなくなって、疑心暗鬼の渦に巻き込まれる。
そんな時、私だけは手を差し伸べ続けてあげるの。
彼が拒んでも。彼が逃げても。
私だけは彼に手を差し伸べ続けるの。
そうすれば、彼も気がつくでしょう。この世界で信じられるのは私だけ、この私、黒谷愛羽だけだって。そうして私の愛の中に溺れていくの。
あぁ、そう考えただけで、体が火照って溶けてしまいそう。
私の考え得る全てを使って貴方を調教してあげる。
あのクソウザい幼馴染すら、頭の片隅からすら消えてしまうほどに。
というか、せっかく彼と同じ異世界にいるのだらから、彼の全てをしゃぶり尽くしたい。
どうせなら、彼に殺されてみたい。それに、どうせなら彼を殺してみたい。いや、でも、それは可哀想かも。
でも、彼に殺されてみるのは確定。彼が憎しみで顔を歪ませながら、私を殺してくるのだもの、色々な物が体から染み出していきそう。
あぁ、早く、早く手に入れたい。
全てを手に入れたい。
早く手に入れなければ、嫉妬でどうにかなりそうなのだもの。
彼の湯浴みを手伝ったメイドも、彼の着替えを手伝った執事も、彼の部屋を掃除した召使も、彼の食べた料理を作った料理人も、彼に頭を下げた貴族連中も、彼に恋心を抱いてる分不相応なバカな女達も、そして国王もこの国も、何もかも。
全てが憎らしい。
全てを消し去りたいものだけど、我慢、我慢。
今だけは、彼に話しかける事も、彼に触れる事も許しましょう。
それもこれも、彼の全てを手に入れるため。
ゆっくり、どっぷりと私の愛に浸かってもらうため。
誰にも邪魔はさせない。
今度こそは絶対に、彼を手に入れるのだから。
目の前にある2つの星は今、重なりをほどき、離れ合おうとしている。その姿を軽く睨みながら、私は夜空を眺めていたのだった。
瑠花とは幼稚園からの幼馴染。そして高校まで同じ道を歩んできた、半ば腐れ縁ともいえる関係。
そんな瑠花に恋心を抱き始めたのはいつだったのだろうか。思い返してみれば、それは多分、俺が中学の時だった気がする。
彼女はただの幼馴染で、ただの仲が良い友達。ただ性別が違うだけ。そんな風にすら思っていたのは小学生の時。しかし、健全な男子中学生に訪れる、思春期という名の恋煩いは、俺の考えを改めた。
彼女を見て心が熱くなる気持ち、彼女を考えると靄がかかるように頭が白くなる気持ち、それがすぐに恋だと気づけば、俺の運命も変わっていたのかもしれない。
何故なら、俺が付き合ったのは三浦瑠花ではなく、中学から知り合った同級生──黒谷愛羽だったからだ。
俺は今考えてみても、あいつからの告白に首を縦に振ってしまった自分が憎い。いや、首を縦に振らざるを得なかったと言う方が正しいだろうか。
あいつは真面では無かったのだ。過度な束縛、周りへの嫌がらせ。そして別れた後にも続いたストーカー行為。
それが好きな相手からの行動であれば、まだ惚気話にでも昇華できようが、別れてからは苦痛そのものでしかなかった。特に、瑠花に向けられた嫌がらせは目に余るものだった。
だからこそ、俺は瑠花への敵意を逸らすため、1ヶ月前までは瑠花と連絡さえ、目を合わす事さえ控えてきた。
俺は瑠花への恋心があったからこそ、好きだったからこそ、彼女を避けた。それがどれ程までに辛かったか。
しかし、そんな状況も変わった。
それは、愛羽が死んだ事に起因する。
交通事故、不慮の事故だった。
俺にだって道徳心はあるし、手放しで喜ぶ事は出来なかった。しかし、ホッと胸を撫で下ろしたのは事実。昨日まで続いていた胃の不調がスッキリ治ったのも、これもまた紛れもない事実であった。
そうして3年近く続いたストーカー行為と嫌がらせは唐突に終了した。
そんな理由もあり、俺は瑠花とこうして一緒に下校できているのだ。
俺と瑠花が一緒に下校できるようになったのは1ヶ月程前。最近、俺が彼女を下校に誘った時、ドキドキが止まらなかった。
初めは互いに戸惑い、口数も少なかったのだが、今では以前のように気兼ねなく、楽しく会話ができるようになった。
「今日の体育大変だったね。私、持久走の練習が1番嫌いなんだよね~」
「午後の授業初っぱなで5キロ走らされるのはキツいよな。俺は脇腹痛くなるのが嫌だから、昼食抜いたしな」
「え、お腹空かないの? お昼抜くのは体に悪いよ」
「いや、そうなんだけどな。腹痛くなるの辛すぎて」
何の変哲もない普通の会話。
俺としては、瑠花と話せるだけで嬉しいし、今の関係で満足しかけている自分もいる。
だけれども、この恋心をそのままにしておくのは、精神的なダメージが大きい。
なんたって、今はもうあいつだっていないのだから。ここでその恋心を心中に抑えておく必要もないのだ。
こんな優柔不断な俺に、瑠花が愛想を尽かす前に、早く告白しなければならない。そんな事は分かっているのだが、生来の女々しさがそれを拒む。
明日、明日こそ、明日こそ絶対に告白しようと考えて、こうして1ヶ月も経過しているのだから、救いようもない。
そんな事を頭の片隅で考えながら、瑠花と話していれば、見慣れた一軒家が住宅街から顔を覗かせる。
それは小学生までよく通っていた彼女の実家。
その家の姿が目に入れば、俺と彼女との下校時間も終了する。
「また明日ね~」
「あぁ、またな」
こうして何でもない別れの挨拶を交わす訳だが、俺の頭には、明日こそ告白してみせようという意気込みが湧いている。しかし、そんな大層な意気込みも今回で記念すべき20回目。
「ふぁ、今日もダメだったか」
そうして記念すべき20回目の後悔の言葉を漏らす。
幼い頃、瑠花に誘われておママごとをする事が多かったり、植物博士を目指す程に草花が好きだったりと、男の友人からは、女の子みたいだと揶揄われる事が多かった。
俺はその茶化しが半分コンプレックスであったし、少しは男っぽい趣味も作ったのだが、ここまで自分の往生際が悪いと、やはり女々しさを感じざるを得ない。
だが、そんな後悔も、何でもない1日の一幕に過ぎなかった。
普段なら苦笑いで、明日頑張れば良いやと漏らして終わる、何でもない1日の筈だった。
だが、そんな何でもなかった筈の1日は、日付が変わる前にも、唐突に終わろうとしていた。
反対車線を猛スピードで激走する一台の自動車。最初それを見たとき、何て危険な運転をするのだろうと訝しげな表情を向けるだけだった。
もしその時、すぐに別の道に逃げていれば、運命も変わった事だろう。しかし、俺はただ歩道の端に寄るだけだったのだ。
そうすればその自動車は、まるで俺を轢き殺さんと欲するように、進行方向を変えてきた。
俺はさらに眉間のシワを深くする。運転手の意図が理解できなかった。
まるで意図的に歩道に突っ込むように運転する人間の心情など、理解できる筈がない。
俺は一歩後ずさる。
目の前に迫る大きな鉄の塊に、俺の腰は引けていた。
嘘だろう。何で、何がしたいんだ。
そう考えたところで、猛進する車が止まる訳がない。
そうして、フロントガラスの向こうに見える、運転手の顔が鮮明に見えてしまう程に、俺と車の距離は一気に縮められていた。
運転手の顔は、おおよそ人間のものには見えなかった。
こちらを睨むように、だけれども口元はニヤリと笑っている。薄気味悪い、単純にそう感じた。
あぁ、死ぬ。あぁ、殺される。
嫌に遅く進む時間の中、せめてもの抵抗と、俺は頭を守るように腕を顔の前に出し、目を瞑り斜め下を向いた。
刹那、全身に一気に衝撃が加わる。まるで急加速で降下するジェットコースターに乗った時のような負荷が、全身を駆け巡った。
だが、不思議な事に痛みは感じない。
それに、思考もやけに爽快だった。
どうなった? 死んだのか? 何が起きたんだ? 俺はどうなっている? 殺されたのか?
頭の中はそんな疑問符で満たされている。
俺は閉じていた目蓋をゆっくり開く。
そうして腕越しに見えたのは、真っ白な壁。いや、壁というか、腕の肌色以外、全てが白だった。
ゆっくりと腕を下げ、顔を上げる。
体に痛みはない。それどころか、俺は普通に真っ白な地面に立っているのだ。
もしあの車と正面衝突していれば、はるか後方に吹っ飛ばされた筈なのだが、俺は今もぶつかる前の体勢のまま、平然と立っているのだ。
だが、辺りは全て真っ白だった。床と壁の境界線も曖昧で、まるで宙に浮いているようで。俺はそんな不思議空間で立ち尽くしている。
「し、死んだのか...」
俺はそう直感した。あんな出来事の後に見た空間が、救急車の中でも、病室の中でもなく、真っ白な中であれば、そこが死後の世界なのではと感じざるを得なかったのだ。
こうして、普段よりやけに落ち着いている自分自身を感じて、死後の世界という陳腐な推理の信憑性も増してくる。
「花尾樹さん」
突如、後ろから声が聞こえていた。
その声は俺の名前を呼んでいる事もあり、俺はビクリと肩を震わせながら、恐怖とともに、身構えるようにして体を翻した。
だが、そんな俺の恐怖心も、身構えた体勢も、暖簾に腕押し。なんと、振り返った先にいたのは、淑やかな女性の姿だったのだ。
女性は柔らかな笑みを浮かべ、両手を胸の前で合わせている。そんな姿からは敵意や害意は全く感じない。
それに目の前の女性は、まるで天女のように美しい。それこそ人間離れした美しさだった。白金の髪に、サファイアのような目、肌は白く、真っ白な壁と同化してしまうのではと思う程。
俺はそんな女性に言葉を失う。
惚れたという訳ではない、その神々しいまでの美しさに、言葉をかけるのも躊躇われたのだ。
「驚かせてしまいましたね。申し訳ございません。私の名前はフューエンエリア。パラマンという世界の創造者であり、花尾様をこちらへ呼んだ張本人でございます」
彼女がそう話せば、甘い花の香りがフワリと漂ってくる。話口調にも品があるせいか、ひどく穏やかな気分になる。
「あの、私は、死んだのでしょか?」
「はい、そうですね。花尾様は亡くなられました。そうなれば本来、死後の世界に向かい、輪廻転生を繰り返しますが、花尾様には大切なお願いがあり、私の元へ来ていただきました」
フューエンエリアと名乗る目の前の女性は、有り体に言えば、神様のようなものなのだろう。
それに、俺が死んだというのも、本当の事なのだろう。
こうして不思議空間で、不思議な女性から、不思議な事を言われているのに、俺の心は全く波が立たず、素直にフューエンエリアの言葉を受け入れてしまっている。
「重ね重ね申し訳ありません。亡くなられた直後、精神はひどく不安定になります。それ故に、花尾様には混乱を回避するため、精神安定の魔法を勝手ながら施してしまいました。どうかご了承下さいませ」
俺の心情が顔に出ていたのか、察したような表情で彼女はそう申し出た。
その話を聞けば、こうしてやけに落ち着いている自分は、その魔法とやらの影響を直に受けているのだと理解できた。
実際、今飛び出した、魔法というとんでもワードも、すんなり理解できたのは、彼女の魔法のお陰なのだろう。
「その、私が貴方の元へ呼ばれた理由とは何でしょうか?」
「率直に申し上げますと、私の創造した世界、パラマンを救っていただきたいのです」
「救うですか?」
「はい、パラマンには複数の国があり、以前から戦の絶えない日々が続いておりました。そのため、花尾様には我が信徒の国、ネルバイン王国へ転生して頂き、パラマンをネルバイン王国の元に統一して頂きたいのでございます」
そう物憂げに話す女性。その姿は子を思う母のように優しく、俺の庇護欲を掻き立てる。
だが、俺に何の力があるのだろうか。俺は運動神経も学力も平凡。人より優れていると思える部分は皆無。
それにだ、女性の言葉を考えると、俺はその異世界で戦争に巻き込まれるに違いない。いや、巻き込まれるどころか、目的から考えれば、俺が率先して戦争に加わる羽目になるのだろう。
喧嘩はおろか、口喧嘩すら苦手としている俺が役に立てる訳もない。それに、殺生など真っ平ごめんだ。
「理由は分かりましたが、私である必要はないと思います。私は特に優れているところはありませんし、それに戦争なんて恐ろしくて」
「花尾様でなくてはならない理由はございます。それは魔力量です。魔力のない地球で暮らしていれば感じる事はないかと存じますが、花尾様の魔力量はパラマンの賢者を超えているのです」
女性は俺の目を真正面からジッと見つめ、真剣な口調でそう話す。
「ですが、戦争を恐ろしく感じる気持ちも、忌避する気持ちも深く理解しております。しかし、花尾様がいなければ、より多くの人が命を落とすでしょう。いや、最悪、パラマン自体が崩壊し、全ての者が命を落とす事にもなりましょう」
顔を落とし、暗い表情でそう語るフューエンエリア。
「花尾様には、私の力の一部を差し上げます。そして、私の悲願を叶えて下さった暁には、花尾様の願いを1つ叶える事を約束いたします。永遠の命でも、使い切れぬ程の金銀財宝でも、花尾様自身が神の座に就く事でも、どのような事でも構いません」
フューエンエリアからは縋り付くような必死さが窺える。
そんな彼女を見て、俺は頭を軽く掻き、小さなため息を吐いた。
死んでしまった以上、残された道は彼女の言うように、パラマンという異世界で戦うか、彼女の言葉を拒否して死後の世界に向かい輪廻転生するか。まぁ、後者を選べるような状況には思えない。
だけれども、俺としては彼女の言った、願いを叶えてくれるという言葉に心惹かれてしまったのだ。
もし、何でも1つ願いを叶えてもらえるのならば、既に願いは決まっている。そしてその願いが叶えられるかどうか、彼女に聞いてみる他ない。
「願いを1つ叶えて下さると仰いましたが、それならば、時間を巻き戻し、地球で生きていく事も可能ですか? 例えば、私は今17歳ですが、12歳の頃からやり直すとかです」
俺は恐る恐るそう尋ねてみれば、女性は少し寂しそうな表情を見せたかと思えば、ゆっくりと頭を縦に振った。
「可能です。花尾様が亡くなられた日の朝からでも、はたまた生まれた直後からでも、花尾様はやり直す事が可能でございます」
「そう、ですか...」
俺の願いは1つだった。
人生をやり直して、今度こそ瑠花に告白して幸せになりたい。俺が優柔不断なせいで、こうして死ぬまで彼女に告白できなかった。
それならば、その異世界パラマンで少しでも成長して、今度こそは好きだと伝えてみせる。そんな風なやる気に満ちた決意とともに、半ば諦め半分でそう決心した。
多分、ここで女性のお願いを無碍にする事は許されないだろう。それならば、少しでもポジティブに考えなければという発想だ。
「分かりました。私が異世界で戦います」
俺は一呼吸起き、力強い視線を送りながら、彼女にそう伝えた。そうすれば、彼女も嬉しそうに微笑んでみせた。
そうして転生についての説明と、準備が行われる運びとなった。
俺は年齢も容姿も、記憶までもそのままに転生されるようだ。
そして俺の体にはフューエンエリアからの魔法が施され、筋力や魔力が向上したらしい。
その魔法が施された証に、俺の右肩に、青白く光る小さな魔法陣があった。この魔法のおかげで、言語の壁も取り払われるようだ。
そうして順調に準備が進められ、ようやく転生の時がきた。
フューエンエリアは、俺に柔らかな笑みを送りながら、感謝の言葉を述べた。
「花尾様のご好意、大変痛みいります。誠にありがとうございました」
「いえ、私がパラマンを救う事ができるか分かりませんが、頑張りたいと思います」
「花尾様ならばと、私は信じておりますよ」
「ありがとうございます」
俺は照れ隠しで首の後ろを触ってみせれば、フューエンエリアはクスリと笑った。
「それでは、ネルバイン王国に転生いたします。そうなれば、私が花尾様に施した、精神安定の魔法も切れてしまいます。ですが大丈夫です。ネルバインの信徒たちは花尾様に誠心誠意尽くしてくれるでしょう。ですから、どうかお気をつけて」
「はい...」
その言葉を最後に、俺の目の前は一気に青白い光に包まれた。光は煌々と輝いているのだが、不思議な事に眩しくはない。
そんな光に数秒間視線を遮られた後、目の前に現れたのは、こちらに向かって跪く大勢の人々だった。
俺が立っているのは、どこか大きな建物の中にある、台座のような場所。建物の内部は、まるでテレビで見た大聖堂のような荘厳な雰囲気で満たされている。
大きなステンドグラスからは、色とりどりの光が内部に差し込み。目の前で俯く白い法衣を着た集団を照らしていた。
「勇者様、顔を上げる事をお許し下さい」
突然男性の声が辺りに響き渡った。多分、俯いている人達の誰かだろう。その低く威厳のある声に、俺の心臓は鼓動を早くする。
フューエンエリアが言っていたように、今になって俺の動揺は激しくなってくる。
だけれども、俺は震える足でしっかりと地を踏みしめ、この言葉に反応した。
「顔を上げて下さい」
そんな俺の辿々しい言葉に反応し、一斉に顔が上がった。何百もの顔がこちらを見つめてくる光景は、非常に物々しい。
「お初にお目にかかります、勇者様。私はネルバイン王国16代目国王、ネーデルリント・オン・フルスバロンでございます」
「は、初めまして、花尾樹と申します。よろしくお願いします」
こんな会話は初めてだ。なんせ、国王などと名乗る人物に挨拶され、どう返すのが正しいのかなど分かる筈もない。
俺はなるべく差し障りのないように答えてみせれば、続々と他の人達も挨拶の言葉を述べていく。
やれ王太子だとか、やれ騎士団長だと、はたまたフューエン教教皇だとか。どれも名前は長ったらしく、到底覚える事はできない。
そうした長い挨拶の後、拝剣の儀というものが執り行われる事となった。拝剣の儀とは名前のままで、勇者の剣という大層な名前の剣を、勇者に授ける儀の事だ。
その儀では、装飾が施された豪華な直剣を、国王であるネーデルリオンから手渡される事となる。
重そうに両手で持たれた剣を渡された訳なのだが、フューエンエリアからの魔法の効果もあってか、さほど重く感じなかった。
その後は、「勇者様はお疲れでございましょう。本日はゆっくりとお休み下さいませ」というネーデルリオンからの言葉もあり、翌日まで、用意された自室でゆっくりと寛ぐ事となった。
自室は豪華絢爛。三つ星ホテルのスイートルームなど鼻で笑える程に金や銀の派手な装飾が施され、価値は分からないが、高級そうな絵画や骨董品が並べられていた。
だが、リラックスよりもストレスが勝つ。それというのも、この甚だデカすぎる自室の事もそうだが、風呂や着替えは全て執事やメイドと呼ばれる人々に手伝ってもらわなければならないからだ。
立っているだけで体が洗われ、少し動くだけで着替えも済ませられるのだから楽に思えるが、恥ずかしさもそうだが、プライベートが感じられず精神的に辛い。
その後は夕食となるのだが、これまた食べ切れない量のご馳走が提供されたのだ。
そりゃぁ、霜降りまくりのステーキとともに、鶏のローストがまるまる1匹出されたら、胃もたれどころか、食べ切れる訳もない。
それに初日の緊張も相まって、あまり喉を通らなかったのが悔やまれる。
そうして初日が終わり次の日になった。
2日目には勉強会が開かれ、魔法についての知識や、この世界の歴史、魔物について聞かされた。
また魔物という生態は興味深く、心臓が魔石と言われる鉱物でできており、性交して子を育む訳でなく、『魔力溜まり』という特定の地域で自然に誕生するとの事だった。
そんな驚きの知識の数々を聞かされた日の夜は、国王であるネーデルリオンとの食事会が行われる事となり、その時間までの1時間程、部屋で1人になる機会があった。
そんな1人の時間は、俺に孤独感と焦燥感を与えるに十分だった。
2日目で、ある程度周りが落ち着いてきたというのも、現実を受け入れるのに満足な余裕を俺に与えている。
ご飯前だというのに、俺はベットに寝転がり、服にシワをつけながら、毛布に包まっていた。
俺は高い天井に向かい、当て付けのように大きなため息を1つ。
だが、このやけに広い部屋では、そんな大きなため息さえも外に漏れる事はない。
この世界には誰も知り合いがいない。
家族でさえも友人でさえも、そして幼馴染でさえも。そして待っているのは戦争だ。血や泥に埋もれる事になるのだろう。
帰りたい。率直にそう感じた。
辛い、苦しいと素直にそう感じた。
昨日の脂っこい料理が原因という訳ではないだろう胃痛が俺を襲っている。
せめて、見知った誰かと会う事ができれば、こんな孤独感も焦燥感も紛れるのかもしれないが、それは絶対に叶わない。
こんなちっぽけな俺が何の役に立つのだろうかと、半ば八つ当たり気味にフューエンエリアの顔を思い浮かべる。
俺の身には相応しくない大きなベットに大きな部屋。それに対して俺の心も体も小さ過ぎるのだ。
そんは暗い気持ちになれば、俺の目蓋も重くなる。そうしてゆっくりと、逃げるように目蓋を閉じてみたのだが、気がついた時には、焦るような執事の声が、俺の耳に突き刺さる事になった。
「ゆ、勇者様! 勇者様! 起きて下さいませ! 夕食のお時間でございますよ!」
俺はいつの間にか寝てしまっていたようだ。
俺の寝ぼけた頭は、その言葉の意味を直ぐに理解できなかったのだが、焦る執事の様子に急かされ、布団をバッと体から引き剥がし、上半身を起こした。
「え、えっと、誰って、あぁ、夕食でしたね!」
異世界に来てまだ2日目。何故夕食でこんなにも焦らされているのかを理解できず、そして俺を起こす執事の顔もすぐには思い出せず、頓珍漢な声を出してしまう。
しかし少しして、そういえば国王と夕食を食べる事になっていたのだと思い出した俺の額には、じわりと汗が浮かんでいた。
着崩れた服を着替えさせられ、急ぎで夕食会を行う部屋に向かう事になる。
予定の時間を少し過ぎている事もあり、全ての使用人に焦りの色が見えた。
俺は何度も謝ったのだが、俺が勇者だからだろうか、謝る度に逆に謝罪し返され、歯痒い気持ちになる。
そうして夕食会の部屋に到着し、扉が開けられたと同時に、俺はすぐに国王に対して謝罪の言葉を述べた。
「ネーデルリオン様、お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」
俺が焦った様子で部屋に入ってきたのを見たネーデルリオンは、椅子から立ち上がると、朗らかな笑みを浮かべながら俺を出迎えた。
「いえいえ、勇者様の心労は計り知れません。私も急かしてしまったようで申し訳ありませんでした。それに、ネーデルリオン様と堅苦しくお呼びになる必要もございませんよ。私めなど、ネーデルとお呼び下さいませ」
そう言ってゆったりとした足取りで俺の目の前に足を進めるネーデル。
そんな彼の後ろには、輝かしい程に美しい金色の髪を携えた、俺と同年代の少女が控えていた。瞳は青く、背は低いものの、どこか大人びた雰囲気を感じる。
それというのも、彼女の立ち居振る舞いや、その金の髪をフワリと揺らしている様が、非常に艶めかしく感じたからだ。
「あぁ、それに、この度の夕食会に際しまして、私の方もお詫びしなければならない事があるのです。こちらは私の娘、マリアレンと申しますが、ぜひ勇者様と誼を結びたいと聞かないものでして、誠に勝手ながら、マリアレンも夕食会に参加させてやりたく存じます」
俺が彼女に向けた視線に気がついたようで、ネーデルは申し訳なさそうな表情をしているものの、どこか嬉しそうな口調でそう語った。
「私は大丈夫ですよ。夕食は大勢で食べた方が美味しいですから」
俺としても断る理由もない。
だからこそ、マリアレンが夕食に参加する事をすぐに了承すれば、彼女は嬉々とした表情で俺の前へ一歩歩み出た。
「私の名前はマリアレン・オン・フルスバロンと申します。マリアと呼んで下さると恐縮です。この度は、予告もせずに夕食会に参加してしまった事、大変申し訳なく思います。けれども、こうして一目勇者様にお会いできたこと、誠に嬉しく感じております。どうかよろしくお願いいたします」
「はい、マリア。こちらこそよろしくお願いいたします」
俺は今日の昼の勉強会で習った、このネルバイン王国流のお辞儀をしてみせれば、ネーデルもマリアも嬉しそう笑ってくれた。
そうして始まった夕食会だが、終始和やかな雰囲気で進んだ。
そして話題になったのは、俺の前世の話。
地球、ないしは日本について話してみれば、2人はとても興味深そうに俺の話を聞いていた。
「ほぉ、魔法もないというのに、鉄の塊が空を飛ぶとは、また奇妙なものですな」
「それに、民主主義というのは面白いものですわね。勇者様の話を聞く限り、このネルバインよりも豊かな国のように感じます」
「ははは、マリア、そうなれば我ら王族は必要なくなってしまうではないか。だが、勇者様の国は以前は我らのように王政だったと聞くし、これも世の習いというものなのやもしれませんな」
「そうかもしれませんが、ネルバイン王国もとても豊かな国のように感じています。それに私の世界には魔法がありませんでしたし、魔法が使える貴族や王族が、絶対に必要になってくるでしょう。ですから、私の世界のように王政が廃れるかどうかは分かりませんよ」
「勇者様にそう言っていただけるのは心強い」
この世界では、地球でいう科学技術の代わりに魔法技術のようなものがあるようで、そんな魔法は王族や貴族だけが使える特権のような物らしいのだ。
だからこそ、国の発展や維持には王族や貴族は必要不可欠だし、俺としても、どんなに時代が進もうとも、彼らの力は必要になってくるように感じられたのだ。
「ふふ、勇者様のお話を聞いていたら、私もニホンに行ってみたく思いました。その、生魚は食べた事がありませんが、ぜひオスシというものが食べてみたいです」
こんな風に、地球や日本の話で盛り上がったのだが、それから1時間程して、食事会も終盤、デザートが出された頃、話題は俺の配偶者の話に移ったのだ。
「なるほど、勇者様は配偶者がおられなかったのですね。それは安心いたしました」
俺に配偶者がいたと思っていたネーデルは、驚いたような表情でそう語った。
それというのも、彼は現在34歳。娘のマリアは17歳。マリアは長女と聞いたし、第一子を17歳で産んだ事になる。
彼の嫁である、現在の王妃は彼の2歳下で、15歳でマリアを産んだという事らしい。
異世界パラマンではこれが常識らしく、現代日本で生まれ育った俺からすれば、信じられないことだ。
だからこそ、今年で17の俺も、配偶者がおり、子供までいたのではと心配されたのだ。
「私の国では、男が結婚できるのは18歳からでした」
「なるほど、そういう決まりがあったのですね。なれば、意中の女性はおられなかったのですか?」
意中の女性というのは好きだった女性の事だろうか。俺は頭の中で直ぐに瑠花の事を思い描き、そのままその事実を言葉に表した。
「1人だけおりました」
「なるほど、そうだったのですか。それは心残りがございましょう」
そう言ったネーデルは、ちらりとマリアの方に目線を向けた。そんな目線の先にいたマリアは、寂しそうな重い表情をしていた。
何か不味い事を言ってしまったのだろうかと、俺は目線を彷徨わせていれば、デザートを食べ終えたネーデルが1つの提案を持ち出してきた。
「今日は両思いの日と言いまして、夜空に輝く2つの大きな星が重なる日なのでございます。夫婦に例えられるその2つの星が交わるもので、意中の恋仲にある異性は、こぞってその瞬間を目にするものなのです」
「なるほど、両思いの日ですか」
確かに昨日の夜、夜空に2つの月のような大きな星を見た。
1つは緑色でもう1つが赤色で。緑色の星は、赤色の星を追いかけるようにして夜空を進んでいた。
それが夫婦に例えられるのなら、その2つの星が重なる瞬間を、カップルが見たいと考えるのも理解できる。
「この両思いの日は1年に1度。既に外には複数の者達がその瞬間を待っている事でしょう。それで提案なのですが、勇者様にはマリアと一緒にその星を見てほしいのです」
「わ、私がですが!?」
俺は考えもしなかった提案に、思わずマリアの方に目をやった。少し頬を赤くして、恥ずかしそうに俯いている彼女。
もし、マリアが俺とその星を見る事を望んでいるという事は、彼女にもその気があるという事だろうか。
「マリアは星が重なる瞬間を見るのが好きだったのですが、恋人同士が見ている中で、婚期のマリアが1人で見ているというのは、外聞が悪いものなのですよ」
「あぁ、なるほど、そういう事だったのですか」
微笑みながらそう語るネーデルに、マリアは耳まで赤くしながら、顔を隠すようにさらに俯いた。
「それに、勇者様もこれから、他の貴族の娘方に誘いを受ける事になるでしょうから、マリアと一緒にいた方がよろしいと思います。存外、勇者様が思っているより、勇者様に恋心を抱いている女性は多いのですから」
ニヤリと悪巧みをするように笑ってみせたネーデルに、俺は苦笑いを浮かべながら頷いた。
「そういう事でしたら、ぜひ私がお供しましょう。その、両思い日を見てみたいですしね」
「そう言って下さるのは有り難い。ほら、マリア」
「は、はい、ありがとうございます。勇者様」
マリアはネーデルに促され顔を上げれば、頬を赤くして目線を外しながらも、辿々しく感謝の言葉を述べた。
そうして夕食会も終われば、俺はマリアに案内され、王城にある一際高い塔に案内された。
そうすれば、先程よりも2つの星が近くに感じる。緑色の星と赤色の星は煌々と輝き、その輪郭を微かに触れ合うように位置している。
2つの色が異なる大きな星というのは、日本人の俺としては非常に興味深く、その美しい光景に思わず見入ってしまった。
俺は手摺りにもたれ掛かるようにして、上を見上げていれば、隣のマリアも一歩前に出て、手摺りに手を置いた。
そんな彼女は、先程とは打って変わって、落ち着いたゆっくりとした口調で話し始めたのだ。
「勇者様は、ニホンにおれらた時の恋人の事を、今も好いているのですか?」
その言葉を聞き、俺の頭には瑠花の笑った顔が浮かぶ。
「はい、そうですね」
「その、お名前というのは?」
「三浦瑠花って言いまして、幼馴染みだったのです」
「そう、ですか」
震えるように、吐き出すようにそう話したマリアに、俺は星の事など忘れて、彼女の方に顔を向けた。
彼女は星を眺めるように上を向きながら、物憂げな表情をしていた。どこか泣きそうな、辛い顔をしている。
「実は、私は、勇者様に一目惚れをしてしまったのです。見た瞬間に、まるで心臓が炎に焼かれるように苦しくて、それがすぐに恋だと分かったのです」
俺はマリアの言葉を聞き、逃げるように目線を逸らし、そして再び星々に注目した。
彼女の苦しそうな言葉と表情に、居たたまれない気持ちとなり、星を眺めるフリをして、逃げる事しかできなかったのだ。
「ですが、やはり勇者様には、大切な方がおられたのですね」
俺は思わず下を向いた。そこには、仲睦まじく星空を眺めている異性の姿がある。
「私は勇者様に恋をしてしまったからこそ、辛いのでございます」
「申し訳ありません」
何をどう答えて良いのか分からない。ただ、できたのは、自分でも良く分かっていない、謝罪の言葉をかけるだけ。
「謝るのは私の方なのです。勇者様は、嫌でも私と婚約を結ぶ事になるのですから」
その言葉を聞き、俺は咄嗟に彼女の方に顔を向けた。そこにいるのは目頭を赤くしている彼女。唇をギュッと噛み締めている。
「そ、それはどういう事ですか?」
俺は眉を寄せ、その言葉の意味を問うてみれば、彼女はゆっくりと首を横に振りながら、言葉を漏らした。
「勇者様の力は偉大です。この国の者のみならず、他国からもその力を欲されているのです。だからこそ父上は、勇者様との結びつきを深めるために、嫁を当てがおう考えているのです」
「それが、マリアさんという事ですか?」
「はい」
彼女はまるで鉛玉を吐き出すように、重々しくそう肯定する。
「それに、勇者様の血は偉大です。その子も、必ずや勇士になるでしょう」
「そういう事だったのですか」
目を伏せ、手摺りを見つめるマリア。そんな手摺りを握る彼女の手は、赤くなってしまう程に力が入れられていた。
俺はどうするべきなのだろうか。こんな常識さえ異なる異世界に転生され、右も左も分からない状況で。
そんな中、暖かい食事に豪華な部屋が用意され、不満のない暮らしができている。
それらを準備してくれたのは、王であるネーデルリオン。その彼が俺とマリアの結婚を願っているのなら、縦に頷くしかないのかもしれない。
もし縁談が破綻すれば、俺がどのような扱いを受けるか分からない。
それに、隣で辛そうにする彼女が、どうなってしまうのかも。
そんな風に考えていれば、唐突に彼女は俺の方に顔を向け、その必死な眼差しをこれでもかと俺へと突きつけてくる。
「ですが、そんな私も勇者様に一目惚れをしてしまったのです。好きになってしまったのです。だからこそ、だからこそ、大好な勇者様を裏切るような真似はできないのです。勇者様に意中の相手を裏切らせるような真似はできないのですよ」
俺は彼女言葉に、小さく唸ることしかできなかった。
「貴方を好きになってしまったから...」
そうして続け様に弱々しく呟いた彼女。
その時だった、塔の下からは、小さな歓声が木霊した。そんな声を発した人達の誰も彼もが空を見上げている。
俺は彼らに釣られるように空を見上げてみれば、そこには見事に重なった大きな星の姿があった。
緑の星が赤い星を覆い隠している。緑の星の輪郭から、美しい赤い波紋のような光が出ている様は見事だった。
「勇者様には、無理に私の事を好きになって頂く必要はございません。ですが、せめて、私が傍にいる事だけは許して頂きたいのです」
「そ、それはどういう」
「勇者様はこれから戦争に赴くのでしょう。そうなれば、我が父も絶対に私との婚姻を進めていくに違いありません。ですが、勇者様は私を愛す必要はないのです。形式だけでも夫婦になっていただくだけで構いません。ですか、どうか私が貴方様を支える事だけは許して頂きたいのです」
「マリアさん...」
「戦争が激しさを増せば、精神的な負担も多い事でしょう。そんな時、貴方様を癒して差し上げる事だけでも許して頂きたい。今の勇者様も、こんな不安定な世界で、知らぬ者達に囲まれ、ひどく心を痛まれておりますよね」
俺は彼女の言葉にゴクリと喉を鳴らした。そんな俺の手は、手摺りを握る力を強めていた。
夕食会の前、孤独感と焦燥感に苛まれ、ベットに突っ伏していた記憶は新鮮だ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、マリアをそう声をかけてくれた。
そして彼女は、ふいの俺の力む手に、柔らかな手を重ねてきたのだ。
すぐに俺は手の方に視線を向け、続け様にマリアの顔を窺った。彼女は目頭を赤くしながらも、優しげな笑顔をこちらに向けていた。
そして暖かな手が重ねられたおかげで、スッと俺の手から力が抜いていく。
そしてマリアはそっとこちらに体を近づけてくる。肩同士が触れ合い、俺の心臓もドクリと鼓動を大きくする。
また、彼女からフワリと漂ってきたのは、優しく甘い花の香り。そんな香りが、俺の心の緊張までも和らげるようで、体から力が抜けていくようだった。
こうして肩を重ね合う俺とマリアの姿は、今も夜空で輝きを放っている、夫婦にも例えられるあの星のようで、そんな俺の心には、瑠花に対する申し訳なさと、この安らぎをもう少し感じていたいという欲求が湧いていた。
その後、その2つの星が再び離れ合うまで、10分近くの間を、無言でマリアと一緒に眺めていた。
その頃には、俺の孤独感や焦燥感は、先程よりも小さなものになっていた。
「今日はお付き合いしてくださってありがとうございました」
「いえ、私も美しい星が見れて満足でした」
「それならば良かったです。それでは夜も更けてまいりましたし、勇者様は明日からも公務でお忙しいと存じております故、今回はこちらでお暇させていただきます」
「はい、ありがとうございました」
塔から降りてみれば、そこには俺とマリアの使用人が待機しており、こうして俺は彼女と別れ自室に向かった。
その後は寝ぼけ眼のまま湯あみと着替えが済ませられ、すぐに就寝の時間となった。
昨日の夜は、緊張や不安が相まって、気持ち良く眠る事ができなかった。
しかし今回は、まるで温かな陽気に包まれるように、安らかな眠りを手に入れる事ができたのだった。
──────────
あぁ、あぁ、あぁ、最高。
夜空に浮かぶあの2つの星のように、早く花尾君と重なりたい。ただ触れ合うだけじゃなくて、深く深く交わりたい。ドロドロに溶けて混ざり合って、ぐちゃぐちゃになりたい。
あの2つの星が羨ましい。あんなに綺麗に重なるんだもの。
それも、あの緑の星、男に例えられる緑の方が、赤い星、女に例えられる赤い方を追うように動いて、そして重なるのだもの、嫉妬してしまいそう。
あの頃は、私が必死に花尾君を追いかけて、それでも彼と重なる事はできなかったというのに。
もし、彼が私の事を追いかけてきて、大好き、大好きだなんて口走りながら、重なってきた日には、嬉しすぎて死んでしまいそう。
だけど、それはもう夢じゃない。
それはもう、妄想では終わらない。
なんたって、こうして花尾君がこちらの世界にやって来たのだもの。嬉しくない筈がない。今も彼と同じ空気を吸っているのかもと思っただけで、私の体は熱く燃え上がるよう。彼が吐いた息を吸っているのかもと考えたら、下半身は溶岩のように暑くなる。
前世では彼は私を遠ざけた。
それもこれも、あの時は私は未熟だった。
目の前の快楽にふけり、目先の欲求だけを追い求めていたのだもの、花尾君に「ストーカー」だと蔑まれるのも理解できる。だけど、あの軽蔑の目は最高だった。あの時の表情を写真に収めて、ずっと眺めていた程に。
ああやって花尾君に軽蔑されて疎まれるのも良いけど、今回は失敗しないようにしなければ。
今度は、彼から私を欲するように調教してあげなければ。
まるで、親鴨に必死に縋り付く子鴨のように、親鳥から与えられる餌を必死な形相で、巣の中で待つ子鳥のように。私を欲して、私を愛して、私だけで頭を埋め尽くして欲しい。
本当なら、今すぐ彼以外の全ての生物を皆殺しにして、彼と2人だけの生活を送りたいけど、流石に無理。それに、私はそれを望んでいない。
無理やり力づくで従わせるんじゃなくて、彼から自然に私に従って欲しいの。
魔法でも薬でもなくて、彼自身の意思で。
だからこそ、彼はこれから辛い目に合う事になるでしょう。顔を歪ませて、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして。でも大丈夫、そんな姿も全て愛してあげる。
どうせなら、彼には色んな人と仲良くなってもらって、最終的にそんな皆んなに裏切られて、孤独の海に溺れて欲しい。
彼と仲良くする奴なんて、全てを消し去って葬り去りたいものだけど、少しは許してあげましょう。
心底信用していた相手に裏切られ、あたかも恋心を抱いていた女に裏切られ、無念と憎しみに溺れて欲しい。
誰も信用できなくなって、誰とも目を合わせられなくなって、疑心暗鬼の渦に巻き込まれる。
そんな時、私だけは手を差し伸べ続けてあげるの。
彼が拒んでも。彼が逃げても。
私だけは彼に手を差し伸べ続けるの。
そうすれば、彼も気がつくでしょう。この世界で信じられるのは私だけ、この私、黒谷愛羽だけだって。そうして私の愛の中に溺れていくの。
あぁ、そう考えただけで、体が火照って溶けてしまいそう。
私の考え得る全てを使って貴方を調教してあげる。
あのクソウザい幼馴染すら、頭の片隅からすら消えてしまうほどに。
というか、せっかく彼と同じ異世界にいるのだらから、彼の全てをしゃぶり尽くしたい。
どうせなら、彼に殺されてみたい。それに、どうせなら彼を殺してみたい。いや、でも、それは可哀想かも。
でも、彼に殺されてみるのは確定。彼が憎しみで顔を歪ませながら、私を殺してくるのだもの、色々な物が体から染み出していきそう。
あぁ、早く、早く手に入れたい。
全てを手に入れたい。
早く手に入れなければ、嫉妬でどうにかなりそうなのだもの。
彼の湯浴みを手伝ったメイドも、彼の着替えを手伝った執事も、彼の部屋を掃除した召使も、彼の食べた料理を作った料理人も、彼に頭を下げた貴族連中も、彼に恋心を抱いてる分不相応なバカな女達も、そして国王もこの国も、何もかも。
全てが憎らしい。
全てを消し去りたいものだけど、我慢、我慢。
今だけは、彼に話しかける事も、彼に触れる事も許しましょう。
それもこれも、彼の全てを手に入れるため。
ゆっくり、どっぷりと私の愛に浸かってもらうため。
誰にも邪魔はさせない。
今度こそは絶対に、彼を手に入れるのだから。
目の前にある2つの星は今、重なりをほどき、離れ合おうとしている。その姿を軽く睨みながら、私は夜空を眺めていたのだった。
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