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第十六章 最終学年

51、考え事は煮詰まるばかり

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電車で出版社へと出社し、櫻は午後から出勤した。

「あの、佐藤です。」
「あら、櫻さん。」

富田編集長が挨拶をした。

「浮かない顔ね。」
「そうですか?」
「顔に書いてある。」
「でも、編集長もお忙しいですよね?」
「その聞き方は聞いて欲しいことがあるってことね?」
「ああ、まあ。」
「大丈夫。今、来月号のゲラが終わったところだから、コーヒーでも行こうかと思っていたの。」
「私、出社したばかりなのに、いいですか?」
「あなたの人生も抱えての社員だからね。」

櫻は嬉しかった。

ハイカラな喫茶店に富田編集長は櫻を連れて行った。
「わあ、すごい重厚感ありますね。」
「そう、私、ここで考え事とか、アイデアとかもらうのよ。」
「環境から、ですね。」
「そう。だから、今日はここがふさわしいかと櫻さんにはね。」

櫻と富田編集長はアイスコーヒーを頼んだ。
まだ夏真っ盛りである。

「あの。」
「うん、どうしたの?」
「実は、辻先生からお手紙をもらいまして。」
「毎週末会ってるのに?」
「そうなんですが、今朝、坂本さんがお届けになって。」
「内容を聞いていいの?櫻さん?」
「はい。富田編集長にしか言えないというか。」
「そうよね。佐藤支店長には言えないわよね。」
「はい。。。」
「それで、どんな内容だったの?」
「実は、先日大杉緑さんがうちにお越しになって。」
「佐藤支店長宛に?」
「それが、不在だったので、私にって。」
「あら、いつ知り合いに?」
「父のお使いで緑さんのお父様にお届け物をしたことがあって。」
「そんな偶然あるのね。」
「そうですね。」
「それで、揺れてるんだ。」
「揺れてる?」
「あなたがいつも大杉さんの随筆を読む時、何度も噛み締めてるから。」
「噛み締めてる?」
「そう。あなた、彼の主義に賛同してるでしょ?」
「真面目な話、それはそうです。」
「うーん。」
「どう思います?」
「あのね、実際、考え方として惹かれるでしょ?」
「そうです。でも、恋愛とかじゃなくて。」
「そうよね。でも、辻さんはそうとらないわね。」
「どうしてですか?」
「二人は友人だし、お互いのことをよくわかってるわ。種類は違うけど、ね。」
「私、先生としか一緒になろうとは考えてないのに。」
「でも、大杉さんがあなたに迫ってきたら、って考えたことない?」
「え?」
「櫻さん、大杉さんは人間として大変魅力はあるわ。でも、男性として独り占めできない人物でもある。」
「え?」
「実はね、私も軽く遊んだことあるのよ。」
「遊んだ?」
「レベルは想像して。でも、彼のことを真剣に思ったら、独り占めしたくなる。だから私は友人以上ガールフレンド以下で収めたわ。」
「そうだったんですか。」
「だから、うちに原稿を寄越してくれるよのよ」

その話を聞いた時、どうしてか、富田編集長に軽く嫉妬をした。
櫻は自分の心が思い通りになっていない気がして、不安を覚えた。
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