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第十六章 最終学年

70、お嬢様、どうぞ

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望月に促され、家の前に停まっている父の車へ向かった。

「お嬢様、どうぞ。」
「え?」
「だって、君、この家じゃお嬢様って呼ばれてるんだろう?」
「ですけど。。」
「さすがって感じだよね。僕は今、運転手だからね。」
「運転手の方が敬語を使われないんですか?」
「僕だって使えるよ。でも気を使わせるだろ。」

先ほど、父にも敬語を使っていないこの男はもう、なんでも許されると思っているのだろう。


「じゃあ、後ろの席に座ってもらって。僕は運転席に行くよ。」
櫻を乗せると、ドアを閉め、望月は運転席へ向かった。

「こういうこと、できる方だったんですね。」
「ん?何が?」
「ドアを閉めるとか。」
「棘があるなあ。」
「いえ、望月さんは自由な方だと思っていたので。」
「僕は西洋式だよ。」
「西洋式?」


そう櫻が尋ねると、車は緩やかに発車した。

「僕はさ、まだ顔が世間に知れ渡ったりしてないから、安心だね。」
「一部の方はご存知なんじゃないですか?」
「ダダの世界はまだ小さいよ。」
「小さい?」
「辻くんがフランスから取り入れて、徐々に仲間を増やしたけどね。」
「今、先生は書いてないですよね。」
「うーん。どうなのかな。書いてるけど世間に出してないだけかも。」
「どうして?」
「うん。それはね、仕方のないことなんだよ。」
「え?」
「ダダを貫くには教師は愚問だからね。」
「教師とダダは一緒じゃダメなんですか?」
「うーん。僕は編集者もしてるだろ?」
「フルタイムじゃないですけどね。」
「もう、棘があるなあ。まあ、いいけど。それでさ、ダダが世の中に普及してないないことが悔しいんだよ。」
「え?」
「だから、僕は書き続けた。でも、アグリが働いていないと書く気が起きないんだ。」
「それって収入に頼るってことですか?」
「違う、違う。彼女をモデルに書く作品が多いからだよ。」
「そうなんですか?」
「うん。どんな役でも彼女がいないことはない。」
「アグリ先生はご存知で?」
「言わないよ。」
「どうして?」
「僕がもし、死んだ時、アグリが知ってくれればいいんだ。」
「え?」
「もし、僕が何かの拍子でアグリより先に向こう側に行ってしまったら、その時彼女に書いているものから自分を感じて欲しいんだ。」
「私だったら生きている間に知りたいです。」
「そうだよね。でも、僕はアグリへの愛情はそういうことなんだ。」
「拗らせてますね。」
「そうかな?」
「辻先生もそうなのかな。」
「もしかしたら、まだ彼は筆は折っていないかもしれない。本当にいいんだよ。」
「え?読んでみたいです。」
「あ、じゃあ大学時代の同人誌を明日持ってくるよ。」


櫻は意外にも望月と辻の作品を読む機会を得た。
明日がワクワクする通学だった。
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