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第十六章 最終学年

72、お迎えの車

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始業式のほとんどが講演会で、教室での授業は宿題の提出などで終わった。
周りの女学生が皆、今日の講演会を聞いて感動したと言っていた。

どうして疑問に思わないのだろう。
女性だって権利を持つべきなのに。。。


上野とはその会話に触れずに、下駄箱でお別れをした。

坂の下に行くと、父の車に望月が乗っていた。
「望月さん。」
「ああ、櫻くん、意外と遅かったね。」
「あの、後ろ乗っていいですか?すみません、遅くて。」

櫻は自分でドアを開けて後部座席に乗った。

「すみません、ちょっと急かせて。」
「いや、櫻くん、何かあったの?」
「車を出してもらってからお話しします。」

ゆっくりと車は走り出した。
「あの、話し始めていいですか?」
「すっかり櫻くんのペースだね。」
「望月さんだから。」
「いいよ。何があったの?」
「あの、婦人会の代表の方がいらして。」
「ああ、あのおばさん?」
「ご存知なんですか?」
「ああ、僕に文句を言いにきたことあるよ。」
「え?」
「職業婦人の小説を書くなんて男として恥ずかしくないのかってね。」
「ひどいですね。」
「どうかな?」
「え?」
「だってさ、周りがそういう風に育てたらそうなるかもしれないだろ。」
「そうですけど。」
「だからさ、僕はあのおばさん、可哀想な人だと思ってるんだ。」
「え?」
「いや、櫻くんが怒るのはわかるよ。」
「ならどうして?」
「世の中にはいろんな考えの人がいていいと思うんだ。それを僕は辻から教わった。」
「先生に?」
「そう。誰も思想は奪えない。思ってること考えてることはその人の自由だってね。」
「先生らしい。」
「だから、辻くんは反対しなかったんじゃないかな?」
「今日の講演会ですか?」
「うん。保守的になったからじゃなくて、いろんな意見を聞いて、それを決めるのは自分だからね。」
「でも、いろんな女学生が影響を受けていました。」
「そうだね。でも、もしうちのアグリが講演したらみんな職業婦人に憧れるよ。」
「。。。」
「そういうのが思春期なんだ。間違ってもいい。やり直せる。」
「望月さんらしくないですね。」
「僕もさ、大学の時、尖ってたんだ。最初ね。辻と出会って、ダダを知って自由に生きることを考えたんだ。」
「でも、世の中が自由を認めなくなってきてます。」
「そうだね。でも、この分野は辻くんに相談するのが一番だよ。」
「そうでしたね。」
「ああ、今日、淳之介の家庭教師している間に辻くんの本を用意しておくよ。」

「ありがとうございます。」
「読むとね、気持ちも収まるよ。」
「そうですか?」
「まあ、そうかっかせず、我が家へ向かいましょう。」


望月は鼻歌を歌い出した。
それはあまり櫻の聴いたことのないジャンルのメロディで、後にジャズというものと知る。
その鼻歌を聴きながら、帝都の街を眺めるのであった。
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