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第十六章 最終学年

106、旅の途中

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櫻は望月の運転する車で帰宅していた。

「ねえ、櫻くん?」
「はい、どうかしました?」
「君はまだ旅の途中かな?」
「え?」
「気になってさ。」
「よく意味がわからないんですが。」
「うーん。人生が旅だとしたら、途中?って意味。」
「ああ、それならまだ始まってないかもしれません。」
「始まってない?」
「そうです。」
「君はしっかりと生きてるじゃないか。」
「そうだけど、まだちゃんと独り立ちもしてないし。」
「でも、佐藤のお家からお嫁に行ったら独り立ちのタイミングはないかもよ。」
「ええ、そうですね。。。。そうしたら、旅はない人生かもしれません。」

はははと望月は笑った。
「初めてだね。」
「どういうことですか?」
「今まで会った女性にこの質問をしたんだけど、まだ始まってない、これからもないかもしれないなんて言われたの初めてでね。」
「そういうものなんですか?」
「そうだよ。みんな、自分が旅の途中だと思ってるよ。」
「そうでしょうか?」
「だから、櫻くんなんだね。」
「私、現実の旅だけでいいです。」
「ああ、君は夏に館山に行ったんだね。」
「そう。ああいう旅ならいつでもいきたいです。」
「人生の旅は長いからね。旅に出ない方が幸せかもしれない。」
「そういう望月さんはどうなんですか?」
「僕の旅はまだ途中だよ。」
「そうなんですか。まだどこかに行っちゃうんですか?」
「そうだね。それは神のみぞ知るだね。」
「アグリ先生、悲しみます。」
「僕の人生の旅は消えても生き続けることだからね。」
「え?」
「僕の作品が、構成に残ったら、それは素敵だろ。」
「私は辻先生の作品は好きですけど、いなくなったら嫌です。」
「そういうもんなのか。」
「残される人のこと、考えてくださいよ。」
「うーん、分かってるけどね。僕はさ、ゴッホみたいになるんじゃないかってね。」
「ゴッホ?」
「ひまわりっていう名画を描いた人だおよ。」
「すみません、あまり回が走らなくて。」
「フランスやイタリアに行くとたくさん見られるよ。でも、ゴッホは生きてる時評価されなかった。」
「悲しいですね。」
「僕は、今幸せだよ。でも、書けない。そんな姿を淳之介に見せるのも忍びない。でもさ、なんとなく、淳之介が文豪になったらさ、僕の作品も世に出回るかもだね。」
「今だって、出回ってるじゃないですか。」
「ううん。僕はさ、ホテルに缶詰になるような不自由さも味わってみたいんだ。」
「難しい問題ですね。」
「慰めないの?櫻くん?」
「うーん。幸せならそれだけで十分ですよ。」
「じゃあ、缶詰は淳之介に託すかな。でも櫻くんの息子が生まれたら、その人も文章を書くかもよ。」
「そうですか?」
「辻くんの血はすごいからね。」


その何十年後かに実際に二人ともの息子が文筆業に携わることはまだ、望月と櫻は知らない。
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