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温暖化
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「僕が地球を温暖化させている。」
鈴原千尋は、夜の冬に呟いた。言葉は、広がって、薄まり、なくなる。ゆっくりと呼吸をする。冷たい空気を吸い込んで白く、吐く。とおくの空から落ちてくる雪が肩に乗る。その上にまた雪が乗る。「僕が地球を温暖化させている。」念のためもう一度、呟く。
「千尋くん、そのセリフ気に入ってるの?」
横から慶永結衣が悪戯っぽく訊いた。「温暖化ってちょっと大逸れてない?」とも付け足す。千尋は、「たしかに、大逸れてる。」と応える。二人が並んで立っている歩道橋の下を、車が一台通り過ぎて行く。
「どうして千尋くんが地球を温暖化させてるって思うわけ?」
結衣が千尋の顔を覗き込む。澄んだ瞳が優しく届く。「千尋くんより地球を温暖化させてる物っていっぱいあると思うんだけど。」
この問いに、千尋は、すぐに応えることができなかった。俯き、しばらく黙った。彼も、結衣が、特に深い意図などなくこの質問をしたことぐらい分かっていた。が、なぜか、黙ってしまった。言葉が出てこなかった。「温暖化」という言葉が頭の中でふわふわ浮かんで、膨らんで、萎んで、沈んだ。
暫くして、自分が言った言葉の意味を自分が理解できていないんだと、気づいた。その上で、問いに対して、自分がどんな答えを出すのか、自分で自分を試しているような気分になる。スマホの通知が数回鳴ったが全て無視した。雪で速度を落とした車が何台も歩道橋をくぐって行ったが、知らないふりをしてやり過ごした。その間、結衣は、千尋の顔を覗き込んでじっと待った。二人の肩に雪が積もっていく。
「自分でも、」
千尋が話し始める。
「自分でも自分が何言ってるのかわからないんだ。わからないのに声に出さずにはいられない。僕にとって温暖化ってそうゆう言葉なんだ。僕より地球を温暖化させてるものは沢山あるけど、それでも僕だって地球を温暖化させてるって言いたい。」
千尋は素直に応えた。いろいろ考えた結果、素直に応えた。言葉を飾る程の余裕はなかった。
「私もそうゆう時、あるよ。自分が何言ってるのかわかんなくなっちゃって、でも何か声に出したくて。それで結局とんでもない事を言っちゃう時。」
結衣は相変わらずやわらかい雰囲気を纏って言う。
「例えば、千尋くんに初めて好きって言った時はそうだった。」
千尋は、ぐちゃぐちゃ考えていたことを一旦頭の中から追い出す。代わりにあの日の事を振り返る。
「あの時は僕も君が何を言っているのか分からなかったよ。」
少しずつ思い出す。
「千尋くんはたしか、あの時、僕の方が好きですって言ってたよね。」
だんだん鮮明に思い出す。
「僕が言ったことはちゃんと聞いてるんだね。」
「すごいでしょ。」
「うん、すごい。」
車が、今度は二台続けて通り過ぎた。道路沿いの街灯が点滅する。
「僕が地球を温暖化させている。」
千尋は、その言葉の意味を探すように、今度は、語りかける。誰に語りかけたのかは、本人さえも知らない。
「やっぱり気に入ってるんじゃん。」
結衣が戯けるように言う。千尋の中でぼんやりと言葉の形が造られる。
「気に入ってるって言うより、その事実を言葉にして確認したいんだと思う。僕が吐き出した息が地球を少しずつだけど温暖化させてるって。僕が地球に影響を与えてるって。」
千尋は、「温暖化」の意味を、自分自身に言い聞かせるように応えた。
通り過ぎて行く車を眺めていると、自分のことを無視されているかのように思える。遠く暗い空を見上げると、僕なんて存在しないんじゃないかと不安になる。自分に問う。僕に影響力はあるのか。
「ようするに」
凜然と慈愛が混ざったような表情で、結衣が言う。おそらく彼女に要する気はない。
「千尋くんは地球に影響を与えたいんだね。」
やはり、結衣の「ようするに」は、要されてはいなくて、ただ、千尋が言ったことの繰り返しだった。しかし、ただの繰り返しが、千尋にとっては世界の真理だった。肩に積もった雪を払う。
「僕の影響力ってどれくらいかな?」
千尋が、軽快に訊く。「こーれくらい」と、結衣が両手をいっぱいに広げる。
二人でゆっくり空気を吸い込んで、白い息を吐く。
「僕が地球を温暖化させている。」
少し前より大きな声で、呟く、というより「言う」。
「私はさ、地球なんかより温暖化させるべきものがあると思うんだけど。」
静かで冷たい夜の空気に結衣の透き通った、明るい声が滲む。
「僕もそう思うよ。」
二人は見つめ合う。
「せーので、何を温暖化させるか言おっか。」
結衣が無邪気に言う。千尋は「そうしよう。」と応える。
雪が止んでさっきよりも空が近く感じられる。依然、吐く息は白い。歩道橋の下を通り過ぎる車はない。
「「せーの」」
手
歩道橋の階段をのんびり下りてゆく。千尋の右手と結衣の左手はしっかりと繋がれている。
二人の手が温暖化する。
鈴原千尋は、夜の冬に呟いた。言葉は、広がって、薄まり、なくなる。ゆっくりと呼吸をする。冷たい空気を吸い込んで白く、吐く。とおくの空から落ちてくる雪が肩に乗る。その上にまた雪が乗る。「僕が地球を温暖化させている。」念のためもう一度、呟く。
「千尋くん、そのセリフ気に入ってるの?」
横から慶永結衣が悪戯っぽく訊いた。「温暖化ってちょっと大逸れてない?」とも付け足す。千尋は、「たしかに、大逸れてる。」と応える。二人が並んで立っている歩道橋の下を、車が一台通り過ぎて行く。
「どうして千尋くんが地球を温暖化させてるって思うわけ?」
結衣が千尋の顔を覗き込む。澄んだ瞳が優しく届く。「千尋くんより地球を温暖化させてる物っていっぱいあると思うんだけど。」
この問いに、千尋は、すぐに応えることができなかった。俯き、しばらく黙った。彼も、結衣が、特に深い意図などなくこの質問をしたことぐらい分かっていた。が、なぜか、黙ってしまった。言葉が出てこなかった。「温暖化」という言葉が頭の中でふわふわ浮かんで、膨らんで、萎んで、沈んだ。
暫くして、自分が言った言葉の意味を自分が理解できていないんだと、気づいた。その上で、問いに対して、自分がどんな答えを出すのか、自分で自分を試しているような気分になる。スマホの通知が数回鳴ったが全て無視した。雪で速度を落とした車が何台も歩道橋をくぐって行ったが、知らないふりをしてやり過ごした。その間、結衣は、千尋の顔を覗き込んでじっと待った。二人の肩に雪が積もっていく。
「自分でも、」
千尋が話し始める。
「自分でも自分が何言ってるのかわからないんだ。わからないのに声に出さずにはいられない。僕にとって温暖化ってそうゆう言葉なんだ。僕より地球を温暖化させてるものは沢山あるけど、それでも僕だって地球を温暖化させてるって言いたい。」
千尋は素直に応えた。いろいろ考えた結果、素直に応えた。言葉を飾る程の余裕はなかった。
「私もそうゆう時、あるよ。自分が何言ってるのかわかんなくなっちゃって、でも何か声に出したくて。それで結局とんでもない事を言っちゃう時。」
結衣は相変わらずやわらかい雰囲気を纏って言う。
「例えば、千尋くんに初めて好きって言った時はそうだった。」
千尋は、ぐちゃぐちゃ考えていたことを一旦頭の中から追い出す。代わりにあの日の事を振り返る。
「あの時は僕も君が何を言っているのか分からなかったよ。」
少しずつ思い出す。
「千尋くんはたしか、あの時、僕の方が好きですって言ってたよね。」
だんだん鮮明に思い出す。
「僕が言ったことはちゃんと聞いてるんだね。」
「すごいでしょ。」
「うん、すごい。」
車が、今度は二台続けて通り過ぎた。道路沿いの街灯が点滅する。
「僕が地球を温暖化させている。」
千尋は、その言葉の意味を探すように、今度は、語りかける。誰に語りかけたのかは、本人さえも知らない。
「やっぱり気に入ってるんじゃん。」
結衣が戯けるように言う。千尋の中でぼんやりと言葉の形が造られる。
「気に入ってるって言うより、その事実を言葉にして確認したいんだと思う。僕が吐き出した息が地球を少しずつだけど温暖化させてるって。僕が地球に影響を与えてるって。」
千尋は、「温暖化」の意味を、自分自身に言い聞かせるように応えた。
通り過ぎて行く車を眺めていると、自分のことを無視されているかのように思える。遠く暗い空を見上げると、僕なんて存在しないんじゃないかと不安になる。自分に問う。僕に影響力はあるのか。
「ようするに」
凜然と慈愛が混ざったような表情で、結衣が言う。おそらく彼女に要する気はない。
「千尋くんは地球に影響を与えたいんだね。」
やはり、結衣の「ようするに」は、要されてはいなくて、ただ、千尋が言ったことの繰り返しだった。しかし、ただの繰り返しが、千尋にとっては世界の真理だった。肩に積もった雪を払う。
「僕の影響力ってどれくらいかな?」
千尋が、軽快に訊く。「こーれくらい」と、結衣が両手をいっぱいに広げる。
二人でゆっくり空気を吸い込んで、白い息を吐く。
「僕が地球を温暖化させている。」
少し前より大きな声で、呟く、というより「言う」。
「私はさ、地球なんかより温暖化させるべきものがあると思うんだけど。」
静かで冷たい夜の空気に結衣の透き通った、明るい声が滲む。
「僕もそう思うよ。」
二人は見つめ合う。
「せーので、何を温暖化させるか言おっか。」
結衣が無邪気に言う。千尋は「そうしよう。」と応える。
雪が止んでさっきよりも空が近く感じられる。依然、吐く息は白い。歩道橋の下を通り過ぎる車はない。
「「せーの」」
手
歩道橋の階段をのんびり下りてゆく。千尋の右手と結衣の左手はしっかりと繋がれている。
二人の手が温暖化する。
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