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勤労意欲
しおりを挟む1か月も経った頃、少し今の生活に慣れて来た。
コツみたいなのも掴んできたし、おっかなびっくりやっていたお世話も板について来た。
相変わらず、貴世実さんは、大人しい。
そして、博弥さんは、なかなか難しい。
「博弥ぼっちゃまは、意志の強い子になりそうですね」
つかまり立ちをはじめ、あらゆるものを手にしようとする博弥さん。
手にするまで絶対にあきらめず、雄たけびを上げるので、応接室も玄関も、必要ない高価なものが隠された。
とても、ガランとした部屋に生まれ変わった。
私としては、この方が落ち着く。
博弥さんの腕を持つ係に任命された私は、彼の進みたい方にひたすら従っている。
宵さまは、気にしていないのか、何の反応もなく、ソファに座って新聞を広げ、コーヒーを飲んでいる。
休日でもキッチリとしたスーツを着ているが、さすがにジャケットは来ていない。
ワイシャツにベストという、けしからん格好だ。
好み過ぎる。見ないようにするのが大変だ。
宵さまは、時おり、ちらりと息子たちを見るけど、また視線を新聞に戻す。
久子さんは、最近は宵さまが居ても、私と雑談してくれるようになった。
「そうね――きっと、この家をぶっ……ううん、私たちを越えていくわ」
「どういう意味ですか?」
「とにかく凄い男になるわ、宵さまにそっくりだもの」
宵さまの紙面をめくる音がする。
すると、久子さんに抱かれている貴世実さんが、音に反応してキャッキャと喜んだ。
「珍しいわ、貴世実さんが存在感をだしてきたわ」
思わず博弥さんの手を離して、拍手しようとしたら、怒られた。
博弥さんの唸りは、既に中々、良い声だ。
ガサ、ガサ、ガサ
じっと紙面を眺めている宵さまが、ガサガサ音を立てている。
明らかに貴世実さんを意識してやっている。
なのに、じっと新聞を眺めているフリをしている。
か、可愛すぎる!
宵さまが可愛すぎる!
思わず、久子さんと目を合わせ、微笑みあった。
その空気を感じたのか、宵さまが私を見た。
うっ、しまった。
嫌な感じだったか?
「……なんだ」
「いえ、最近、社会の様子は、どうなっているのでしょうか」
「儲かっている奴らが浮かれている」
宵さまの言葉は、批判的な音色がした。
儲かっている側の人間なのに、そうでない方から見たような発言だ。
「宵さまは、儲かってない方なのですか?」
私の質問に、久子さんがギョッとした顔をした。
しかし、宵さまはポーカーフェイスだ。
「心配するな、問題ない」
「心配はしてないです」
「……なぜだ。事業に失敗すれば、無一文どころか、借金まみれになる可能性だってあるぞ」
宵さまは、新聞を畳んで、意地悪をするように言った。
わざと、不快感を与えようとしている。
悪いお顔だ。
目が挑発している。
ものすごく――素敵だ。
ゾクゾクします。
「望むところです」
私の答えに、宵さまは『何言ってるんだ、こいつ』の顔をしている。
勝った。
まぁ、宵さまが今後も実業家として大成功していくのをネタバレくらってますが。
「私、その時は、女教師の職に就こうと思います」
教員試験は、もちろん落ちた。就職難だ。
この世界の、この時代はどうなのだろうか。
ちょっと心配なのは、週休二日制なんて息してないどころか幻さえ見えない時代だということ。
ブラック通り越して、闇。
宵さまも、休みが殆どない。
帰りが早い時も結構あるけど、職場環境のせいらしい。
電気が付かないとか、色々。
「……その日は来ない」
どうでしょうか、もし復讐を回避できたとして、会社乗っ取りとかあるかも?
その時は、夫婦で再スタートとか?
そこまで考えて、あれ? 絹子の実家ってお金ないのかなと思った。
身分を買われた令嬢ってことは、実家は既に不良債権?
き、聞けない。
実家の記憶一切ないなんて――言えないから聞けない。
「君が労働について語るとはな……」
「私は絹子ですが……心境の変化です。ほら、世の中は女工さんが増えていると聞きますし、西の諸国は戦争もしてます。もう、のんびり生きていられる時代じゃないと、やっと気が付いたのです」
博弥さんが、絨毯の手触りに夢中になっているので、宵さまに向かってファイティングポーズを取った。
「……」
宵さまが、ジトっとした目で私を見ている。
まずい。
また24時間、監視入院はいやだ。
絹子には労働意欲などない!
「あ、でも。出来たら働きたくないです。このまま、大して家事もしないし、育児もすごい手伝ってもらいながら、ゆるふわっと子供と暮らす、上流な女でいます」
「……」
宵さまが、険しい顔をしている。
さ、さすがに、休みもなく働きづめの旦那に語る内容じゃないか。
さじ加減が難しすぎる!
「でも、あれです。いざという時は、私も隠された能力を発揮するという話です」
「君の、隠された、能力とは」
無の表情で問われた。
面接官か!
「あー、あれです。そろばん、結構得意です。英語も文章なら多少、いや駄目だ、そんなわかんないです。いやぁ……本当にちょっと……ない?」
困った。
パソコンもないこの時代、私に何ができるというのか。
教師にしても、求められる内容が違いすぎる気がする。
絹子、体力ないし。
すぐ立ち眩みするし、力ないし。授乳しているせいか食べても太らないし。
「絹子、美しい外見しかないですわ」
私のつぶやきに、宵さまが咽た。
「だ、大丈夫ですか⁉」
いい、来るな、と手を挙げて制された。
「奥様は教養が深く、ピアノ、琴、刺繍、和歌、舞踊をたしなんでいらしたと聞きました」
久子さんが、フォローを入れてくれた。
良い人、本当に良い人。
姑さん、もっと給料あげてください。
「ありがとう、久子さん」
でも、どれも嗜んでない。
まったくできる気がしない。
待てよ、ピアノとかって、身についていて、体が覚えているとか?
応接室の隅に置かれている、アップライトのピアノに視線を送った。
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