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隙間から見てるよ
しおりを挟む非日常、非常事態。意味の分からない、そんな現状に、必死に対応して過ごしてきた。
でも宵さまと話をして、私の心は冷静になって足を止めた。
「私、何してるんだろ」
意味もなくポロポロと涙が流れた。
何故泣くのか自分でも分からない。特別、私を苦しめることなどない。
衣食住、すべて満たされているのだ。
「うー」
ソファに座って抱いている貴世実さんが、不思議そうに私を見ている。
小さな手が、下手くそに動いている。
博弥さんは、女中がおぶって散歩に出てくれている。
「あー、あー」
無茶苦茶に手を挙げているので、その手を掴んだら、嬉しそうな声を聞かせてくれた。
宝石みたいに綺麗な目が、じっと私を見ている。
かわいい。
文句なしに愛らしい。
ぷにぷにの頬も、ちいさなクリームパンみたいな手も。
乳を吸うように動く口も。
逆らえない愛しさだ。
「貴世実さんが、見ているのは私ですか? それとも絹子ですか?」
「あー」
不適切な発言をしている自覚がある。
ちょっと、心が闇に覆われている気がする。
「今、ここにいるのは、偽物なんです」
「うーあー」
私の話しかける声に、呼応するように貴世実さんが声を出している。
「貴方も、絹子に戻ってきて欲しいですか」
貴世実さんは、この家を継いで、博弥さんの傀儡になる。
博弥さんの復讐劇の中盤で、貴世実さんは博弥さん側につくのだ。
世間知らずで理想主義のお坊ちゃまに育つ貴世実さんは、独善的で社員の話を聞かない父を毛嫌いし、過干渉な母を鬱陶しく思っていた。二人を助けるより、博弥さんについた方が良いと考えたようだ。
「んぅー」
天使のように笑う貴世実さんは、穢れなどなく、まっさらだ。
この子に、そんなドロドロした未来は似合わない。
もうお母さん生活も、2か月。
日に日に、愛着が湧いてきた。
彼らには幸せになってほしい。
「でも、良い未来に変わったら、お別れでしょうかね」
みんな、絹子が此処に戻ってきても、いなくなった時と同じように、妙な事もあるものだと変わらない日常をおくるのだろう。むしろ、戻ってよかったと?
寂しいと思ってしまう。この世界の、異質な病原菌なのに。
少しでも、覚えていて欲しいと思ってしまう。
「そうだ……」
鼻をすすり、貴世実さんを抱いてピアノの前に座った。
歌を教えよう。
歌って、結構記憶に刷り込まれる気がする。
「良いですか、貴世実さん。今日から毎日聞かせますからね」
絹子の音色を目指すのに、疲れたし。
ちょうどいい。
「何がいいかなぁ」
時代考察をしなければならない。
もしも、作者が作る前に歌ってしまったら問題がある。
大正時代より、絶対に古いもの。
子守歌?
確か、江戸時代の映画でも歌ってた。
あれなら、メロディーを拾えそうだ。
「よし」
一音目を出したら、意外とすんなりメロディーが弾けた。
つ、ついに、絹子の能力が覚醒?
私は、貴世実さんを片腕で抱いて、ピアノを弾いて歌った。
貴世実さんは、相変わらず大人しく、目を合わせると、ニコニコ微笑んでいる。
やばい。
心から、温かい何かがあふれ出る。
「貴世実さん」
ぎゅーっと抱きしめて、その頭に私の頬を擦りつけた。とても満たされる。
愛情って、注いでもらうより、注ぐ方が満たされるのかもしれない。
かわいい。
「あー!」
隙間なく貴世実さんを抱きしめていたら、部屋の外から、博弥さんの声がした。
なぜか、浮気現場を見られたような気がして、ぎょっとした顔で振り返ってしまった。
応接室と廊下を仕切る、引き戸が開いていた。
ダークブラウンの艶やかな木で出来たそれには、色鮮やかなガラスがはめ込まれている。
「お、おかえりなさい――あれ?」
「あー!」
てっきりお散歩に連れ出してくれた女中だと思ったら、宵さまだった。
スーツ姿の宵さまが、博弥さんを抱いていた。
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