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旅立ち編
出会い
しおりを挟む「ちょっと、やめて! ふん張らないで、こんな所で」
女が、いきむ真鴨に声を上げている。
彼女の名は、睡。
鴨の名をネギ。
高天原神宮のお騒がせものだ。
今日は、鳥居をくぐった橋の上で、ネギが産卵を始めた。
「なんで、今の時期に……お願い、我慢して」
そろり、そろり。
睡は、巫女装束の小袖をまくり、ネギを捕まえようと腕を広げ、歩みを進めた。
「グェエエエ!」
光沢のある青緑の頭が、睡を睨みつけ威嚇して鳴いた。
広げた翼は、睡の両腕と変わらないほど大きい。
「騒がないで」
ネギは、普通の鴨ではない。
神の眷属と謂われる、神獣だ。
睡は、ネギに選ばれた、巫女だ。
巫女らしい鮮やかな緋袴に、白衣、そして上から薄手の千早を羽織っている。
千早には、煎茶色の糸で本物よりも勇ましい鴨が刺繍されている。
「クァアア……」
力の抜けた声で鳴いたネギが、翼を戻し、静かにしゃがみこんだ。
今から、いっちょやる、そんな顔をしている。
「ちょっ、待って。卵産まないで!」
睡は、橋の欄干まで駆け、左腕を投げ出すように草むらを指さした。
「ほら、そこ。川の端っこはどうかしら。良い草が生えてますよ、お客さん。ね、今からでも全然遅くないわ」
睡が腕を突き立てるように伸ばすと、腰元で結ばれた長い黒髪が、川面を流れる風に揺れた。
「移動しましょう。ほら、ネギ、早く」
まくしたてるように早口だ。しかし、ネギは静かに目を閉じた。
「ネギ!」
「出物腫物ところ選ばずと申します」
ネギへと駆け寄ろうとした睡の前に、侍女が膝をついた。静かで無駄のない動きだった。
「お艶、ちょっと一緒にネギを抱き上げて。誰かが来る前に移動しないと」
「私には、神獣様の邪魔をすることはできません」
お艶は、橋桁の木目を睨み、抑えた声で言った。上がりそうな口角を堪えようと、口元が蠢いている。
「おつや~、いいから。私が許可するから」
ネギは、大人の腰ほどの背丈があり重かった。
巫女として宮で暮らす、華奢な彼女には持ち上げられない。
「なりません」
「なりますよ」
「いいえ、なりません」
「もー、お願いよ。ん? ほら、人が来る音がするわ!」
睡は、お艶の隣にしゃがみこんで、大きな鳥居の先を指さした。
鳥居のこちら側は、神域。
許可された者しか入れない。
市井の者は、鳥居の向こうの宮にしか参拝ができない。
ここまでの参道も規制されている。
「随分と遅いご到着の大名様ですね。皆様、もう殆どお帰りになったのに」
「そんなことはいい、とにかく……あっ、いきんでる」
ネギは、一点を見つめ微動だにしない。
「あー、もう止まりませんね。いつも通り、十二個の卵をお産みになるのに、少々お時間が必要です」
「……」
ふらりと立ち上がった睡は、半開きになった目で、お天道様を見上げた。
「おや、睡様。雨も降っていないのに、空に虹が。これは、吉凶の知らせではございませんか?」
「凶よ、凶。 あぁ、嫌な予感がする」
ぶるりと震える肩を抱く睡に、お艶が寄り添った。
「ついに、睡さまにも縁談が舞い込むのではありませんか。十八までに嫁ぐのが一般的な神獣の巫女において、最年長記録を更新しつづけ、気付けば二十七。もはや幼き巫女様たちに母親扱いされる始末」
朗々と語るお艶に、睡の瞳が完全に閉じ、耳も両の手で塞がれた。
睡の脳裏には、無邪気に「かかさま、あっ、申し訳ありません、睡さま」と走り寄る、童たちの顔が浮かび、自嘲のような笑みが浮かんだ。
「よいのです、あの虹に幼き巫女たちと、ネギの子供たちの幸せを願いましょう」
瞼の裏で白目をむきながら、睡はそっと手を合わせた。
川を流れる水音に耳を立てれば、口さがない人々の雑音など、何も――聞こえた。
数多くの行進の足音が。
そして、駆け足で離れていく、お艶の足音も。
たったった、ざっ。
お艶の足にぐっと力がこもった。
嫌な予感がした。
この風変わりな侍女がやる気を出しているときは、大抵碌なことが起きない。
「お待ちくださいませ!」
お艶は鳥居の手前で、やってきた者たちに声をかけた。足音はぴたりと止まった。
彼女の声は、いつになく使命感に溢れていた。
皆の注目が集まった。
お艶が大きく息を吸い込み
「神獣様、産卵中にございます!」
高らかに言い放った。
その声は、太鼓の音のように、皆の鼓膜を揺らした。
そして、睡の羞恥心を、ドコドコと容赦なく闊達に打ち鳴らした。
や
め
て
え
ぇ
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