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新生活
しおりを挟む長年染みついた起床時間に目が覚めた。目に入ってくるのは、古いシミのある天井と、竹細工の施された電気傘だ。紐に釣らされた猫のマスコットが僕を見下ろしている。
「夢じゃなかった」
昨日の出来事は夢にはならなかった。わずかな希望が打ち砕かれ、僕は、両手で顔を覆った。
この悪夢から目を覚ます方法はあるのだろうか。自問自答し、一つの答えに辿り着く。
「忘れた事を思い出さないと」
自分に言い聞かせるように呟いた。そして、布団から抜け出すと、台所へと向かった。
「おはよー、理斗、はやいねぇ」
夕太郎が、小脇に新聞を挟み、あくびをかみ殺しながら、玄関から入って来た。根元が黒くなった金髪は、寝癖で角が立っていた。体のラインが浮き彫りになるピッチリした半袖シャツは、夕太郎の厚みのある筋肉を浮き彫りにいている。下はゆったりとした薄いズボンなので体のラインは分からない。
「新聞さぁ、前の養い主のキャバ嬢が取ってたんだけど、まだ来るんだよね。引き落とし気づいてないのかな? でも、丁度いいね。あの事件載ってるかな?」
夕太郎がダイニングテーブルに新聞を広げたので、気になって横から覗き込んだ。
「無いね、後でスマホでも調べてみようか」
ざっと紙面を確認した夕太郎は、冷蔵庫へと向かい、中を物色している。
「……」
僕は、新聞の番組表を見て、違和感を覚え顎に手を当てて首を捻った。最近よく見ていたアニメも、兄が夜みているニュース番組も載っていなかった。今日は何曜日だっけ? 日付の欄に目を向けた。令和五年九月三日と記されている
「れい、わ? 令和五年? は?」
新聞が謎の誤植をしている。今は、平成二十五年なはずだ。一人で、うんうんと頷き新聞を畳んだ。
「朝ご飯、一瞬で作るから、理斗ごはんよそって」
夕太郎は、水切り籠の茶碗としゃもじを指さすと、ウィンナーの袋を破壊するように開けて、袋を振ってフライパンにボトボトと落とした。
「……」
夕太郎の隣に立ち、水切り籠の中を物色した。茶碗一つと、汁物のお椀一つしかない。しかたなくそれを手にして、夕太郎を見上げるけれど、その視線に気づいてもらえない。夕太郎は鼻歌を歌いながらウィンナーを転がし、シンクに置かれた卵を割り入れた。
夕太郎って思ったより大きい。顔が小さいから、遠くからみると気がつかないけど、真横に立つと実感する。背高いなぁ、一八二センチある兄さんよりも大きそうだ。というか、鼻高いし、一つ一つのパーツが意外と繊細で、横顔も綺麗。なんでこんなチンピラみたいな感じなんだろう。
僕の頭の天辺は、夕太郎の顎の高さにも届いていない。手の大きさ、体の厚さ、どれをとっても男として勝てそうに無い。僕は勝手に敗北感を抱いた。
「俺、やっぱり鑑賞したくなる格好良さだよね」
視線に気がついた夕太郎は、調理した物を皿に移しながら、僕の目を見て、ニヤニヤと笑った。
「そういえば、夕太郎さんは、何歳ですか?」
炊飯器から、ご飯をよそい、しゃもじをマイクのように向けた。とりあえず、さんを付けて読んでみた。頭の中では、すでに呼び捨てだけど。
「俺? 二十二歳になった。理斗は?」
「僕は、十八です」
「若! えっ、ティーン? まぁ、十八過ぎてるから水商売もできるじゃん」
皿をテーブルに並べた夕太郎は、僕の肩を抱いた。そうだった。この人、ヒモ生活の為に、僕を拾ったんだった。でも家には帰れないし、ここに置いて貰うしかない。
「あ、あの……普通のバイトじゃダメですか?」
夕太郎の腕から抜け出し、ご飯をテーブルに置いた。男の水商売というとホストくらいしか思い浮かばないけれど、コミュニケーション能力に自信が無いし、出来る気がしない。スーツを着ても高校生にしか見えないと思う。ホストなら、むしろ僕なんかよりも夕太郎の方が向いていると思う。
「普通の仕事ってさ、全然稼げなく無い? ちょっと普通じゃない所の方が、身分証いらないし、交渉次第では金も良いよ。どうせなら楽して稼ぎたいじゃん」
足を大きく開いて椅子に座った夕太郎は、ワンカップの日本酒の瓶に立てられているお箸を左手で取った。そして、右手でテレビのリモコンを持って振りながら、やっぱり付かないと文句を言っている。
「俺、もっと大きくて薄くて綺麗なテレビが欲しいよ」
リモコンを置いて、テーブルに身を乗り出した夕太郎は、キリッとした微笑みを見せた。なぜだろう。買わなきゃって気がしてきた。
えっ、怖! これがプロの手口なのかな。
同性でも一瞬見入ってしまうような、綺麗な顔で微笑まれ僕は、言葉を失った。
「まぁ、テレビはさ、もっと後でも良いけど、ウチには今、七千五百円しかありません!」
夕太郎が自慢するように言った。全然、口を挟む余地がない。僕、殺人の容疑者で逃亡中なのに、何だか、この人と話をしていると、存在が強烈すぎて気が紛れる。嫌、ダメだよ! 考える事一杯あるのに。僕がブンブンと頭を振ると、夕太郎が「とりあえず、ご飯たべよっか」と声を掛けて、朝食の時間が始まった。
ご飯を食べ終え、夕太郎が昨日の事件について話題になっていないか、スマホで調べ始めた。二人で椅子を並べ一つのスマホを覗き込んでいると、五分もしないうちに、電話がかかって来た。
「もしもーし、親父どうしたの?」
夕太郎がスマホをテーブルに置いて『親父』と表示されている人物と会話を始めた。お父さんだろうか。
『てめぇ、昨日は無視しやがって。お前のせいで俺が今日、現場出てんだぞ』
スマホから聞こえてくる、男性の声は、口調の割には優しそうな雰囲気だと感じた。
「いやぁ、色々あって、新しい養い主拾ってきたんだ、へへへ」
夕太郎の金髪の頭が、僕の肩にのせられた。人とのスキンシップに慣れていないから、体が勝手に強ばった。ちょっとソワソワする。
『しょうもねぇな! ウチでちゃんと働けって言ってんだろ。まぁ、それは今時間ねぇからいい、お前、今から橋本の所行って、クソガキの躾けしてこい』
「えぇ~、俺、暴力とか向いてないっていうか、暇じゃ無いっていうか」
ねぇ、と夕太郎が僕の肩から頭を離して、同意を求めるように笑った。僕は、肩に残った夕太郎の温もりが、くすぐったくて曖昧に微笑んだ。
『タダで部屋に住まわせてやってんだろ。軽トラもいつの間にか私物にしやがって、お使いぐらいしやがれ』
夕太郎は、ヒモしているだけじゃなくて、親のスネというのも囓っているのかな? 家出したとか言ってなかったっけ? 一緒に住んでないだけなのかな?
「わっかりましたぁ、でさぁ、親父。テレビが壊れたんだけど」
上半身を、ゆらゆらと揺らしながら、夕太郎が言った。さっき僕にねだったテレビが別の人にお願いされている。なぜか疎外感を感じて、慌てて唇を噛んで目を見開き、正気にもどした。
『てめぇ、このやろう。高いのは買わねぇからな。さっさと行け!』
電話は、相手の方から切られた。
「やったね、理斗。でっかいテレビ買って貰おうね」
夕太郎の長い指が、僕の白くてモチモチした頬を突いた。すごい。何だか分からないけど、夕太郎には天性のヒモの才能が?
「よし、じゃあ一仕事行こうか、理斗」
「えっ、ぼ、僕もですか」
「そうだよ。俺ってば、もう理斗の金魚の糞とか、腰巾着だよ。理斗の仕事中以外は、ずっと一緒だよ」
「そ、そうなんですか」
「そうなんす」
僕は夕太郎に追い立てられるように、渡されたサイズが大きすぎるTシャツに着替えた。胸部分には、ゆるい柴犬の絵がプリントされており『オレ、飼い犬』と書かれている。前の人が買ってくれたらしい。夕太郎の半ズボンは僕には膝下丈で、ウエストもゆるゆる過ぎてベルトを絞めた。夕太郎は、黒いつなぎに着替え、部屋を出た。
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