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第4章 仲間殺し

第63話『それでいいのだと思います』

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 斧に剣が深くめり込んでいる。折れはしないものの、武器としてはもう使い物にならない損傷だ。
 人に変わる武器は、使い手に人を超越した力を与える。条件は不明確だが、それには段階があるようだ。リュールはまさに今、ブレイダから溢れる力を実感していた。
 ならば、逆はどうだろうかと考える。答えは目の前の男が持っていた。

「あ、あああ……」

 ひび割れ砕かれたスクアを見つめ、ゴウトは言葉にならない声をあげる。腕や膝が震え、全身から力を失っていく。先程までリュールと刃を交わしていた相手とは到底思えなかった。
 超常の力は、武器と使い手の相乗で成り立っている。リュールは改めて、自身の変化に身震いした。

『小僧……小娘……よくもやったな……』

 ブレイダを通してスクアの声が伝わってくる。人で言うならば、息も絶え絶えと言った様子だ。

『戦いの場です。勝つ方が勝ち、負ける方が負けます』
『だが……儂は……ゴウトの望みを……』

 黒紫の刃から闇が広がるようだった。黒い陽炎のように、スクアの周囲が揺らめく。同時に、膝をつきそうになっていたゴウトの体に力が蘇る。

「うおおおおお!」
『そうだ……ゴウト!』

 ブレイダが食い込んだままのスクアを押し込んでくる。それでも、力を増したリュールには敵わなかった。

『まだだ……儂を信じろ』
「おおおお!」

 スクアから溢れ出した闇はゴウトの全身を包む。押し込む力は、次第にリュールと拮抗していく。斧のひび割れは徐々に大きくなり、ブレイダはより深くスクアの身に斬り込んでいった。
 一度引いて体勢を立て直すことも考えたが、今となってはもう遅い。力を抜いた瞬間、折れかかった斧でリュールは両断されてしまうだろう。

『さぁ……あと少し……』

 ゴウトの膂力は、リュールと同等以上になっていた。ゆっくりと斧槍が迫る。

「こんなもんじゃないだろう、俺達は!」
『はいっ! リュール様! やれます!』 

 呼び掛けに応えるように、白銀の剣身が輝いた。ゴウトを包む闇とは正反対の、眩しいくらいに強い光だった。
 その時、リュールは自分が人でなくなったことを実感した。常識外れの筋力、あらゆる知覚の加速。いずれもこれまでの比ではない。

 スクアを押し返すのも容易だった。あと少しだけ力を込めれば斧は二つに分断できるだろう。武器を完全に破壊すれば、使い手も力を失うはずだ。

『まだ……もっとだゴウト……儂を信じて』

 斧の部分は完全に切断された。残りは太い柄の部分だけだ。

「もういい、もうやめてくれスクア」
「なっ……ゴウト?」

 突如ゴウトが武器の名を呼んだ。長大な斧槍は幼い少女に変わり、主人の腕の中に収まった。人になったスクアは、全身がひび割れていた。
 
「くっ……!」
『リュール様!』

 拮抗していた相手を失い勢いづいたブレイダは、ゴウトの顔に向かう。気付いたら彼女は最軽量になっていた。なんとか軌道を操り、ゴウトの額を掠める程度に留まった。

「ゴウト……なぜだ? もう少しだったろうに……」
「お前を死なせたくなかった」
「信じてくれれば、すぐに直してみせるから……」
「いや、もういいんだ」

 少女を抱き締めたゴウトは、呻くように心情を吐き出す。黒いもやは既に消えていた。そこにはもう、戦う意思を感じられない。
 ゴウトの腕に包まれた少女の髪が、少し灰色かがった色に変わっている。気付いたのはリュールだけのようだった。

「ゴウト……あんた……」
「リュール、強くなったな」
「こいつのおかげだよ。それと、あんたの」
「そうか、それがお前の強さか……」

 ゴウトはスクアに目を落とす。武器と使い手は、互いを慈しむような視線を絡め合っていた。

「ありがとう、俺の願いを叶えようとしてくれて」
「しかし、お前の願いを叶えられなんだ……」
「いいんだよ、今更ではあるけどな」

 額の傷からは血が流れ続けている。傷を治す力も弱まっているのかもしれない。周囲に残った人型魔獣は、黒紫の武器からの制御を失い、それぞれに動き始めていた。

「リュール、行ってくれ」
「ああ」
「付き合わせて、悪かったな」
「あんたが結論を出せたなら、それでいい」
「そうか」
「じゃあな、ゴウト」
「ああ、さようならだな、リュール」

 リュールは街に向かい地面を蹴った。
 後方で人型魔獣が恩人に群がるのを感じていたが、振り向くことはしなかった。

「主人を失った武器はどうなるんだろうな?」

 走りながらリュールは愛剣に問う。

『心が錆びて体も錆びて、ゆっくり朽ちていくのでしょうね』
「そうか」

 ブレイダと初めて言葉を交わした頃、同じようなことを告げられたのを思い出した。

『私はそれでいいのだと思います。共に死ねないのは辛いですが、後を追うことは許されるから』
「そうか」

 言葉にならない気持ちを胸に、林を抜けたリュールは戦場跡を駆けた。
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