3 / 31
第1章 デバッグ不可な異世界
ようこそ、クソゲー世界へ
しおりを挟む
赤ん坊としての生活は、一言で言えば「退屈」と「発見」の無限ループだった。
腹が減っては泣き、おむつが濡れては泣き、眠ければ泣く。意思の疎通は、この「泣く」という単一の出力方法に全て集約されていた。前世で三十年間培ってきた語彙力もコミュニケーション能力も、ここでは何一つ役に立たない。
移動は常に「抱っこ」待ち。自分の意思で一歩も動けないというのは、想像を絶する不自由さだった。魅力的な母親や、かいがいしく世話をしてくれる侍女たちに抱き上げられるのは満更でもないが、たまに無骨な父や、鎧姿の騎士に抱っこされた日には、その硬さと居心地の悪さに半泣きになったものだ。
(これが……俗に言うフルダイブ型VRMMOのチュートリアルか何かか? だとしたら、あまりにも操作性が悪すぎる……!)
そんな不自由極まりない日々の中で、カイルは自身の置かれた状況を最大限に活用することにした。つまり、徹底的な情報収集である。幸い、赤ん坊というのは警戒されない。むしろ、そこにいることすら忘れられることさえある。彼は、その特性を利用した、完璧な諜報員と化した。
主な情報源は、侍女たちの他愛ない噂話だ。授乳の合間や、部屋の掃除中に交わされる会話には、この世界の常識や文化が詰まっていた。
「まあ、聞いた? 中央の魔術師団が、新しい攻撃魔法を開発したんですって」
「うちの旦那、今度の休みに教会へ行って、息子のためのスキルオーブを拝借してくるって張り切ってたわ」
(魔法……スキルオーブ……。間違いない、ファンタジー世界だ)
父と母の語らいは、より具体的で重要な情報をもたらしてくれた。父レオンが辺境伯として治めるこの「ヴァルモット辺境伯領」 は、アストレア王国 の北東に位置し、常に北の大国からの軍事的圧力に晒されていること。母エレノアが、王都の由緒ある公爵家の出身であること。
それらの断片的な情報と、【神眼】がもたらす詳細なデータを組み合わせることで、世界の輪郭は驚くべき速度で鮮明になっていく。侍女が「回復薬」の存在を口にすれば、次に薬瓶を見た瞬間に【神眼】がその正式名称、成分、市場価格まで表示してくれる。
まるで、答え合わせをするように、カイルの頭の中にはこの世界のデータベースが構築されていった。
だが、情報が集まれば集まるほど、カイルの胸には奇妙な既視感が募っていく。
(アストレア王国……ヴァルモット……どこかで聞いたような……。まるで、昔やりこんだゲームの地名みたいだ)
思い出そうとしても、霞がかかったように判然としない。そんな日々が数ヶ月続いた、ある日のことだった。
その日、カイルはベビーベッドの中で眠ったふりをしていた。隣接する父の書斎から、珍しく低い声での議論が聞こえてきたからだ。
相手は、ヴァルモット家に仕える騎士団長だろう。普段は固く閉ざされている書斎の扉が、今日は少しだけ開いていた。絶好の盗み聞きチャンスだった。
壁越しに聞こえてくる会話に、カイルは赤ん坊の鋭敏な聴覚を最大限に集中させる。国境付近の警備体制、兵士たちの練度、そして――
『……北のグリフォン帝国が、また国境付近で不穏な動きを見せている』
(グリフォン帝国……!?)
その名を聞いた瞬間、カイルの脳内に、忘却の彼方に沈んでいたはずの記憶が、まるで稲妻のように突き刺さった。全身の産毛が逆立つほどの衝撃。忘れるはずもない。それは、前世で彼が不眠不休でデバッグ作業に当たった、あの忌まわしきVRMMO『アナザー・ガイア』に登場する、主要な敵対国家の名前だった。
霞のかかっていた記憶が、一気に晴れていく。
アストレア王国、ヴァルモット辺境伯、グリフォン帝国。点と点が繋がり、一本の絶望的な線となって、彼の目の前に突きつけられた。
(嘘だろ……あのクソゲーの世界だっていうのか!?)
『アナザー・ガイア』。それは、些細な選択ミスが国家滅亡に繋がるような「滅びのフラグ」が異常なまでに仕込まれた、理不尽極まりないゲームだった 。
親切そうに話しかけてきた村人が実はラスボスの部下で、世間話に付き合ったが最後、街ごと消滅させられる 。良かれと思って盗賊に襲われていた商人を見逃してやれば、その商人が実は国を傾けるほどの詐欺師で、数日後には自国の経済が破綻するフラグが立つ 。開発者の悪意が煮詰まってできたような、そんな悪夢の世界。
そんな世界で、自分は赤ん坊から人生をやり直さなければならないのだ。
(無理だ、無理すぎる……! セーブもロードもできないリアルで、あの鬼畜仕様をどう攻略しろって言うんだ!)
ようやく手に入れた第二の人生が、開始早々イージーモードどころか、バグだらけで即死トラップ満載のデバッグモードであることが確定した。
カイルは、これから自分を待ち受けるであろう無数のデッドエンドを想像し、まだ温かいミルクの匂いが残るベビーベッドの上で、静かに戦慄するしかなかった。彼の穏やかな赤ん坊ライフは、今この瞬間、終わりを告げたのだ。
腹が減っては泣き、おむつが濡れては泣き、眠ければ泣く。意思の疎通は、この「泣く」という単一の出力方法に全て集約されていた。前世で三十年間培ってきた語彙力もコミュニケーション能力も、ここでは何一つ役に立たない。
移動は常に「抱っこ」待ち。自分の意思で一歩も動けないというのは、想像を絶する不自由さだった。魅力的な母親や、かいがいしく世話をしてくれる侍女たちに抱き上げられるのは満更でもないが、たまに無骨な父や、鎧姿の騎士に抱っこされた日には、その硬さと居心地の悪さに半泣きになったものだ。
(これが……俗に言うフルダイブ型VRMMOのチュートリアルか何かか? だとしたら、あまりにも操作性が悪すぎる……!)
そんな不自由極まりない日々の中で、カイルは自身の置かれた状況を最大限に活用することにした。つまり、徹底的な情報収集である。幸い、赤ん坊というのは警戒されない。むしろ、そこにいることすら忘れられることさえある。彼は、その特性を利用した、完璧な諜報員と化した。
主な情報源は、侍女たちの他愛ない噂話だ。授乳の合間や、部屋の掃除中に交わされる会話には、この世界の常識や文化が詰まっていた。
「まあ、聞いた? 中央の魔術師団が、新しい攻撃魔法を開発したんですって」
「うちの旦那、今度の休みに教会へ行って、息子のためのスキルオーブを拝借してくるって張り切ってたわ」
(魔法……スキルオーブ……。間違いない、ファンタジー世界だ)
父と母の語らいは、より具体的で重要な情報をもたらしてくれた。父レオンが辺境伯として治めるこの「ヴァルモット辺境伯領」 は、アストレア王国 の北東に位置し、常に北の大国からの軍事的圧力に晒されていること。母エレノアが、王都の由緒ある公爵家の出身であること。
それらの断片的な情報と、【神眼】がもたらす詳細なデータを組み合わせることで、世界の輪郭は驚くべき速度で鮮明になっていく。侍女が「回復薬」の存在を口にすれば、次に薬瓶を見た瞬間に【神眼】がその正式名称、成分、市場価格まで表示してくれる。
まるで、答え合わせをするように、カイルの頭の中にはこの世界のデータベースが構築されていった。
だが、情報が集まれば集まるほど、カイルの胸には奇妙な既視感が募っていく。
(アストレア王国……ヴァルモット……どこかで聞いたような……。まるで、昔やりこんだゲームの地名みたいだ)
思い出そうとしても、霞がかかったように判然としない。そんな日々が数ヶ月続いた、ある日のことだった。
その日、カイルはベビーベッドの中で眠ったふりをしていた。隣接する父の書斎から、珍しく低い声での議論が聞こえてきたからだ。
相手は、ヴァルモット家に仕える騎士団長だろう。普段は固く閉ざされている書斎の扉が、今日は少しだけ開いていた。絶好の盗み聞きチャンスだった。
壁越しに聞こえてくる会話に、カイルは赤ん坊の鋭敏な聴覚を最大限に集中させる。国境付近の警備体制、兵士たちの練度、そして――
『……北のグリフォン帝国が、また国境付近で不穏な動きを見せている』
(グリフォン帝国……!?)
その名を聞いた瞬間、カイルの脳内に、忘却の彼方に沈んでいたはずの記憶が、まるで稲妻のように突き刺さった。全身の産毛が逆立つほどの衝撃。忘れるはずもない。それは、前世で彼が不眠不休でデバッグ作業に当たった、あの忌まわしきVRMMO『アナザー・ガイア』に登場する、主要な敵対国家の名前だった。
霞のかかっていた記憶が、一気に晴れていく。
アストレア王国、ヴァルモット辺境伯、グリフォン帝国。点と点が繋がり、一本の絶望的な線となって、彼の目の前に突きつけられた。
(嘘だろ……あのクソゲーの世界だっていうのか!?)
『アナザー・ガイア』。それは、些細な選択ミスが国家滅亡に繋がるような「滅びのフラグ」が異常なまでに仕込まれた、理不尽極まりないゲームだった 。
親切そうに話しかけてきた村人が実はラスボスの部下で、世間話に付き合ったが最後、街ごと消滅させられる 。良かれと思って盗賊に襲われていた商人を見逃してやれば、その商人が実は国を傾けるほどの詐欺師で、数日後には自国の経済が破綻するフラグが立つ 。開発者の悪意が煮詰まってできたような、そんな悪夢の世界。
そんな世界で、自分は赤ん坊から人生をやり直さなければならないのだ。
(無理だ、無理すぎる……! セーブもロードもできないリアルで、あの鬼畜仕様をどう攻略しろって言うんだ!)
ようやく手に入れた第二の人生が、開始早々イージーモードどころか、バグだらけで即死トラップ満載のデバッグモードであることが確定した。
カイルは、これから自分を待ち受けるであろう無数のデッドエンドを想像し、まだ温かいミルクの匂いが残るベビーベッドの上で、静かに戦慄するしかなかった。彼の穏やかな赤ん坊ライフは、今この瞬間、終わりを告げたのだ。
0
あなたにおすすめの小説
極限効率の掃除屋 ――レベル15、物理だけで理を解体する――
銀雪 華音
ファンタジー
「レベル15か? ゴミだな」
世界は男を笑い、男は世界を「解体」した。
魔力も才能も持たず、万年レベル15で停滞する掃除屋、トワ。
彼が十年の歳月を費やして辿り着いたのは、魔法という神秘を物理現象へと引きずり下ろす、狂気的なまでの**『極限効率』**だった。
一万回の反復が生み出す、予備動作ゼロの打撃。
構造の隙間を分子レベルで突く、不可視の解体。
彼にとって、レベル100超えの魔物も、神の加護を受けた聖騎士も、ただの「非効率な肉の塊」に過ぎない。
「レベルは恩恵じゃない……。人類を飼い慣らすための『制限(リミッター)』だ」
暴かれる世界の嘘。動き出すシステムの簒奪者。
管理者が定めた数値(レベル)という鎖を、たった一振りのナイフで叩き切る。
これは、最弱の掃除屋が「論理」という名の剣で、世界の理(バグ)を修正する物語。気になる方は読んでみてください。
※アルファポリスで先行で公開されます。
転生したら、伯爵家の嫡子で勝ち組!だけど脳内に神様ぽいのが囁いて、色々依頼する。これって異世界ブラック企業?それとも社畜?誰か助けて
ゆうた
ファンタジー
森の国編 ヴェルトゥール王国戦記
大学2年生の誠一は、大学生活をまったりと過ごしていた。
それが何の因果か、異世界に突然、転生してしまった。
生まれも育ちも恵まれた環境の伯爵家の嫡男に転生したから、
まったりのんびりライフを楽しもうとしていた。
しかし、なぜか脳に直接、神様ぽいのから、四六時中、依頼がくる。
無視すると、身体中がキリキリと痛むし、うるさいしで、依頼をこなす。
これって異世界ブラック企業?神様の社畜的な感じ?
依頼をこなしてると、いつの間か英雄扱いで、
いろんな所から依頼がひっきりなし舞い込む。
誰かこの悪循環、何とかして!
まったりどころか、ヘロヘロな毎日!誰か助けて
1×∞(ワンバイエイト) 経験値1でレベルアップする俺は、最速で異世界最強になりました!
マツヤマユタカ
ファンタジー
23年5月22日にアルファポリス様より、拙著が出版されました!そのため改題しました。
今後ともよろしくお願いいたします!
トラックに轢かれ、気づくと異世界の自然豊かな場所に一人いた少年、カズマ・ナカミチ。彼は事情がわからないまま、仕方なくそこでサバイバル生活を開始する。だが、未経験だった釣りや狩りは妙に上手くいった。その秘密は、レベル上げに必要な経験値にあった。実はカズマは、あらゆるスキルが経験値1でレベルアップするのだ。おかげで、何をやっても簡単にこなせて――。異世界爆速成長系ファンタジー、堂々開幕!
タイトルの『1×∞』は『ワンバイエイト』と読みます。
男性向けHOTランキング1位!ファンタジー1位を獲得しました!【22/7/22】
そして『第15回ファンタジー小説大賞』において、奨励賞を受賞いたしました!【22/10/31】
アルファポリス様より出版されました!現在第四巻まで発売中です!
コミカライズされました!公式漫画タブから見られます!【24/8/28】
マツヤマユタカ名義でTwitterやってます。
見てください。
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
『異世界ガチャでユニークスキル全部乗せ!? ポンコツ神と俺の無自覚最強スローライフ』
チャチャ
ファンタジー
> 仕事帰りにファンタジー小説を買った帰り道、不運にも事故死した38歳の男。
気がつくと、目の前には“ポンコツ”と噂される神様がいた——。
「君、うっかり死んじゃったから、異世界に転生させてあげるよ♪」
「スキル? ステータス? もちろんガチャで決めるから!」
最初はブチギレ寸前だったが、引いたスキルはなんと全部ユニーク!
本人は気づいていないが、【超幸運】の持ち主だった!
「冒険? 魔王? いや、俺は村でのんびり暮らしたいんだけど……」
そんな願いとは裏腹に、次々とトラブルに巻き込まれ、無自覚に“最強伝説”を打ち立てていく!
神様のミスで始まった異世界生活。目指すはスローライフ、されど周囲は大騒ぎ!
◆ガチャ転生×最強×スローライフ!
無自覚チートな元おっさんが、今日も異世界でのんびり無双中!
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
異世界転生おじさんは最強とハーレムを極める
自ら
ファンタジー
定年を半年後に控えた凡庸なサラリーマン、佐藤健一(50歳)は、不慮の交通事故で人生を終える。目覚めた先で出会ったのは、自分の魂をトラックの前に落としたというミスをした女神リナリア。
その「お詫び」として、健一は剣と魔法の異世界へと30代後半の肉体で転生することになる。チート能力の選択を迫られ、彼はあらゆる経験から無限に成長できる**【無限成長(アンリミテッド・グロース)】**を選び取る。
異世界で早速遭遇したゴブリンを一撃で倒し、チート能力を実感した健一は、くたびれた人生を捨て、最強のセカンドライフを謳歌することを決意する。
定年間際のおじさんが、女神の気まぐれチートで異世界最強への道を歩み始める、転生ファンタジーの開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる