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第8章 絶望の戯曲と希望のプリズム
君の隣で見る、ハッピーエンドの続きを
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世界から、音が消えていた。
希望の虹と、絶望の黒が激突した空には、ただ、どこまでも優しい光だけが満ちていた。
僕たちの、プリズム・ナイツの最終奥義『プリズム・ファイナル・ラブシャワー』。それは、敵を滅ぼす破壊の力ではない。憎しみも、悲しみも、その全てを包み込み、溶かしていく、愛という名の、絶対的な肯定のエネルギー。
やがて、光が、雪のように、静かに地上へと舞い降りてくる。
光が晴れた後、そこに立っていたのは、荒い息をつきながらも、互いを支え合う三人の少女たちの姿だった。変身は解け、その身には無数の傷が刻まれている。だが、その瞳に宿る光は、王都の夜明けの空よりも、遥かに強く、輝いていた。
そして、彼女たちの視線の先。
悲劇の魔王(ロード・オブ・トラジェディ)の禍々しい姿は、跡形もなく消え去っていた。
後にはただ、黒い燕尾服をまとった、一人の痩身の男――カミヤが、倒れているだけだった。その身体は、胸から下が光の粒子となって、少しずつ、風に溶けていっている。
戦いは、終わったのだ。
「…やったの…?」
「ええ…私たちの、勝ちですわ…」
「アルトさんを…王都を…守りきりましたです…!」
三人の膝から、同時に力が抜ける。その場に座り込む彼女たちの顔に、安堵と、そして、勝利を噛みしめる涙が伝った。
だが、次の瞬間。三人は、弾かれたように顔を上げ、一つの場所へと駆け出した。
「「「アルト(様)!」」」
瓦礫の山に倒れていた、僕の元へ。
その三人の、必死の形相を見て、僕は、わざとらしく咳き込みながら、ゆっくりと目を開けた。
「…ああ、見事だったよ、プリズム・ナイツ。君たちこそが、僕の、最高の…傑作だ」
芝居がかった僕の台詞に、三人は、一瞬、呆気に取られた後、その瞳から、再び涙を溢れさせた。今度は、安堵の涙だ。
「アルトの馬鹿ぁ…!心配させないでよぉ…!」
リゼットが、僕の胸に泣きじゃくりながら飛び込んでくる。
「本当に…心臓に悪いですわ…!」
クラウディアが、その場に膝をつき、安堵のため息と共に、震える手で自らの胸を押さえている。
「よ、よかったです…!本当によかったですぅ…!」
エミリアが、その場でへなへなと座り込み、子供のようにわんわんと泣き出した。
そんな、感動の再会の光景を、切り裂く声があった。
「…ふ、ふふ…ははは…」
それは、風前の灯火であるはずの、カミヤの声だった。
「…見事だ…実に、見事なハッピーエンドだ…。私の、完璧な悲劇の脚本を…こうも、鮮やかに上書きするとはな…」
彼は、もはや起き上がる力もないまま、僕――アルト・フォン・レヴィナスだけを、その狂信的な輝きを宿した瞳で、見つめていた。
「だが、これで終わりだと思うなよ…」
カミヤの言葉に、空気が再び張り詰める。
「アルトよ…お前は、我々『虚構の楽園』によって、**『異端のプロデューサー』**として、正式に認定された」
「異端の…プロデューサー…?」
「そうだ…。我々と同じく、『物語』を愛し、世界を舞台に『演出』する力を持つ者。だが、その結末に、安っぽい『ハッピーエンド』などという駄作を求める、許されざる異端者だ…!」
カミヤの目が、最後の輝きを放つ。
「組織は、お前に強い興味を抱いている。これからも、様々な形で、お前の物語に関わってくるだろう…。より、美しい悲劇を、紡ぎ出すためにな…」
彼の身体の半分以上が、光の粒子となって消えていく。
「そして、覚えておけ…。悪の組織は、我々一つだけではない…」
「…なに…?」
「世界には…我々とは違うやり方で、物語を紡ごうとする者たちがいる…。中には、お前と同じように…ハッピーエンドを…望む…」
そこで、カミヤの言葉は、途切れた。
彼の身体は、完全に光の粒子と化し、まるで、最初から何もなかったかのように、朝の光の中に、溶けて消えていった。
後に残されたのは、彼の歪んだ美学と、僕たちの心に深く突き刺さる、謎めいた言葉だけだった。
◇
数週間後。
王都は、復興の槌音と共に、活気を取り戻しつつあった。
あの悪夢のような事件は、『王都解放戦』として、歴史に刻まれることになった。
そして、その中心で戦った英雄たちの名は、もはや、王都で知らぬ者はいない。
「見て! プリズム・ナイツの皆さんよ!」
「ありがとう! あなたたちのおかげで、私たちは…!」
瓦礫の撤去作業を手伝う僕たちの周りには、いつも、感謝と賞賛の輪ができていた。
民衆の目は、もう、僕たちを偽物だと罵った、あの日の冷たいものではない。心からの尊敬と、親愛に満ちていた。
「えへへ、どういたしまして! 困った時は、お互い様なんだから!」
セーラー・フレア――リゼットは、その炎の力で瓦礫を溶かし、道を切り開きながら、太陽のような笑顔を人々に振りまいている。彼女の新しい大剣『フレイム・カリバー』は、今や、希望を切り開く光の剣として、子供たちの憧れの的だった。
「ご無理をなさらないでください。ここは、私たちにお任せを」
ナイト・ブリザード――クラウディアは、氷の双剣『ブリザード・エッジ』を巧みに操り、崩れかけた建物を巨大な氷柱で補強していく。その姿は、気高く、美しい、王都の守護騎士そのものだった。
「さあ、もう大丈夫ですよ。痛みも、悲しみも、飛んでいけーです」
ヒーリング・エンジェル――エミリアは、聖杖『セラフィック・ハーツ』を手に、避難所を回り、人々の傷だけでなく、心までも、その慈愛の光で癒やしていた。彼女の前では、誰もが、安らかな笑顔を取り戻していく。
そして、僕はといえば。
「ふむ、この崩落箇所は、応力計算が甘かったのが原因だな。次の補強材は、H型の鋼材を、この角度で…」
などと、プロデューサー兼、現場監督として、復興作業の陣頭指揮を執っていた。
それは、忙しく、しかし、どこまでも平和で、満たされた時間だった。
その日の夜。
ようやく一日の作業を終えた僕が、一人、工房で休んでいると。
コンコン、と控えめなノックの後、三人のヒロインたちが、ぞろぞろと部屋に入ってきた。
その手には、なぜか、それぞれの得意分野を象徴する『武器』が握られている。
「アルト! お疲れ様! ほら、夜食に、特製のアップルパイ、持ってきたわよ!」
リゼットが、湯気の立つパイを、ずいっと僕の眼前に突きつける。
「レヴィナス。あなたには、休息が必要です。私が、不眠に効くハーブティーを淹れてきました」
クラウディアが、気品のある仕草で、美しいティーカップを差し出す。
「アルトさん…。わたくし、あなたの疲れた心を癒やす、子守唄を、歌いに来ましたです」
エミリアが、頬を赤らめながら、小さな竪琴を抱えている。
…なんだ、この状況は。
僕は、一瞬、思考が停止した。
だが、あの戦いを乗り越えた僕の頭脳は、もはや、以前のスーパー鈍感AIではなかった。
彼女たちの行動の裏にある、明確な『意図』を、嫌でも察してしまっていた。
(これは…明らかに、僕への、好意の表明行動…!)
(いわゆる、『アプローチ』というやつか…!)
そう理解した瞬間、僕の心臓が、ドクン、と、計算外の挙動を示した。
顔に、熱が集まるのがわかる。
「あ、アルト? どうしたの、顔が赤いけど…」
「もしや、まだ体調が…? やはり、私が脈拍を…」
「あらあら、わたくしの癒やしの力が、必要みたいですね…」
三人が、ぐいぐいと、僕への距離を詰めてくる。
甘いパイの香り、ハーブティーの香り、そして、エミリアさんの、シャンプーの香り。
あらゆる情報が、僕の脳の処理能力を、完全に飽和させていく。
「い、いや、僕は大丈夫だ! それより、君たちこそ、疲れているだろう! 早く部屋に戻って…」
僕の、しどろもどろな抵抗も、虚しい。
「何言ってるのよ、アルト!」
リゼットが、僕の腕を掴んだ。
「あの戦いの最中にした、約束、覚えてる? 『絶対に生きて帰って、アルトを幸せにする!』って! だから、これは、その、デートの…予約、みたいな…?」
顔を真っ赤にして、彼女は、とんでもない爆弾を投下した。
「お待ちないさい、ブラウンさん」
クラウディアが、リゼットの手を、ぴしゃりと叩く。
「彼の心身のケアは、プロデューサーの筆頭騎士である、私の任務です。あなたは、少し黙っていてくださいますか」
「まあまあ、お二人とも。順番、ですよ、順番。こういう時は、年長者である、わたくしから…うふふ」
穏やかな笑みの裏に、エミリアの、決して譲らないという、鋼の意志が見えた。
三人の美少女が、僕を、中心に、火花を散らす。
それは、あの壮絶な戦場よりも、ある意味では、遥かに、過酷な空間だった。
(…これが、僕の望んだ、ハッピーエンド…の、続き…なのか?)
僕は、天を仰いだ。
だが、不思議と、嫌ではなかった。
むしろ、この、騒がしくて、温かくて、少しだけ、心臓に悪い日常が、たまらなく、愛おしいとさえ、感じていた。
その夜。
ヒロインたちの仁義なきお世話合戦から、ほうほうの体で逃げ出した僕は、一人、学院の屋上で、星空を見上げていた。
カミヤの、最後の言葉が、脳裏に蘇る。
『悪の組織は、一つだけではない…』
『お前と同じように…ハッピーエンドを望む…者たちが…』
それは、不吉な予言か、それとも、新たな出会いを告げる、道標か。
僕たちの戦いは、まだ、終わっていない。
きっと、この先も、様々な困難が、悲劇が、僕たちを待ち受けているだろう。
だが。
僕の胸には、もう、無力感も、絶望もなかった。
なぜなら、僕には、最高の仲間がいるから。
僕の創り出した、そして、僕を救ってくれた、最高のヒーロインたちが。
僕は、星空に、そっと、呟いた。
「さあ、どっからでもかかってこい。どんな絶望的な脚本も、僕と彼女たちで、最高のハッピーエンドに、書き換えてやるさ」
その時、夜空を、一筋の、赤い光が、切り裂いていった。
流れ星。
いや、違う。僕の科学者の目は、それが、制御された軌道で、大気圏に突入してくる、人工物であることを、正確に捉えていた。
その落下予測地点は――。
奇しくも、この、王都の方角だった。
新たな物語の幕が上がる、予感がした。
僕と、僕の愛するヒロインたちが紡いでいく、壮大な勘違いプロデュース・ラブコメディ。
その、次なるステージの、幕が。
希望の虹と、絶望の黒が激突した空には、ただ、どこまでも優しい光だけが満ちていた。
僕たちの、プリズム・ナイツの最終奥義『プリズム・ファイナル・ラブシャワー』。それは、敵を滅ぼす破壊の力ではない。憎しみも、悲しみも、その全てを包み込み、溶かしていく、愛という名の、絶対的な肯定のエネルギー。
やがて、光が、雪のように、静かに地上へと舞い降りてくる。
光が晴れた後、そこに立っていたのは、荒い息をつきながらも、互いを支え合う三人の少女たちの姿だった。変身は解け、その身には無数の傷が刻まれている。だが、その瞳に宿る光は、王都の夜明けの空よりも、遥かに強く、輝いていた。
そして、彼女たちの視線の先。
悲劇の魔王(ロード・オブ・トラジェディ)の禍々しい姿は、跡形もなく消え去っていた。
後にはただ、黒い燕尾服をまとった、一人の痩身の男――カミヤが、倒れているだけだった。その身体は、胸から下が光の粒子となって、少しずつ、風に溶けていっている。
戦いは、終わったのだ。
「…やったの…?」
「ええ…私たちの、勝ちですわ…」
「アルトさんを…王都を…守りきりましたです…!」
三人の膝から、同時に力が抜ける。その場に座り込む彼女たちの顔に、安堵と、そして、勝利を噛みしめる涙が伝った。
だが、次の瞬間。三人は、弾かれたように顔を上げ、一つの場所へと駆け出した。
「「「アルト(様)!」」」
瓦礫の山に倒れていた、僕の元へ。
その三人の、必死の形相を見て、僕は、わざとらしく咳き込みながら、ゆっくりと目を開けた。
「…ああ、見事だったよ、プリズム・ナイツ。君たちこそが、僕の、最高の…傑作だ」
芝居がかった僕の台詞に、三人は、一瞬、呆気に取られた後、その瞳から、再び涙を溢れさせた。今度は、安堵の涙だ。
「アルトの馬鹿ぁ…!心配させないでよぉ…!」
リゼットが、僕の胸に泣きじゃくりながら飛び込んでくる。
「本当に…心臓に悪いですわ…!」
クラウディアが、その場に膝をつき、安堵のため息と共に、震える手で自らの胸を押さえている。
「よ、よかったです…!本当によかったですぅ…!」
エミリアが、その場でへなへなと座り込み、子供のようにわんわんと泣き出した。
そんな、感動の再会の光景を、切り裂く声があった。
「…ふ、ふふ…ははは…」
それは、風前の灯火であるはずの、カミヤの声だった。
「…見事だ…実に、見事なハッピーエンドだ…。私の、完璧な悲劇の脚本を…こうも、鮮やかに上書きするとはな…」
彼は、もはや起き上がる力もないまま、僕――アルト・フォン・レヴィナスだけを、その狂信的な輝きを宿した瞳で、見つめていた。
「だが、これで終わりだと思うなよ…」
カミヤの言葉に、空気が再び張り詰める。
「アルトよ…お前は、我々『虚構の楽園』によって、**『異端のプロデューサー』**として、正式に認定された」
「異端の…プロデューサー…?」
「そうだ…。我々と同じく、『物語』を愛し、世界を舞台に『演出』する力を持つ者。だが、その結末に、安っぽい『ハッピーエンド』などという駄作を求める、許されざる異端者だ…!」
カミヤの目が、最後の輝きを放つ。
「組織は、お前に強い興味を抱いている。これからも、様々な形で、お前の物語に関わってくるだろう…。より、美しい悲劇を、紡ぎ出すためにな…」
彼の身体の半分以上が、光の粒子となって消えていく。
「そして、覚えておけ…。悪の組織は、我々一つだけではない…」
「…なに…?」
「世界には…我々とは違うやり方で、物語を紡ごうとする者たちがいる…。中には、お前と同じように…ハッピーエンドを…望む…」
そこで、カミヤの言葉は、途切れた。
彼の身体は、完全に光の粒子と化し、まるで、最初から何もなかったかのように、朝の光の中に、溶けて消えていった。
後に残されたのは、彼の歪んだ美学と、僕たちの心に深く突き刺さる、謎めいた言葉だけだった。
◇
数週間後。
王都は、復興の槌音と共に、活気を取り戻しつつあった。
あの悪夢のような事件は、『王都解放戦』として、歴史に刻まれることになった。
そして、その中心で戦った英雄たちの名は、もはや、王都で知らぬ者はいない。
「見て! プリズム・ナイツの皆さんよ!」
「ありがとう! あなたたちのおかげで、私たちは…!」
瓦礫の撤去作業を手伝う僕たちの周りには、いつも、感謝と賞賛の輪ができていた。
民衆の目は、もう、僕たちを偽物だと罵った、あの日の冷たいものではない。心からの尊敬と、親愛に満ちていた。
「えへへ、どういたしまして! 困った時は、お互い様なんだから!」
セーラー・フレア――リゼットは、その炎の力で瓦礫を溶かし、道を切り開きながら、太陽のような笑顔を人々に振りまいている。彼女の新しい大剣『フレイム・カリバー』は、今や、希望を切り開く光の剣として、子供たちの憧れの的だった。
「ご無理をなさらないでください。ここは、私たちにお任せを」
ナイト・ブリザード――クラウディアは、氷の双剣『ブリザード・エッジ』を巧みに操り、崩れかけた建物を巨大な氷柱で補強していく。その姿は、気高く、美しい、王都の守護騎士そのものだった。
「さあ、もう大丈夫ですよ。痛みも、悲しみも、飛んでいけーです」
ヒーリング・エンジェル――エミリアは、聖杖『セラフィック・ハーツ』を手に、避難所を回り、人々の傷だけでなく、心までも、その慈愛の光で癒やしていた。彼女の前では、誰もが、安らかな笑顔を取り戻していく。
そして、僕はといえば。
「ふむ、この崩落箇所は、応力計算が甘かったのが原因だな。次の補強材は、H型の鋼材を、この角度で…」
などと、プロデューサー兼、現場監督として、復興作業の陣頭指揮を執っていた。
それは、忙しく、しかし、どこまでも平和で、満たされた時間だった。
その日の夜。
ようやく一日の作業を終えた僕が、一人、工房で休んでいると。
コンコン、と控えめなノックの後、三人のヒロインたちが、ぞろぞろと部屋に入ってきた。
その手には、なぜか、それぞれの得意分野を象徴する『武器』が握られている。
「アルト! お疲れ様! ほら、夜食に、特製のアップルパイ、持ってきたわよ!」
リゼットが、湯気の立つパイを、ずいっと僕の眼前に突きつける。
「レヴィナス。あなたには、休息が必要です。私が、不眠に効くハーブティーを淹れてきました」
クラウディアが、気品のある仕草で、美しいティーカップを差し出す。
「アルトさん…。わたくし、あなたの疲れた心を癒やす、子守唄を、歌いに来ましたです」
エミリアが、頬を赤らめながら、小さな竪琴を抱えている。
…なんだ、この状況は。
僕は、一瞬、思考が停止した。
だが、あの戦いを乗り越えた僕の頭脳は、もはや、以前のスーパー鈍感AIではなかった。
彼女たちの行動の裏にある、明確な『意図』を、嫌でも察してしまっていた。
(これは…明らかに、僕への、好意の表明行動…!)
(いわゆる、『アプローチ』というやつか…!)
そう理解した瞬間、僕の心臓が、ドクン、と、計算外の挙動を示した。
顔に、熱が集まるのがわかる。
「あ、アルト? どうしたの、顔が赤いけど…」
「もしや、まだ体調が…? やはり、私が脈拍を…」
「あらあら、わたくしの癒やしの力が、必要みたいですね…」
三人が、ぐいぐいと、僕への距離を詰めてくる。
甘いパイの香り、ハーブティーの香り、そして、エミリアさんの、シャンプーの香り。
あらゆる情報が、僕の脳の処理能力を、完全に飽和させていく。
「い、いや、僕は大丈夫だ! それより、君たちこそ、疲れているだろう! 早く部屋に戻って…」
僕の、しどろもどろな抵抗も、虚しい。
「何言ってるのよ、アルト!」
リゼットが、僕の腕を掴んだ。
「あの戦いの最中にした、約束、覚えてる? 『絶対に生きて帰って、アルトを幸せにする!』って! だから、これは、その、デートの…予約、みたいな…?」
顔を真っ赤にして、彼女は、とんでもない爆弾を投下した。
「お待ちないさい、ブラウンさん」
クラウディアが、リゼットの手を、ぴしゃりと叩く。
「彼の心身のケアは、プロデューサーの筆頭騎士である、私の任務です。あなたは、少し黙っていてくださいますか」
「まあまあ、お二人とも。順番、ですよ、順番。こういう時は、年長者である、わたくしから…うふふ」
穏やかな笑みの裏に、エミリアの、決して譲らないという、鋼の意志が見えた。
三人の美少女が、僕を、中心に、火花を散らす。
それは、あの壮絶な戦場よりも、ある意味では、遥かに、過酷な空間だった。
(…これが、僕の望んだ、ハッピーエンド…の、続き…なのか?)
僕は、天を仰いだ。
だが、不思議と、嫌ではなかった。
むしろ、この、騒がしくて、温かくて、少しだけ、心臓に悪い日常が、たまらなく、愛おしいとさえ、感じていた。
その夜。
ヒロインたちの仁義なきお世話合戦から、ほうほうの体で逃げ出した僕は、一人、学院の屋上で、星空を見上げていた。
カミヤの、最後の言葉が、脳裏に蘇る。
『悪の組織は、一つだけではない…』
『お前と同じように…ハッピーエンドを望む…者たちが…』
それは、不吉な予言か、それとも、新たな出会いを告げる、道標か。
僕たちの戦いは、まだ、終わっていない。
きっと、この先も、様々な困難が、悲劇が、僕たちを待ち受けているだろう。
だが。
僕の胸には、もう、無力感も、絶望もなかった。
なぜなら、僕には、最高の仲間がいるから。
僕の創り出した、そして、僕を救ってくれた、最高のヒーロインたちが。
僕は、星空に、そっと、呟いた。
「さあ、どっからでもかかってこい。どんな絶望的な脚本も、僕と彼女たちで、最高のハッピーエンドに、書き換えてやるさ」
その時、夜空を、一筋の、赤い光が、切り裂いていった。
流れ星。
いや、違う。僕の科学者の目は、それが、制御された軌道で、大気圏に突入してくる、人工物であることを、正確に捉えていた。
その落下予測地点は――。
奇しくも、この、王都の方角だった。
新たな物語の幕が上がる、予感がした。
僕と、僕の愛するヒロインたちが紡いでいく、壮大な勘違いプロデュース・ラブコメディ。
その、次なるステージの、幕が。
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