ゾンビのプロ セイヴィングロード

石井アドリー

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第十八話「食寝学果」

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--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから8日目 PM 0:12 丘口知夏--


知夏は、幸せな夢を見ていた。

「んん~、もうポテトばっかり……こんなに食べれないですよぉ……むにゃむにゃ……」

「ほにょはぁ!?」

そして突如として飛び起き、パッチリと目を開けた。

「……ん? んん?」

キョロキョロとテントの中を見回す。
黄色いテントの天井はいつもの朝より明るかった。

「今何時です!?」

モバイルバッテリーに繋げていたスマホを慌てて確認する。

「げぇっ! もうお昼じゃないですかぁ!! って腕が、いたたたたぁ……」

知夏は激しい筋肉痛に悶えてから腕を前に投げ出し、
前屈をするようにして寝袋の上に突っ伏した。

「寝坊で配信できなかったなんて、初めてですよぉ……謝罪動画とか出せばいいのかなぁ……?」

「とりあえず告知だけして……生きてます報告くらいはしておかないとぉ……」

スマホで素早く文章を打ち込み投稿した。

「今日の企画はぁ……やっぱり笛ですかねぇ……?」

寝袋を脱ぎ捨てパジャマも昨夜着た服に手を伸ばした。

「あれ? なんか、きれいになっているようなぁ……?」

昨日着た服はかなり血飛沫を浴びていたはずだった。
しかし目の前の服は血痕一つ残っていない。
知夏は続いて鼻を近づけ、スンスンとさせた。

「いい匂いがするぅ……!!」

柔軟剤の香りがした服に、知夏は目を丸くさせた。
知夏が寝ている間に誰かが洗ってくれたことは明らかだった。

「誰がやってくれたんだろ? エハルさん? 山根さん? 清水さん?」

ともに住む人達の名前を出しながら着替えをすました。

「ん? あれぇ? わたしの大事なお靴はどこですかぁ?」
「外に脱ぎっぱなしだったかな……?」

テントのファスナーを下ろしたすぐ前には、ピカピカに磨かれた愛用の靴が置かれていた。
その横には刃先に布を巻きつけられた知夏の槍が立てかけられている。

「おおおおおぉ……!! 新品みたいになってるぅ……!」

触れずに床に手や頬をつけ、舐めまわすようにして出来栄えを堪能した。
そして実況でもしているかのように感想を口にした。

「靴紐が交換されています。いい仕事してますねぇ……!」

「槍も違うカーテンレールになってて……これでもかってくらいダクトテープが巻かれてます……!」

「これはたくさんお返しをしないといけませんねぇ……!!」

靴を履き槍を手にした知夏は、腕をプルプルと震わせながら屋上を軽く走り回った。

「なんで誰もいないのぉ……?」

しかしどこを見渡しても誰もいなかった。鶏のピーちゃんが一匹いるだけである。
屋上中を小走りでウロウロしていると、大きなゲーム筐体が目に止まった。
なんとゲーム画面が映っているのだ。コンセントの先は長い延長コードが続いている。

「この筐体って、バリケードに使ってなかったっけ?」

知夏の記憶では、この『ビーストマニアⅣデラックス』は七階を塞ぐバリケードで使われていたはずだった。
さっそく確認すべく知夏は階段へと向かった。
ウッドデッキの階段から七階へ入るドアまで、バリケードを除けた通路が作られていた。

「そっか。もう、必要ないんだ……!」

知夏はここにきてようやく、この百貨店を救い出せたことを実感した。

二人が屋上に戻った時、それはもう大歓迎され屋上は宴会状態となった。
しかし用意してもらった山盛りの食事をあれもこれもと食べている内に、知夏はその場で寝てしまったのだ。
満足感が先に来ていたがために、成功の実感が遅れてしまっていた。

カロリー計算を頭の中から放り投げてフライドポテトを口いっぱいに頬張り、それから流し込んだビール。
あれは最高だった。知夏は昨晩のことをしみじみ思い出しながら階段を降りていった。
そして割れたガラスのドアをくぐり、七階『レストラン』へと入った。

中の光景を見た知夏はその幸せな妄想を止めた。
大量の横たわった死体がフロア全体に渡って並べられていたからだ。
テーブルも椅子も、邪魔になるものは全てフロアの端へ除けて、きれいに整列されている。
横たわる整列された死体の中で、屋上のリーダーである山根さんと他三人がそれぞれしゃがみ込み、
何かを探すような作業をしていた。
別の二人組がエレベーターから死体を運び出している。
その様子を見るに、下階の死体も含まれているようだ。

山根は知夏が来たことにいち早く気が付いたのか、その場で立ち上がった。

「おや、おはようございます丘口さん。昨日は本当にお疲れ様でした」

そしていたって普段と同じように挨拶をした。
知夏は小走りで山根の前まで立った。

「おはようございます! いや~、その……」

知夏は山根と同じようにいつも通りの挨拶をしようとしたが、目をそらしてしまった。
申し訳ないと思う気持ちが出てきてしまったからだ。

「すみません、ちょっと寝すぎちゃいました」

「そりゃあれだけ頑張ったんですから、それは自然なことです。気に病むことはありませんよ」

知夏の心が見透かされかのような返答が返ってきた。
山根さんは前からこういう所がある。なんというか、いつも達観しているのだ。

「えーと、そのぉ……何か手伝えることはありませんか?」

山根は大きな声で笑った。

「あんな大仕事を成し遂げたのに、まだ頑張るっていうのかい?」

「気持ちはうれしいけどね、でも丘口さんは休まないとダメですよ。腕だってほら、プルプル震えてる」

山根に指摘されると、知夏は槍を抱きかかえるようにして持った。
こうでもしないと、どうしても腕が震えてしまうのだ。

「それにこの仕事は、元気な若者がすることではありませんから」

山根はそういうと知夏に背を向けてしゃがみ込み、再び作業を始めた。
死体のポケットから財布を出し免許証を取り出して、その胸の上に置いている。
まぶたを指でそっと閉じさせると、隣の死体に同じことを始めた。

汚れ仕事は君の役目じゃない。そう強く訴えているかのような背中だった。
知夏は歯切れが悪そうに答えた。

「わかりました……」

そして自分が出来ることを考えた後、ふっと湧いた疑問を口にした。

「そういえば、エハルさんはどこにいるんですか?」

「谷口さんのことかい? 彼ならまだ二階にいると思いますよ」

「ありがとうございます! ちょっと見てきますね!」

「おっと、いけないいけない。丘口さん!」

「ハイ? なんでしょうかぁ!」

「これを。原田さんからです」

「原田さんから……?」

知夏が受け取ったものは、便箋だった。シールで封がされている。
なぜわざわざ便箋を渡すのか。知夏はその意味がすぐに分かってしまった。

「落ち着いた時でいいので、読んであげてください」

「はい。必ず読みます」

知夏はその便箋を大事にポーチへと入れた。

「くれぐれも焦らないでくださいね。あなたは今のままでも十分すぎる程、人の役に立っているのですから」

知夏はこくりと頷いてから、元気よく答えた。

「ハイッ!!」

そしてエスカレーターを駆け降りていった。




二階へ降り立った知夏は目の前の光景に驚きの声を上げた。

「みんなが……ゾンビと戦ってる……!」

二階通路では男女四人がそれぞれ武器を構え、一体のゾンビと対峙していた。
そのすぐ隣に立つエハルは腕を組み、その様子を見守っている。
一人の男が先頭に立ち、鉄パイプの先端に金づちを取り付けた武器を構えた。

「次は俺がやる……! おらぁあ!!」

男は勢いよく鉄パイプを振り下ろした。その一撃は肩へ当たった。

「くそ……! おら! おら!」

何度も振り下ろして頭を殴りつけるも、ゾンビは倒れない。

「わたしも初めはあんな感じだったなぁ……」

知夏は自身が初めてゾンビと戦ったことを思い出した。
フライパンを握ってゾンビに挑むもまるで歯が立たないだけでなく、
そのゾンビが森崎さんだったと分かり何もかも投げ出してしまった苦い思い出を。
昨日のことだというのに、すごく遠い記憶に感じられた。

何度も殴りつけられたゾンビはついに倒れた。
男は喜びをあらわにした。

「よし! やったか!? たおしたよな……?」

男が覗き込むようにして倒れたゾンビに近づくのを、エハルは手で制止した。

「いや、まだだ」

そういってエハルは自身の足をゾンビの目の前に置いた。
ゾンビは突如として動き出した。その足を掴み、口を大きく開く。
エハルはかまわず足を上げて、そのまま頭を踏み抜いた。

「これは死んだふりの『作法』だ。倒れたからといって安心してはいけない。
頭を砕くまでは動く。そのぐらいの危機意識を持つように」

知らない『作法』を聞いた知夏はポーチからノートを取り出した。
イラスト付きでメモを取っていると、呼びかけるようなエハルの声が聞こえた。

「おはよう知夏。よく眠れたか?」

その声によって他の四人が一斉に知夏へと振り返った。

「え!? 丘口ちゃんがいる!?」
「見てよ知夏ちゃん! このゾンビ、俺が倒したんだぜ!」
「いやお前じゃなくて、谷口さんが倒したんだろ」

声をかけられると思っていなかった知夏は一瞬ドキッとした表情をしたが、
エハル達の元へと駆けより、元気よく答えた。

「ハイッ! た~くさん寝ましたよぉ! 元気いっぱいです!!」

「その割には相当な筋肉痛を起こしているようだが」

「うう。なぁんで分かるんですかねぇ……?」

知夏は自身の腕を観察したが、どうしてそれが分かるのか見当もつかなかった。

「翌日の筋肉痛はまだ若い証拠だ。今日のところはゆっくり休め」

山根さんと同じこと言ってる、と知夏は思った。
しかし知夏は自分だけ呑気に休むというのが苦手な気質だった。
何か出来ることがないか、探さずにはいられないのだ。

「ただしストレッチは念入りにやっておくように。今後に差し支えるからな」

「今後……ですかぁ?」

百貨店を制圧してからこれから何をするのか。
『支配』との戦いが終わったらその話をすると、エハルは言っていた気がする。

「そうだ。詳しい話はこの実習がひと段落してからさせてくれ」

「それまでは、そうだな……」

エハルはヘルメットの顎に手を乗せて考える仕草をした。

「見学でもするか?」

知夏は腕をプルプルさせながら元気よく挙手をした。

「します! 座学やります!」

それを聞いた他の四人はざわつき始めた。

「丘口ちゃん、このグミ、全部食べていいからね!」
「こりゃ、カッコ悪いとこみせれねぇなぁ」
「手遅れだろ。お前はまずメモを取れよ」
「……私、座布団持ってきます……!」

続々と知夏に物品が手渡されていく。
結果として知夏は一人だけ座布団に座り込み、水筒の暖かいお茶を飲みつつ、
グミを頬張りながらの座学をすることになった。

口をモグモグさせている知夏を見たエハルは、半ば呆れた様子でいった。

「至れり尽くせりとは、正にこのことだな」

エハルはそういって目の前のシャッターを少し開けた。
そこからゾンビの足を掴むと、通路へと引きずり出した。

「盛り上がるのは大変結構だが、決して油断はしないように。次は早野さん、君の番だ」

途中で昼休憩を挟みつつ、そのシャッター内のゾンビを倒しきるまで座学は続いたのだった。




--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから8日目 PM 1:36 谷口貴樹--


「うむ。ようやく様になってきたな。……初回だしな、これぐらいにしておこう」

「今後は山根さんの指示に従い、各自持ち場に付くように。では、解散!」

エハルは二度手を叩くと、お疲れさまでした!! と元気の良いかけ声がフロアに響いた。
各々が知夏へ別れを言って手を振りつつ、持ち場へと戻っていく。

「はぁ~、めっちゃ疲れたぁ~」
「腕めっちゃ痛いんだけど……」
「お前は力みすぎなんだよ」
「……ふぅ、緊張したぁ……」

閉鎖した一階の補強。食料品のリストアップ。戦い方の指導。
全ての死体を七階まで運び、本人確認ができるものを探す。屋上まで運び火葬する。やるべきことは山積みだった。
しかし誰が何をするかはリーダーである山根さんが担ってくれている。
そのおかげでエハルは戦い方の指導に専念出来ていた。
エハルはシャッター内の安全を確認した後、知夏の方を向いた。

よほど集中しているのか、独り言をぶつぶつ言って未だにノートをまとめている。
彼女は終始口をモグモグと動かしていたものの、最後までノートを取り続けていた。
その真摯な姿勢は評価に値するだろう。

「『作法』をジャンル分けできたら、もっと良い配信になるかなぁ……」

しかしその矛先は配信の方へと傾いているようだ。
だがそれでも真剣であったことには変わらない。それについてもエハルは不問とした。

「待たせたな。今後についてだが、少々長い話になる。五階に従業員用の休憩室があるそうだから、そこで話そう」

「……ハイ? ハ、ハイッ!!」

エハルはどうにか好意的な解釈を試みたが、やはりこの答え方は生返事で話を聞いているようには思えなかった。
不安になったエハルはやや意地悪なことを聞いてみた。

「……ゾンビの歩行速度はどれくらいだ?」

「ハイッ! "速くて1.5秒に一歩"ですっ!」

まさかの即答に、エハルは目を見開いた。
ノートに視線を移してもいない。完璧な答え方だ。エハルは感心して答えた。

「大正解だ。よく聞いてるじゃないか」

「エヘヘへェ……他もちゃあんと覚えてますよぉ! 例えば、"ゾンビの11%は梯子を昇れる"んですよね!」

それは今日の実習で言っていない、昨日屋上でさらっと伝えた言葉だった。
相当な意欲が無ければこの芸当は出来ない。

「ほう……? よくそこまで覚えていたな」

知夏はどうだと言いたげな表情で大きく胸を張った。
エハルは敬意として、より正確な答えを教えることにした。

「騙してたようで言いにくいんだが……それについてはまだ、俺の知識でしかなくてな。
『作法』という幅広い行動がある中で、"11%という数値"は正しくないかもしれない」

「えぇ!? そ、そんなぁ……頑張って覚えたのにぃ……!」

「まぁ、そういうな。無駄だと思った知識も役に立つ時は必ずある」

「そうですかぁ……? じゃあいったんそう思っておきますけどぉ……」

知夏は残念そうな顔をして、綺麗にまとめられたノートを眺めた。

「でもぉ……やっぱり今日話したいなぁ……」

まとめた内容の中に今言った話が含まれているのだろう、とエハルは推測した。
せっかく用意したのだから話したい、しかし誤ってることを教えたくはない。そんなところだろう。

「以前は"ゾンビの11%は梯子を昇れる"という説が有力だったが、今は少しだけ違う。
とはいってもそう考えておいた方が安全だ。といった風に、情報を補足してみてはどうだろう?」

知夏はバッとエハルに顔を向けた。

「それすごくいい感じです!! それで行きましょう!!」

知夏はノートに向き直ると、さっそくそのことを書き加え始めた。
筋肉痛で腕が震えるのもお構いなし、といった様子だ。よく見れば手の指に潰れたマメまである。
あれだけ槍を振るっていたのだ。無理もない。

無理をしてでも配信のために努力を惜しまない。エハルはその姿に懐かしさを覚えた。そして一抹の不安を感じた。
この身を粉にするような働き方は彼の親友とあまりに似通っていたからだ。

見ていて心配になる程仕事に没頭し、燃え尽きてしまった男『秋山浩二』に。
『フィジカル・オブ・ザ・デッド』セカンドまでを舞台裏で支えてきた彼の技術力を、エハルは必要としていた。
現在も生存していることは分かっており、その場所すらもエハルは知っている。
しかし燃え尽き灰となった今の彼に協力を頼むのは、あまりに酷ではないのか。今までそのことがエハルを躊躇させていた。

「知夏と会えば、少しはマシになるかも知れない……」

「ハイ? 今、わたしを呼びましたかぁ?」

「いや、気にしないでくれ。ただの独り言だ」

二人は五階まで昇りきって従業員用のドアをくぐり、休憩室へと歩いていった。
エハルは次の目標へ向かう覚悟を決めた。『秋山浩二』が住む地下シェルターへと。
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