幸せの翼

悠月かな(ゆづきかな)

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クルックの過去

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「サビィ!サビィ!大丈夫ですか?」

クルックの声にハッとして顔を上げる。

「クルック…あ、あぁ…大丈夫だ…」

私は、乱れた髪を整えながら立ち上がった。

「あまり大丈夫そうに見えませんわ…サビィ…今の出来事は一体何ですの?かなり不気味な声が聞こえましたし…その水盤から腕が出てましたわよ…」
「ああ…私にも分からないのだ…一体何が起こったのか…あの腕は、イルファスだった…」
「まぁ!あれはイルファスでしたの?そうですか…」

クルックが突然押し黙り、何か考え始めている。

「クルックはイルファスを知っているのか?」
「ええ…私がサビィの所に来る前に、ほんの少しだけイルファスの部屋にいた事がありますの…」
「何だと…それは初耳だが?」

私は驚きクルックを見つめた。

「ええ、だって話していませんもの。彼女の部屋にいた時は…それはもう…大変でしたわ」
「大変とは…?寝起きが相当悪かったのか?」
「いいえ!寝起きは良かったのです…と言うか…彼女はあまり眠らなかったのです。夜が更けても、ずっと起きていましたわ。私が眠るように注意しても断固として聞き入れませんでしたの」
「眠らないで彼女は一体何をしていた?」
「何もしていませんでしたわ」
「何もしていないだと?」
「ええ。壁に向かって椅子に座り、ただ壁の一点を見つめているだけでしたの」
「イルファスに鞭を使った事は?」
「一度だけありました…でも…その時の彼女があまりにも恐ろしくて…鞭は封印しましたの」
「クルックが鞭を封印…何があったのだ?」

クルックは暫く考えていたが、ポツリポツリと話し始めた。

「イルファスがあまりにも眠らないものですから、ある日叱りましたの。でも…彼女は私を無視したのです。いくら叱ってもずっと無視するものですから、私も頭に来てしまい鞭で彼女を叩いたのです。その瞬間、イルファスはゆっくりと振り向きニタリと笑いながら立ち上がりましたの…そして…」

クルックは、体をブルっと身震いさせて黙ってしまった。

「クルック…大丈夫か?もし話したくないのならば無理に話さなくても良いが…」
「いえ!大丈夫です。サビィには話さないといけません」

クルックは一度深く深呼吸をすると、意を決したように再び話し始めた。

「イルファスは私の所にやって来て、突然壁から外し床に叩きつけたのです。そして、私にこう言い放ちました。毎日毎日うるさいんだよ!お前などいつでも簡単に壊せるんだ!なんなら今壊してやろうか!…と…そして私は彼女の足で踏み潰されそうになりましたが、イルファスの怒鳴り声を聞き付け、不審に思ったブランカが訪ねてきて私は助かりました」

クルックは、体をブルブルと震わせている。
私は、クルックの話を聞き昔を思い出していた。
そもそも、私の部屋には掛け時計はなかった。
掛け時計がなくとも、時間の管理は自分でできていたので必要なかったのだ。
しかし、ある日ブランカがクルックを連れて部屋を訪ねてきた。
居場所がないクルックを引き取ってくれないか…と頼まれたのだ。
私は、その頃はブランカと親しくはなかった。
だから一旦断ったのだが、クルックの引き取り手がいなくて困っていると言われ、渋々引き受けたのだ。
ブランカとは、それから徐々に親しくなっていった。

「クルック…嫌な事を思い出させて済まなかった」

私は、震えるクルックを優しく撫でた。

「サビィ…私はあなたの部屋に来てからは楽しく過ごしておりますから大丈夫ですわ。でも、先程のイルファスの行動は尋常ではありません…心配ですわ…」

確かに、イルファスの行動は尋常ではなかった。
私は、この問題をどう対処すれば良いのだろうか…
ただでさえ忙しく、片付けなければならない事がたくさんあると言うのに…
私が頭を抱えていると、水盤の声が聞こえてきた。

『サビィ…サビィ…』

私は水盤に駆け寄った。

「水盤、先程は助かった。礼が遅くなりすまない。感謝している」

私が頭を下げると、水盤はさざ波を立てながら答えた。

『礼には及ばぬ。サビィ…そなたは初めて自分の気持ちに素直になり、私に助けを求めた。自分自身に素直になる事…それが一番必要な事だったのじゃ。サビィ…そなたは確かに優秀な天使じゃ。しかし、何でも自分1人の力で解決しようする。もっと周りに頼るのじゃ。そなたを助けたいと思っている者は意外に多いものじゃ…』
「もっと周りに頼る…」

私は、水盤の言葉を繰り返しながら考えた。
すると、頭にラフィが浮かんだ。

「ラフィ…に相談してるみるか…」
「サビィ!それが良いですわ!」

私の呟きを聞いたクルックが、身を乗り出しながら賛同した。

『そうじゃ、サビィ。1人で解決しない問題は他者に相談する事で、道が見える場合もあるのだ』

私は水盤の言葉に頷くと、早速ラフィの部屋に向かった。



「あれ?サビィ…どうしたんだい?何だか…顔色が悪いみたいだけど…」

ラフィの部屋を訪ねると、彼は目を丸くし私を出迎えた。

「ラフィ…相談事があるのだが…」
「サビィが相談?珍しいね…何かあったんだね」

私が無言で頷くとラフィは扉を大きく開け、柔らかな笑顔で私を見た。

「サビィ、中で話を聞くよ。さぁ、入って」

部屋に入ると、テーブルに何冊かの本が乱雑に重ねてあった。

「百科事典への転記の追い込み中でね。まぁ、適当に座ってよ」

私の目線に気付いたラフィが言った。

「ああ…ラフィ、忙しい所すまない」
「ちょうど休憩しようと思ってたから大丈夫だよ。今、お茶を入れるから待ってて」

私がソファに掛け少しすると、目の前にティーセットが置かれた。
ポットから黄金色のお茶が注がれると、部屋中に優雅な香りが広がっていった。

「リラムーンティーか…」
「うん。サビィ、気に入ってたみたいだからね。まずは、お茶を飲んで気持ちを落ち着かせてよ」

私はティーカップを持ち上げ、リラムーンティーを口に含んだ。
優雅で甘い香りが口いっぱいに広がる。
あまりの美味しさに、思わず溜め息が漏れた。

「どうだい?少しは落ち着いた?」
「あぁ、だいぶ落ち着いた。ラフィ、感謝する」

ラフィは笑顔で頷いたが、すぐに真剣な顔になった。

「ところで一体何があったんだい?」

私は頷くと、先程起こった不気味な出来事を、ラフィに全て話した。



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