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ルイスは立ち上がり、涙目のシャルを促した。
「それより、あいな様を探しましょう。城内で迷ってしまわれるかもしれません」
「そっ、そうだな。俺、ちゃんとあいなに謝るよ!」
「ええ、それがいいでしょう」
ルイスは意味ありげな視線をシャルに投げかけ、ささやく。
「心配せずとも大丈夫ですよ。あいな様はきっと許して下さいます。あの方は、とても美しい心を持った女性ですから」
「……ルイス。あいなと何かあったのか?」
シャルの第六感が働いた。ルイスが、今までにないほど優しい笑みを見せたからだ。それに、彼が私的感情を挟んで他者を評価することは珍しい。女性に対してそんな言い方をするルイスを見たのは、この時が初めてだった。
「何もございませんよ。少しお話したら、彼女がどのような性格かなどすぐに分かります」
「……ふーん。そういうもんか……」
「執事には必須のスキルですよ、シャル様」
「……ああ、そうだな……」
ルイスの内面がこれまでとどこか違うことに気付きつつ、シャルはそれ以上追究しなかった。
(今は、あいなを探す方が先だっ!)
二人は、それぞれ別の方角へあいなを探しに行った。
あいなは一人、城の最上階にある展望台へ来ていた。むしゃくしゃした気分で適当に階段を上っていたらたどり着いてしまったのだ。
レンガ作りの展望台からは、ほぼ360度の地平線が見渡せるようになっている。
「わあ、すごい!テレビで見たイタリアみたいな街並みが広がってる!」
カスティタ城を中心に、モダンな街並みが広がっている。人の気配は感じられないが、こうして日本とは違う景色を眺めているとファンタジーゲームの世界に入り込んだような気分だ。
はるか遠くの方には海と空の境界線が緩やかな放物線を描き、それは青く澄んでいる。こんなに綺麗な青色を見たのは生まれて初めてである。
美しい景色を見ると、シャルに対し怒っていたことも忘れそうになった。
「……あーあ……。何であんなことに……。シャルのバカ……」
綺麗な景色は高ぶった気持ちを落ち着かせてくれると同時に、切ない気分をも運んでくる。
「この景色、皆と一緒に見たかった……」
一人ではなく、シャルやルイス、龍河(りゅうが)と一緒に。
「……戻ろ……」
シャルと顔を合わせるのは気まずいが、こうしていても何だか虚(むな)しいので踵(きびす)を返そうとすると、
「ルイスさん!!」
ちょうど、展望台に続く階段を上ってくるルイスとかち合った。
「こちらにいらしたのですね」
「うん。体はもう大丈夫?」
昨夜のことを思い出し、あいなは尋ねる。
「ええ、おかげさまで。ありがとうございました」
「良かった。あの……」
あいなはシャルのことを尋ねようとしたが、龍河の看病をしてくれているルイスが知るはずもない。彼女が言葉に詰まっていると、ルイスは口元をゆるめた。
「シャル様なら、今頃あいな様を探しておられますよ。ご案内いたします」
「うん、お願い!」
冷静になった今、あいなもシャルとちゃんと話がしたいと思った。
ルイスの案内は正確で、十分もしないうちにあいなはシャルの元へたどり着いた。本当ならば空間転移の魔法を使った方が早かったのだが、ルイスがあえて魔法を使わず歩きで案内をしたのは、少しでも長くあいなと二人でいたかったからだ。
「ありがとう、ルイスさん」
「いえ。お困りの際は、いつでもお呼び下さい」
頭を下げ、ルイスはその場を立ち去った。
しばらく歩き来た道を振り返ると、シャルと向き合うあいなの姿が遠目に見え、ルイスの胸はきしんだ音を立てる。
「恋患(こいわずら)いによる痛みの度合いは、相手との距離のあり方に比例するものなのですね」
誰にも届かないつぶやきは、空気に消える。ルイスは龍河の元に戻った。
「あいな、さっきはごめん!俺、サイテーなこと言ってたよな!?」
「シャル……」
こうも素直に謝られるとは思っておらず、あいなは戸惑う。しかし、自分の気持ちがシャルに通じたように感じ嬉しくもあった。
「分かってくれたならいいよ。私も、叩いたりしてごめん」
「いいって。全然ヘーキ!」
ついさっきまで落ち込んでいたとは思えないほど、シャルは元気になった。
こうして感情を揺るがす色々な出来事が起きたせいで、あいなは、自分がシャルに好かれているかもしれないということをすっかり忘れ、今までのように友達という意識でシャルと接したのだった。
あいな達がグランツェールを訪れた影響で、時間の流れは止まっていた。それなのになぜ昼と夜が分かるのかというと、ルイスの持っている魔法時計のおかげだった。腕時計として常に身に付けているこれのおかげで、夕食や入浴の時間を判断できていた。
この時計はルイスの持つ魔力の強さに反応して動いているため、他の時計のように、あいなの使ったまじないの影響を受けないのだ。
シャルとあいなが仲直りをした数日後のことである。あいなと龍河が眠りについた頃、ルイスはシャルを執務室に呼んだ。
「――あいな様と龍河様が訪れてから、今日でちょうど7日目になります……」
「もうそんなに経ったのか……」
小さくうなずき、ルイスは言った。
「あいな様の使ったまじないがどの世界のものかは分かりませんが、改めていくつかのまじない書を調べてみたところ、どんなに強力なまじないでも効力がもつのは7日から8日と言い伝えられていたことが分かりました。それが真実だとすれば、彼女達はもうじきこの世界から消え、元いた世界に戻られます」
「……本当に、おまじないのせいだったんだな……」
「ええ。私達も、元の日常に戻るのです。あいな様や龍河様のことも忘れてしまうでしょう……」
「なぁルイス。それってたしかなことなのか?今までおまじないを使ったことのあるやつってこの世界にはいなかったんだろ!?まじない書だって昔の物なんだろ??だったら、あいな達がいなくなった後俺達があいなのことを忘れるかどうかもまだ分からなくないか!?」
「ええ、そうですね。シャル様のおっしゃる通り、忘れない可能性もあります」
ルイスもシャルも、あいなのことを忘れたくはなかった。できることなら、このままこの世界で彼女達と共に暮らしたい。
しかし、そんな自分勝手なことは、あいなのために言えないと思った。
「あいなにはあいなの暮らす世界があるんだもんな……」
「そうです。たとえ私達にあいな様の記憶が残ったとしても、彼女をここに縛り付けるわけにはいかないのです」
「……そうだよな。分かってる……」
シャルは、日々大きくなっていく自分の気持ちが何なのかを、この時初めて知った。
「忘れた方が、俺自身のためでもあるんだよな……」
永遠に結ばれることのない相手。異世界人への想いは忘れた方がいい。その方がつらくない。
「――それでももしあいなのことを覚えていられたら、その時はその時でどうするか考える。今は、あいなといられる時間を精一杯全力で楽しむんだ」
「そうですね。それがベストです」
ルイスは言った。
「シャル様。エトリアの泉を見に行きましょう」
「えっ?」
シャルは目を丸くして驚いてみせた。これまで泉の伝承には全く興味を示さなかったルイスが、そんなことを口にするなんて思わなかったからだ。
「どうしたんだよ、ルイス。お前、今までどんなに誘っても泉には行きたがらなかったのに……」
「ただの気まぐれですよ」
「……そうか」
エトリアの泉にやってきた。軽やかな足取りのシャルと違い、ルイスは恐る恐るといった感じで水面を覗(のぞ)いた。
「……美しいですね」
「ああ。あいなもそう言って感動してた」
「あいな様もここへ来られたのですか?」
「うん。俺が案内した。どうしてか、アイツには見せておきたくなって」
「……そうでしたか……」
水面に映ったルイスの顔を見て、シャルは尋ねる。
「……ここ数日の間に変わったよな、お前。前は仕事が趣味の執事ロボットみたいなやつだったのに」
「そのように思われていたのですね。もう少し感情の起伏を大きめに表現した方がよろしいでしょうか」
冗談めかしてそんなことを言うルイスを見やり、シャルは怪訝(けげん)な顔をした。
「たしかにお前は何を考えてるのか分からないよ、普段から。でも、今はそういう話をしてるんじゃない。
――あいなが来て、俺は自分の中の色んなことが変わった。知らない感情をたくさん知った。初めて人とケンカをした。ルイス、お前もそうじゃないのか?」
「……何をおっしゃっているのか、私にはよく分かりません」
「またはぐらかす気か?」
「少しはご自分の頭で考えて下さい。将来国王となられるあなたの弱点ですよ、そこは。知りたいこと全てを都合良く語ってくれる者などいないのですから」
「……執事って便利な肩書きだな。お前が俺の執事じゃなかったら、お前の言葉でその裏に込められた気持ちを話してくれただろうに」
それきり、二人は黙り泉を見つめる。
シャルとしてはルイスが短期間のうちに変化した理由を知りたかったのだが、ルイスはそれに明確な答えを告げなかった。しかし、これはあくまでシャル側の捉(とら)え方である。泉にシャルを伴(ともな)って足を運んだこの行動こそがルイスの答えだったのだ。
あいなに特別な想いを抱いていること。泉に来ることで、ルイスは意思表示をしたのである。
黙ったまま考え、シャルはようやく、ルイスの本音に気付いた。
「……ルイス。お前もあいなのこと……」
「そろそろ就寝のお時間です」
泉に何の未練も残すまいといった足取りでルイスは城内に戻る石畳(いしだたみ)を歩いた。シャルはムッとした顔をしながらも、次の瞬間サッパリした面持ちになりルイスに続いた。
「もうそんな時間か。でも……」
「はい?」
「寝るのがもったいないな」
「あいな様がお目覚めになるまで彼女の寝顔を夜通し眺めているおつもりですか?」
「そっ、そんなこと言ってないだろっ!」
顔を真っ赤にして否定するシャルを、ルイスは冷静ながらも意地悪な目付きで見つめるのだった。
翌日、あいなが客室で目を覚ますと、朝の紅茶を運んできたルイスが言った。
「シャル様がお呼びです。身支度が済みましたら、書庫までご案内致します」
「そうなの?分かった。準備するね」
すぐさま支度を済ませ、あいなはルイスの案内に従った。龍河(りゅうが)はまだ眠っているらしいので、一人でシャルと会うことにした。
「こちらになります」
「うわぁ……!」
ルイスが先に中へ入り、扉を押さえてあいなを招き入れる。足を踏み入れた瞬間、古びた紙のにおいが二人の鼻をかすめた。
城内の書庫というだけあって、収められている本の数は莫大(ばくだい)である。茶色を基調とした壁と棚。まさに、巨大な図書館といった感じである。
「あいなー!こっちこっち!」
「シャル!」
遠くから名前を呼ばれ、あいなはシャルに駆け寄った。
「呼び出しなんて、どうしたの?ここ、初めて入るよね。城の中は全部探索し終わったと思ってたよ」
「まだまだ、行けてない場所はいっぱいあるんだぜ。それよりさ、これ見てみ?」
シャルが差し出したのは、一冊の古びたまじない書だった。古くなり過ぎて、表紙の分厚い紙が取れかかっている。
「これ、何?」
「まじない書だ。あいな、こういうの好きかと思って」
「好きだよ。でも、よく分かったね」
「おまじない使ってここに来たって言ってたから、もしかしたらって思ってさ」
シャルは、目の前に広がる棚を手の動きで大きく示す。
「ここにある本、ぜーんぶまじない書なんだ。そこからひとつ、あいなと一緒に試したいものがあったんだ」
「ありがとう!嬉しい!」
目を輝かせあいなはページを繰(く)ったが、異世界の本である。何を書いてあるのか全く分からなかった。
シャルがわざわざ見付けてくれたのに、そう思うと悲しくなってくる。
「せっかく用意してくれたのにごめんね。私には読めないよ」
「読めなくて当然だ。俺も翻訳(ほんやく)に一夜(いちや)を要(よう)したからな。昔の文字で書かれてるんだよ、これ」
「そうだったんだ」
あいなはホッとした。シャルは困ったように笑い、
「ルイスはこういうの得意でスムーズに訳(やく)せたみたいだけど、俺にはそんな頭ないから、一個だけ、これっていうの見つけたんだ」
「どんなの?あっ、ルイスさんも一緒に見ようよっ」
あいなが出入口を振り返った時、そこにはもうルイスはいなかった。
「ルイスさん、行っちゃったんだ……」
「席を外してもらったんだ。おまじないは、効果をもたらしたいメンバーだけでやらないと意味ないんだろ?」
「うん、そうだけど……。どんなおまじないをやるの?」
「俺達がいつまでも仲良くいられるおまじない!やり方はそこに書いてある」
あいなに手渡されたまじない書。そこの中間辺りにあるページを見ながら、シャルは一生懸命まじないの方法を覚えた。まじないの手順は実にシンプルなものだったが、シャルにとっては一生を左右する儀式のように感じられた。
なぜそんなに熱心なのかは分からないが、必死なシャルに、あいなは胸があたたかくなるのを感じた。
「いいね、そのおまじない。この前みたいにケンカしちゃわないように、絶対成功させなきゃ!」
「ああ!」
シャルとあいな、二人で行ったまじないが成功した直後、あいなと龍河は姿を消したのだった。
王子シャルにプロポーズされカスティタ城へ連れてこられてから、早一週間。はじめは脱走することばかり考えていたあいなも、ルイスやシャルと少しずつ打ち解けていた。
事の流れが流れなだけにこのまま結婚することに抵抗を感じることに変わりはないが、ここでの生活が逃げ出すほど嫌なものではないことに、あいなは自分でも驚いている。
最初の数日間は自分に与えられた客室で食事や睡眠をとっていたあいなも、本日からはシャルとの共用スペースである王族の間で食事をとるよう準備がなされた。ここは客室よりも広く、寝食に必要な家具や家電は全てそろっていた。王子とその結婚相手のために作られた部屋らしい。
そんな待遇を受けることにまだ違和感を覚えてしまうあいなだったが、たいていの雑務はルイスが行っており他の執事やメイドと顔を合わせることはなかった。
シャルは日中たいてい仕事をしているので夕食の時くらいしか顔を合わせないのだが、あいなを一人にしておくのが心配なのか、たびたび仕事を抜け出しあいなの元にやってきた。
「あいな。今日からは王族の部屋で一緒に過ごすぞ」
「ご飯はいいとして……。一緒に寝たりするのはちょっと、まだ……」
顔を赤らめて気まずそうにうつむくあいなに、シャルは微笑する。
「分かってる。ベッドは二つ、離して配置するようルイスに言ってある。心配するな」
「うん……」
「じゃあな。これから公務で外に出るからもう顔出せないかもしれないけど、夕食までには戻れるように頑張る」
「分かった。いってらっしゃい」
シャルを見送り、あいなは部屋に引っ込んだ。もう少ししたら、王族の間に向かうため、案内係としてルイスが来ることになっている。
あいなの客室だけでなく、王族の間に出入りするのはルイスの役目であった。シャルの専属執事であるルイスだが、その立場は、同時にシャルの妃となるあいなに尽くすことも意味している。ゆえに、これまでの一週間はもちろん、これからもルイスはあいなの世話係|及(およ)び雑用兼教育係として、数時間おきに彼女の元を訪れる役割を担っている。
「あいな様、昼食をお持ち致しました」
「ありがとう、ルイスさん。でも、私、自分のことは自分でやるから、少しは休んでて下さい。せめて、王族の間に案内してもらう時までは。シャルの仕事の補佐もしてるんですよね、ルイスさんは……」
「ええ。ご心配ありがとうございます。ですが、この程度のことが出来ずにシャル様の執事は勤(つと)まりませんよ」
「でも……」
「ご心配には及(およ)びません。こう見えても体力には自信があるのですよ」
体力には自信がある。かつてあいなに言ってもらった言葉をそのままルイスは言ってみせた。
「あいな様がこちらにいらっしゃる前のことですが、約50人のお客様を同時にお相手したこともありますから」
「50人ですかっ!?ルイスさんもすごいけど、このお城だから対応できる人数ですよねっ。ウチじゃ絶対無理」
はははと、どちらかともなく笑い合う。
「あの、ルイスさん。ちょっとお願いしてもいいですか?」
「どうぞ、何なりと」
「このお城に、図書館みたいな場所ってありますか?」
ルイスはやや目を見開きつつ冷静に、
「はい、書庫がありますよ。それでは、お食事の後にご案内いたしましょうか?」
「お願いします!」
急いで食事を終わらせると、あいなはルイスと共に書庫へ向かった。
「こちらです。お足元にお気をつけ下さい」
扉を支え、ルイスが中へ案内した。
「うわぁ……。さすがお城の書庫ですね!すっごい本の数!」
高い天井。階段やテーブルもたくさんある。書庫に満ちた古びた本が放つ独特のにおいを嗅(か)いで、あいなはどうしようもなく懐かしい感じがした。
(私、前もこんなような場所に来たっけ?)
そんなはずはない。ここは異世界なのだ。シャルやルイスのように魔法を使えるわけでもないのだから。
「あいな様は読書がお好きなのですか?」
あいなの少し後ろを歩く形で、ルイスがついていく。
「はい。難しい本は苦手なんですけど、占いとかおまじないの本は好きなんですよ」
「……そうでしたか」
過去、あいなのまじないで出会った時のことを思い出し、ルイスはわずかに表情を和らげる。
「あいな様は占いやまじないにご興味がおありなのですね。そういった書物ならばこちらにございますよ」
通常の市民図書館の五倍以上はある広い書庫を、ルイスは迷うことなく進んでいく。長身なルイスの後ろ姿を見て、あいなは再びデジャブを覚えた。以前も似たようなことが起きた気がする。
「ルイスさんは、ここにはよく来るんですか?こんなに広いのにまったく迷わないから。私一人だったら絶対迷います」
「城内のことは全て把握(はあく)しています。もしもあいな様が迷われた時は、私が必ず見付けて差し上げますのでご安心を」
肩越しにあいなを振り向き微笑するルイス。その横顔は、日頃より妙に色っぽく、異性を感じさせる。恥ずかしくなったあいなはルイスから目をそらした。
「ルイスさんは、何でもできる完璧な人って感じですよね。心強いし、そういう所がちょっとうらやましいかも、です」
「お褒(ほ)めに与(あずか)り光栄です。でも、そんなことはありませんよ。まだまだ至らぬ点ばかりです」
城内でもそうだが、書庫の中を歩いていると、あいなは時々他者の視線を感じる。それは、各所で働くメイド達のものであった。彼女達は、ルイスのことを憧れの異性を見るようにうっとりした目で眺めている。
(ルイスさんって、モテるんだろうなぁ……。)
あいなは、自分とは全く違う属性を持つ異性とこうして行動を共にしていることに、今さらながら非日常さを感じた。
これまであいなが好きになった異性には様々なタイプがいた。全学年の女子からモテる男子、爽やかでスポーツの得意な男子、大人しくて優しい男子、色々な人に恋をし、フラれてきた。それなりに色々な性格の男子に出会ってきたつもりだったが、ルイスのようなタイプは初めてである。
(ルイスさんって、恋してるのかな?)
初日に、ルイス相手にからかい半分でそう訊(き)いた時は勝手に好きな人がいると決め付けてしまったが、ルイスの内心は分からない。
――考えているうちに、ルイスとあいなは目的の本が収められているコーナーへ着いた。
「ありがとうございます。あとは一人で大丈夫ですから。あっ、王族の間に行く時間までにはちゃんと戻りますね」
「分かりました。もし何かありましたら、近くのメイドに何でもお申し付け下さい」
踵(きびす)を返そうとし、ルイスはピタリと足を止める。
「忘れていましたが、私も急ぎの調べものがあったのですよ。ご迷惑でなければ、もう少しご一緒してもよろしいでしょうか?」
「迷惑なんてとんでもないです。どうぞっ。私はこの辺りを見てますね」
あいなは目的の本を探す。ルイスはそんな彼女を視界の端(はじ)に入れつつ近くにある適当な本を手に取り、すぐそばのテーブルに着いた。
しばらくするとあいなもルイスの向かいに座り込み熱心に本を読み始めた。
一方、ルイスの方は、目に入れる文章の内容などちっとも頭に入っていなかった。
(あれから8年も経(た)っているのだから、いい思い出にできたと思っていたのに……。)
あいなと再会し彼女と一緒の時間を過ごすほど、ルイスの心には消えかかったはずの炎が蝋燭(ろうそく)の火のように弱くもしっかり灯(とも)っていた。
(何も望まない。あなたを自分のものにしたいなどとは思えない。あなたが幸せであるのが私の喜びなのですから。ただ、そばにいさせてほしいのです……。)
あいなが探していたのは、元の世界に戻るためのおまじないと、幸せな未来を作るための方法だった。
(シャルとの結婚は避けられそうにないけど、たまには家にも帰りたいし秋葉と話したい。それに、結婚するならやっぱり幸せになりたいから……。)
シャルと共に幸せな生活を送れるよう、あいなは前向きに考えることにした。
これまでも、恋や学校のことに悩むと占いやおまじないの本に頼ってきたので、今回もそれでうまくいくはず。そう思って書庫に来たのだが、ピンとくる本を見つける以前の問題だった。何と書いてあるのか、分からない。
(異世界の本だし、当然かぁ……。っていっても、字が読めないなんて不便だなぁ。本は諦めよっか……。)
あいなはチラリと、向かいのルイスを見やった。
(幸せな結婚生活を送る方法。シャルが私にこだわる理由もよく分からない。だから私、不安なんだ。……ルイスさんなら、何て言うかな?)
ルイスと居ると安心するし、どこか懐かしい気持ちになる。あいなは思い切ってルイスに相談してみることにした。書庫ということもあり、小さな声で、
「あの……」
「どうされましたか?」
ルイスも同じく、聞き取れるほどの小さな声で答える。
「シャルって、どうしてあんなに熱心に私との結婚を考えてるんですか?シャルと結婚したがってる女性は他にたくさんいるって話なのに……」
今までモヤモヤして自分でも意識できなかったことが、口にしていくうちにハッキリ形になっていく。
「……ルイスさんにだから言えることなんですが……。私、今まで色んな恋をしてきたって偉そうなこと言っちゃったんですけど、実は全部片想いで終わった恋なんです」
開いていた本を閉じ、ルイスはあいなの顔を見つめた。
「自分では精一杯努力してるつもりだったんです。少しでも綺麗になれるように。バイトしてたのはお小遣い欲しさはもちろんなんですけど、一番の理由はオシャレに使うお金欲しさだったんです。平均以下の顔立ちだって分かってますけど、だからってふてくされるのは嫌だからやれることはやってました。でも、好きになった人はみんな、私を見てくれることはなくて……。
だから、不思議なんです。シャルがあんなに私を好きだと言ってくれることが、いまいち信じられないんですよ。とはいえ、この指輪に縛られてるから結婚したがってるってことも、もちろん分かってるんですけど……」
「……それは、今まであいな様が好きになられたお相手の方に見る目がなかったのですよ」
普段以上にはっきりした口調で、ルイスは言った。
「それより、あいな様を探しましょう。城内で迷ってしまわれるかもしれません」
「そっ、そうだな。俺、ちゃんとあいなに謝るよ!」
「ええ、それがいいでしょう」
ルイスは意味ありげな視線をシャルに投げかけ、ささやく。
「心配せずとも大丈夫ですよ。あいな様はきっと許して下さいます。あの方は、とても美しい心を持った女性ですから」
「……ルイス。あいなと何かあったのか?」
シャルの第六感が働いた。ルイスが、今までにないほど優しい笑みを見せたからだ。それに、彼が私的感情を挟んで他者を評価することは珍しい。女性に対してそんな言い方をするルイスを見たのは、この時が初めてだった。
「何もございませんよ。少しお話したら、彼女がどのような性格かなどすぐに分かります」
「……ふーん。そういうもんか……」
「執事には必須のスキルですよ、シャル様」
「……ああ、そうだな……」
ルイスの内面がこれまでとどこか違うことに気付きつつ、シャルはそれ以上追究しなかった。
(今は、あいなを探す方が先だっ!)
二人は、それぞれ別の方角へあいなを探しに行った。
あいなは一人、城の最上階にある展望台へ来ていた。むしゃくしゃした気分で適当に階段を上っていたらたどり着いてしまったのだ。
レンガ作りの展望台からは、ほぼ360度の地平線が見渡せるようになっている。
「わあ、すごい!テレビで見たイタリアみたいな街並みが広がってる!」
カスティタ城を中心に、モダンな街並みが広がっている。人の気配は感じられないが、こうして日本とは違う景色を眺めているとファンタジーゲームの世界に入り込んだような気分だ。
はるか遠くの方には海と空の境界線が緩やかな放物線を描き、それは青く澄んでいる。こんなに綺麗な青色を見たのは生まれて初めてである。
美しい景色を見ると、シャルに対し怒っていたことも忘れそうになった。
「……あーあ……。何であんなことに……。シャルのバカ……」
綺麗な景色は高ぶった気持ちを落ち着かせてくれると同時に、切ない気分をも運んでくる。
「この景色、皆と一緒に見たかった……」
一人ではなく、シャルやルイス、龍河(りゅうが)と一緒に。
「……戻ろ……」
シャルと顔を合わせるのは気まずいが、こうしていても何だか虚(むな)しいので踵(きびす)を返そうとすると、
「ルイスさん!!」
ちょうど、展望台に続く階段を上ってくるルイスとかち合った。
「こちらにいらしたのですね」
「うん。体はもう大丈夫?」
昨夜のことを思い出し、あいなは尋ねる。
「ええ、おかげさまで。ありがとうございました」
「良かった。あの……」
あいなはシャルのことを尋ねようとしたが、龍河の看病をしてくれているルイスが知るはずもない。彼女が言葉に詰まっていると、ルイスは口元をゆるめた。
「シャル様なら、今頃あいな様を探しておられますよ。ご案内いたします」
「うん、お願い!」
冷静になった今、あいなもシャルとちゃんと話がしたいと思った。
ルイスの案内は正確で、十分もしないうちにあいなはシャルの元へたどり着いた。本当ならば空間転移の魔法を使った方が早かったのだが、ルイスがあえて魔法を使わず歩きで案内をしたのは、少しでも長くあいなと二人でいたかったからだ。
「ありがとう、ルイスさん」
「いえ。お困りの際は、いつでもお呼び下さい」
頭を下げ、ルイスはその場を立ち去った。
しばらく歩き来た道を振り返ると、シャルと向き合うあいなの姿が遠目に見え、ルイスの胸はきしんだ音を立てる。
「恋患(こいわずら)いによる痛みの度合いは、相手との距離のあり方に比例するものなのですね」
誰にも届かないつぶやきは、空気に消える。ルイスは龍河の元に戻った。
「あいな、さっきはごめん!俺、サイテーなこと言ってたよな!?」
「シャル……」
こうも素直に謝られるとは思っておらず、あいなは戸惑う。しかし、自分の気持ちがシャルに通じたように感じ嬉しくもあった。
「分かってくれたならいいよ。私も、叩いたりしてごめん」
「いいって。全然ヘーキ!」
ついさっきまで落ち込んでいたとは思えないほど、シャルは元気になった。
こうして感情を揺るがす色々な出来事が起きたせいで、あいなは、自分がシャルに好かれているかもしれないということをすっかり忘れ、今までのように友達という意識でシャルと接したのだった。
あいな達がグランツェールを訪れた影響で、時間の流れは止まっていた。それなのになぜ昼と夜が分かるのかというと、ルイスの持っている魔法時計のおかげだった。腕時計として常に身に付けているこれのおかげで、夕食や入浴の時間を判断できていた。
この時計はルイスの持つ魔力の強さに反応して動いているため、他の時計のように、あいなの使ったまじないの影響を受けないのだ。
シャルとあいなが仲直りをした数日後のことである。あいなと龍河が眠りについた頃、ルイスはシャルを執務室に呼んだ。
「――あいな様と龍河様が訪れてから、今日でちょうど7日目になります……」
「もうそんなに経ったのか……」
小さくうなずき、ルイスは言った。
「あいな様の使ったまじないがどの世界のものかは分かりませんが、改めていくつかのまじない書を調べてみたところ、どんなに強力なまじないでも効力がもつのは7日から8日と言い伝えられていたことが分かりました。それが真実だとすれば、彼女達はもうじきこの世界から消え、元いた世界に戻られます」
「……本当に、おまじないのせいだったんだな……」
「ええ。私達も、元の日常に戻るのです。あいな様や龍河様のことも忘れてしまうでしょう……」
「なぁルイス。それってたしかなことなのか?今までおまじないを使ったことのあるやつってこの世界にはいなかったんだろ!?まじない書だって昔の物なんだろ??だったら、あいな達がいなくなった後俺達があいなのことを忘れるかどうかもまだ分からなくないか!?」
「ええ、そうですね。シャル様のおっしゃる通り、忘れない可能性もあります」
ルイスもシャルも、あいなのことを忘れたくはなかった。できることなら、このままこの世界で彼女達と共に暮らしたい。
しかし、そんな自分勝手なことは、あいなのために言えないと思った。
「あいなにはあいなの暮らす世界があるんだもんな……」
「そうです。たとえ私達にあいな様の記憶が残ったとしても、彼女をここに縛り付けるわけにはいかないのです」
「……そうだよな。分かってる……」
シャルは、日々大きくなっていく自分の気持ちが何なのかを、この時初めて知った。
「忘れた方が、俺自身のためでもあるんだよな……」
永遠に結ばれることのない相手。異世界人への想いは忘れた方がいい。その方がつらくない。
「――それでももしあいなのことを覚えていられたら、その時はその時でどうするか考える。今は、あいなといられる時間を精一杯全力で楽しむんだ」
「そうですね。それがベストです」
ルイスは言った。
「シャル様。エトリアの泉を見に行きましょう」
「えっ?」
シャルは目を丸くして驚いてみせた。これまで泉の伝承には全く興味を示さなかったルイスが、そんなことを口にするなんて思わなかったからだ。
「どうしたんだよ、ルイス。お前、今までどんなに誘っても泉には行きたがらなかったのに……」
「ただの気まぐれですよ」
「……そうか」
エトリアの泉にやってきた。軽やかな足取りのシャルと違い、ルイスは恐る恐るといった感じで水面を覗(のぞ)いた。
「……美しいですね」
「ああ。あいなもそう言って感動してた」
「あいな様もここへ来られたのですか?」
「うん。俺が案内した。どうしてか、アイツには見せておきたくなって」
「……そうでしたか……」
水面に映ったルイスの顔を見て、シャルは尋ねる。
「……ここ数日の間に変わったよな、お前。前は仕事が趣味の執事ロボットみたいなやつだったのに」
「そのように思われていたのですね。もう少し感情の起伏を大きめに表現した方がよろしいでしょうか」
冗談めかしてそんなことを言うルイスを見やり、シャルは怪訝(けげん)な顔をした。
「たしかにお前は何を考えてるのか分からないよ、普段から。でも、今はそういう話をしてるんじゃない。
――あいなが来て、俺は自分の中の色んなことが変わった。知らない感情をたくさん知った。初めて人とケンカをした。ルイス、お前もそうじゃないのか?」
「……何をおっしゃっているのか、私にはよく分かりません」
「またはぐらかす気か?」
「少しはご自分の頭で考えて下さい。将来国王となられるあなたの弱点ですよ、そこは。知りたいこと全てを都合良く語ってくれる者などいないのですから」
「……執事って便利な肩書きだな。お前が俺の執事じゃなかったら、お前の言葉でその裏に込められた気持ちを話してくれただろうに」
それきり、二人は黙り泉を見つめる。
シャルとしてはルイスが短期間のうちに変化した理由を知りたかったのだが、ルイスはそれに明確な答えを告げなかった。しかし、これはあくまでシャル側の捉(とら)え方である。泉にシャルを伴(ともな)って足を運んだこの行動こそがルイスの答えだったのだ。
あいなに特別な想いを抱いていること。泉に来ることで、ルイスは意思表示をしたのである。
黙ったまま考え、シャルはようやく、ルイスの本音に気付いた。
「……ルイス。お前もあいなのこと……」
「そろそろ就寝のお時間です」
泉に何の未練も残すまいといった足取りでルイスは城内に戻る石畳(いしだたみ)を歩いた。シャルはムッとした顔をしながらも、次の瞬間サッパリした面持ちになりルイスに続いた。
「もうそんな時間か。でも……」
「はい?」
「寝るのがもったいないな」
「あいな様がお目覚めになるまで彼女の寝顔を夜通し眺めているおつもりですか?」
「そっ、そんなこと言ってないだろっ!」
顔を真っ赤にして否定するシャルを、ルイスは冷静ながらも意地悪な目付きで見つめるのだった。
翌日、あいなが客室で目を覚ますと、朝の紅茶を運んできたルイスが言った。
「シャル様がお呼びです。身支度が済みましたら、書庫までご案内致します」
「そうなの?分かった。準備するね」
すぐさま支度を済ませ、あいなはルイスの案内に従った。龍河(りゅうが)はまだ眠っているらしいので、一人でシャルと会うことにした。
「こちらになります」
「うわぁ……!」
ルイスが先に中へ入り、扉を押さえてあいなを招き入れる。足を踏み入れた瞬間、古びた紙のにおいが二人の鼻をかすめた。
城内の書庫というだけあって、収められている本の数は莫大(ばくだい)である。茶色を基調とした壁と棚。まさに、巨大な図書館といった感じである。
「あいなー!こっちこっち!」
「シャル!」
遠くから名前を呼ばれ、あいなはシャルに駆け寄った。
「呼び出しなんて、どうしたの?ここ、初めて入るよね。城の中は全部探索し終わったと思ってたよ」
「まだまだ、行けてない場所はいっぱいあるんだぜ。それよりさ、これ見てみ?」
シャルが差し出したのは、一冊の古びたまじない書だった。古くなり過ぎて、表紙の分厚い紙が取れかかっている。
「これ、何?」
「まじない書だ。あいな、こういうの好きかと思って」
「好きだよ。でも、よく分かったね」
「おまじない使ってここに来たって言ってたから、もしかしたらって思ってさ」
シャルは、目の前に広がる棚を手の動きで大きく示す。
「ここにある本、ぜーんぶまじない書なんだ。そこからひとつ、あいなと一緒に試したいものがあったんだ」
「ありがとう!嬉しい!」
目を輝かせあいなはページを繰(く)ったが、異世界の本である。何を書いてあるのか全く分からなかった。
シャルがわざわざ見付けてくれたのに、そう思うと悲しくなってくる。
「せっかく用意してくれたのにごめんね。私には読めないよ」
「読めなくて当然だ。俺も翻訳(ほんやく)に一夜(いちや)を要(よう)したからな。昔の文字で書かれてるんだよ、これ」
「そうだったんだ」
あいなはホッとした。シャルは困ったように笑い、
「ルイスはこういうの得意でスムーズに訳(やく)せたみたいだけど、俺にはそんな頭ないから、一個だけ、これっていうの見つけたんだ」
「どんなの?あっ、ルイスさんも一緒に見ようよっ」
あいなが出入口を振り返った時、そこにはもうルイスはいなかった。
「ルイスさん、行っちゃったんだ……」
「席を外してもらったんだ。おまじないは、効果をもたらしたいメンバーだけでやらないと意味ないんだろ?」
「うん、そうだけど……。どんなおまじないをやるの?」
「俺達がいつまでも仲良くいられるおまじない!やり方はそこに書いてある」
あいなに手渡されたまじない書。そこの中間辺りにあるページを見ながら、シャルは一生懸命まじないの方法を覚えた。まじないの手順は実にシンプルなものだったが、シャルにとっては一生を左右する儀式のように感じられた。
なぜそんなに熱心なのかは分からないが、必死なシャルに、あいなは胸があたたかくなるのを感じた。
「いいね、そのおまじない。この前みたいにケンカしちゃわないように、絶対成功させなきゃ!」
「ああ!」
シャルとあいな、二人で行ったまじないが成功した直後、あいなと龍河は姿を消したのだった。
王子シャルにプロポーズされカスティタ城へ連れてこられてから、早一週間。はじめは脱走することばかり考えていたあいなも、ルイスやシャルと少しずつ打ち解けていた。
事の流れが流れなだけにこのまま結婚することに抵抗を感じることに変わりはないが、ここでの生活が逃げ出すほど嫌なものではないことに、あいなは自分でも驚いている。
最初の数日間は自分に与えられた客室で食事や睡眠をとっていたあいなも、本日からはシャルとの共用スペースである王族の間で食事をとるよう準備がなされた。ここは客室よりも広く、寝食に必要な家具や家電は全てそろっていた。王子とその結婚相手のために作られた部屋らしい。
そんな待遇を受けることにまだ違和感を覚えてしまうあいなだったが、たいていの雑務はルイスが行っており他の執事やメイドと顔を合わせることはなかった。
シャルは日中たいてい仕事をしているので夕食の時くらいしか顔を合わせないのだが、あいなを一人にしておくのが心配なのか、たびたび仕事を抜け出しあいなの元にやってきた。
「あいな。今日からは王族の部屋で一緒に過ごすぞ」
「ご飯はいいとして……。一緒に寝たりするのはちょっと、まだ……」
顔を赤らめて気まずそうにうつむくあいなに、シャルは微笑する。
「分かってる。ベッドは二つ、離して配置するようルイスに言ってある。心配するな」
「うん……」
「じゃあな。これから公務で外に出るからもう顔出せないかもしれないけど、夕食までには戻れるように頑張る」
「分かった。いってらっしゃい」
シャルを見送り、あいなは部屋に引っ込んだ。もう少ししたら、王族の間に向かうため、案内係としてルイスが来ることになっている。
あいなの客室だけでなく、王族の間に出入りするのはルイスの役目であった。シャルの専属執事であるルイスだが、その立場は、同時にシャルの妃となるあいなに尽くすことも意味している。ゆえに、これまでの一週間はもちろん、これからもルイスはあいなの世話係|及(およ)び雑用兼教育係として、数時間おきに彼女の元を訪れる役割を担っている。
「あいな様、昼食をお持ち致しました」
「ありがとう、ルイスさん。でも、私、自分のことは自分でやるから、少しは休んでて下さい。せめて、王族の間に案内してもらう時までは。シャルの仕事の補佐もしてるんですよね、ルイスさんは……」
「ええ。ご心配ありがとうございます。ですが、この程度のことが出来ずにシャル様の執事は勤(つと)まりませんよ」
「でも……」
「ご心配には及(およ)びません。こう見えても体力には自信があるのですよ」
体力には自信がある。かつてあいなに言ってもらった言葉をそのままルイスは言ってみせた。
「あいな様がこちらにいらっしゃる前のことですが、約50人のお客様を同時にお相手したこともありますから」
「50人ですかっ!?ルイスさんもすごいけど、このお城だから対応できる人数ですよねっ。ウチじゃ絶対無理」
はははと、どちらかともなく笑い合う。
「あの、ルイスさん。ちょっとお願いしてもいいですか?」
「どうぞ、何なりと」
「このお城に、図書館みたいな場所ってありますか?」
ルイスはやや目を見開きつつ冷静に、
「はい、書庫がありますよ。それでは、お食事の後にご案内いたしましょうか?」
「お願いします!」
急いで食事を終わらせると、あいなはルイスと共に書庫へ向かった。
「こちらです。お足元にお気をつけ下さい」
扉を支え、ルイスが中へ案内した。
「うわぁ……。さすがお城の書庫ですね!すっごい本の数!」
高い天井。階段やテーブルもたくさんある。書庫に満ちた古びた本が放つ独特のにおいを嗅(か)いで、あいなはどうしようもなく懐かしい感じがした。
(私、前もこんなような場所に来たっけ?)
そんなはずはない。ここは異世界なのだ。シャルやルイスのように魔法を使えるわけでもないのだから。
「あいな様は読書がお好きなのですか?」
あいなの少し後ろを歩く形で、ルイスがついていく。
「はい。難しい本は苦手なんですけど、占いとかおまじないの本は好きなんですよ」
「……そうでしたか」
過去、あいなのまじないで出会った時のことを思い出し、ルイスはわずかに表情を和らげる。
「あいな様は占いやまじないにご興味がおありなのですね。そういった書物ならばこちらにございますよ」
通常の市民図書館の五倍以上はある広い書庫を、ルイスは迷うことなく進んでいく。長身なルイスの後ろ姿を見て、あいなは再びデジャブを覚えた。以前も似たようなことが起きた気がする。
「ルイスさんは、ここにはよく来るんですか?こんなに広いのにまったく迷わないから。私一人だったら絶対迷います」
「城内のことは全て把握(はあく)しています。もしもあいな様が迷われた時は、私が必ず見付けて差し上げますのでご安心を」
肩越しにあいなを振り向き微笑するルイス。その横顔は、日頃より妙に色っぽく、異性を感じさせる。恥ずかしくなったあいなはルイスから目をそらした。
「ルイスさんは、何でもできる完璧な人って感じですよね。心強いし、そういう所がちょっとうらやましいかも、です」
「お褒(ほ)めに与(あずか)り光栄です。でも、そんなことはありませんよ。まだまだ至らぬ点ばかりです」
城内でもそうだが、書庫の中を歩いていると、あいなは時々他者の視線を感じる。それは、各所で働くメイド達のものであった。彼女達は、ルイスのことを憧れの異性を見るようにうっとりした目で眺めている。
(ルイスさんって、モテるんだろうなぁ……。)
あいなは、自分とは全く違う属性を持つ異性とこうして行動を共にしていることに、今さらながら非日常さを感じた。
これまであいなが好きになった異性には様々なタイプがいた。全学年の女子からモテる男子、爽やかでスポーツの得意な男子、大人しくて優しい男子、色々な人に恋をし、フラれてきた。それなりに色々な性格の男子に出会ってきたつもりだったが、ルイスのようなタイプは初めてである。
(ルイスさんって、恋してるのかな?)
初日に、ルイス相手にからかい半分でそう訊(き)いた時は勝手に好きな人がいると決め付けてしまったが、ルイスの内心は分からない。
――考えているうちに、ルイスとあいなは目的の本が収められているコーナーへ着いた。
「ありがとうございます。あとは一人で大丈夫ですから。あっ、王族の間に行く時間までにはちゃんと戻りますね」
「分かりました。もし何かありましたら、近くのメイドに何でもお申し付け下さい」
踵(きびす)を返そうとし、ルイスはピタリと足を止める。
「忘れていましたが、私も急ぎの調べものがあったのですよ。ご迷惑でなければ、もう少しご一緒してもよろしいでしょうか?」
「迷惑なんてとんでもないです。どうぞっ。私はこの辺りを見てますね」
あいなは目的の本を探す。ルイスはそんな彼女を視界の端(はじ)に入れつつ近くにある適当な本を手に取り、すぐそばのテーブルに着いた。
しばらくするとあいなもルイスの向かいに座り込み熱心に本を読み始めた。
一方、ルイスの方は、目に入れる文章の内容などちっとも頭に入っていなかった。
(あれから8年も経(た)っているのだから、いい思い出にできたと思っていたのに……。)
あいなと再会し彼女と一緒の時間を過ごすほど、ルイスの心には消えかかったはずの炎が蝋燭(ろうそく)の火のように弱くもしっかり灯(とも)っていた。
(何も望まない。あなたを自分のものにしたいなどとは思えない。あなたが幸せであるのが私の喜びなのですから。ただ、そばにいさせてほしいのです……。)
あいなが探していたのは、元の世界に戻るためのおまじないと、幸せな未来を作るための方法だった。
(シャルとの結婚は避けられそうにないけど、たまには家にも帰りたいし秋葉と話したい。それに、結婚するならやっぱり幸せになりたいから……。)
シャルと共に幸せな生活を送れるよう、あいなは前向きに考えることにした。
これまでも、恋や学校のことに悩むと占いやおまじないの本に頼ってきたので、今回もそれでうまくいくはず。そう思って書庫に来たのだが、ピンとくる本を見つける以前の問題だった。何と書いてあるのか、分からない。
(異世界の本だし、当然かぁ……。っていっても、字が読めないなんて不便だなぁ。本は諦めよっか……。)
あいなはチラリと、向かいのルイスを見やった。
(幸せな結婚生活を送る方法。シャルが私にこだわる理由もよく分からない。だから私、不安なんだ。……ルイスさんなら、何て言うかな?)
ルイスと居ると安心するし、どこか懐かしい気持ちになる。あいなは思い切ってルイスに相談してみることにした。書庫ということもあり、小さな声で、
「あの……」
「どうされましたか?」
ルイスも同じく、聞き取れるほどの小さな声で答える。
「シャルって、どうしてあんなに熱心に私との結婚を考えてるんですか?シャルと結婚したがってる女性は他にたくさんいるって話なのに……」
今までモヤモヤして自分でも意識できなかったことが、口にしていくうちにハッキリ形になっていく。
「……ルイスさんにだから言えることなんですが……。私、今まで色んな恋をしてきたって偉そうなこと言っちゃったんですけど、実は全部片想いで終わった恋なんです」
開いていた本を閉じ、ルイスはあいなの顔を見つめた。
「自分では精一杯努力してるつもりだったんです。少しでも綺麗になれるように。バイトしてたのはお小遣い欲しさはもちろんなんですけど、一番の理由はオシャレに使うお金欲しさだったんです。平均以下の顔立ちだって分かってますけど、だからってふてくされるのは嫌だからやれることはやってました。でも、好きになった人はみんな、私を見てくれることはなくて……。
だから、不思議なんです。シャルがあんなに私を好きだと言ってくれることが、いまいち信じられないんですよ。とはいえ、この指輪に縛られてるから結婚したがってるってことも、もちろん分かってるんですけど……」
「……それは、今まであいな様が好きになられたお相手の方に見る目がなかったのですよ」
普段以上にはっきりした口調で、ルイスは言った。
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