悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第12話 上には上がいるらしい

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 実習が終わった後、俺たちは演習場の隅にある医務室で簡単な手当てを受けていた。
 左肩の痛みは思ったより軽く、軽い打撲程度で済んだようだ。
 しばらくはこの痛みで油断した反省を思い出していくことになるだろう。

「ディラン様、本当に大丈夫ですか?」

 マルタが心配そうに俺の肩を見つめている。彼女の機敏な対応がなければ、俺の顔面は確実に棍棒の直撃を受けていただろう。

「ああ、問題ない。それよりさっきは本当に助かった。やっぱり実戦は違うんだな」

「はい、分かって頂けたようで何よりです」

 マルタは控えめに答えたが、その表情には安堵の色が浮かんでいた。
 色々ありすぎて、俺も少し舞い上がっていたようだ。彼女には余計な心配をかけてしまった。

 そんなやり取りをしていると、医務室の入口で気まずそうに立ち尽くす人物に気付いた。赤毛のそばかすが特徴的な、俺達のチームメンバー、レオだ。

「……すみませんでした」

 彼は真っ先に頭を下げる。
 イマイチ何に対して謝られているのか分からず、俺はマルタと目を合わせた。

「最初、お貴族様のお遊びだと思ってました。足手まといになるって……でも」

 レオからはポツリポツリと言葉が漏れる。

「ディラン様はちゃんと戦っていらして…………俺の方が逃げ腰だった」

 たどたどしいなりに彼の言葉には誠意が見られた。
 俺としては大げさなことだと思ってしまうが、彼と俺は平民と貴族という明確な隔たりがある。

「気にするな。お前の槍がなかったら、俺も危なかった」

 それは決して社交辞令ではない。
 あの一瞬は、俺の追撃が間に合わなかった。ゴブリンの反撃にあっていた可能性はゼロじゃない。

「それに連携も悪くなかった。お前がいてくれて助かったよ」

 俺の言葉に、レオは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。やがて、何かを振り払うようにガシガシと赤毛の頭をかきむしる。

「……あんた、本当に貴族か?」

 レオからそんな端的な一言。

「まあ、一応はな」

 俺は苦笑し、マルタは呆れた顔で見届けた。

 レオはまだ何か言いたげだったが、結局「……お大事に」とだけ言い残し、ぎこちない足取りで医務室を去っていった。
 嵐のような少年だったが、彼の根が素直であることは伝わってきた。悪い人間ではないのだろう。

「初対面の人に見抜かれてしまうとは、先が思いやられますね」

 マルタが呆れたように、しかしどこか楽しそうに引き取った。

「違いないな」

 俺たちは顔を見合わせて、小さく笑った。





 医務室を出て自室へと戻る途中、演習場の前を通りがかると、まだ興奮冷めやらぬ様子の生徒たちが数人で固まって話しているのが見えた。

「いやー、マジで死ぬかと思ったぜ。あのゴブリンの目、見たか?」
「ああ、こっちのパーティは三人掛かりでもボロボロだったってのに……」

 どうやら俺たちと同じく、実習を終えたばかりの者たちらしい。その会話に、俺は思わず足を止めた。

「それに比べてだよ。聞いたか? アルトナ男爵家の奴」
「ああ、聞いた聞いた。あいつ、一人でゴブリンを仕留めたんだってな」

 彼らは実に興味深い話をしていた。
 どうやら俺達の後、更にあの訓練で実績を出した者がいるらしい。

「マジかよ!? 連携必須のこの訓練で、一人で?」
「ああ。教授も『無駄はないが、面白みもない』とか何とか言って、あっさり合格させてたらしい。化け物だろ、普通に」

 一人で、ゴブリンを。
 三人で、それもマルタの助けがあってようやく倒せた相手を、たった一人で。それも、俺より格下の貴族である男爵家の子息が。

(上には上がいる、か……)

 まさに現実を突きつけられた気分だ。

 しかし、同時にその人物の名に疑問を抱く。
 アルトナ男爵家と彼らは言っていた。
 だが、俺の知る限り原作内の学院生活でそのような男爵家が活躍したというエピソードは聞いたことがない。
 勇者リオンは頻繁に魔物学を履修していたからこそ、それは違和感として残った。

「ディラン様?」

 俺が黙り込んだのを不思議に思ったのか、マルタが顔を覗き込む。

「いや、何でもない」

 盗み聞きした挙げ句、勝手に落ち込んでいたなんて、口が裂けても言えるはずがない。

「そうですか……? 先程の実習で、何か思うところがおありなのでは?」

 マルタの洞察力は相変わらず鋭い。俺は観念して、素直に答えることにした。

「……ああ、まあな。俺たちが苦戦したゴブリンを、一人で倒した奴がいるらしい」

「そうでしたか。しかし、それは驚くことではございません」

 マルタは意外にもあっさりと頷いた。

「この学院には、様々な背景を持つ生徒が集まります。冒険者の家系で幼い頃から実戦を積んでいる者、地方で魔物と戦う機会に恵まれていた者……そうした経験の差は、どうしても出てしまうものです」

 確かにその通りだ。
 俺は恵まれた環境で、指南役に教わりながら安全に稽古を重ねてきた。
 だが、この世界には生死をかけて戦う必要に迫られた者もいるのだろう。

「ディラン様は、ご自分を過小評価しすぎです。初めての実戦であれだけ戦えたのは、立派なことです」

 マルタの慰めに、俺は苦い笑いを浮かべた。

「慰めてくれるのは嬉しいが……やはり不安だな。これから先、本当に大きな脅威が現れたとき、俺に何ができるのか」

 魔王復活の兆しが見え始めている今、俺の実力不足は深刻な問題だった。
 オスカーの言う通り「大成する」ことで全てを解決するにしても、その道のりは想像以上に険しいかもしれない。

「それこそディラン様が考えるべきことではないとは思いますが――ですが、私はディラン様の成長を間近で見てまいりました。その努力は、決して無駄ではないと、私が保証します」

 彼女の瞳には、確固たる信念が宿っている。
 ここまで俺を想ってくれている人がいるのだから、いつまでも下を向いているわけにもいかない。

「ありがとう、マルタ。そうだよな、俺は優秀だったな!」

「……それは調子に乗りすぎです」

 俺たちは顔を見合わせて、小さく笑った。
 マルタの軽口のおかげで、先程までの気鬱はすっかり晴れていた。

「……さて、食堂に行くか。さすがに腹が減った」

 そんな会話をしながら歩いていると、向こうから見覚えのある人物が歩いてくるのが見えた。

「おう、ディラン! お疲れさん」

 オスカーだった。彼は俺の姿を認めると、いつものような軽薄な笑みを浮かべて手を上げる。

「オスカーか。珍しいな、こんなところで」

 食堂以外でオスカーと会うのは久々な気がする。

「……それはお前が食堂くらいにしか顔を出さないからだろ」

 心底呆れたというように、オスカーは肩をすくめた。
 その視線が俺の軽装鎧と、打撲した肩に巻かれた包帯に留まる。

「なんだその格好は。お前、ついに玉砕のショックで騎士団にでも入る気になったか?」

「馬鹿言え。魔物学の実習だよ」

「はあ? あのギデオン教授のか? 相変わらず物好きだなぁ。で、どうだったんだ? ゴブリン相手に泣きべそでもかいたか?」

 ニヤニヤと楽しそうに聞いてくるオスカーに、俺は実習の光景を思い出して苦い顔になる。あながち間違いではないのが腹立たしい。

「生憎と三人がかりで一体倒したところだよ」

 その言葉にオスカーは一瞬ポカンとした。

「え、マジで? ってもあれだろ、そこの侍女さんが倒してくれたとか……」

「いや、倒したのは俺たちのチームだ」

 俺が淡々と事実を告げると、オスカーは目を丸くした。
 いつも得意げに物事を語る彼のそんな顔を見れるとは、珍しいこともあるものだ。

「チーム? お前、本当に戦ったのか?」

「ディラン様は前衛としてゴブリンと対峙し、深手を負わせました。私の役目はあくまで援護です」

 俺が答えるより先に、隣にいたマルタがすっと口を挟んだ。その声には一切の感情が乗っていないが、故に揺るぎない事実として響く。
 オスカーは俺の肩の包帯とマルタの真剣な表情を交互に見て、ようやく事態を飲み込んだようだった。

「マジかよ……お前、本当にやったのか」

 軽薄な笑みは消え、純粋な驚きが彼の顔に浮かんでいる。

「ああ。まあ、色々と課題は見えたがな」

「はー……大したもんだ。見直したぜ、ディラン」

 うんうんと満足そうに頷くオスカー。

「で、お前はなんでこんなところに?」

 俺はもののついでに尋ねてみた。

「ん、教会に用があるからな、誓約の儀のために聖油を受け取りに行くところだ」

「ああ、なるほど」

 誓約の儀はあと数日後に迫っている。
 聖油については、俺も明日には受け取りに行く予定だった。

「そうそう、儀式の前に聖油で身を清めて、精霊様のご機嫌を伺うってわけだ。まあ、気休めみたいなもんだがな。家の方もうるさくて敵わん」

 オスカーは面倒くさそうに頭を掻いた。彼らしいと言えば、彼らしい。

「お前ももう申し込んだのか? ベルモンド家ほどの家柄なら、さぞ立派な精霊様と契約できるんじゃないか?」

「精霊が家柄なんて気にするわけないだろ?」

 俺の言葉にオスカーは「ははっ」と笑う。

「ま、そうだな。だから聖油なんてものも用意してるくらいだし」

 オスカーは肩をすくめると、教会の方角を振り返る。

「さて、俺は行くとするか。お前も頑張れよ。案外、その血まみれの努力が実を結ぶかもしれん」

「血まみれって何だよ……」

 俺の抗議をひらりと躱し、オスカーは軽やかに去っていく。相変わらずの軽薄男だが、今日は少し見直してくれたようだ。まあ、悪い気はしない。

「ディラン様、食事の前に一度お部屋に戻られませんか?」

 マルタが提案してくる。確かに軽装鎧のまま食堂に行くのはいささか目立ちすぎるだろう。

「ああ、確かにそうだな」

 そうして俺達は帰路につくのだった。
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