悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第33話 本当の答え

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「待ってください!」

 俺の張り上げた声が、静まり返った正門に響き渡る。
 その場にいた全員の視線が、槍のように突き刺さってきた。
 特に、あと一歩で生徒に触れようとしていたゼノンの動きがぴたりと止まり、その興味深そうな瞳が俺を射抜く。

「……ほう? 何か理由があるのかな、少年」

 ゼノンの声は穏やかだが、その奥には有無を言わせぬ圧力が潜んでいた。
 周囲の生徒たちは何が起こったのか分からず、ただ戸惑いの表情を浮かべるばかりだ。
 これが単なる思いつき、悪戯であったなら、彼の信頼を失うことにもなるかもしれない。
 俺はごくりと唾を飲み込み、意を決して口を開いた。

「その魔法、不用意に解くのは危険です」

「危険、とは?」

 隣に立つエルナが、訝しげな表情で俺に問いかける。
 彼女からすれば、一介の生徒の言葉など戯言にしか聞こえないかもしれない。だが、俺は知っている。この手口を使う連中の非情さを。

「認識阻害は、対象の精神に深く干渉する魔法です。無理に解除すれば、彼の記憶が混乱するだけでは済みません。最悪の場合、精神が崩壊する可能性だってあります」

 俺の言葉に、生徒たちの間に動揺が走る。
 ゲームの知識では、この手の魔法を操る組織――『影の教団』は、裏切り者や失敗作を容赦なく処分していた。認識阻害の魔法には、おそらく解除を試みた際に術者の精神を破壊するような、二重の罠が仕掛けられているはずだ。

「ふむ、一理あるが……」

 ゼノンは顎に手をやり、エルナに視線を向ける。
 彼女であれば浮かび上がる魔法陣から何かを読み取れるかもしれない。そんな期待は俺にもあった。

 エルナは俺の言葉を意に介した様子もなく、少年の体に浮かぶ魔法陣を睨みつける。

 しばらくの沈黙。彼女の双眸が、魔力の流れを精密に読み解いていく。
 最初は、俺の警告など取るに足らないといった風だった彼女の表情が、徐々に険しさを増していくのが分かった。

「……確かに何かの仕掛けが施されているようです」

 エルナが苦々しげに、しかしはっきりとそう告げた。
 その一言が、それまで半信半疑だった周囲の空気を一変させる。宮廷魔法師である彼女が認めたことで、俺の突拍子もない警告が、紛れもない事実としてその場にいる全員に突きつけられたのだ。

「ははは、これは、流石に驚いた」

 ゼノンは笑う。
 てっきり変な疑いをかけられるのではないかと、内心冷や汗をかいていた俺は、その反応に拍子抜けする。

「それで、エルナ殿。解除はできそうかな?」

「そうですね、仕掛け自体は単純なものですので」

 そう言ってエルナは魔法陣に対し、早々に指を走らせていた。
 彼女の指先から放たれた魔力が、蜘蛛の糸のように繊細に、しかし素早く魔法陣に絡みついていく。
 生徒の身体から浮かび上がっていた魔法陣が、まるでパズルが解けるように、その構成を少しずつ変えていくのが確認できた。

 俺を含め周囲の生徒たちが固唾を呑んで見守る中、やがて魔法陣の輝きが収束していく。
 罠として仕掛けられていた部分だけが、塵のように霧散し、残ったのは純粋な認識阻害の魔法陣のみ。

「終わりました」

「お見事」

 ゼノンが心からの称賛を送るも、エルナは返事もせずにそのまま後ろに控えた。

「では、改めて……」

 ゼノンは今度こそ、その生徒の額にそっと指を触れた。
 温かな光が、彼の指先から生徒の身体へと流れ込んでいく。
 先程までの複雑な魔法陣とは違う、穏やかで優しい光だ。
 それは、絡まった糸を一本一本丁寧に解きほぐすように、少年の精神にかけられた枷を外していく。

「――あ……ぁ……?」

 数秒の静寂の後、生徒の口からか細い声が漏れた。
 虚ろだった瞳に、徐々に焦点が合っていく。
 彼は瞬きを繰り返し、まるで初めて見るかのように周囲の生徒たち、そしてゼノンとエルナの顔を見回した。

「……これは」

 明らかに理性を取り戻した声。
 少年の顔つきは先程のあどけないものから、一変していた。
 恐怖と混乱に濡れていた瞳は、驚愕こそ残っているものの氷のように冷たく、底知れない光を宿している。

「気分はどうかな?」

 早々とゼノンが語りかける。
 その声に、今まで床に視線を落としていた少年が、ゆっくりと顔を上げた。

「そうですね……最悪、とだけ」

 まるで別人のような落ち着いた口調。
 かなり予想外の態度に皆、呆気にとられていた。

「少し予想外の反応だ。さて、君は一体何者かな?」

 ゼノンは警戒を解かずに問いかける。
 その瞳は、少年の心の奥底まで見透かそうとするかのように鋭い。

「しがない学生、ですよ。ご覧の通り」

 少年はそう言って、悪戯っぽく肩をすくめた。
 その態度は、先程まで精神を操られていた人間のものとは到底思えない。まるで、長い眠りから覚めたばかりのような、妙な落ち着き払った空気が彼を包んでいた。

 周囲の生徒たちは、そのあまりの豹変ぶりに言葉を失っている。恐怖と混乱に泣きじゃくっていた少年と、今目の前で不敵な笑みを浮かべている少年が、どうしても結びつかないのだ。

「ほう。随分と肝の据わった学生がいたものだ」

 ゼノンは面白そうに目を細める。
 警戒を解いたわけではない。むしろ、その探るような視線は、獲物を見定めた獣のように鋭く、少年のあらゆる反応を観察していた。

「名前は?」

「アレン」

 アレンと名乗った少年は、臆することなくゼノンの視線を受け止める。

「アレン、か。君が東門を爆破した実行犯ということで間違いないかな?」

「記憶にありませんが、状況証拠から察するに、おそらく。操られていたとはいえ、申し訳ないことをしました」

 アレンはあっさりと、しかし反省の色は見せずにそう言った。
 その口調は、まるで他人事のようだ。
 この異常な状況下で、彼の落ち着き払った態度は、異質そのものだった。

「記憶にない、ね」

 ゼノンの瞳は疑いの色を隠さない。
 俺としても彼のあまりに落ち着き払った態度には、言いようのない違和感を覚えていた。
 操られていた人間が、解放された直後に見せる反応ではない。まるで、役者が与えられた役を終え、素に戻ったかのような……そんな不自然さがある。

「君のその態度は、とても被害者には見えないがね」

 ゼノンが探るように目を細める。しかし、アレンは動じない。

「そうですか? では、どのように振る舞えば被害者らしく見えるのでしょう。ここで泣き叫び、許しを請えば満足ですか?」

 挑発的な言葉。その場にいた誰もが息を呑んだ。
 ゼノンは一瞬、その瞳に冷たい光を宿したが、すぐにいつもの笑みに戻る。

「はは、面白い。実に面白い冗談だ。何はともあれ重要参考人として、詳しい話を聞かせてもらおうか。もちろん、場所は変えるけどね」

 ゼノンの言葉は、もはや問いかけではなかった。
 有無を言わさぬ圧力と共に、彼はアレンの肩に手を置く。
 抵抗の意思を見せないアレンを連れ、ゼノンはエルナと共にその場を去ろうとした。

『一件落着ですね!』

 一連の流れを見届けたルーが呑気な声を上げる。
 彼女にとっては一つのドラマを見届けた気分なのだろう。

(……いや)

 しかし俺は葛藤していた。
 俺は彼に対して『影の教団』という決定的な情報を持っている。
 それを今明かすべきか否か。

 しかし明かせば、俺は間違いなくゼノンに目をつけられる。
 先ほどはゼノンの温情で何とか見逃してもらえたが、これ以上深入りすれば、ただの学生では済まなくなるだろう。

 保身か、それとも正義感か。
 俺の頭の中で、天秤が激しく揺れ動く。

 『影の教団』。
 ゲーム知識によれば、彼らは魔王の復活を目論む狂信者の集団だ。
 その手口は狡猾で残忍であり、目的を果たすためならどんな非道な手段も厭わない。
 原作における明確な悪の一つ。

 今、この情報をゼノンに伝えれば、事件解決への大きな一歩となるだろう。
 学院の、ひいてはこの国の危機を救えるかもしれない。

 しかしその代償は?

 俺は破滅を避けるためにここまでやってきた。
 手段はどうあれ、その根底にあるものは保身でしかない。

「――ゼノン様」

 俺は、自分でも驚くほど落ち着いた声で、彼の背中を呼び止めた。
 振り向いたゼノンの瞳が、再び俺を捉える。
 その視線は、先程よりもずっと深く、俺の内面を探るような色をしていた。

「何かな?」

「……一つ、気になることが」

 俺は一呼吸置き、覚悟を決めて、言葉を続けた。

「今回の事件、そしてそのアレンという生徒が使われた手口……『影の教団』という名に心当たりはありませんか?」

 シン、と正門が静まり返る。
 俺が放った言葉は、誰の耳にも届かなかったかのように、ただ空気に溶けて消えた。
 生徒たちはもちろん、クライスやアリシアでさえ、その名に何ら反応を示さない。宮廷魔法師であるゼノンとエルナですら、わずかに眉をひそめるだけで、知識の引き出しに該当するものがないようだった。

 だが、一人。

 ――ピクリ、と。

 それまでどこか余裕の表情を崩さなかったアレンの肩が、微かに跳ねた。
 ほんの些細な反応。だが、それを見逃す俺とゼノンではなかった。

「……なぜ」

 アレンの口から、絞り出すような声が漏れる。
 先程までの不敵な態度は見る影もなく、その顔は驚愕と、そしてわずかな焦燥に彩られていた。
 氷のように冷たかった瞳が、初めて激しい動揺に揺れている。
 彼はゆっくりと、まるで錆びついたブリキ人形のように、ぎこちなく俺の方を振り向いた。

「なぜ、お前がその名を……?」

 その視線は、もはや単なる学生に向けるものではなかった。
 それは、計画を狂わせた想定外のイレギュラーに対する、純粋な驚きと警戒の色。
 その反応こそが、俺の推測が正しかったことの何よりの証明だった。
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