悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第43話 最初の仕事

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 ――夜が明けた。

 王城の窓から差し込む朝日が、部屋を静かに照らし出す。
 しかし、俺の心に宿った闇を晴らすには、その光はあまりにも弱々しかった。

 (結局、まともに眠れなかった……)

 疲労感のままにベッドから起き上がる。
 机の上に置かれた、一枚の黒い封筒。
 『歓迎する、異邦人よ』
 脳裏に焼き付いて離れないその一文が、俺の最大の秘密がもはや秘密ではないという冷たい事実を突きつけてくる。

 一体誰が、何のために……。

 思考は堂々巡りを繰り返し、答えは見つからない。だが、時間は無情にも過ぎていく。

『ふわあ、おはようございますディランさん』

「……おはよう」

 ルーの呑気な声に力なく返し、俺は重い体を引きずるようにして身支度を整える。
 今日は見習いとしての初日。
 本来なら、緊張と期待で胸を膨らませているはずだったというのに……。

 重い足取りで向かったのは、昨日エルナから案内された食堂だった。
 人はまばらだが、皆一様に上質な服に身を包み、静かに食事を進めており、学院とはまた違う厳かな雰囲気に緊張感が高まる。
 手紙の件も相まって、とても食欲が湧きそうにない。

(ディランさん大丈夫ですか?)

 あのルーにさえ心配される有り様。
 今の俺は相当酷い状況のようだ。

 俺はパンとスープだけの簡素な食事を盆に乗せ、隅の席に腰を下ろした。
 味などほとんど感じないまま、それをただ胃に流し込む作業を終える。

 その間も周囲の会話に聞き耳を立てていた。
 誰もが俺のことを見ているのではないか。あの手紙の送り主が、この中にいるのではないか。
 そんな疑心暗鬼が、俺の脳内に張り巡らされていた。

 食事を終え、俺は宮廷魔法師詰所の一角にある資料室へと向かう。
 昨日はあれほどワクワクして通ったこの通路も、今では重苦しい空気に包まれているように感じられる。

 資料室の扉を開けると、そこには既に数名の人影があった。
 彼らが俺の同僚となる人達なのだろうか。
 彼らはチラリと俺に視線を向けるも、特に何も言うことなく作業へと戻っていた。

「おはよう、君が新入りかな?」

 声をかけてきたのは、赤茶色の髪を無造作に束ねた、快活そうな青年だった。

「あ、はい……おはようございます。今日から見習いとしてお世話になります、ディラン・ベルモンドです」

 俺は慌てて頭を下げる。
 青年は「よろしく」と笑みを浮かべた。

「それにしても……随分と顔色が悪いようだけど大丈夫かい?」

 青年は俺の顔を見て問いかける。

「は、はい、昨日あまり眠れていなくて……」

 正直に理由を告げる。
 まさか初対面の人にも心配されてしまうとは。

「はは、初日から大変だな。でもすぐに慣れないとここじゃやっていけないぞ?」

「はい……善処します」

 青年は「俺はカインだ。よろしくな、ディラン」と気さくに手を差し出してきた。その屈託のない笑顔に、少しだけ心が軽くなる。

「はい、よろしくお願いします、カインさん」

「さて、今日の仕事だが……」

 カインは部屋の奥にある、山と積まれた羊皮紙の束を親指で示した。

「あそこの古文書の整理だ。年代と地域別に分類して、目録に書き写していく。単純作業だが、これがまた果てしなくてな」

 彼はやれやれと肩をすくめる。
 確かに、一見しただけでも相当な量だ。

「ちなみに古代文字の読み書きは?」

 カインの問いに俺は頷いた。

「はい、一般的な単語であれば」

 破滅フラグ回避の一環として、貴族の嗜み以上に書庫の知識は詰め込んできた。
 いつどこで役に立つか分からなかったが、まさかこんな形で活きるとは思わなかった。

「ほう、そりゃ助かる。じゃあ、まずは西方の古王国時代の文献から頼む。あそこの棚にまとめてくれ」

「分かりました」

 俺はカインに示された羊皮紙の山に向き合う。
 埃っぽい匂いと、古い紙の乾いた感触。
 俺は一枚を手に取り、そこに記された古代文字に目を通す。内容は、ある地域の収穫量を記録したもののようだ。

(……集中しろ)

 自分に言い聞かせ、作業に取り掛かる。
 羊皮紙を一枚めくり、年代を確認し、棚の決められた場所へ。
 また一枚めくり、内容を読み解き、棚へ。
 単純作業の繰り返し。だが、その単純さ故に、思考はすぐに別の方向へと滑り落ちていく。

 ――『異邦人』。

 その言葉が、頭蓋の内側で反響する。
 知られているのか。俺が、この世界の人間ではないと。
 一体誰が? 影の教団か? だとしたら、どうやって俺の正体を? まさか転生した時から監視でもされていたとでもいうのか?
 いや、あるいはゼノン様が俺を試している? あり得ない話ではない。あの人は、俺の知識の出どころをまだ完全に信じてはいないはずだ。

「……おい、ディラン」

 カインの声に、はっと我に返る。

「それ、東方の文献だぞ。西方の棚はこっちだ」

 俺は自分の手元と、向かおうとしていた棚を見て、顔から血の気が引いた。完全に間違えている。
 カインは困ったように眉を寄せているが、周囲の人たちからは鋭い視線が向かっていた。
 不味い。せっかくゼノン様から推薦された職だというのに、この有り様ではあの人の顔に泥を塗ることにもなりかねない。

「……体調が悪いなら、一度休憩するか?」

「いえ、大丈夫です。少し考え事を……。申し訳ありません、集中します」

 俺はカインに再び頭を下げ、羊皮紙の山へと向き直った。
 これ以上、醜態を晒すわけにはいかない。
 俺は一つ深く息を吸い、思考から雑念を振り払うように頭を振った。

 一枚、また一枚と、古文書を手に取っていく。
 全て読み取れるものでもないが、大体の内容を読み取り正しい棚へと収めていく。
 作業自体は、嫌いではなかった。むしろ、知識が形になっていくこの感覚は、性に合っているとさえ言える。
 せめて万全の状態であったなら、と弱気な気持ちが湧き出てくる。

 ――ん?

 俺の手が止まる。
 今読んでいた羊皮紙に、妙な記述があった。

 『封印石について』

 思わず息を呑む。
 それは魔王の復活に関係する記述に他ならない。

 俺は羊皮紙を手元に引き寄せ、食い入るように読み進める。

『封印石は七つ。魔を封じる力を有し――』

「お兄さん、何読んでるの?」

「わっ!?」

 心臓が飛び跳ねるような感覚に、俺は思わず小さな悲鳴を上げて振り返った。
 そこに立っていたのは、昨日会ったばかりの少女――リリア・ノエーデル。
 宮廷魔法師第七位である彼女が、興味津々といった様子で俺の手元を覗き込んでいた。

「リ、リリア様……いつの間に……」

 恐らくわざと気配を消して近づいて来たのであろうその少女は、悪戯な笑みを浮かべて俺を見ていた。

「あはは、ごめんごめん。お兄さん、すっごく集中してたから、つい」

 リリアは悪戯っぽく笑う。

「えー、様なんて付けなくていいよ。リリアでいいって言ったでしょ?」

 彼女は不満そうに頬を膨らませる。
 だが、その視線はすぐに俺が手にしていた羊皮紙へと戻った。

「それで、何をそんなに真剣に読んでたの? 『封印石』?」

 リリアは羊皮紙の文字を読み上げ、小首を傾げた。

「……少し気になりまして」

「ふーん、封印石かあ」

 リリアの視線が文章を辿っていく。

「何かご存知だったり?」

 俺は期待を込めて尋ねてみる。
 封印石は別に魔道具というわけではないが、彼女の知見は聞いておいて損はないだろう。

 しかし彼女は首を横に振った。

「ううん、知らない。でも、面白そう」

 リリアは屈託なく笑った。
 『万器の聖匠』とまで呼ばれる彼女ですら知らないとなると、これは相当に古い、あるいは秘匿された情報なのだろう。

「お兄さん、そういう古文書読むの好きなの?」

「ええ、まあ……昔の魔法体系とか、失われた技術とかには興味があります」

 当たり障りのない答えを返す。
 まさか「魔王復活を阻止するためです」などと言えるはずもない。

「ふーん。じゃあマクスウェルとかヴァルグレイスに聞いてみたらいいかも」

 リリアはさも当然といった様子で、二人の名前を口にした。

「マクスウェル教授……それに、ヴァルグレイス様、ですか?」

 マクスウェル教授の名は分かる。
 だが、もう一人の名は初耳だった。俺が聞き返すと、リリアはこくこくと頷く。

「宮廷魔法師第二位の人。すっごい物知りで、歩く図書館って呼ばれてるくらい!」

「そんな人が……」

 マクスウェル、ゼノン、リリア(ノエル)、エルナとは違い、ゲームには名前すら出てきていなった名だ。
 だが宮廷魔法師第二位、一体どういう人物なのだろうか。

 するとリリアは人差し指を口元に当てて「しーっ」というポーズを取った。

「でもすっごく気難しくて、研究の邪魔をされるのが大嫌いなの。話しかけるなら、それなりの覚悟がいるかもね」

 彼女は悪戯っぽく片目を瞑る。
 なるほど、知識の宝庫だが、アクセスするにはそれなりのリスクが必要というわけか。

「ありがとうございます。とても参考になりました」

 思わぬところから得られた、大きな手がかり。
 昨夜からの不安で沈んでいた心に、わずかな光が差し込んだような気がした。
 この羊皮紙の存在はどうしようもないが、これを足がかりにすれば、魔王復活の謎に一歩近づけるかもしれない。

「どういたしまして。お兄さんの役に立てて嬉しいな」

 リリアはにこりと笑う。
 その笑顔は、宮廷魔法師の威厳など少しも感じさせない、年相応の少女のものだった。

「じゃ、私は戻るね」

 そう言ってそさくさとリリアは帰っていった。
 まるで嵐のような少女だ。
 だが彼女のお陰で幾分か気分は晴れたのも事実だ。

 しかしそう思っていたのも束の間――

「ディラン……」

 カインからの呆れた視線。

「あ……すみません」

 俺は慌てて頭を下げる。
 リリアとの会話に夢中で、また仕事を止めていた。
 カインは軽く溜息をついた。

「まあ、あの人に捕まったのは仕方がないが……ちょっと気をつけた方がいいぞ」

 カインの言葉は、叱責というよりは忠告に近い響きがあった。
 俺はその気遣いが身に染みて、もう一度、深く頭を下げた。

「……以後、気をつけます」

「ああ。頼むぜ」

 カインはそれ以上何も言わず、自分の作業へと戻っていく。
 他の同僚たちも、俺から興味を失ったように古文書の山へと向き直った。
 資料室に、再び羊皮紙をめくる音だけが静かに響き始める。

 それからしばらくして業務は終わり、一斉に皆が部屋から出ていく。

「お疲れさん」

「はい、今日はすみませんでした」

「まあ初日だし、仕方がないさ」

 カインからの励ましを親身に受け止め、部屋へと戻る。

(……最低の初日だったな)

 自嘲の念が胸に広がる。
 寝不足で集中力を欠き、初歩的なミスを犯し、同僚に呆れられる。
 思い描いていた宮廷魔法師見習いとは程遠い。

 しかし得たものもあった。
 封印石の情報と宮廷魔法師第二位ヴァルグレイス。
 ゲームでは描かれきれなかった部分を解き明かすことこそが、この世界で生きていく鍵。

 ――陽が落ち、長い一日が終わる。

 脅威と、希望。
 破滅の足音と、それに抗うための武器。

 俺の宮廷魔法師見習いとしての日々は、こうして混沌の内に幕を開けた。
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