悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

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第60話 手がかり

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 光が消えたあと、そこには静寂だけが残った。
 焦げた匂いと、焼けるような聖光の残滓がまだ空気に漂っている。
 アリシアは肩で息をし、その手はわずかに震えていた。

 そして男は、白目を向きその場に突っ伏している。

「アリシア様……」

 俺はゆっくりと声をかける。
 彼女は小さく息をつきこちらを向いた。

「はい、解呪成功しました」

 アリシアは玉のような汗を額に浮かべながら微笑む。
 だが、その笑顔は力なく、今にも崩れ落ちそうだ。

「お見事です、アリシア様。後は引き継ぎますのでお休みになられて下さい」

 俺は慌てて近寄り、手近の椅子を引き寄せた。

「はい……そうですね。少し疲れました」

 アリシアはゆるやかに腰を下ろすと、胸元で静かに呼吸を整えた。
 白衣の裾がわずかに揺れ、淡い光が消える。今だけは彼女が、ただの一人の少女に見えた。

 彼女のよく頑張った。後はこちらの仕事だ。

 俺は男の脈を確かめた。
 鼓動はある。弱いが、確かに生きている。

 俺は手を離し、息を吐く。
 緊張で張り詰めていた肩がようやく落ちる。

(……成功した)

 今までの雲を掴むような話が今こうして目の前にある。
 『影の教団』の手がかり。
 その事実が、胸の奥にじんと広がっていく。

 だが、手放しで喜んでいる場合ではない。
 俺はすぐさま立ち上がり、周囲に視線を巡らせた。

「今すぐ修道女を呼んで下さい。アリシア様を安静室へ」

 外の幕越しに声をかけると、二人の修道女が慌ただしく入ってくる。
 彼女らはアリシアの姿を認めると、すぐにその両脇へ回り、慎重に支えた。

「聖女様、こちらへ。すぐにお休みのご用意を」

 アリシアはわずかに首を振ったが、力なく微笑んで彼女たちに身を預ける。
 疲労というより、長く張りつめていた緊張が解けたのだろう。

「……お願いします」

 その一言は小さく、けれど確かに届いた。
 修道女たちは頭を下げ、彼女をゆっくりと部屋の外へ連れていく。

「すみません、宮廷魔法師ゼノン様を呼んでいただけないでしょうか?」

 再度、俺は指示を出す。
 返事はすぐに返ってきた。

「それには及ばないよ」

 幕を開けて入ってくる男。

「ゼノン様」

 彼は相変わらず薄い笑みを貼り付けてそこに立っていた。
 大方、騒ぎを聞きつけて、近くに待っていたのだろう。
 彼の登場に、緊張が少し緩む。

「やあ少年、無事に成功したみたいだね」

 ゼノンの視線が男へ向く。

「はい、彼が恐らくは」

「影の教団か」

 ゼノンの声音には、感嘆でも怒りでもなく、ただ淡々とした確認の響きがあった。
 彼はゆっくりと歩み寄り、突っ伏した男のそばに膝をつく。
 その動作に無駄はなく、まるで長年慣れた研究対象を観察するかのようだ。

「呪印の場所は?」

 ゼノンの問い。
 彼としてもその場所は気になるのだろう。

「舌の付け根辺りでした」

「なるほど、隠し場所としては最適だ。まさに少年の感知がなければ見つけることすらできなかっただろう」

 ゼノンは身を屈め、男の顎を軽く持ち上げた。
 光を指先に灯し、口の奥を覗き込む。
 短い沈黙のあと、満足げに頷く。

「うん、確かに痕がある。見事なものだ」

 ゼノンは感心したような、呆れたような、そんな反応を見せる。

「もう効力も消えていますか?」

 念の為俺は尋ねた。

「そうだね、魔力の反応は残ってない。反応することはないだろう」

 その言葉に、俺はようやく確信する。
 全ては終わったのだ。

 あの“呪印”は現実に存在し、そして、アリシアが確かにそれを打ち消した。
 ゼノンがそれを認めたという事実は、何よりも大きい。

「……これで一歩、近づけましたね」

 俺の呟きに、ゼノンは満足そうに微笑んだ。

「そうだ。これでようやく、“影”の輪郭が見え始めた」

 彼の言葉は穏やかで、しかしその奥に、確かな炎が宿っていた。

「少年」

 ゼノンが顔を上げた。

「よくやった。君の感知がなければ、この国の蔓延る闇に気づくことすらできなかっただろう」

「……ありがとうございます」

 言葉に詰まった。
 決して賢い立ち回りができた自覚はない。
 でも、こうして結果を出せた。
 褒められることが目的ではなかったのに、それでも心が少し温かくなった。

「さあ、残りの参加者も控えている。君は休んで構わない。後は私と神殿側で処理しておこう」

「いえ、まだ続けます。少しでも早く“影”を追いたいので」

 ゼノンがわずかに目を細め、口の端を上げる。

「そう言うと思ったよ。若いというのは実に良い」

 軽く笑いながら立ち上がると、彼はいつもの調子で長衣の裾を翻した。
 その背に、研究者としての熱と、宮廷魔法師としての覚悟が確かに宿っているのを感じた。

 アリシアが残した光の香が、まだ空気の奥に残っていた。
 焦げた匂いも、もうすぐ消えるだろう。
 けれど俺の胸の中では、その光が確かに燃え続けていた。

 外の鐘がひとつ、遠くで鳴った。
 王都の朝が、ようやく戻ってきた。





 その後の癒やしの儀は、思ったよりも呆気なく終了した。
 そして幸か不幸か、あの男以外に呪印を刻む者は見つからなかった。
 あの騒動で察した可能性もあるが、教会を途中退場した者とそもそも参加しなかった者は、エルナが裏でリスト化しているらしい。
 彼女のことだから、蟻一匹見過ごすことはないだろう。

 それをどう詰めるのかはまだ未定。
 少なくともあの男から手がかりを得てからの話になるだろう。

 また一部、聖女様が倒れたと聞いて小さな騒ぎとはなったが、後にアリシア本人が姿を見せることで収束した。

 今回の功労者は間違いなくアリシアだ。
 彼女の力なくして今回の結果は生まれなかった。

『つまり私のお陰ですね!』

 なんて戯言を抜かすルーのもちゃんと褒めてあげる。
 ゼノンについては、教会に借りができた、と少し複雑そうに笑っていたが、今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。

 何はともあれ、実験は成功した。
 その事実だけが、今までの闇を祓ってくれたことは間違いないだろう。





 夕刻。
 王都の空は、落日の金色に染まっていた。

 王城の一角、宮廷魔法師団の研究室。
 窓から射す光が試験管を透かし、棚の瓶に溶けていく。
 昼間の喧噪が嘘のように静かで、耳に残るのは羽根ペンのかすかな擦過音だけだ。

 その机の向こうで、ゼノンが書類を束ねていた。
 彼の手元にあるのは、教会からの報告書――“聖堂〈セレスティア〉における癒やしの儀の記録”。
 署名はアリシア・ハートウィル。
 正式な証拠として、教会の印章が、赤い蝋に沈んでいる。

「聖女の奇跡が、学術資料になるとはね……」

 独り言のような声が、静かな部屋に落ちた。
 ゼノンはペン先を止め、指先で蝋の跡をなぞる。
 その指に宿るのは敬意か、あるいは興味か――自分でも判別できない。

「少年が来てから、面白いことばかりだ」

 書類を閉じ、背もたれに身を預ける。
 聖女アリシア。そして少年ディラン。
 今回の立役者である二人はまだ15歳だというのだから末恐ろしい。

「時代が変わる瞬間っていうやつなのかな」

 ゼノンはゆっくりと窓の外に視線を向けた。
 王都の屋根越しに、教会の尖塔が夕陽を受けて輝いている。
 その光が沈むほどに、塔の影は地を這うように長く伸びていた。

「さて、光に暴かれた闇は次に何をするのやら」

 悪戯めいた笑みを浮かべ、ゼノンは静かに立ち上がる。
 書き終えたばかりの報告書を、手のひらで軽く叩いた。

 ゼノンは目を細め、静かに呟く。

「夜は、必ず来る。だが――明けない夜も、また存在しない」

 彼の瞳に映る塔の光は、まるで次の幕を告げる灯のように揺らめいていた。
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