悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました

根古

文字の大きさ
63 / 77

第62話 闇の声

しおりを挟む
 王立医務棟。

 石造りの廊下はひんやりと静まり返り、松明の炎が壁に淡い影を揺らしていた。
 その最奥の一室。
 騎士二人の見張りを配置したその場所に、聖堂から運び込まれた“男”が眠っている。

 白いシーツの下、男の呼吸は浅く、時折、喉の奥で小さな音を立てた。
 医師によれば、すでに昏睡というより、浅い夢を見ている状態だという。
 だが、舌の奥に焼きついた呪印の痕は完全には消えておらず、その名残が男の体内をわずかに波打たせている。

「――準備はできました」

 医務官が小さく頭を下げる。
 その傍らでは、エルナが魔力計測器の針を確認していた。
 針の動きはほとんどゼロ。完全に沈黙しているように見える。
 だが、彼女は言う。

「万が一、ということもありますので」

 俺は頷いた。
 呪印の効力は聖女アリシアの奇跡とゼノンによって、沈黙したことは既に確認済みだ。
 だが慎重に越したことはない。
 俺達にある手がかりは彼たった一人なのだから。

「リリア様、装置の方は?」

 次いでエルナはリリアに声を投げる。

「バッチリ!」

 奥の机に腰をかけ、魔具を調整していたリリアが顔を上げた。
 彼女の手元で、薄い金属板に埋め込まれた魔導結晶が淡く光を放つ。
 音のような、光のような――その装置は小さな“魔力遮断器”。
 周囲に様々な魔力の波長を発生させることで、安定した魔法を行使できなくする装置だ。
 もっとも、完全に防げるようなものではなく、リリア曰く気休め程度なものらしい。
 
「では開始します」

 エルナが短く答え、指先を組む。
 彼女の掌に光が宿り、幾重もの環が空中に展開された。
 聖句のような光の文字が、男の胸元にゆっくりと降りていく。

 醒律リメンブランス
 それは他者の魔力波長を刺激し、過去の記憶を音として聞くことができる一級魔法だ。
 精神系魔法の中でも特に高度で、対象が覚醒状態ではほとんど使えない。
 俺だって見たのはこれが初めてだ。
 もちろん一級という区分に属することもあって、使用するには免許と許可が必要となる。
 ちなみにエルナがそれを行っているかどうかは、聞いていない。

 光の紋章が輝き、中心に横たわる男の体が淡く照らす。
 静寂の中で、針がひときわ鋭く震える音がした。

 男のまぶたが、ほんのわずかに動く。
 その変化を、俺達は息を呑んで見守った。
 
「――」

 男の喉がひくりと動いた。
 口の端がわずかに震え、低い声が漏れる。
 音、ではない。
 それは、空気の震えに近い。
 耳ではなく、骨の奥で響くような感覚。

「……声?」

「これが記憶の音です」

 エルナがそう言うと同時に、その音は明確に声へと変わった。

『――我々の――気付いた者が――』

 低い。男の声ではない。
 金属を擦るような、耳の奥で軋む声。
 それはこの部屋には存在しない、誰かの声だった。

『――ラン・ベルモンド』

 その名が、確かに聞こえた。
 全員の息が止まる。
 どう考えても俺の名前だ。
 心臓の音がバクバクと耳の奥に響く。

『――者ですか?』

『――ん、――シアの元に姿を――だ』

『――した』

 何かしらの計画を話し合っているような会話だった。
 文脈からして俺の正体と、始末する方法についてだろうか。

 初めてだ。
 “影”の声を、直接聞いたのは。
 その生の響きが、皮膚の内側を這い、背骨を凍らせる。
 理屈も、分析も追いつかない。ただ――怖い。

『――失態は――奴以外――嗅ぎ――者がいる』

 更に言葉が続いた、その瞬間。

 ――針が跳ねた。
 計測器の針がゼロを突き破り、ガラスを叩く音がした。
 男の体がびくりと跳ね、同時に光が弾ける。

「計測器が上昇してる!」

 リリアが声を上げる。

『――三日後、――儀式を――』

 途切れた瞬間、すべての光が消えた。
 沈黙。
 男は再び動かなくなっていた。

 残ったのは、ひとつ。
 俺の名を呼ぶ、あの声の残響だけだった。
 耳の奥でまだ、小さく囁いている気がする。

「これで終わり……」

 シンと静まり返った病室に声が響く。
 全貌が分かったとは言い難い結果。
 だが、得たものもある。
 それは奴らが間違いなく俺をターゲットにしていたということ。
 そして三日後――正確には今から二日後、奴らは何かをしようとしていたこと。

 後のことは彼が起きた時に行われる尋問によって明らかになることを祈るしか無い。

「満足とは言い難い成果ですが、十分でしょう」

 エルナが告げた。
 その言葉で一つ、緊張の空気がトーンを落とす。

「リリア様、念の為に装置を」

「はーい!」

 リリアが小さく頷き、魔導結晶に手をかざす。
 光がひときわ明滅し、音もなく消えた。
 今から何かが起こるわけでもないのだが、やはり用心に越したことはない。
 醒律リメンブランスが半端に残り、永遠に目覚めなくなる可能性だってあるのだ。

「……聞こえたのは、間違いなく俺の名前ですよね」

 沈黙を破ったのは自分の声だった。
 エルナが小さく頷く。

「そうですね。ディラン・ベルモンド。明確にそう言いました。誤認ではありません」

 言い切る声音に曖昧さはない。
 その事実が、体温よりも冷たい。

「憶測は正しかった。少なくとも貴方が犯人という線が消えたわけです」

「……そうですね」

 まさかまだ疑われていたとは。
 多分、エルナのことだからそれは決して冗談で言ったわけではない。

「後は、三日後の儀式ですか」

 エルナが情報を口にする。
 それは間違いなく新たな情報だ。
 だが、それがどこで何をするのかまでは不明なままではある。

「でも、儀式をする人っているの?」

 リリアからの問い。

「……確かに」

 俺は息を吐きつつ頷いた。
 何しろ今日、その残党と思われる影の教団員は口封じのために始末された。
 数にして十人。
 王城にそこまでスパイが紛れ込んでいた、という事実は緊急事態と言ってもいい。
 だが、まだいるかもしれない、という疑念は晴れないままだ。

「まだいるのか、それとも外部から侵入する算段なのかもしれません」

 エルナが端的に可能性をまとめる。
 いずれにせよ、まだ脅威は去っていない。
 そう考える方が妥当だ。

「えっと、これからって」

 俺は尋ねる。

「ゼノンの件も含めて、評議会へ報告します」

 エルナは淡々と告げた。
 その声には、疲れも迷いもない。ただ次にやるべきことを確認しているだけの、機械のような冷静さだ。
 今やその落ち着きっぷりに安心感さえ覚える。

「評議会って……王城の、上層部ですよね」

「うぅ、私、あの人たち苦手」

 リリアが苦い顔をする。
 俺としても先日の父と騎士団長のやり取りを思い出し、胸が苦しくなる。

 宮廷を統べる評議の座――宰相府、騎士団本部、宮廷魔法院、そして法務院。
それぞれが互いを監視し、抑え合うことで、王国の均衡は保たれている。
 名目上は王の諮問機関だが、実際には王国を動かす最高の意思決定機関である。

「……報告って、どこまで話すんですか?」

「全てです」

 即答だった。
 エルナは書類を一枚取り出し、既に箇条でまとめられた報告内容に目を落とす。
 彼女の筆跡は小さく、無駄がない。まるで冷たい刃のような文字だ。

「呪殺と被害者の関連性。ゼノンの失踪。聖堂での呪印解呪。十名の教団関係者の死亡。そして、“三日後の儀式”に関する記録」

 そうやって並べられると、今までの自分たちが得てきた情報の多さに圧倒させられる。それと同時にこの事件の闇深さも痛感させられた。

「今からですか?」

「はい、迅速に報告を上げます。今夜中に、評議会は臨時招集されるはずです」

 エルナは淡々と答えた。
 机の上の書類を手際よくまとめ、封蝋を準備していく。
 その動作に、もう一切の迷いはない。

「臨時……って、そんなすぐに開くんですか?」

「ゼノン様の失踪と、呪印関連の死亡事件。どちらも“国家機密級”です。放置すれば王国全体の信頼が揺らぎます」

「そうですよね……」

 改めて自分の置かれている状況の重さを知る。
 俺があの時、影の教団の名前を出していなければ。
 そんなことさえ考え出してしまう。

「これで全て整いました。――行きましょう」

 エルナはゼノンの残した封書と、そして今書き留めた封書を手に取った。
 その一言で、室内の温度が少し下がる。

 廊下に出る。
 冷たい石の床が、足音を鈍く返す。
 背後で医務室の扉が閉じる音がした。
 その向こうには、まだ眠る男と、かすかに残る焦げた光の匂い。

 俺は振り返らなかった。
 未だ状況に振り回されたままだが、誓うように胸の奥でひとつ呟く。

(これで全てを終わらせる)

 静かな誓いだけが、長い廊下に沈んでいった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魔法使いが無双する異世界に転移した魔法の使えない俺ですが、陰陽術とか武術とか魔法以外のことは大抵できるのでなんとか死なずにやっていけそうです

忠行
ファンタジー
魔法使いが無双するファンタジー世界に転移した魔法の使えない俺ですが、陰陽術とか武術とか忍術とか魔法以外のことは大抵できるのでなんとか死なずにやっていけそうです。むしろ前の世界よりもイケてる感じ?

攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】

水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】 【一次選考通過作品】 ---  とある剣と魔法の世界で、  ある男女の間に赤ん坊が生まれた。  名をアスフィ・シーネット。  才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。  だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。  攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。 彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。  --------- もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります! #ヒラ俺 この度ついに完結しました。 1年以上書き続けた作品です。 途中迷走してました……。 今までありがとうございました! --- 追記:2025/09/20 再編、あるいは続編を書くか迷ってます。 もし気になる方は、 コメント頂けるとするかもしれないです。

異世界翻訳者の想定外な日々 ~静かに読書生活を送る筈が何故か家がハーレム化し金持ちになったあげく黒覆面の最強怪傑となってしまった~

於田縫紀
ファンタジー
 図書館の奥である本に出合った時、俺は思い出す。『そうだ、俺はかつて日本人だった』と。  その本をつい翻訳してしまった事がきっかけで俺の人生設計は狂い始める。気がつけば美少女3人に囲まれつつ仕事に追われる毎日。そして時々俺は悩む。本当に俺はこんな暮らしをしてていいのだろうかと。ハーレム状態なのだろうか。単に便利に使われているだけなのだろうかと。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

無尽蔵の魔力で世界を救います~現実世界からやって来た俺は神より魔力が多いらしい~

甲賀流
ファンタジー
なんの特徴もない高校生の高橋 春陽はある時、異世界への繋がるダンジョンに迷い込んだ。なんだ……空気中に星屑みたいなのがキラキラしてるけど?これが全て魔力だって? そしてダンジョンを突破した先には広大な異世界があり、この世界全ての魔力を行使して神や魔族に挑んでいく。

幸福の魔法使い〜ただの転生者が史上最高の魔法使いになるまで〜

霊鬼
ファンタジー
生まれつき魔力が見えるという特異体質を持つ現代日本の会社員、草薙真はある日死んでしまう。しかし何故か目を覚ませば自分が幼い子供に戻っていて……? 生まれ直した彼の目的は、ずっと憧れていた魔法を極めること。様々な地へ訪れ、様々な人と会い、平凡な彼はやがて英雄へと成り上がっていく。 これは、ただの転生者が、やがて史上最高の魔法使いになるまでの物語である。 (小説家になろう様、カクヨム様にも掲載をしています。)

異世界転生おじさんは最強とハーレムを極める

自ら
ファンタジー
定年を半年後に控えた凡庸なサラリーマン、佐藤健一(50歳)は、不慮の交通事故で人生を終える。目覚めた先で出会ったのは、自分の魂をトラックの前に落としたというミスをした女神リナリア。 その「お詫び」として、健一は剣と魔法の異世界へと30代後半の肉体で転生することになる。チート能力の選択を迫られ、彼はあらゆる経験から無限に成長できる**【無限成長(アンリミテッド・グロース)】**を選び取る。 異世界で早速遭遇したゴブリンを一撃で倒し、チート能力を実感した健一は、くたびれた人生を捨て、最強のセカンドライフを謳歌することを決意する。 定年間際のおじさんが、女神の気まぐれチートで異世界最強への道を歩み始める、転生ファンタジーの開幕。

【改稿版】休憩スキルで異世界無双!チートを得た俺は異世界で無双し、王女と魔女を嫁にする。

ゆう
ファンタジー
剣と魔法の異世界に転生したクリス・レガード。 剣聖を輩出したことのあるレガード家において剣術スキルは必要不可欠だが12歳の儀式で手に入れたスキルは【休憩】だった。 しかしこのスキル、想像していた以上にチートだ。 休憩を使いスキルを強化、更に新しいスキルを獲得できてしまう… そして強敵と相対する中、クリスは伝説のスキルである覇王を取得する。 ルミナス初代国王が有したスキルである覇王。 その覇王発現は王国の長い歴史の中で悲願だった。 それ以降、クリスを取り巻く環境は目まぐるしく変化していく…… ※アルファポリスに投稿した作品の改稿版です。 ホットランキング最高位2位でした。 カクヨムにも別シナリオで掲載。

処理中です...