花の器

あた

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はなの話

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 睡蓮。いや、白いアネモネ。黒田ユキナを花に例えたら、なんになるだろう。透明感があって、一見か弱そうなのに、その実凛としている。
 意外と、気が強いみたいだったな。
 仙崎を睨みつけてきた茶色の瞳。思い出すとぞくぞくする。
 俺はマゾなんだろうか。
「慎也さん?」
「ん?」
 慎也は顔を上げた。こちらを覗き込んでくる、可愛らしい女の子と視線が合う。

「どうかしましたか?」
「いいや、ちょっとね」
「襲名したばかりで、色々お疲れでしょう?」
 そうだね、と返す。彼女は家が決めた婚約者だ。今時、許嫁なんて笑える話。自分はそういう、笑える世界に生きている。

「それで今日は……この後……」
 顔を赤らめる彼女が、何を期待しているかはわかる。ホテルに行って愛を囁き、キスしてベッドに連れて行けばいいのだ。
 だが仙崎はそれをしない。花以外に愛情を注ぐのが億劫だというのもある。
 坊はちょっと、変ですよ。
 はるか昔、陶芸を習ったとき、山城がそう言った。祖父の知り合いだった山城は、仙崎のことを坊と呼んだ。

 あなたは人を、将棋の駒かなんかと勘違いしてらっしゃる。あんまりにも冷淡だ。
 山城はそう言った。そうかもしれない、と仙崎は思う。他人が自分の思い通りに動くのは見ていて楽しい。それは世間的に見れば、あまりいい趣味ではないのだろう。殴るのを我慢していただけ。ユキナの言葉は的を射ているのかもしれない。

「ごめん、今日はちょっとやることがあって」
 仙崎は微笑みにより、婚約者の期待を打ち砕いた。

 庭に咲く紫陽花が、雨に濡れている。仙崎はそれを和室から眺めていた。日本に華道という文化が生まれたのは、ひとえに四季のお陰だろう、と思う。四季の花々を活け、愛でる。まあ最近は、春だか夏だかわからない気候が多いが。四月下旬でツツジが満開になり、薔薇は五月の半ばに散る。

 ──長谷寺のツツジを見に、今年も行けなかった。せめて、三室戸寺の紫陽花はみたいものだ。
 視界の端に、ユキナの作った花器がある。ひとつは彼女に返してしまった。淡い髪色のユキナが、紫陽花が咲く寺に佇む様子を想像する。
 ──ああ、黒田ユキナには、紫陽花が似合うかもしれない。
 確かめに行くか。今の時間、彼女は大学にいるだろう。
「少し出かけてきます」
 仙崎は奥にそう声をかけ、襖をからりと開け、玄関に向かった。

 黒田ユキナの通う大学へは、タクシーで五分ほどだ。ハイヤーを動かすと、周りに動向が伝わり面倒なので、彼女に会うときはタクシーを使う。ユキナのおかげで、お釣りをもらうことをちゃんと覚えた。
学生バスのロータリーにとまったタクシーから降りたち、傘を開く。

 陶芸科がある棟に向かうと、茶色がかった髪が見えた。──あ。
 仙崎は足を早め、彼女を追う。ユキナが足を向けたのは、学生課だった。カウンターで用紙をもらい、何かを書いているユキナに近づき、覗き込む。
「退学届?」
「!」
 ユキナが親の仇でも見るかのような眼差しを向けてくる。いいな、この目。ぞくぞくする。

「大学をやめるの?」
「あなたに関係ないでしょう」
声には棘がある。当たり前か。
「金銭的な理由のわけないよね。小切手を送っただろ?」
「あんなの、使えません」
「どうして? 騙されたから?」
「ちょうど良かったです。お返ししたかったので」
 ユキナは小切手を突きつけた。退学届を手にカウンターへと向かう。仙崎はその腕を掴んだ。

「なんですか!」
 大声を出したユキナに、視線が集まる。ユキナは真っ赤になって、つぶやいた。
「離してください」
「これを出すのは止めないけど、その前にちょっと付き合ってくれない?」
「嫌です」
「付き合ってくれたら、もう付纏わないから」
 ユキナは仙崎をにらみ、「本当ですか」とたずねる。
「うん」
 彼女はしぶしぶといった様子で、仙崎についてきた。素直だ。この素直さは利点だが、逆に言えば無防備でもある。

「どこへ行くんです」
「いいところだよ」
「その言い方、いかがわしいんですけど」
「いかがわしいところに連れて行ってほしい?」
 そんなわけないでしょう。当たり前だが、ユキナは終始怒っていた。あの一件で、すっかり嫌われたようだ。仙崎はユキナをタクシーに乗せ、駅へ向かう。新幹線のホームに向かう仙崎に、ユキナは足を止める。

「……まさか」
「京都だよ」
「帰ります」
 踵を返そうとしたユキナを引き止める。
「来たばっかりなのに?」
「なんであなたと京都に行かなきゃいけないんですか」
「京都はいいところだよ。昔住んでたんだ」
「なにを自慢げに言ってるんです。京都がいいところなのは誰でも知ってます」
「古都だから古い焼き物もあるんじゃないかな。行って損はないよ」
「京都まで行くお金なんかないです」
「それくらい出すよ。慰謝料だと思えばいい」
「慰謝料?」
「キスの」
 仙崎がそう言った瞬間、ユキナが真っ赤になった。可愛らしい反応にくすりと笑う。

「もしかして、初めてだった?」
「悪いですか」
「ううん」
「……なにをニヤニヤしてるんです。気持ち悪いです」
 ユキナは蔑んだ目で仙崎を見て、歩き始めた。ぞんざいに対応されているのに、仙崎の笑みはひかない。
 やっぱり、自分はマゾなのかもしれない。

 京都駅に降りたつと、むあ、と熱気がおそってきた。
「蒸し暑いですね」
「京都は盆地だからね」
 ユキナは手首につけていたシュシュで、後ろ髪を縛る。真っ白な首筋が露わになった。なかなか色気があっていいな。じっと見ていたら、茶色の瞳がこちらを向いた。
「な、なんですか」
「俺、うなじフェチかも」
 ユキナがさっ、と髪を解いた。

「あ、隠れちゃった」
「気持ち悪いです。見ないでください」
「そんな風に言われると傷つくな」
「嘘でしょう」
あなたはうそつきだから。ユキナはそう言った。ウインドウに映り込んだ彼女の横顔は、憂いを帯びていた。

「お寺はどうやって行くんですか? 」
「京阪かJRだね。宇治駅からバスが出てる」
「けいはん?」
「知らない? 京阪電鉄」
「私、京都に来たの初めてなので」
そんな人間がいるのか、と仙崎は思う。
「修学旅行で来なかった?」
「風邪で休んだんです」
 いるよな、そういう運のない子。必ずひとりは、体調を崩すものだ。ユキナは、写真で上の丸に写り込むタイプなのだろう。

「じゃあ、時間があったら他のところにも行こうか。行きたいところ、ある?」
「鹿がみたいです」
「鹿? といえば、奈良公園かな。随分オーソドックスだね」
 仙崎が言うと、ユキナが拗ねたようにつぶやく。
「駄目なら、いいです。鹿せんべいをあげてみたかっただけなので」
 可愛らしい一面がある、と仙崎は笑う。
「いいよ。奈良には近鉄がいいかな。先に東大寺に行こうか」
「でも、三室戸寺に行くんじゃ」
「大丈夫、四時半まで開いてるから」
 手を差し出すと、ユキナが躊躇したあと、つかまった。
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