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おおかみとうさぎときつね 1

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 セーレはずるいんだ。俺ばっかり好きにさせて、俺ばっかりセーレのこと考えてる。
「レイさま、だいすきです」
 セーレがベッドに寝転がって、俺を見つめている。潤んだ瞳も、少し開いた唇も、色っぽくてかわいい。

「レイさまにぜんぶあげたいの」
 胸がきゅんきゅんして、俺はたまらなくなった。
「セーレ……」

 セーレの指をぎゅっと握って、唇を重ねた。セーレの唇はやわらかい。いや、セーレの全部がやわらかい。頭の奥が熱くなって、もっとさわりたくなる。制服のネクタイをほどこうとしたら、うまくいかなくて焦った。
 あれっ? なんか、変。


「っ!」
 衝撃音がした、と思ったら、真っ白な天井が見えた。
「……あ」
 俺は自分の顔を覆ってごろごろする。やらしい夢をみてしまった……。

 セーレと、両思いだった。それがわかっただけでもすごく嬉しかったのに、セーレからキスしてくれた。こんなに幸せなことはない。あとはこれ以上、何を望むっていうんだ。そうなんだけど。危ない奴が現れたから、ゆっくりしてはいられない。

 俺はむくりと起き上がった。セーレと、恋人になろう。それで、それから……顔が熱くなって、また手のひらで覆う。
 俺はセーレの、全部がほしい。


 ★


 朝食を食べるため、階下に行くと、珍しく父親がいた。今日は遅い出勤らしい。彼はちら、と俺をみて、
「おまえが起きてくるのを見るのは久しぶりだな」
「おはよう」

 父親は舌打ちして、嫌味も通じないのか、とつぶやいた。いま、嫌味を言われたんだ。
「おまえはほんとに、母親そっくりだな」
 母さんと父さんは別居している。というか、母さんは実家にいる。俺は「跡取り息子」だから、父さんに引き取られた。

「ぼんやりしてなにを考えているんだかわからない」
 父さんはよく母さんの悪口を言う。じゃあなんで、母さんを奥さんにしたんだろう。
「名家の令嬢だったからだ。それ以外の理由はない」

 たぶんその言葉は的を得ている。父さんは母さんの写真を一枚も飾っていないし、離婚しないのは世間体が悪いからだって言う。
「セーレ・バーネットとの付き合いはどうなんだ」
「うん、こないだ一緒に勉強した」
「コーンウェルがバーネットを捨ててくれて、渡りに船だったな」
「アーカードは、リディアがすきだから」
「好きだ嫌いだなどとくだらない」

 父さんは俺を睨みつけ、
「おまえもそんな感情に振り回されるな。特か損か、人間関係を決めるのは最終的にはそれだけだ」
 今日の父さんはよく喋るな。俺はトーストを齧りながらそう思った。


 ★


 最近、俺は遅刻せずに校門を抜ける。歩くのが遅いから、みんな俺を追い抜いて行く。それでもなんとか時間通りに、校門へたどりついた。ちょうど、アーカードが靴を替えていた。

「レイ。おはよう」
「アーカード」
「もうすぐ競泳大会だな」
「ああ、うん」

 夏休みまえのこの時期になると、クラス対抗の競泳大会がひらかれる。あんまりやる気にはならないけど、アーカードは案の定真面目に取り組む気らしい。
「ねえ、アーカード」
「ん?」
「リディアのどこがすきなの?」
 アーカードはギクリと肩をゆらし、いきなりなんだ、と尋ねてきた。

「気になったから。どこがいいのかなーって」
 リディアのことはよく知らない。というか、俺はセーレ以外の女子を、よく知らないのだ。
「……リディアは、本当の俺を見抜いた。その、まっすぐな目がすきだ」

 本当のアーカード?
「頑固で頭がかたい?」
「おまえは柔らかすぎる」
 そうかな。でも、わかる気がする。リディアはきっと、アーカードの悪い部分を含めてすきになったんだ。損得で誰かをすきになることは、絶対ないんだ。


 ★


「レイさま、今日は起きてらっしゃいましたね」
 偉いですわ。セーレがそう言って、俺を見上げる。今日、髪しばってるんだ。しっぽみたいでかわいいな。
「うん、今日プールなかったから」
「プールの有無ですか?」

 セーレがくすくす笑う。俺はぼんやりそれに見惚れた。
「今日、俺のうち、こない?」
「え? 今日、ですか?」
 キョトンとするセーレに、俺はうなずく。ふたりっきりで、付き合ってください、って告白するんだ。両思いってわかっていても、心臓がドキドキする。

「レイさま、顔が赤いですけど」
「うん、暑いから」
 熱でもあるんですか? セーレがそう尋ねて、手を伸ばしてきた。白い指先が、額に触れる。半袖からのぞいた細い腕に、きゅん、と胸が鳴った。真っ白。細くて、でも柔らかそう。触ってみたい。

 ──あ、やばい。またやらしいこと考えてる。
「私、ちょっと用事があって。待っていてもらってもいいですか?」
「うん、待ってる」

 俺は昇降口の柱にもたれて、セーレが来るのを待った。セーレの、しっぽみたいな髪が揺れるのを、そわそわしながら待っていたら、ぽん、と肩を叩かれた。
「ヤッホー、アースベル」

 にこ、と笑ったのはセーレではなく、むしろセーレとは似ても似つかない男だった。
「……アレックス」
「なにしてんの? こんなとこで突っ立って」
「関係ないだろ」

 俺はぷい、とそっぽを向いた。俺はこいつが嫌いだ。セーレにちょっかいかけるし、なんか笑い方がすきじゃない。人を見下してる感じがする。

「夏服っていいよねー、エロくて」
 アレックスがにやにや笑いながら声をかけてくる。
「下着とか透けてみえるし」
「……セーレをやらしい目で見るなよ」
「だれもセーレさまだなんて言ってないじゃん。見てるのはあんたじゃないの?」
 たしかにそうだけど。

「なあ、もうヤった?」
 俺は思わず咳き込んだ。
「あ、まだなんだ。へえー」
「……セーレとは、まだ付き合ってもないし」
「純情だねえ。俺があんたなら、その顔利用してヤリまくるけど」
「好きじゃない子とは、したくない」

 アレックスは目を瞬いて、笑った。
「あー、なるほどね。でも、セーレの相手は、本来あんたじゃないんだよなあ」
「? どういう意味?」
「言ってもわかんないだろ?」

 ──あ、この言葉。たしか、セーレも言ってた。セーレの秘密は、俺に言ってもわからない、って。
「セーレの秘密、知ってるの?」
「知ってるよ」

 アレックスの言葉に、俺はすごく、もやっとした。アレックスは、セーレの秘密を知ってる。それだけで、彼が俺よりもセーレを知っているような気がしたのだ。

「知りたい?」
「……別に」
「やせ我慢すんなよ。知りたいんだろ? セーレ・バーネットのひみつ」
 アレックスが、俺の耳元にささやく。
「セーレさまは──耳の裏が弱い」
「!?」

 俺はばっ、とアレックスを見た。彼はにやーと笑い、じゃあねー、と言って去っていく。今のは、明らかにセーレが言ってた「秘密」なんかじゃない。でもなんで、アレックスがそんなこと知ってるんだ? 

またもやもやが大きくなっていった。俺が思い悩んでいたら、セーレがやってくる。彼女は髪を揺らし、
「レイさま、お待たせしました」
 形のいい、貝がらみたいな白い耳に目がいった。

「レイさま?」
「……なんでも、ない。いこうか」
 俺がギクシャクと歩き出すと、セーレがついてくる。迎えの車がきていたから、セーレと一緒に乗り込んだ。家につくと、セーレは建物を見上げ、ゲームと同じだわ、とつぶやいた。

「ゲーム?」
 俺が尋ねたら、ハッとする。
「あ、なんでもありません」
 セーレは玄関先できちんと礼をした。
「お邪魔します」
「いいよ、誰もいないし」
「そうなんですか?」

 そう、日中うちにいるのはお手伝いさんくらいだ。つまり、二人きりなわけで。でもセーレは気にしていないようだ。危険だってわかってないだけかもしれないけど。

 俺はセーレを部屋に連れていった。セーレは俺の部屋を見渡し、
「なんというか、物がありませんね……」
「うん、俺、趣味とかないから」
 精々雑誌を読むくらいだ。
「レイさまは、運動が得意じゃないですか」
「でも、あんまり好きじゃない。動くと眠くなるし」

 俺、つまんないやつだな。セーレは俺をじっとみて、
「お菓子づくりはどうですか?」
「お菓子、づくり?」
「はい。それなら二人でできますし」

 セーレの家は、製菓工場だ。お菓子づくりを覚えたら、将来役に立つかもしれない。
「今度、うちにいらしてください。一緒に作りましょう」
「うん」

 みんな、俺を仕方ない、って言った。父親も家庭教師も、俺を諦めて、ダメなやつだ、って見放した。アーカードは違った。セーレも、違う。俺を、ちゃんと見てくれる。

「それで、今日はどうしたんですか?」
「……こないだ、すきって言ってくれたでしょ?」
 俺が尋ねたら、セーレがかあ、と赤くなった。
「は、い」
「それで、えっと……セーレとちゃんと、付き合い、たいなって」

 セーレは目を泳がせて、小さくうなずいた。
「いいの?」
「はい、っきゃ」
 俺はぎゅっとセーレを抱きしめた。
「だいすき」
「れ、レイさま、っ」

 俺の唇が、ちょっとだけセーレの耳に触れたら、セーレの、細い体が震えた。──あ。
 ──セーレ・バーネットは、耳の裏が弱い。アレックスの言葉が蘇る。
 嬉しいはずなのに、またもやもやがぶり返してきた。

「レイさま? あ」
 俺はセーレの耳を撫でた。指先で擦ると、セーレはびくりと震えて、俺のシャツを掴む。
 白い貝がらみたいな耳たぶは、すごく柔らかかった。噛んだら痕がついてしまいそうなくらい。
「レイ、さ、ま」
「ほんとに、耳の裏弱いんだ」
「やめて、ください」

 真っ赤になって、眉を下げているセーレをみても、やめてあげよう、って思わなかった。なんでだかわからないけど、背中がぞくぞくした。

「なんでアレックスが知ってたの?」
「え」
 セーレが困惑気味の瞳でこちらを見上げた。
「アレックス?」
「アレックスが、セーレの秘密を知ってるって」
「……」

 否定しないということは、事実なんだ。
「俺も、セーレの秘密、知りたい」
「え、あっ」
 俺はセーレの腕を引いて、ベッドに押し倒した。髪をほどいたら、ウエーブの髪が、シーツに広がる。夢と、おんなじだ。くらくら、する。
「セーレの、全部がほしい」
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