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禍福は糾える縄の如し 3

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 翌日登校したら、レイはまだ来ていなかった。
 告白、してしまった……。昨日のことを思い返し、私は自分のほほを抑えた。どんな顔をして、レイと会えばいいんだろう。落ちつかなくて、しきりに髪をいじる。

「セーレさま」
 髪型がいつもより崩れている気がしてならない。トイレで直してこようかな……。
「セーレさま」
 はっと顔をあげたら、ルミナが心配げにこちらを見ていた。
「あの……大丈夫ですか?」
「ルミナさん、おはよう」
 私は慌ててルミナに向き直った。

「なにか考えごとをされていたようなのに、邪魔して申し訳ありません」
「なんでもないの。なにかしら」
「あの……アレックスがセーレさまになにか失礼なことを言いませんでしたか?」
「ああ、冗談で付き合ってほしい、と言われただけよ」

 私の言葉に、ルミナがさあっと青くなった。
「あ、あいつ、なんてことを……! 申し訳ありません、セーレさま」
「いいのよ、気にしてないから」
「だけど、なんでそんな大それたことを……?」
「変わった人よね、彼」
「変わってるというか、人をからかって終始喜んでるようなやつなんです。私も昔毛虫くっつけられたりしました」
「そ、そう」

 なかなか歪んだ性格をしているみたいだ。
 今度機会があれば土下座させますから。ルミナはそんなことを言いながら、席へ戻っていく。私はふう、と息を吐いて、教科書を取り出した。

 結局、レイは昼休みになっても現れなかった。最近遅刻はなかったのに、珍しい。もしかして、体調が悪いとか? 私は図書室へ向かい、レイにノートを貸すため、見やすいように清書していた。ふっ、と影が落ちる。レイかと思って、ドキドキしながら顔をあげた。

「どーも」
 ニコニコ笑っていたのはアレックスだ。
「またあなたですか……」
 彼は断りもせずに隣に座り、肘をついてこちらを眺めた。
「セーレさまって努力家なんですねえ。成績学年二位なんでしょ? まだ勉強するとかマゾとしか思えねー」
 なぜこうも、煽るような言い方をするのだろうか。

「これはレイさまに見せるノートです」
「へえ、健気ですねえ。レイ・アースベルは確か眠くなる病気でしたっけ」
「睡眠障害(ナルコレプシー)です」
 アレックスはうんうん頷き、
「リディアが勉強教えるイベントありましたもんね。でも、あの子、アーカード・コーンウェルとくっついちゃったし。あんたはリディア・セルフィーナの身がわりってわけだ」

 また人の神経を逆なでするようなことを。
「図書室では私語禁止です。お喋りしたいなら廊下へどうぞ」
「ツンツンしちゃって。わかりやすくてかわいいですね、セーレさま」
「アレックスさん」
 私はアレックスを見据えた。

「あなたがなにをしたいのかは知りません。だけど、私はあなたに関わる気はないし、あなたの言葉に動揺したりしません」
 彼は目を瞬き、視線を上向けた。そのあとちら、と図書室の入り口をみて、
「んー、なにがしたいか? 俺もよくわかんないんだけど、とりあえずせっかくゲームの世界に来たし、イベントとか参加してみたいなーって」
「は?」
 何言ってるんだ、この人。

「あれ? ここ間違ってません?」
 私はアレックスが指差した先を追い、ノートを見下ろした。しかし、間違いなど見当たらない。
「どこが間違っ……」
 ふわりと柔らかい髪が額を擦った。アレックスの顔が目の前にある。彼は少しだけ唇を触れ合わせ、すぐに顔をはなした。

「……!」
 私は思わず唇を押さえて立ち上がった。アレックスは座ったまま、目を細めて唇を舐める。
「奪っちゃったー」
「な、なにをするんですか!」

 その時、ばさ、と何かが落ちる音がした。視線を向けると、レイが立っている。いつもぼんやりした瞳が、驚きに見開かれていた。
「っレイさま」
「……なに、してるの?」

 声が低い。実に珍しいことに、レイは怒っていた。私は身体をふるわせたが、アレックスは全く空気を読まず、軽い口調でいう。
「いやー、セーレさまがあんまり美人だからキスしたくなっちゃって。それに隙だらけだったしー」

 レイはきゅっ、と唇を噛んで、こちらに近づいてくる。私の腕を掴んで、ひいた。
「きて」
「えっ」
 そのまま図書室を出て行く。あれ、どこ行くのー、というアレックスの声が、背後から聞こえてきた。


 ☆


「レイさま、どこへ行くんですか?」
 私の手を引いてずんずん歩くレイに、視線が集まっていた。普段ぼんやりしている彼の行動は目にとまるようで、途中すれ違ったアーカードも、怪訝な顔をしていた。

 レイは私を裏庭へ引っ張っていき、水場の前で立ち止まった。
「洗って」
「え、あ、はい」
 私は唇を水ですすいで、ハンカチで拭いた。レイは無言で俯いている。
「あの、レイ、さま」
「……させないで」
「え?」
「あんなやつに、キス、させないで」

 レイは海色の瞳を揺らしていた。罪悪感が湧き上がる。
「ごめんなさい、油断していて」
「セーレはいっつも油断してる」
「そんなことないです」
「ある。水着着てるときも油断したし」
「え? 油断もなにも、水着は泳ぐために着てるんだし」
「全然、わかってない」

 わかってないって、なにが? そう思っていたら、レイがぷい、とそっぽを向いた。
「セーレは鈍い。俺の気持ち、全然わかってない」

 レイの、気持ち。プールサイドでのあれは、私を、守ろうとしてくれてたのかな。図書室でも、泣いている私を隠してくれた。彼の優しさは嬉しい。だけど。

「……レイさま、私、大丈夫です。そんなに弱くないから」
「知ってる。セーレは、俺が守らなくても、十分強い子だって」
 でもいやだ、とレイは言った。
「他のやつに、見られたくない。触らせたくない」
「レイ、さま」

 私はレイの袖を引っ張った。
「あなたがいなかったら、私、奈落に落ちてたかも、しれません」
 深い海色の瞳が、こちらを向いた。
「どういう意味?」
「私はあなたがいたから……幸せになれるって、信じられた」
 私は背伸びして、そっとレイに口づけた。

「だいすき、です」
 レイはごにょごにょ何か言って、私の肩に頭を埋めた。
「セーレ、ずるい」
 耳まで真っ赤になったレイの頭を、私はそっと撫でた。
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