あいしてるって言ってない

あた

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迎えに来いとは言ってない

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 久我の自宅から逃げ帰って以降の数日間、俺の日常は穏やかに過ぎていた。

 学校に行けば親友の恵がいて、家に帰れば最愛の妹がいる。ああ、これが幸せってやつか……学校からの帰り道、そんな感慨を噛み締めていると、恵が声をかけてきた。

「ヒロ、これからうち来ない?」
「え? いいのか?」
「もうすぐテスト。一緒に勉強しよう」
「恵は成績いいじゃん」
「もちろん、ヒロのため」

 笑顔が怖い。
「前みたいに、赤点ラッシュは嫌だろ? 俺、担任から苦情言われた。ちゃんとヒロの面倒見ろって」
恵がこんなこと言うなんて珍しいな。つまり、よほど俺の成績はひどいのだ。

「お、おう、そうだな」と顔を引きつらせると、恵がくすくす笑った。
「そんな顔しない。クッキー焼いてあげるから」
「マジで?」

 恵は料理がとてもうまく、菓子類も絶品だ。俺が顔を明るくすると、気分をぶち壊すような冷たい声が聞こえてきた。

「よお、ヒロ」
その声に視線を動かし、ギョッとする。
「げっ」

 神領と久我が、高級車のわきに立っている。進学校の制服を着ているうえに二人とも見栄えがいいので、女子生徒の視線を難なく集めていた。

「出たな悪魔め、悪霊退散」
 俺が十字を切ろうとしたら、恵が後ろから抱き抱えてきた。小声で言う。
「関わっちゃだめ」

 おう、そうだな。悪魔に関わってもロクなことはない。さすが俺の親友は賢い。俺は冷静になりかけた。しかし、久我が挑発をかけてくる。

「おまえ、大口叩いといて無視か? 所詮口だけだな、日本男児」
「誰がっ」
 俺は恵の腕を抜けて、久我を見上げる。
「俺は逃げも隠れもしない!」
「ふうん、そうか。じゃあ、車に乗れ」
「乗ってやるよ!」

 色々な意味で乗せられた俺をよそに、神領が恵に手を差し出している。
「こないだはあいさつできなくてすいません。俺、神領誠っていいます。よろしく」
爽やかに白い歯を見せる。ほんと、久我とは対照的なやつだよな。

「……高野恵。よろしく」
 恵はそう言って神領の手を握るが、心配そうに俺の方を見ていた。神領が恵に話しかけている声が漏れ聞こえる。

「気になります?」
「当たり前。言ったら悪いけど、君のお友達、変」
「友達ではないんですけど。久我には友達、いませんから」

 恵が目を瞬くと、神領はにこりと笑った。握手していた手を離し、俺たちの方に来る。

「俺はここで。じゃあね、橘」
「あ、おう、またな」

 友達じゃない、か。はっきり言うんだな、あいつ。神領が歩いていくのを見送っていると、久我が俺の背を押した。こいつもこいつで、別に傷ついた様子もない。

「早く乗れ」
「押すなよ!」

 俺は、ぐいぐい背中を押す久我を睨み、乗り込んだ車から身を乗り出す。

「恵! 心配するなよ、俺は大丈夫だか」
 最後まで言い切る前に、隣に座った久我が扉を閉める。俺はむっとして、
「おい、まだ喋っ」
 俺の言葉を再び遮り、久我が「出せ」と言う。──この野郎。

 ミラー越しに、運転手さんが申し訳なさそうな顔で頭を下げる。もちろん悪いのは久我であって、彼ではない。
 エンジンがかかり、車が動き出した。俺は、その静かさに驚く。この車、全然揺れない。シートもふかふかだ。

これが高級車というものか……俺が感心していると、久我が目を細めてこっちを見ていたのに気づく。またバカにしているのかと思い、にらんだ。

「なんだよ」
「別に」

 フロントガラスに映る恵の姿をちらりと見て、久我が尋ねる。
「あの棒読みくんとはどういう付き合いだ?」
「棒読みくんって……恵だよ。小学校の頃からの付きあいだ。親友だよ、俺の」
「親友ねえ」
 久我が半笑いを浮かべたのに対して、俺はむっとする。

「なんだよ、悪いのか?」
「知ってるか? 世の中に親友がいると思ってる人間は数パーセントだ。つまり、ほとんどのやつは相手を親友だなんて思ってない。おまえが勝手に思い込んでるだけかもしれないぞ」
「おまえ、どんだけ捻くれてんだ?」
 俺は呆れ顔で久我を見た。
「おまえが単純すぎるんだ。大体、散々な目にあっておいて、よく平気な顔でいられるな?」

 久我の流し目に、俺はかあっと赤くなった。こいつに殴られ、キスされ、イカされて、一度も謝罪がないのだ。

「こっちのセリフだ!」
「自分でしてるか? なんなら手伝ってやろうか」
 伸びてきた手を鞄で防いで、俺はわめく。

「いらん! 用はなんだ!」
「ああ……あれ以来、女を清算してるんだが」
「え」

 まさか、俺の言ったことを受け止めて、改心したのか──こいつにも人の心があったんだな。俺が感心しかけたら、
「煮詰まらせておくとこないだみたいなことになって面倒だからな」
「……」

 なんだよ。そんな理由か。っていうか面倒なら最初から手出すな!
「それで──ひとり厄介なのがいる」
「厄介?」
「ストーカーだよ。ついた。降りろ」
 俺は降りようとして、違和感を覚える。

「あれ? ここって」
 久我の家ではなく、駅近くにあるショッピングモールだ。小さい頃、よく家族で買い物に来た覚えがある。なんでこんなところに?
「ボケっとするな。行くぞ」
 久我が、あろう事か俺の髪を掴む。

「いてえ、引っ張るなよ!」

 車内から、運転手さんがはらはらした目でこっちを見ているのがわかった。毎日久我の送り迎えをするなんて、俺だったら絶対無理。

久我は髪から手を引き、かわりに俺の手をきゅっと握った。
「!」
「これでいいか」
「よ、よくないわ! カップルじゃあるまいし……っ」

 嫌がる俺の手を引っ張って、久我はエレベーターの前へ向かう。立ち止まった久我脳を、俺は振り払う。そうして、素知らぬ顔の久我をにらんだ。この自己中おぼっちゃまめ。

 同じくエレベーターを待っていた女子高生たちが、久我の姿を見て色めきたつ。

「やだ、カッコよくない?」
「あれ海星の制服じゃん」
「あそこ、がり勉ばっかかと思ってたー」
 ひそひそ話だが、全部聞こえている。

 くそ、こんなやつ、ただ顔がいいだけなのに。いや、頭もいいか。あと金持ちだし。いや、そんなことがどうした! 男は心意気だ!

「おい、さっさと乗れ」
「あ、ゴメン」
 俺は慌ててエレベーターに乗った。それからむっとする。言い方ってものがあるだろう。
久我は四階のボタンを押した。四階って何があるんだろう。そう思いながら、階数ボタンの横にある案内板を見た。

「!?」
 俺は、自分の目を疑った。四階は、レディース服売り場と書いてる。おいおい……。三階にエレベーターが止まったので、俺は素早く降りようとした。

 久我が襟首をつかんで、壁に押し付けてくる。女子高生たちが、目を丸くしてこっちを見ていた。

「離せっ」
「逃げも隠れもしないんだろう?」
「おまえが何をやらせたいか大体わかったぞ、でもやらないからな!」
「へえ、馬鹿のくせに勘がいいな。言ってみろ」
「女装した俺に彼女の振りさせて、ストーカー撃退する気だろ!」
「当たりだ。おめでとう。景品はキスでいいか?」
「死ね!」

 久我はポケットから携帯を出し、画面操作をして俺に近づけた。こないだ久我に撮られた、俺の恥ずかしい写真。

「ひっ」
悲鳴をあげた俺に、やつが囁く。
「あそこにいる女子高生たちに、これを見せてもいいのか?」
「この悪魔……!」
「なんなら動画もあるぞ」

 俺が涙目で睨みつけると、久我は満足そうに笑って、スマホをしまった。奪い取って破壊してやりたいが、返り討ちにあうのは目に見えている。

久我正行は間違いなく悪魔だ。人の心というものがないのだ。

 やはり、どんな手を使ってもあれを消去するべきだった。俺は四階に止まったエレベーターから、のろのろと降りた。
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