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7.生々しい世界

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 ヴァイス様の屋敷の離れに移り住んで3日が過ぎた。
 裕福な子爵家の令息でもあるヴァイス様。お屋敷は広くて、つくりも瀟洒だ。離れといっても充分な広さがあって、かえって恐縮してしまうほどだ。

「私のことはマルティンとお呼びください」
「え? いいのですか?」
「交際を始めたのに、家名で呼ばれるのは不自然ではありませんか?」
「それでは……、マルティン様」
「はは。呼び捨てでいいですよ」
「いえ、そういう訳には……」

 王都では私とマルティン様が『交際』を始めたことが、噂になって広がり始めているらしい。
 それで、マルティン様が懸念されていた通り、グリュンバウワー家の王都屋敷には、下世話な貴族たちが用もないのに押しかけているらしい。そして、私が既にヴァイス家の屋敷に移ったと聞かされて、驚いて帰っていく。
 国王陛下からお許しをいただくまでは、婚約としても正式なものにはならず『交際』として扱われる。婚約段階でも同居することはないというのに、交際段階となるとかなり異例なことだ。

 さすがに聖騎士団長であるマルティン様の屋敷にまで押しかける者はおらず《グリュンバウワー家が領地に隠していた長女》で《女嫌いの聖騎士団長が、自邸に囲った交際相手》は、今のところヴェールに包まれている……。
 とはいえ、国王陛下の耳にまで届いていた私の見た目は、徐々に噂として広がりつつある。

 淡々と王都の様子を聞かせてくれるマルティン様は両の眼で、じっと私の顔色を見詰めている。
 私が「好奇の目に耐えられるか」の審査は、もう始まっているのだろう。私が動揺していないかゴリラの顔では表情が読み取れないからか、“本当の姿”を見て下さっている。
 にっこり微笑み返すと、スーッと横を向かれるけど。
 やっぱり私は美しいのだと、軽く頷く。

 ◇

 3日の間にマルティン様とは色々な話をした。
 聖騎士団長夫人として相応しいか見極めようとしているのだろう。マルティン様にすれば、まだ正式な婚約もしていないし、取りやめにすることも出来る。
 そんな審査する目に緊張する私だったけど、それよりも遥かに感動することがあった。

 “本当の姿”を見てもらいながらの会話が、こんなに気楽なものだったとは。

 善良で優しいリエナベルクの領民たちでも、私が真面目に政治や経済の話をしていると、表情に少しだけ憐みの色が浮かんだ。
 『こんな見た目でなければ、もっと活躍できただろうに』と思っていたのか、『ゴリラ風情がなにを難しいことを』と思っていたのか、彼らの本当の気持ちは分からない。
 ただ私はいつも、相手にはこう見えているのだから――という気遣いをしながら話さなくてはいけなかった。自分の見た目がゴリラであることに気が付いた13歳のときからずっとだ。

 逆に、剣術の練習をしている姿は自然に受け入れられた。
 なにせゴリラだ。よっぽど強くて頑丈そうに映っているんだろう。
 湖畔で練習していると、水面が映す可憐で美しい私が剣を振る姿は、実に似つかわしくない。微笑ましく眺める領民の視線は、妙に居心地を悪くさせるものだった。

 それが、唐突に解放された。

 私が知る私と、マルティン様が知る私が一致していると思うと、話題も行動も選ばなくていい。
 それが、こんなにも気楽なものだとは初めて知る感覚だった――。

 ◆ ◆ ◆

 そして、ついに他の方とお会いする日がやってきた。
 まずは、マルティン様の親しい方々に内密に引き合わせていただけるということで、聖騎士団の副長さんと、魔導師団の師団長さんが、お屋敷の本邸に招かれた。

 ――聞いてはいたけど、まじゴリラ。

 という驚きが、一瞬だけ表情に浮かんだ2人だけど、すぐに笑顔で挨拶してくださった。
 私の方にも驚きがあって、魔導師団の師団長さんが女性だったのだ。聖騎士団の中でも、とりわけ魔力の強い方々がそろっている魔導師団。その師団長が女騎士だとは知らなかった。

「はじめまして。魔導師団長の、エミリア・シュルツブルーメです」

 三つ編みにしたブラウンの髪を揺らして、頭を下げてくださった。頬にはそばかすが見られるし、不愛想だけど、小柄で可愛らしい人。
 チラッとマルティン様を見ると、リラックスした表情をされている。
 恋愛感情を抱いても抱かれてもいないということか。

「聖騎士団副長のアンドレアス・シュバルツです」

 と、挨拶してくれた副長さんは、すごい強面……というか、悪人面。体格も立派だし、圧がすごい。
 マルティン様と2人は、気心の知れた関係なのだろう。
 砕けた雰囲気で、私を迎えてくれた。

 ◇

 4人だけの小さな宴が始まった。
 そして、魔導師団長をしても私をゴリラに見せてる擬態魔法を見抜くことは出来なかったのだということに、少し落胆した。

「女嫌いで名を馳せたマルティン・ヴァイスも、ついに嫁を取るか」

 副長のアンドレアスさんが、カカカっと笑った。
 マルティン様は苦笑いしているけど、不快に思われている感じはしない。団長と副長。信頼関係あってこその、ざっくばらんな物言いなのだろう。

「マルティンはフェステトゥア王国の至宝だ。家庭を持たないことなどで失脚させてしまっては、王国の大きな損失になる。いや。まずは良かった」
「アンドレアスにも心配をかけてしまったな」
「なんのなんの。いやしかし、マルティンはてっきりエミリアに気があるものだとばかり思っていたがな」
「アンドレアス様。それは、戯言ざれごとが過ぎます」

 アンドレアスさんとエミリアさんの視線には、少しだけど私を値踏みする色が乗っている。マルティン様が選んだ結婚相手ということで遠慮はあるのだろうけど「ほんとにいいのか?」という気持ちが隠せていない。

 ――好奇の目、入門編だな。

 と、私は少しおかしくなっていた。
 神の恩寵を受けて魔獣を討伐し瘴気を浄化する聖騎士として、悪い感情が湧き上がるのを必死に押さえつけているのが見て取れる。
 特にエミリアさんは女性でありながら、女嫌いのマルティン様に魔導師団長に抜擢された。どこかで自分が特別な存在だと思っていたのだろう。明らかに私との距離感を測りかねている。というか「悔しい」という感情を押し殺すのに必死だ。

 それは、妹のアンナにも浮かんでいた表情だ。
 私にはずっと優しく接してくれていた、いい妹だけど、私をに見ていたことに、たぶん本人も初めて気が付いた。心から祝福するお母様と並ぶと、それは一目瞭然だった。
 ただ、聖女を目指す身として「慈悲深く」あらねばならない。他人の幸福を妬んだり羨んだりしては、聖女候補から脱落する。これまでの努力を棒に振ることになる。
 自分のためにも私の幸運に笑顔を手向けようと頑張っていた。

 急に世界が生々しく感じられた。

 だけど、不思議と怖さは感じない。すでにこの世の中で1人、私の“本当の姿”を知る人がいる。きっとそのことが、私に、生々しい世界に飛び込む勇気を与えてくれている。
 マルティン様が信頼する2人に、にっこりと微笑んで見せた――。
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