【完結】側妃のわたしが王子を地下に匿い、王位に就けます! でも、真の敵は姉でした。

三矢さくら

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3.ここで退いてはいけない

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蹴り上げられる衝撃に耐えようと、男の子をギュッと抱きしめ、身体を堅くした。

わたしは族長の娘として尊重されていたけれど、ほかの子を庇って大人に蹴られた経験は何度かあった。

いつもは心優しい部族の者たち。

だけど、泥沼のような戦場から戻る大人はいつも苛立っていた。

大人に蹴られるその感覚は、まだわたしの身体に生々しく残っている。

震える男の子は見ず知らずだとはいえ、放っておくことができなかった。


「おやめなさい!」


フレイヤの澄んだ声が路地に響いた。

男のつま先が、わたしの脇腹のすぐそばで、ヌルッと止まった。

腕の中で震える男の子をギュッと抱きしめるわたしの耳に、フレイヤの冷厳な声が低く響いてくる。


「私はレヴェンハプト侯爵が長女、フレイヤである」

「は~ん? ……そのご令嬢様が、なんの御用で?」


下卑た男の声が、頭上から降ってくる。

男の興味がわたしから逸れた隙に、うずくまる男の子を路地の壁際まで、グイッと押しやった。


「そなたが今蹴ろうとしたのは、国王オロフ陛下の公式愛妾であられるヴェーラ夫人であるぞ」

「は~?」

「ほう。陛下の御名を聞いても控えぬか」


わたしが顔をあげると、逆光に輝くフレイヤのマロンブロンドの髪は、すぐ近くまで歩み寄ってくれていた。

なにかの親方なのだろう。男は無造作に伸ばした顎ひげを撫でながら、フレイヤをニタニタと見下ろしている。


「公式愛妾のヴェーラ様と言えば、あれでしょう? 北方の蛮族が寄越した人質だって聞いてますがね?」

「陛下の公妾であられることに違いはないぞ?」


そのとき、アーヴィド王子のやさしい声が、わたしの耳に蘇った。


――侮られてはいけない。ヴェーラが侮られることは、レトキ族が侮られることになる。それでは戦争は終わらない。


ふぅっと、おおきく息を吐き、わたしは立ち上がって、男の顔を見据えた。


「……わらわのことはよい」

「へっ、……妾ときましたか」


裏道の入口では、ちいさな人だかりができ始めていた。クスクスザワザワと、わたしたちを眺めている。

ここで退いてはいけない、ということだけは分かった。


なんじは、何故なにゆえこの少年を蹴っていたのですか?」


行儀作法の先生から習いたての、国王の公妾に相応しいふる舞いと言葉遣いを、慎重に選んだ。


「何故って……、俺はね、憐れなそいつの面倒をみてやってるんですぜ?」

「はて? 王国の作法にはいまだ疎い故、教えてもらいたいのですが、面倒をみるとは、身体もちいさき幼年の者を蹴り上げることですか?」

「……チッ」


身体のおおきな男の舌打ちが頭上から降って来て、ほそい路地に甲高く響いた。

けれど、矢が雨のように降り注ぐ中を駆けて逃げたり、飛んできた槍を間一髪避けたりしたことを思えば、気持ちが引けることはなかった。

まして、あの恐ろしい金ピカの男――国王オロフ陛下の放つ威圧感に比べれば、どうということもない。


「そいつの父親は兵士で、あんたらとの戦争で死んじまったんだ」

「ほう」

「母親は男をつくって逃げた。だから、こうして俺が引き取って、仕事を教え込んでやっているんですぜ?」

「つまり、汝は国王陛下のために戦った兵士の子どもを、足蹴にしたという訳ですね?」

「いや……、そういう言い方は……」

「違うのですか?」


苦々しげに顔を歪める男の、左右に忙しなく動く眼球を、まっすぐに見詰め続けた。

わたしの後ろで震える男の子の父親は、わたしの兄を殺した兵士かもしれない。

そうでなくても、同胞の何人かは殺したことだろう。

だからといって、身体も大きく力も強い大人の男から理不尽に蹴り上げられる子どもを、見過ごすことは出来なかった。


「この者は、妾がもらい受けます」


わたしの言葉で、フレイヤが男の子を立たせてくれた。

踵を返したわたしの後ろで、フレイヤのひくい声が響く。


「異議があれば、王宮に申し立てよ」


背後で男はブツブツと悪態をついている。

かまわずわたしは、野次馬の群れを割って歩いた。

わたしをいじめるメイドたちを退けてくれた、アーヴィド王子の毅然とした背中を、頭のなかに思い描いて背筋を伸ばす。

わたしがアーヴィド王子に抱いてしまった気持ちを、誰かに打ち明けることは一生ないだろう。

心の奥底で、わたしひとり、大切に隠し抜くしかない恋心。

だからせめて、アーヴィド王子に恥じないふる舞いを貫きたかった。

それだけが、わたしがアーヴィド王子に捧げられる唯一のものだと、よりいっそうに背筋を伸ばして歩いた。


   Ψ


王宮に連れ帰った男の子に、傷の手当てをしてやる。

服を脱がせるとアザだらけで、面倒をみていると言っていた親方から、日常的に虐待されていたことは明らかだった。


「……イサク・アンデレン」


と名乗った男の子は、わたしより2つ歳下の8歳だという。

歳の割にはちいさな身体。痩せぎすであばら骨が浮いていて、食事も満足に与えられていなかったのだろう。

髪の毛は伸び放題。わたしのココアブラウンの髪より濃い茶色をしている。褐色の肌は日焼けではなく、生まれつきのものに見えた。

手当てをしてやっている間に、飴をひとつ渡して舐めさせると、イサクは目にいっぱいの涙を溜めた。

アーヴィド王子の〈マネっ子〉をしてるようで面映ゆくもあったけど、

飴の甘さが張り詰めた心を融かしてしまうのは、わたしもよく知っている。

王国が部族に攻め入ったあの侵略戦争がなければ、イサクの父親はいまも健在だったかもしれない。当然、母親も男と逃げることはなかっただろう。

イサクもまた、戦争の犠牲になったのだ。

そして脳裏に浮かぶ、おなじように手当てをしてやった、部族の子どもたち。

思い起こすだけで、切なさに押し潰されそうになったので、そっと心の蓋を閉じた。

とはいえ、10歳と幼いわたしは、自分の行いがどのような結果をもたらすのか、まだ気が付いていなかった。

部屋に戻ったフレイヤが、わたしに静かに告げる。


「陛下がお呼びです。正装に着替え、謁見の間に急いでくださいませ」


老いた国王の鷲のように鋭い眼光が脳裏に蘇り、わたしの背筋に冷たいものが走った。


――イサクを助けたことが、国王の勘気に触れたのだろうか……。


部族の平和のために身体を捧げた姉の労苦を、わたしの軽率な行いで台無しにしてしまったのではないか。

今度はわたしが震えるようにちいさく何度もうなずくと、イサクがわたしの顔を心配そうにチラッと見上げた。
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